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ルキアノスとその作品

デーモーナクスの生涯

DhmwvnaktoV BivoV
(Demonax)




[解説]
 犬儒派の哲学者デーモーナクスについてわれわれの知っていることは、他の箇所で彼に帰せられるわずかな発言を除いて、すべてこの作品に由来する。この作品の真正性について、繰り返し疑問が呈せられてきたが、デーモーナクスの冗談の真正性と混同されるべきではない。というのは、デーモーナクスをルキアノスに置き換えて、年齢とともに冗談の味わいが弱くなってきているなどといったGeorge Meredithのごとき意見は必要ない。(A. M. Harmon)

[出典]

内田信次訳『ルキアノス選集』(国文社・叢書アレクサンドリア図書館VIII、1999.10.)所収


"t"
デーモーナクスの生涯

"t".1
デーモーナクスの生涯


1.1
 してみるとわれわれの時代も、語るに足り記憶に値する人物に全然恵まれない定めではなかったのだ。それは、並外れた肉体力の持ち主をも、この上なく哲学的な知性を有する人をも、世に送り出すことになっていたのだ。わたしは、ギリシア人によってヘーラークレースと呼び名されじっさいその英雄に他ならないと信じられたポイオティア人ソーストラトスと、それにもまして哲学者デーモーナクスのことを目してこういうのである。この両人にわたしはまみえもし、接しながら讃嘆を禁じ得なかったのだが、そのうちのデーモーナクスとは長期にわたって師弟の交わりまでさせてもらったのである。
 ソーストラトスについては、わたしがすでに著した本のなかで、その立派な体格や、とてつもない筋力や、パルナッソス山中での野外生活や、辛い臥所のことや、山で得る食糧や、賊を退治し、人跡未踏の地に道を開き、渡河し難い箇所に橋を架けたり、といった〔ヘーラークレースの〕名にふさわしい行いの数々やらを明らかにしておいた。
2.1
 そこで今はデーモーナクスについて語るのがふさわしいわけであるが、それには二つの理由がある。ひとつは、彼の記憶が、わたしの力の及ぶ限り、心あるひとびとのあいだで生き続けてほしいという 願いからであり、もうひとつは、気高い天性を持ち哲学に志す若者が、自分の修養の鑑として昔の範例だけにしか頼れないということのないように、いや、われわれの時代からも規範を見いだして、彼という人物をおのれの目標に据え見習うことができるように、と思ったからだ — 彼こそわたしの知るなかでもっとも優れた哲学者だったのである。

3.1
 彼の生まれはキュプロスであり、社会的地位も財産も卑しくはない家柄に属していた。しかし彼はこれらすべてに超越する境地に達し、自分をもっともうるわしいことに捧げるべきと考えて、哲学 の道に進んだのである。アガトブゥロスやその先任者デーメートリオスやエピクテートスに促された結果、というわけではけっしてない。もちろんこういった人たちすべてと師弟の交わりをしたし、さらに弁説も思想も洗練されたヘーラクレアの賢人ティモクラテースにも教えを受けたのであるが、デーモーナクスは、今 わたしが述べたように、これらのだれかに慫慂されたのではない。むしろ美なるものへの生来の衝動と、哲学への持って生まれた欲求とに彼はすでに少年時代から突き動かされたのである。それで世俗的な善はこれをことごとく見下し、おのれを自由と率直な物言いとにまったく委ねて、最後まで正しく健全な間然するところのない生き方を貫き、彼の言動を見聞きする者たちにも、その知性と真実の 哲学の仕方とを示して模範となったのである。
4.1
 とはいえ彼は、俗にいうように「足も洗わず」〔準備不十分に〕そういう方面へ突っ走ったわけではない。彼は詩にも親しみその大部分を記憶していたし、弁舌の訓練も積んでおり、哲学の各派についての知識もけっして生半可な、諺にいう「指先だけで」さわっただけのものではなかった。肉体にも鍛練を加え、忍耐強いものに鍛え上げていた。彼の心構えは、総じて、他の何事も必要としない存在でありたい、ということだったのだ。それで、自足することがもはやかなわないと悟ったとき彼は、みずから進んでこの世を去り、大いなる名声を心あるひとびとへの置き土産にしたのであった。

