第17話

ダチョウ(strouthokamelos)について


 ダチョウという動物がいる、これは全体的にラクダに類似しているが、美しさきわまりない多彩なきらきらする羽をもっている、ただし高みを飛ぶことはない。しかし地上は飛ぶ、が、犬のワンワンいう音(sic)や声を恐れる……自分の前に見えるものは何でもみな餌にし、鍛冶場をうろついて、赤熱した鉄を呑みこみ、これをすぐ、初めに赤熱したまま肛門からひり出す。しかし鉄は、dimuskhのおかげでより薄く、より高価になっている、わたしが自らの眼でキオスで眼にしたとおりである。

 卵を産みはするが、ならわし通りにこれを温めることもせず、向かい側に置いてこれを眼で見つめ、温め、眼の熱によって孵す。もしも眼をそらせば、孵すことができない。

 それゆえ、教会に卵が吊されのは、わたしたちに対する手本である。




 「だが何と言っても人の注意を引きつけたのは駝鳥の卵であろう。なにしろどでかい代物である。乳房をたくさん持つアルテミス女神の胸に並んでいる乳房らしいのは、実際には、豊饒のシンボルである駝鳥の卵だと言われているし、考古学上の無視できぬ証拠もそろっている。いずれにしろ、昔、教会などで(ギリシアでは特に顕著だ)駝鳥の卵を吊してあったものだ。それは精霊の光が無ければ神のことを忘れ易いものだということを、人間たちに思い出させるためであった。このシンボリズムは次のようなかなり根強く見られる民間伝承、つまり、駝鳥は卵を孵すとき、決して卵から目を離さないという民間伝承によるものらしく、このことはまた諸種の動物誌に書かれてもいる。卵から目を離すとたちまち卵は駄目になってしまうという。それと同じように信徒が一瞬でも注意を怠ればせっかくの祈りも無駄になってしまうというのだ。
 聖処女マリアの頭上、コキーユ装飾の中央に紐でたくさんの卵が吊されているのが宗教画によく描かれている。あれは駝鳥の卵だ。今でもトルコやアフリカのイスラム諸国では、同じ信仰が生きている。家のなかやモスクに駝鳥の卵が吊してある。チュニジアでは、分娩をひかえた女性がベッドの上に舵鳥の卵を吊すという習慣が見られる」。
      (ジャン=ポール・クレベール『動物シンボル事典』p.215)