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ルゥキアーノスとその作品

プロメーテウス

PromehqeuvV
(Prometheus)




[解説]
 この擬似抗弁『プロメーテウス』は、明らかに、アイスキュロスの『縛られたプロメーテウス』に示唆を受けているが、メニッポス的諷刺作品と、『神々の対話』(これの5番目〔以前は1番目〕にティーターンの形象が再出する)という純粋なジャンルとの中間をなす。写本のいくつかには、「The Caucasus」という副題がつけられている。おそらくは、文学的プロメーテウスと区別するために付加されたのであろう。(A. M. Harmon)

 邦語訳出にあたっては、近藤司郎氏の訳を下敷きにさせていただいた。多謝。



"t"
プロメーテウス

Prometheus.jpeg
Dirck van Baburen (c. 1594/1595-1624)
Prometheus chained by Vulcan.(1623)

ヘルメース
 [1] カウカソスというのは、おお、ヘーパイストス、これですよ。この惨めなティターンが釘付けにされなきゃならんところというのは。さっそく手頃な崖のようなところを探すことにしよう。どこか雪の積もってないようなところがあるかどうか。そうすれば、鎖がより確実に打ちこめて、こいつも吊されているのが誰にでも環視されるだろう。

ヘーパイストス
 探すとしよう、おお、ヘルメース。というのは、磔にされるのは、低くて地面に近いところはいかん。こいつの造形物である人間どもが、こいつを助けに来ないようにな。むろん、頂上もいかん — 下方の者たちに見えないだろうから — よければ、中間の、山峡に突き出たここらあたり、この崖から反対側に、両手を広げられて磔にされるがよかろう。

ヘルメース
 その言やよし。というのは、岩は鋭く切り立ち、どこからも近寄りがたく、わずかに張り出している。それに崖にある踏み段は、足にとってこの狭さで、爪先立ちでやっと立てるくらい。要するに、磔にもってこいだ。それでは、ぐずぐずするな、おお、プロメーテウス、登れ。そして、自分で山に釘付けしてもらえるようにしろ。

プロメーテウス
 [2] 少なくとも、貴公らは、ヘーパイストスとヘルメース、おれがふさおれからぬ不運に見舞われているのを憐れむがいい。

ヘルメース
 あんたが謂っているのは、おお、プロメーテウス、あんたの代わりに磔にされちまえということなんだよ。言いつけに背くやたちまちね。それとも、カウカソスは他にもう二人釘付けにされるのを受け容れるに充分だと、あんたには思われないのか。さあ、右手をのばして。あんたは、おお、ヘーパイストス、しっかり締めて、釘付けして、金槌を力いっぱい振り下ろしてくれ。もう片っぽの手も寄越せ。この〔手〕もしっかり取り付けてもらうがいい。具合よし。そのうち鷲も、肝臓をむしりに舞い降りて来るだろう。美しく巧妙な造形術の代わりに、あらゆる〔報い〕を受けるように。

プロメーテウス
 [3] おお、クロノス、イーアペトス、そして御身、母よ、何という目に遭うことか、呪われたおれは(oJ kakodaivmwn)、何も恐るべきことをしでかしわけではないのに。

ヘルメース
 おお、プロメーテウス、何も恐るべきことをしでかしていないだと。先ず初めに、肉の分配を任せられて、不正と誤魔化しをした、自分には最美なところを取り除けておき、ゼウスをば、骨を「艶々しい脂身にくるんで」(Theogony 541)だましたな。ゼウスにかけて、ヘーシオドスがそう云っているのをぼくは憶えている。その次には、人間ども、つまり抜け目のない生き物を、とりわけ女たちを造形した。しかし何よりも、神々の最も高価な所有物、火を盗んで、これを人間どもに与えたな。これほどの恐るべきことをしでかしながら、何ひとつ不正していないのに捕縛されると謂うのか。

プロメーテウス
 [4] どうやら、おお、ヘルメース、おまえも詩人に倣って、「とが〔科〕なき者をとが〔咎〕める」(Il.13.775)らしい。そんなことでおれを面責するとは。その件は、おれとしては、もし正義が行われていたら、プリュタネイオンでの食事という処分を自分に申し立てていたろうに。とにかく、おまえに暇があるのなら、喜んで告発に対して抗弁もしたい。われわれに関してゼウスがいかに不正な判決を下したかを示すために。おまえは — 能弁であり、裁判通でもあるから — やつのためにただしい票を投じたのだと弁明するがいい。カウカソスの上、カスピ海のこの門の近くで、おれを、全スキュタイ人らの嘆かおれい見世物として磔にすることがな。