5.1
 哲学の流派をただひとつだけ選り出すということはせずに、多数をいっしょに混ぜ合わせていた。そしてそのなかのどれをとくに好んでいるかはっきり示すことはなかった。ソークラテースに親しみを感じているようではあったが、またあのシノーペー人〔犬儒ディオゲネス〕の身なりと気楽な人生を見習っているようにも思われた。とはいっても、生き方の刷新を図って通行くひとびとをあっけにとらせ瞠目させようとするわけでもなく、むしろだれとも親しく交わり、てらいを見せず、少しも思い上がりに囚われることなしに市民生活に参加した。
6.1
 ソークラテースのアイロニーをおのれに許して用いることもなかった。いや、彼が表わす交際の能産はアッテイカ的な優美さに満ちていたので、接したひとびとは、卑しい人物として彼を軽蔑することも、叱責の仕方があまりに狷介であるとして敬遠することもなく、むしろ喜ばしい気持ちで我を忘れんばかりになりながら、来たときよりずっと節度のある快活な人間になって、将来への希望に満たされつつ立ち去ったのである。7.1
 じっさい彼が声を張り上げたり、興奮したり、怒ったりした姿は一度として目撃されたことがない。だれかを叱責せねばならないときでもそうであり、罪そのものには非難を加えたが、それを犯したひとびとは許すのであった。そして医者に範を求めるべきだとして、彼らも病いをいやそうとはしても病人に怒ることはしないではないかと述べた。罪を犯すことは人の性であり、いったんなされた過ちをもとに復すのは神か神に等しい人だけの業であると考えていたのである。

8.1
 このような生き方をしながら、自分に関しては何事も必要としなかったが、友に対してはめいめいがふさわしいものを得られるよう手を貸してやった。幸運に恵まれているように思える友人たちに は、彼らを得意がらせる幸福とおぼしき事柄がはかないあいだのものでしかないことに気づかせてやったし、貧乏を嘆いたり、亡命生活を辛く思ったり、老年あるいは痛いをかこつ者に対しては、笑いつつ慰めて、彼らを苦しめている事柄もやがて終わるだろうこと、禍いをも福をも忘却した長い自由がすぐにみなを捉えるだろうこと、を言い聞かせた。
9.1
 兄弟同士の争いを和解させ、妻と夫との和平案を取り決めることにも努力した。民衆がちょっと騒動を起こしたときには醇々と語りかけ、祖国への貢献は節度ある形ですべきことを大部分のものにわからせた。

 このようなのが彼の哲学の特徴であった 10.1 — 優しく、温和で、快活な哲学であった。
 彼を苦しめたのは友人の病いや死だけである。人が享受する幸のなかで、友情を最高のものと考えていたからだ。このゆえに、だれに対しても友であり、人間であるからにはわが同類とみなさない相手はなかったのだが、喜んで付き合う人物、あまりそうではない人物、という違いはあった。彼が交際を避けたのは、治療の望みがないほどに悪質なものだけであった。これらのことすべてを彼はカリスたち〔優美女神〕やほかならぬアプロディーテーの恩顧とともに行い語ったので、喜劇の詩句を借りると、彼の唇にはいつも「説得」が宿っている、という風情であった。

