第48話

シカモアの樹(sykaminos)について


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 浄福のアモスは言う、「わたしは預言者ではなく、預言者の弟子でもなく、シカモアの樹を〔虫を取り出すために〕抉る〔"knizein"〕山羊飼いにすぎぬ」〔アモス、第7章14〕。山羊飼いは山羊の番をする。されば、アモスは美しくも、キリストの顔つきをしている。だから、「シカモアの樹を抉る」には深長な意味があり、ザアカイはシカモアの樹(sykomorea)に登った〔ルカ、第19章4〕。

 周知のとおり、シカモアの樹を抉る前のコアリ(sknips)は、その内にひそむいわゆる蛆(konops)であり、闇の内に住むものたちで、光を見ない。彼らはお互いに「広い場所に住みたいものだ」と言い合うが、闇の中に暮らしている。ところが、シカモアの樹が抉られて〔外に〕出てくると、太陽・月・星辰の明るさを眼にして、お互いに言い合う、「シカモアの樹が抉られる前、わたしたちは闇[と死の陰]の中に暮らしていた」〔参照、マタイ、第4章16〕。こうして、〔シカモアの樹は?〕第一日目に抉られ、三日目には立ち現れて、万物の食べ物となったのである。

 されば、わたしたちの主イエス・キリストの脇腹は槍の穂先に抉られて、血と水がほとばしり出、三日目には、主は死者たちの中から立ち上がり、わたしたちは新しき光を見たのだが、それは、あたかもコアリたちが、シカモアの樹が抉られて、不死の光を見たがごとくである。[こうして、山羊たちが悔い改めに顔を向けるのは、その毛から弔いの着物を織るからであり、「荒布をまとい灰をかぶって」と彼〔マタイ?〕は言う、「彼らは悔い改めた」〔マタイ、11章21〕]。「闇の中に暮らしている民は大いなる光を見、死の地、死の陰にいる人たちに光が昇った」〔マタイ、4章16〕。シカモアの樹が抉られると、三日目にして食べ物が生じる。そのように、われらが主イエス・キリストも、脇腹を抉られ、三日目にして死者たちの中から立ち上がり、わたしたちみなの命と食べ物となられたのである。

                                      



sycomorus.jpg ヘブライ語のシクマー〔シカモア=エジプトイチジクの樹(Ficus sycomorus)〕は、旧約聖書の6箇所に登場しているが、七十人訳はそのうち4箇所(列王記上10:27,歴代誌上27:28,詩篇78:47,アモス書7:14)を、シュカミノス(sukamivnoV)〔クロミグワ(Morus nigra)〕と誤訳している。(『聖書植物大辞典』p.410)
 シカモアの樹=エジプトイチジク〔日本語聖書では「イチジククワ」と訳している〕は、エジプトやパレスチナではとくに有用樹種とされ、クルミの樹の高さほどに生長し、枝を大きく広げて心地よい木陰を作るので、街路樹としても植えられている。葉は卵形で香りを持ち、裏面には綿毛を備える。幹からじかに伸びた短い枝の上に、果実を房状につける。食用にする果実には、収穫の3,4日前に鋭い刃物や指爪であらかじめ傷をつけておく。<……>エジプトイチジクの樹は常緑であり、時期は一定ではないが、年に数回果実をつけるので、貧しい人々にとっては、たえず食物をもたらしてくれる大切な樹である。材は多孔性で著しく耐久性に富み、湿気や熱によって傷むことがない。古代エジプトのミイラを収めた柩は、エジプトイチジクの材で作られており、埋葬されて数千年を経た現在でも、まったく損傷ない状態で発見されている。(『聖書植物大辞典』p.411-412)
 新約聖書でザアカイが登ったという「いちじく桑の木(sykomorea)」もこの樹(Ficus sycomorus)である(右上図)。

 アリストテレス『動物誌』第5巻32章(557b)
 「野性イチジクの実の中には、『イチジクバチ(psen)』と称するものが入っている。これは最初は小蛆であるが、やがて皮が破れてはがれると、この皮を残して、『イチジクバチ』が飛び出してきて、〔普通の〕イチジクの実の口から中に入り、実が落ちないようにするのである。それゆえ、農夫は野性イチジクの実を〔普通の〕イチジクに結びつけたり、〔普通の〕イチジクのそばに野性イチジクを植えるのである」。
 一種の人工授粉であるが、Theophrastus, H.P. II, 8; C.P. II, 9, III 18; Plinius, XV, 19, XVII 27, 44等古来幾多の報告がある(島崎註、p.488)。


以下は、廣部千恵子『新聖書植物図鑑』(教文館、p.56-57 )より。

 イチジククワ(Ficus sycomorus)は、
 ヘブライ語ではshiqmah
 ギリシア語ではsykomorea。

 東アフリカ原産で、B.C. 2000年頃カナンに来たという説も、イスラエルの海岸沿いに昔からあったという説もある。常緑であるが、厳しい冬には落葉する。大木になり、高さ15m、葉冠は20m、幹の太さ1〜2mにもなるものがある。葉はイチジクに似ず、むしろ桑のような形をしている。実はイチジクより小さく、丸みがあって、主幹や古い枝に直接つく。夏に熟し、昔は貧しい人に食べられ、売られてもいたが、イチジクのように美味しくはない。

 イチジク同様、陰花果で内側に雌雄の小さな花があり、小さな虫が頂にある小穴から出入りして受粉する。しかしこうするとイチジク同様虫コブができて食べられなくなるので、昔からヘブライ人は特殊なナイフでイチジククワを刺激して結実させて食用にした。

 しかしイチジククワは実のためにではなく、木材を取るために栽培されてきた。材質は軽く、多孔質なので天井に向いているし、古代エジプトではこの木が湿度と腐敗に強いので棺として使用していた。イチジククワはそのままにしておくと根元がねじれて枝がたくさん出てしまう。ザアカイは小さかったが、イチジククワなら容易に登ることができたに違いない。しかし木材として使用するためにはこのような枝を払わなければならない。預言者アモスがやっていたのはこのような仕事だったのであろう。

 イチジククワはイチジクに比べると寒さに弱い。詩篇78_47はこのことを表している。実際にイスラエルでイチジクはガリラヤやゴラン高原などにも生えているが、イチジククワはイスラエル南部や温暖な海岸地帯に自生している。海岸の砂の所にあるイチジククワは、砂の移動で根がまるで歩いている足のように地上に出ている。ルカ17_6の「主は言われた、「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう」」の桑は、イチジククワを表しているであろう。

 イチジククワから取れるラテックスは火傷、癌、四肢の硬化、腫瘍、いぼなどに用いる。これも蛋白質分解酵素ficinを含むといわれる。葉と実は牛の乳を増加させるために与える。エチオピアでは根を腸チフスの予防に、レバノンではラテックスを皮膚の剥離や破傷風の予防に、また血液毒、蛇毒などに使用する。東アフリカでは下剤や咽頭炎などに用いている。

 『死者の書』第109章には、天空の東の門には一対の「トルコ石でできたシカモアの樹」があり、太陽神ラーはその間から毎日出てくると記されている。<……>シカモアの樹はとくに三人の女神、ヌト、イシス、ハトホルの現れと考えられていた。ハトホルは「シカモアの女主人」と呼ばれるほどである。<……>ハトホルかヌトらしい女神の腕がこの樹からのびてきて、死者に食べ物と水を与えるシーンは数多く見られる。(『古代エジプトシンボル事典』p.154)

 シカモアの樹が、イチジクの木と同じく、白い樹液を出すこと、および、太陽の樹が左右一対であることの重要性については、第34話「両手利きの樹」を参照。