ヘルメース
 後の祭りだよ、おお、プロメーテウス、審理の回付はね。何の役にも立たない。とはいえ、それでも言うがいい。というのも、いずれにしても、とどまっていなくてはならんのだから。鷲が舞い降りて来て、あんたの肝臓の世話をするまで。この合間の暇を、ソフィスト術の聴取に使うのは、美しいだろう。あんたは言説に最高に器用なんだから。

プロメーテウス
 [5] それでは、先ず、おお、ヘルメース、おまえが言え。できるかぎり恐るべき仕方でおれを告発するようにして、〔おまえの〕父親の義しい主張のいずれにおいても譲歩しないようにしろ。しかし、ヘーパイストス、おぬしは裁き手にする、おれとしてはな。

ヘーパイストス
 いや、むしろ、裁き手ではなくて告発者をもつのだと知るがいい。あんさんが火をくすねたおかげで、わしに冷たい炉を後に残したのだからな。

プロメーテウス
 それでは、告発を二分割して、おぬしは今の盗みに関して続けるがいい。ヘルメースの方は、肉の分配と人間を造ったことを咎めるだろう。どうやら、おぬしらは二人とも術知者で、云うに恐るべき者らしい。

ヘーパイストス
 ヘルメースがわしのためにも述べるだろうて。というのは、わしは法廷弁論にかかわることなく、たいてい炉のまわりにいるのだから。しかし、この男は弁論家だし、こういったことにこいつは並々ならぬ関心を持っている。

プロメーテウス
 おれとしては、思ってもみなかった。ヘルメースが盗みについてまで述べようとは。まして、そういったことで、術知のお仲間であるおれを非難しようとはな。とはいえしかし、それも〔承知〕なら、マイアの子よ、もはや告発を試みる刻だ。

ヘルメース
 [6] じっさいのところ、おお、プロメーテウス、あんたによって為されたことのためには、非常に長い言葉と、かなり充分な準備が必要で、不正事の要点だけを云うのは不充分だ。〔その要点とは〕肉を分け合うのをあんたに任せたのに、あんた自身には最美なところを除けておき、王をだましたとか、人間どもを、必要もないのに、造形したとか、われわれのところから火を盗んで、彼らのところに運んだとか。実際ぼくに思われるのは、おお、最善のひとよ、これだけの事柄に関して、ゼウスがおおいに人間愛をもっていることを、経験によってわかっていないということだ。もちろん、そんなことはしでかしていないと否認するなら、徹底吟味もし、相当な長広舌もふるい、真理をあらわにすべくできるかぎり試みる必要があるだろう。しかし、肉のそのような分配をしました、人間どもを新作しました、火を盗みましたと謂うのなら、ぼくによって充分に告発されたのだし、長々しいことは云わないだろう。なぜなら、そういうことは単なる無駄話なのだから。

プロメーテウス
 [7] それもまた無駄話にすぎない、おまえが延べていることがな。だとしても、おれは、告発されている事柄は充分だとおまえが謂うからには、訴えを解消するようできるかぎりやってみよう。そこで先ず第一に、肉に関することを聞け。実際にところ、ウーラノスにかけて、いまだにこんなことを言うのは、ゼウスのためにおれは恥ずかしい。やつがこれほど狭量で、愚痴っぽいやつとはな。分け前の中に小さな骨を見つけたからといって、これほど昔からの神が磔に処されるよう送り出し、共闘したことも思い出さず、また、怒りの要点がどれほどのものか、こういう、自分が大きい方を手に入れられなければ、怒り、憤慨するということが、いかに青臭いか、ということに思いを致しもせずに。[8] 実際のところ、おお、ヘルメース、こういった誤魔化しというのは、酒宴向きのことであるから、思うに、遺恨を残すべきではなく、たとえ、宴楽の最中に、何らかの過ちがあったとしても、児戯と考えて、自分の怒りは酒宴の中に置き去りにすべきことだ。しかるに、翌日まで憎しみを貯めこんで、根に持って、古臭い怨恨のようなものを持ち続ける — 失せやがれ、神々にふさおれいことではないし、とにかく、王者のすることではない。いずれにしても、酒宴の席からそういった妙味、誤魔化しとか冗談とか冷やかしとかお笑いぐさとかを取り去ったら、残るのは酩酊と飽食と沈黙、所行は陰気で、疎ましく、酒宴にふさわしいことはほとんど皆無。だから、おれとしては思いも寄らぬことだったのだ。まさか、次の日までゼウスがあのことをまだ憶えていて、そのことであれほどまでに憤慨しているというのはもとより、とんでもないひどい目に逢わされたと考えていようとはな。肉を分配する者が、選び手がより善いものを判別するかどうかをためそうと、ちょっとした悪戯をしたぐらいのことで。