11.1
 それゆえに、アテーナイの全民衆も、公職にあるものも、彼をことのほか讃嘆し、自分よりも高次の存在のひとりとして仰ぎ続けたのである。とはいえその彼も、初めは多くのひとびとの気に障り、その率直な言い方と自由不羈とのゆえに、先例者〔ソークラテース〕に劣らぬ憎悪を大衆のあいだで抱かれてしまい、第二のアニュトスやメレートスの類が、あのときこれらの人物によってあの哲学者に村しなされたのと同じ告発を、彼に対し共謀して起こすという事態にまでなった — 神に供犠を捧げるところを見られたこともないし、すべてのアテーナイ人のうち彼だけがエレウシス秘教に入信していない、という点を訴えられたのである。
 これに対し彼は、非常に男らしい態度で、冠と清らかな外衣とを身に着けた姿で、議会場に現れ、あるときは醇々と、あるときは彼の流儀にそぐわぬ厳しい口調で、弁明を行った。
 アテーナに供犠をしたことがないという告発に村しては、「不審に思われないでくれ、アテーナイの人たちよ」といった、「わしがこれまで女神に供え物をしたことがないとしても。女神はわしからの供犠をなんら必要としていないはずだと考えていたのだ」。
 もうひとつの、秘教に関する件については彼は、彼らと同じように入信しない理由はこうであると述べた。すなわちもし秘教がとるに足らぬものであったら、けっして自分はそのことをまだ非入信のひとびとに黙ってはいず、むしろ密儀から遠ざけようとするであろう、逆に秘教が素晴らしいものであったら、博愛のゆえにすべての人にそれを口外してしまうに違いない、と。
 この弁明を聞いてアテーナイ人たちは、彼に投げ付けようと〔死刑の〕石ころをすでに手にしていたにもかかわらず、たちまち心を和らげ好意的になって、そのとき以来彼を尊び敬い、最後には讃嘆するようにまでなったのである。とはいえ彼は、彼らに向けた弁説の冒頭で、次のようなかなり厳しい調子の前置きを口にしたのであった。
 「アテーナイの人たちよ、お主たちはわしが冠を着けている姿を目にしている。今はわしをも犠牲に供えるがよい、あのときには〔ソークラテースを〕幸先よい仕方で供犠しなかったのだから」。

12.1
 彼が、的を射た、しかも機知に富む言葉を発した例をいくつか挙げてみたい。パボーリノス〔閹人のソフィスト〕の件から始め、彼に対してどういったか、ということをまず紹介するのがよいだろう。デーモーナクスが彼の講義を笑い、とくにその節をつけた弁じ方を卑俗で女みたいで哲学にはふさわしくないと嘲っていると聞きつけてパボーリノスがやって来た。彼が、自分の演説を愚弄するお前は何者か、とデーモーナクスにたずねると、彼は答えた、「容易にはたぶらかされぬ耳を持つ人間だ」。ソフィストはなお食い下がり質問した、「お前は大人になって哲学の門下に入ったとき、どんな所持品〔資質〕を携えて来たのか」。「睾丸を」と彼は答えた。

13.1
 別のとき、同じパボーリノスがやって来てデーモーナクスに、どの流派の哲学を好むかとたずねると彼は、「だれがお前にわしのことを哲学者だといったのか」と言い、もうその側から立ち去りながらしごく愉快そうに笑った。彼が、なにを笑うのかと訊くので、答えた、「あご鬚から哲学者かどうか見分けられると考えるお前自身はあご鬚を生やしていないのがおかしくてね」。

14.1
 あのシドーン人のソフィストがアテーナイで人気を博し、あらゆる哲学に自分は通じているとかなんとか自慢するので彼は — いや彼自身の言葉を記すほうがよいだろう。
 「もしアリストテレースがわたしをリュケイオンに呼べばついて行くだろう。プラトーンがアカデーメイアに来いといえば赴くだろう。ゼーノーンがそういえばポイキレーで時を過ごすだろう。ピュタゴラスが呼べば沈黙の行をするだろう」。
 そこで彼は聴衆席の中央で立ち上がり、相手に話しかけた。
 「きみ、ビュタゴラスが呼んでいるよ」。

15.1
 ビュトーンという、マケドニアの有力者の息子で美男の若者が、彼をなぶりながら屈理屈な質問を仕掛け、難問を解くよう求めるので、「ひとつの答えはわかっている、坊やよ」といった、「突き破れる」。相手がこの両義にかけた冗談に怒り、「俺の男らしさをすぐに見せてやるからな」と脅すと彼は笑いながら尋ねた、「きみは男をもってるのかね?」

16.1
 ある運動家が、オリュムピア競技優勝者なのに華美な服を着ている姿を彼に笑われたので、彼の顔を石で打った。それで血が流れ出た。居合わせた人たちが、打たれたのは自分らであるかのように憤激し、総督のところへ行け、と叫ぶので、デーモーナクスは「いや、諸君」といった、「総督のところではなく、医者のところへ行かねばならん」。

