第46話
インド石(indikos lithos)について
インド石[名をカエル石という]があり、次のような自然本性を持っている。人間が水腫症にかかると、医術師たちはこの石を探し、これを3刻の間水腫にくくりつける、するとこの石が水腫の水をすべて吸収してくれる。それから石をほどいて、これと人間とを秤にかけると、小さな石の重さが人間の身体を引き上げる〔つまり、石の方が重い〕のである。しかし、この石が3刻のあいだ太陽に当てられると、人間の身体から吸い取った腐った水をすべて外部に吐き出し、石はもとどおり再び清浄となる。
石とはわれらの主イエス・キリスト、つまり、恐れを外部に追い出してくださる完全な愛である。わたしたちは水腫症であるから、心の内に悪魔の水を持っているので、キリストが降りて来られ、磔柱を通してわたしたちの心のなかに繋がれ、わたしたちの腫れを癒してくださった。すなわち、ご自身がわたしたちのわずらいを取り去り[引き上げて]病を担い行かれたのである〔マタイ、第8章17〕。
かく美しく、自然窮理家はインド石について言った。
註
プリニウス『博物誌』第37巻170
「インド石はその原産国の名をとったもので、赤味を帯びている。しかし指で擦ると紫色の汁が滲み出る。同名をもつ今ひとつの石は無色で埃っぽい外観を呈している」。
プリニウスは、貴石の産地として特にインドを挙げている。また『エリュトゥラー海案内記』(後1世紀後半)も、Beryl属、ルビー、サファイア、瑪瑙類が盛んにローマに輸出されていたと述べる(第56節)。したがって、「インド石」と言っても、それが具体的に何を指すかは必ずしも明白ではない。
『キュラニデス』第1巻20には、詳細は不明なるも「雨石(uJevtioV)」なるものが登場するが、これはおそらくプリニウスの言う"enydros"と同じものであろう。「白くて滑らかな肌をしていて必ず完全に丸い。それを揺らすと、卵と同じように、そのなかで液があちらこちらへと動く」(第37巻190)。
しかし、プリニウスは薬効については述べておらず、また、『キュラニデス』の言う薬効は、自然究理家の言う薬効と異なる。
おそらくは、水腫(u{drwy)に効能のあるe[nudroV livqoV)という連想(類感呪術的思考)があったと考えてよかろう。この e[nudroV livqoV は、中世に Enydros→Enidros→Elidros→Etindros(アルベルトゥス・マグヌス)として親しまれてきた石である。「エティンドロスは色がクリスタルに似た石である。絶え間なく滴る水滴は熱のある人に効力がある」。
先に挙げたBerylはギリシア語 bhvrulloV は、語源はサンスクリット語の"vaidurya"だという(大槻真一郎『ヒルデガルトの宝石論』)。「透明で美しく海水を思わせるような青緑色のこの石」が、水腫=水の膨らみを癒やす効果があると連想することは容易であったろう。
原文中に補足されている「蛙石」は、ヒキガエル(蝦蟇)の頭の中にある石だと伝えられ、中世ラテンの宝石名では"Borax"(←batracivthV)と呼ばれた。「コプトス産で、一つの種類は蛙の色をしており、第2の種類も同様だが筋が入っている。一方第3の種類のものは赤くて黒をまじえている」(『博物誌』第37巻149章)。
この石を「ひと呑みすると、これは腸を綺麗にして不潔なものや過剰なものをすっかり取り除いてくれる」(アルベルトゥス・マグヌス『鉱物書』宝石篇)。
右図は『健康の園(Ortus sanitatis)』(1499年版)から〕。文献の上で現れるのは13世紀初頭であるが、「鉱物学上の同定は未だにできず、化石化した鮫の歯か古生物の三葉虫の化石か、その他の何かではないかと取り沙汰されてい」るという(大槻真一郎『西洋中世/宝石誌の世界』)。
冒頭の画像は出典不明。