 [9] そうではあるけれども、おお、ヘルメース、もっと難しいことを仮定してみよ。ほんの少しの分け前もゼウスには分配せず、分け前すべてをくすねることを。その場合はどうか。この場合にこそ、諺にあるとおり、地に天を交ぜ合わせ、枷と十字架とカウカソス全山を思いつき、鷲を降下させて、肝臓を抉り出させるべきであったのか。このことこそが、これに憤慨する者当人の多大な卑屈さや、発想の下賤さや、怒りっぽさを告発していはしないか見よ。それとも、牛まるごと一頭を失ったら、こいつはいったい何をしたことであろうか。わずかな肉のためにこれほどのことをしでかすとしたら。

 [10] 実際のところ、こういうことに対しては、人間どもの方がどれだけ思慮分別があることか。おもいやりがあるのだよ。怒りに陥る事柄においては、神々よりも速いのが尤もな連中ではあるが。しかしそれにもかかわらず、あの連中の中には、調理人を磔刑で罰するような者はおらん。肉を煮込んでいるときに指を突っ込んでスープをちょっと舐めたとか、調理されているものからちょっとちぎって食べたぐらいでな。むしろ、宥恕するものだ。また、たとえひどく怒ったとしても、げんこつをお見舞いするとか、横っ面をひっぱたく程度で、こんなことのために磔にされた者など、彼らのところにはひとりもいないのだ。

 実際、肉に関することはこれだけだ。弁明するのさえおれには恥ずかしいが、告発するのは、あいつのためにおれははるかに恥ずかしい。[11] そこで、造形術と、おれが人間どもを造ったことに関して、もはや言うべき好機だ。しかし、これは、おお、ヘルメース、二重の告発を含んでいるので、おまえがどちらの理由でおれを咎めているのか、おれはわからんのだ。人間など断じて生ずべきではなく、彼らは単なる土塊として静まっているべきだったのか、それとも、造形されるべきではあったが、何か他の仕方であって、この仕方では形づくられるべきではなかったのか。そうではあるが、おれは両方のために述べよう。先ず第一に、人間どもが生あるものに連れ出されることによって、神々にはそのことから何ひとつ損害が生じなかったということを示すべく試みよう。第二には、そのことが自分たちには得であり、より善かったということを。大地を大地を荒涼たる無人のままにしておくより、はるかにな。

 [12] さて、昔々 — こういうふうにすれば、簡単に明らかになるだろうよ。おれが、人間にかかわることを整序しなおして、革新した際に、何か不正したのならな — そういう次第で、神性つまり天上にある種族のみが存在し、大地は何か粗野なしろもので、無形、全地に森とそういった原生林が生い茂り、神々や神殿の祭壇もなく — いったい、どこにあろうか — 、あるいは木像、あるいは何か他のそういったものも〔なかった〕。今では多くのものが、至るところで、まったき気遣いをもって崇拝されているように見えるがな。そこでおれは — というのは、いつも共同のために何事かを先慮し、どうすれば神々のことが増大し、その他ものものらもすべてが秩序と美を増すか考察しているのだから — 思いついたのは、粘土を少しばかり取って、生き物のようなものを組成し、形はわれわれ自身に類似したものを造形するのがより善いということだった。というのも、神性には何かしら欠けたものがあるとおれはつねづね思っていた。それは、これ〔神性〕に対立するものがないということだ。これとの比較において精査が行われたとき、それ〔神性〕をより仕合わせなものと宣明することになるはずのもの。もちろん、これは死すべきものであるとはいえ、ことのほか発明の才に富み、このうえなく知的で、より善いものの感得者であるはずだと。[13] そこで、まさしく詩人の言葉にあるように、「土を水で捏ね」(Hesiod, Works and Days 61)、捏ねあげて人間どもを造形した。さらにアテーナーにも、この仕事で加勢するよう頼んだが。これが、おれが神々に大いなる不正を為したところのものだ。じっさい、どれほどの罰なのかをおまえは見るだろう。泥から生き物を造り、それまで動かなかったものを運動へと導いた程度のことで。そして、どうやら、それからというもの、どうやら、神々はあまり神々ではないらしい。大地にも一種死すべき生き物が現れたことによって。というのは、目下、ゼウスは憤慨のあまり、人間どもの誕生によって、神々が弱小となったためといわんばかり。この連中もまた自分に謀反をくわだて、ギガンテースたちのように、神々に対して戦争を引き起こすのではないかと、そんなことは実際には恐れていないくせに。