17.1
 またあるとき道を歩いていて黄金の指輪を拾ったので、広場に掲示を出した — 指輪の持ち主がだれにせよ、それをなくしたものは名乗り出て、その重さと石の様子と彫り物のことを述べた上で持ち帰ること、と。すると美男の少年がやって来て、自分が無くしたといった。しかしその中し立てにはなにひとつまともな点がないので彼は、「あっちへ行きなさい、坊や」といった、「そして自分の指輪をしっかり守るようにね。それはまだ無くしていないのだから」。

18.1
 ローマの元老院議員のひとりがアテーナイで彼に、とても美男だが、女みたいで柔弱な様子の息子を引き合わせ、「このわたしの息子があなたに御挨拶申し上げます」といった。するとデーモーナクスは、「きれいだ、きみにふさわしい、また母親に似た子だね」。

19.1
 また、熊の皮を着て哲学を説いている犬儒を、その名のホノーラトスではなく、アルケシラオスという名で呼ぶのがふさわしいといった。

20.1
 ある人が尋ねた、幸福とはどのように定義付けられると思われますか、と。彼は、自由な者だけが幸福だ、といった。相手が、自由な者はたくさんいますが、というと、「いや、なにも希望せず、なにも恐れない者をわしは自由な者とみなすのだ」。すると相手はさらにいう、「いったいそれが可能でしょうか。みなたいていの場合、そういうものの奴隷になってしまっているわけですから」。「し かし、人の世の物事をよく見てみれば、それが希望にも恐怖にも値しないということをきみは悟るはずだ。どのみち、苦しみも快楽も止むことになるわけなのだから」。

21.1
 ベレグリーノス・プローテウスが彼を、ひっきりなしに笑いながらひとびとをからかっていると非難し、「デーモーナクスよ、お前は犬儒ではない」というと彼は答えた、「ベレーグリノスよ、お前は人間ではない」。

22.1
 またある自然学者が、対蹠人のことで講釈しているところを彼は立ち上がらせ、井戸まで連れていって水面に写っている影を見せながらこう尋ねた、「お前がいう対蹠人とはこういうのか」。

23.1
 またある男が、自分は魔術師で強力な呪文をいくつも知っており、相手がだれにせよ、それを唱えれば自分が欲しいと思うものをなんでも差し出す気にさせるほどだ、というので、「驚くなよ」と応じた、「わしもお前と同じ技の持ち主なのだ、その気があるならパン売り屋のところまでついて来い、たったひとつの呪文とちっぼけな魔法の薬を使って、わしにパンを渡す気にさせるところを見せてやろう」。硬貨でも呪文と同じ力があると謎めかしていったのである。

24.1
 大御所ヘローデースが、早死にした〔寵童〕ポリュデウケースを悼むあまり、いつも馬車を用意させ馬たちもそれにつながせて、少年が今にも乗りこもうとする体にさせていた。食事もつねに支度するよう命じていた。彼の家ヘやって来るとデーモーナクスは、「ポリュデウケースから手紙を預かってきたよ」といった。相手は喜び、世間一般と同様に彼も自分の哀悼の仕方に調子を合わせてくれているのだと思った。「それで、デーモーナクスよ、ポリュデウケースはわたしになにを求めているのか」。「お主がすぐ彼のところへ旅立とうとしないので文句をいっている」。

25.1
 また、息子の死を悼んで暗い場所に閉じこもってしまった男に近づき、自分は魔法使いである、子供の亡霊を呼び出してやることができる、ただしこれまで死者を弔ったことのない者を三人挙げるという条件で、といった。相手は長いこと思い悩み、当惑した様子だった。わたしの思うに、そういう人間をひとりも挙げることができなかったのだろう。「そういうことなのに、おかしな男よ、自分だけ耐え難い不幸を味わっていると考えているのか、弔いをしたことがない人間はいないということをお前も認めているのに」。

26.1
 会話のなかで古めかしい奇妙な言葉を使う連中をも当然のように笑い者にしていた。たとえばある男が彼になにか質問され、過度にアッテイカ的な言い回しで答えたとき、彼はこういった。「わしは今現在尋ねたのだが、お主はアガメムノーンの時代にいるみたいに答えるんだな」。