 いや、おお、ヘルメース、おれや、おれの作品のせいで、おまえたちが何ら不正されることがないことは、明白である。さもなければ、何か最小のことを一つでもおまえの方で示すがいい。そうしたら、おれは沈黙し、おまえたちから義しいことをこうむった者としてふるまおう。[14] これに反して、それが神々にとって有用なものでもあったということを、次のようにすればおまえは学ぶだろう。全地をよく見れば、もはやひからびても無様でもなく、町々や耕地や栽培植物に飾り立てられ、海には船が行き交い、島々には人々が暮らし、いたるところに祭壇と供犠と神殿と祝祭を。

    すべての往来にゼウスは満ちあふれ、
    人間どもの集まるところならば、いずこにも。
(Aratus, Phaenomena 2-3)

というのも、もしおれ一人のためにこの所有物を造ったのなら、おそらくは強欲であろう。だが実際は、共同に捧げることで、当のおまえたち自身に提供したのだ。それどころか、ゼウスのも、アポッローンのも、ヘーラーの、さらにはおまえの、おお、ヘルメース、神殿も至るところに目にすることができるのだ。が、プロメーテウスのは、どこにもない。おれが自分のことばかりを考えて、共同ことは見殺しにして、弱小にさせたよう見えるか。

 [15] さらにおれのために、おお、ヘルメース、次のことにも思いを致してくれ。証明されていないあるものが、善きものだとおまえに思われるかどうか。例えば、所有物とか制作物とかで、誰ひとり目にすることなく、称讃することもないものだけれども、やはり、所持している者にとって快く、喜ばしいものだろう。いったい何のために、おれはこんなことを謂ったのか。その所以は、人間どもが誕生しなかったら、全体〔世界〕の美しさはついぞ証明されることはなく、何か富のようなもの — 何か他のものによって讃嘆されることもなく、われわれ自身によってもやはり貴重でもない — に富もうと努めることになったろうということだ。なぜなら、これ〔富のようなもの〕を比較すべき何であれより小さなものを持たないからであり、われわれのものの分け前を持たないいような者たちを見なければ、われわれの幸福のほどを洞察できないであろうから。というのは、こういうふうに、大が大と思われるのは、小によって比較計測されてこそなのだ。しかるに、おまえたちは、この施策ゆえに尊重すべきなのに、おれを磔にして、計画のこの返報でおれに報いたのだ。

 [16] いや、彼らの中に相当な悪行者たちがいる、とおまえは謂う。そして、姦通するは、戦争するは、姉妹を娶るは、父に策謀するは。いったい、我々の周りこそ、そんな連中で満ち満ちているのではないか。けれども、もちろん、それを理由に、ウーラノスとゲーが我々を組成したことを咎める者はいまい。さらに、おまえは多分こうも言うだろう。われわれが連中の世話をする苦労をするのが必然だ、と。然り、それ故にこそ、羊飼いもまた、畜群を持つがゆえの心労をせしめよ。それの世話をするのが彼にとっての必然ゆえに。実際のところ、この辛労がまた快でもある。とりわけ心配(frontivV)は、楽しみなき暇つぶしのようなものを持つわけではない。それとも、われわれに為すべき何があろうか。われわれが配慮すべき連中を持たないとしたら。怠惰になり、ネクタルを飲み、アムブロシアーで満腹していたことだろう、何もせずに。[17] だが、何よりもおれを窒息させるのは、人間を作ったことを、とりわけ女を作ったことを非難しながら、それにもかかわらずおまえたちは彼女らに恋し、性懲りもなく降下して、あるときは牡牛、あるときはサテュロスや白鳥となって、彼女らから神々をも作ることを当たり前と思っていることだ。

 だったら、と多分おまえは謂うだろう、たしかに人間は造形さるべきであった、しかし何か他の仕方で、いや、われわれに似ていないのをだ、と。しかし、いったい他にどんな見本を、これよりも美しいものとしておれは前に立てることができたろう。あらゆる点で美しいと信じているのに。それとも、愚劣で、獣的で、野蛮な生き物を仕上げるべきだったのか。いったいどうやって、あるいは神々に供儀し、あるいはその他の崇拝をわれわれに捧げることができよう、こういうふうな者たちでなかったとしたら。いや、おまえたちは、彼らがおまえたちに百牛の贄を供しようとも、躊躇することがない。たとえオーケアノスへ、「気品すぐれたアイティオピア人たちの近く」(Il. 1.423)まで出かけねばならなかったとしてもだ。しかるに、おまえたちに対する栄誉と供犠のをもたらした者を磔にしているのだ。