27.1
 ある友人が、「アスクレービオス神殿へ行ってわたしの息子のために祈ろう、デーモーナクスよ」というと、「アスクレービオスはてんで耳が聞こえないと思っているのか」と応じた、「ここからはわれわれの祈りを聞き取ってもらえないというのなら」。

28.1
 二人の哲学者が、ひどく無教養な仕方で論争し合っていて、一方は馬鹿げた質問を発し、他方は的外れの答えをしているのを見て、「ひとりは牡山羊の乳をしぼろうとし、もうひとりはその下にふるいを置いている、といった感じに見えないか、友たちよ」。

29.1
 ペリパトス派のアガトクレースが自分のことを、問答術の専門家のなかで唯一の、また第一番の者であると威張るので、「だけどアガトクレースよ、一番ということはただひとりではないわけだし、ただひとりなら一番にはならないぞ」。

30.1
 元執政官のケテーゴスが、父の副官になるためギリシアを通ってアジアヘ赴く途中、おかしなことをいっぱいいったりしていた。デーモーナクスの友だちのひとりがそれを見て、彼は大きな屑だと評すると、「いやとんでもない」とデーモーナクスは述べた、「大きい、というのさえ正しくない」。

31.1
 また哲学者アポッローニオスがたくさんの弟子を連れて繰り出して行ったときのこと — 皇帝の師傳役に招かれ今出発するところだったのだが — その様子を見てこういった、「アポッローニオスと彼のアルゴ乗組員どもが進んでゆくぞ」。

32.1
 ある男が、魂は不死だと思うかと尋ねた。「不死だとも」と答えた、「だが他のものもみな同じだよ」。

33.1
 ヘーローデースに関して、われわれの持つ魂はひとつではないと述べたプラトーンは正しかったとデーモーナクスは語った。レギッラとポリュデウケースに、まだ生きているかのように食事を饗するのと、これほどの演説をぶつのとは、同一の魂にできることではないから、と。

34.1
 またあるときは、秘儀の告示を聞いて、大胆にもアテーナイ人に公然と問い質した — いったいなぜ夷狄をそこから締め出すのか、しかもこの儀式を彼らのために設立したエウモルボスは夷狄のトラキア人であったのに、と。

35.1
 冬のさなかに彼が航海しようとするので、友人のひとりが尋ねた、「船が転覆して魚に食われることを恐れないのか」。「恩知らずということになってしまうよ、自分ではあれだけ魚をたらふく食べたのに、彼らに食べられるのをためらうとしたら」。

36.1
 ひどい演説をした弁論家に彼が、精進して訓練を積めと忠告した。男が「ひとりのときはいつでも練習している」というと、「それなら、そんな演説になっても当然だな、阿呆な聴衆をいつも相手にしてるわけだから」。

37.1
 予言者が公道で謝礼をとって占っているのを見て、「お主が謝礼を求める根拠がわしにはわからんのだが」といった、「もしお主に運命の定めをなにか変える力があるというならどれだけ謝礼を要求しても少なすぎることになるし、すべては神が決めた通りになるだろうということならお主の予言術になんの意味があるのか」。

38.1
 歳をとったローマ人で逞しい体つきの男が彼に、武装の模擬戦闘を杭相手にして見せ、「わしの闘いぶりはどうだった、デーモーナクスよ」と尋ねると、「見事だね、敵が木製のときはね」。

39.1
 難問を仕掛けられても的を得た答えを返せる構えができていた。ある男が彼をからかってやろうと「千ムナの重さの材木を燃やしたら、どれだけのムナの煙が生じるだろう、デーモーナクスよ」と質問した。「灰を秤にかけよ、残りの重さがすべて煙ということになるさ」。

40.1
 あるポリュビオスという、ひどく無教養で、乱れた言葉遣いをする男が、「皇帝はわたしをローマの市民権でもって栄えあらしめた」というと、「彼はお主をローマ人よりもギリシア人にすべきだったのに」。

41.1
 ある貴族が、紫の縞飾りの太いことを鼻にかけていた。デーモーナクスは彼の耳元に顔を近づけ、その服を手にとって示しながら、「これをお主の前に持っていたのは羊だった、そいつは羊だった」。