 さて、人間どもに関しては、これだけで充分だ。[18] そこで、もう、火へと移り、よいと思われるならばだが、あの非難の的となっている盗みを究めよう。どうか、神々にかけて、このことをおれに答えてくれ、決して臆することなく。われわれが火から失ったものが何かあるか、〔それが〕人間どものもとにあることで。おまえは云うことができまい。なぜなら、これこそが、思うに、この所有物の自然本性だからだ、誰か他の者がこれを分有したとしても、何も減少するものはないというのが。というのは、誰かが〔火を〕自分の方に移し取っても、〔火そのものが〕消え失せることはないのだから。そうであるにもかかわらず、われわれがそれから何ら不正されていないもの、それを必要としている者たちに、それを分け与えることを妨げるとは、これこそまぎれもない物惜しみというものである。実際のところ、神々であるからには、善き者たち、つまり、「善福の授け手」(Od. 8.325)であるべきであり、あらゆる物惜しみの外に立っていなければならない。いやしくも、おれがこの火全体をくすねて、地上に運び、これを何ひとつすっかり残さなかったとしても、おれはおまえたちに大きな不正をしたことにはならないからだ。なぜなら、おまえたちはそれを必要とせず、凍えることも、アンブロシアーを煮炊きすることも、巧みを凝らした明かりを必要とすることもないのだから。[19] これに反し、人間どもは、その他のことにはもちろんだが、とりわけ供犠のためには必需品の火を使わねばならん。それは、往来という往来が〔犠牲の〕蒸気と香木の香りを持ち、祭壇という祭壇の上で腿の骨を焼くことができるためだ。実際、おれは目にする、おまえたちがことのほかこの蒸気を喜び、この御馳走を最も甘美なものとみなしているのを。蒸気が「煙のまわりに渦巻いて」(Il. 1.317)天に届く度毎にな。だからして、その非難はおまえたちの欲望と正反対なのだ。さらに、おれは驚いている。どうして、太陽も彼らを照らしているのを、おまえたちは妨げたことがないのか。実際のところ、やつもまた火であり、もっと神々しく、もっと燃え盛っているのにだ。それとも、おまえたちはやつをも咎めるのか。おまえたちの所有物を浪費しているといって。

 おれの述べることは以上だ。そこで、ご両人は、おお、ヘルメースとヘーパイストス、述べ方が美しくないところが何かあると思われるなら、批正し、反駁してくれ。そうすれば、おれも改めて弁明しよう。

ヘルメース
 [20] 容易なことじゃない、おお、プロメーテウス、こんな生粋のソフィストと張り合うなんてね。ただ、それにしても、おめでたい。ゼウスもそんなことであんたに耳を貸すことはなかったのだから。というのは、ぼくはよく知っているのだ。内臓を抉り出すため、禿げ鷲十六羽をあんたに差し向けるってことをね。こんなにも滔々とあのひとを告発したんだから。弁明しているように思われながらね。ところがしかし、ぼくが驚くのはこのことだ。あんたは予見者なのに、こういうことで懲罰に遭うと、どうして予知しなかったのか。

プロメーテウス
 知っていたよ、おお、ヘルメース、このこともな。また、再び解放されるということも、おれにはわかっている。今に誰かが — おまえの兄弟だ〔ヘーラクレースのこと〕 — テーバイからやって来て、久しからずして、おれめがけて飛んで来るとおまえの謂う鷲を射落としてくれよう。

ヘルメース
 そうなればいいけどね、おお、プロメーテウス、解放されたあんたに巡り会って、ぼくたちといっしょに宴楽して — ただし、〔あんたが〕肉を切り分けるのだけは、なしだ。

プロメーテウス
 [21] 心配無用。君たちと宴楽を共にしよう。ゼウスもおれを解放するだろう。小さからぬ親切の見返りに。

ヘルメース
 何なのだ、それは。云うのをしぶるなよな。

プロメーテウス
 おまえは、おお、ヘルメース、テティスを知っているな。いや、言うべきではないな。秘密は守っておく方が善い。そうすれば、報酬と贖い金がおれあるだろう。有罪判決の代わりにな。

ヘルメース
 そんなら、守っとくがいい、おお、ティーターン、その方が善いのならね。それでは、われわれは退散しよう、おお、ヘーパイストス。というのも、今しもくだんの鷲が近づいて来たからね。〔プロメーテウスに向かって〕それじゃあ、頑固にもちこたえてくれたまえ。今にきっと、あんたの謂うテーバイの弓遣いがあんたの前に現れてくれるだろう。そうすりゃ、あんたが鳥に切開されるのを止めてくれるだろうよ。

//END
2011.12.08.

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