42.1
 体を洗おうとした彼が沸き立つ湯に入るのをためらったので、だれかが、臆病な、と答めた。そこでいった、「聞くが、わしは祖国のためにそれを耐え忍ばねばならなかったのか」。

43.1
 だれかが尋ねた、「ハーデースとはどんなところだと思いますか」。「ちょっと待て、あそこからお主に便りを出すから」。

44.1
 アドメートスというつまらぬ詩人が、単行の碑文を書いた、自分の墓碑にそれを彫り込むよう遺言書で指示しておいた、と語った。ここに引用したほうが話の都合上よいだろう。

大地がアドメトスのなきがらを受け取った、だが彼自身は神の住まいへ赴いた。

するとデーモーナクスは笑っていった、「とても素晴らしい碑文だ、とっくに彫り込んであったらと思うほどだ」。

45.1
 だれかが彼の脚の肌に、老人にありがちな染みを認めて、「これはなんだ、デーモーナクスよ」と訊くので、笑みとともに答えた、「カローンがわしを咬んだんだよ」。

46.1
 また、スバルタ人が自分の下僕を鞭打っているところに居合わせ、「止めよ」と制した、「奴隷がお主と同等であることを公に示すのは」。

47.1
 ダナエーという女が兄弟ともめ事を起こしていた。「裁いてもらえ〔クリテーティ〕」と彼はいった、「お前さんはアクリシオスの娘のダナエーではないんだから」。

48.1
 彼がとくに攻撃したのは、真理に達するためではなく、むしろ自己顕示のために哲学者になっている連中であった。たとえばある犬儒が、ぼろ外套に頭陀袋、そして杖の代わりに梶棒〔ヒュペロス〕といういで立ちで喚き散らしながら、自分はアンティステネースとクラテースとディオゲネースの信奉者だと触れ回っていた。「嘘をつくな」とデーモーナクスがいった、「お前はヒュペレイデースの弟子だ」。

49.1
 何人もの運動家が、きたない闘い方をして、格闘する代わりに相手に咬みつくという反則に走っているのを見て、「なるほど、今どきの運動家が取り巻き連から獅子と呼ばれるのももっともだ」。

50.1
 属州総督に対していったあの言葉も、機知あふれる辛辣なものであった。それは、脚も体全体も涯青で脱毛するという手合いのひとりだったのだが、ある犬儒が石の上にあがってこのことを非難し、稚児め、と攻撃すると、怒った総督は犬儒を引きずり下ろすよう命じた上、杖で打ちのめそうか、追放刑に処してやろうかと考えていた。そこへデーモーナクスが通りかかり、犬儒派に伝統的な率直な言い方で思い切ったことをいったその男を許してやってくれと頼んだ。総督が、「今はお主に免じて彼を放つとしよう、だがまたこういう振舞に及んだらどんな処罰を加えるのがよいか」と訊くと「毛を抜く刑を言いつけよ」。

51.1
 また別の男で、軍隊の指揮ときわめて広大な属州の統治とを皇帝から任せられた者が、どうしたらよく治められるだろうかと尋ねた。「怒りを抑え、喋るのを慎み、たくさん聴くこと」と答えた。

52.1
 だれかが、彼も蜂蜜ケーキを食べるか、と訊いた。「蜜蜂は阿呆どものために蜜を貯えるのだとお主は思っているのか」と答えた。

53.1
 壁画柱廊にあった立像の片手が切り取られているのを見て、アテーナイ人は今やっとキュネゲイロスを青銅像で顕彰したようだな、といった。

54.1
 キュプロス出のルウピノスが — 逍遙〔ペリパトス〕派のあのびっこの男のことだが — 長いこと逍遙談論にふけっているのを見て、「びっこの逍遙派ほど恥知らずなものはない」と評した。

55.1
 エビクテートスが彼を批判し忠告して、妻帯のうえ子をもうけるべきである、自分の代わりの人間を自然に対し残すことも哲学者にふさわしい行いであるから、といった。するとこう答えて完壁にやり込めた、「ではエビクテートスよ、お主の娘をひとりくれんか」。

56.1
 アリストテレース派のヘルミーノスに村していった言葉も語るに値する。彼がとんでもない悪者であり、アリストテレースをいろいろな仕方で辱めているのに、いつもその十のカテゴリーのことを口にしていることを知っていた。そこでいってやった、「ヘルミーノスよ、お主は本当に十の告発〔カテゴリア〕に値するよ」。

57.1
 アテーナイ市民が、コリントス人と張り合う気持ちから、剣闘士の見世物を催すかどうか討議しているところに現れ、「それを評決する前に、アテーナイ人たちよ、憐れみの祭壇を取り壊せ」といった。

58.1
 一度オリュムピアへ行ったことがあった。そのときエーリス人たちが、彼の青銅像を立てるという決議をした。すると彼は、「止せ、エーリスの人たちよ」といった、「さもないとお主たちは、ソークラテースにもディオゲネースにも像を立てなかったという非難をお主たちの祖先に向けているように見えるぞ」。

59.1
 また彼が法律の専門家にこういうのをわたしは聞いたことがある。すなわち、法律というものは、悪人のために作られるにせよ、善人のためにそうされるにせよ、役に立たないものなのではないか、後者は法を必要としないのだし、前者がそれによって善くなるということもないのだから、と。

60.1
 ホメーロスの詩句のうち、彼が頻繁に口ずさんだのは、

偉功があろうと無かろうとみな等しく死ぬ
 (Il. IX-320)

という一行だった。

61.1
 彼はテルシテースをも、犬儒的な民衆演説家だとして称賛した。

62.1
 一度、彼の気に入る哲学者はだれかと訊かれ答えた、「みな素晴らしい人たちだが、わしが崇めるのはソークラテース、感嘆するのはディオゲネース、好きなのはアリスティッボスだよ」。

63.1
 彼はほとんど百歳を生きた。病気にもならず、苦痛をも味わなかった。だれをも煩わせることなく、なにか要求することもなかった。友人には役に立ち、敵を持ったことはけっしてなかった。アテーナイ人も全ギリシアも彼のことを非常に愛したので、彼が通り過ぎれば役人たちは立ち上がって礼をし、みなが口をつぐむほどだった。最後には、とても高齢になってからは、通りかかった家のなかに 呼ばれてもいないのに入り込んでは食事をし眠るようになったのだが、その家人たちはそれを神の現出かなにかのようにみなし、わが家に善霊が入ってきてくれたと喜んだのである。通り過ぎる彼をパン売り女たちはこぞって自分らの店に引き寄せ、パンをもらってくれるよう頼み、そうしてもらえた者は自分を幸運と考えたのである。また実に子供たちもが、彼を父と呼びながら、果物を持ってくる のであった。

64.1
 アテーナイに内紛が生じたときのこと、彼が民会にやって来ると、その姿を見ただけで一同が沈黙した。彼らが心を改めたことを認めると彼はなにも言わずに立ち去った。

65.1
 自足する力がもはやないことを悟ると彼は、そばにいた者たちに、競技の触れ役がいう例の詩句を口ずさんだ、

うるわしい賞品を授与する競技は
終わりとなり、もう遅延せぬよう
時が呼んでいる。

そして食を断ち、この世を去った。死に際まで快活で、人に接するときいつも見せていたあの顔容のままであった。

66.1
 彼が亡くなる少し前にだれかが、「あなたの埋葬についてはどう指示されますか」と訊いた。「なにも手間をかけなくともよい。腐臭がわしを埋葬するさ」と答えた。「なんですって! あなたほどの人の死体が、鳥や犬どもの餌になるべく野ざらしにされるというのは恥ずべきことではないですか。」「いや、死んだあとも生き物の役に立てるのなら、邪道なやり方ではない」。

67.1
 しかしアテーナイ人たちは、彼を公費で盛大に埋葬もし、長いこと哀悼も捧げた。また、彼が疲れて休むときいつも腰かけた石の座席を崇め、彼を称えて冠をかけるようになった。彼が座った石も神聖であると考えたのである。葬列に参加しなかった者はなく、とくに哲学者たちはこぞってやって来た。実にこの者たちが棺を担ぎ、埋葬場まで運んだのである。

 わたしが記したこれらの事柄は、彼の数多くの言行のうちごく一部にすぎない。しかし読者はこれだけでも、かの人がどんな人物であったか推し量ることができるはずである。

//END
2011.03.13.

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