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ルゥキアーノスとその作品

似像

EijkovneV
(Imagines)





[解説]
 ウェルス帝〔ルキウス・アウレリウス・ウェルス〕の愛妾、スミュルナの少女であるパンテイアに対する手のこんだ讃辞である。書かれたのは東ローマ、ほとんど確実にアンティオケイアにおいて、ウェルス帝の死(A.D. 169)の前、おそらくは東ローマに彼が滞在していた期間(162-166)である。

 La Crozeとともに、「Hic adulatorum derisor Lucianus omnes vincit!」というほどの勇気はない。Capitolinus(7, 10)がほんの少し語っているパンテイアであることに疑いはない。しかし、彼女を見たことのない三文文士が、彼女のことをvulgaris amicaと呼んだことは、彼女を知る皇帝が、彼女の気まぐれの気に入るように、「自分の髭のそばに置いた」ということほどの重要性はない、とわたしは考える。彼女は高い身分の出ではなく、彼女はたしかに魅力的であった。そして、冗談抜きに、彼女はまったく無価値ではありえなかった。マルクス・アウレリウス(8, 37)が、「パンテイアはまだその主の墓のそばに坐っているのか」は、この書の中でわれわれが、主に対する彼女の献身について語られている事柄と一致する。そして、彼女の性格に対するルゥキアーノスの称讃には、その嘘偽りのないことを確証する暖かみがある。

 ルゥキアーノスの作品全体にとって、この小品は興味深い珍品である。文学的肖像画を綜合によって作ることは、詩作においては例がないわけではないけれど、そこにおいてさえ陳腐ではなく、散文においてはまったく斬新であった。また、賛美のための伝達手段として — 普通は、詩ないし演説の形式をとるのが普通であった — 、対話を用いることは独創的であった。

 この小品と、これの続編というべき次の小品において、ギリシア語eijkwvnは翻訳者に尋常でない困難さをもたらす。第一に、これは、絵画であれ彫像であれ、どんな種類の肖像でも表し得る。しかし、これの最も近い同義語 — 似像、肖像画、素描 — が示唆するのは、みな平板であって、丸いものではない。さらに — そしてこれは、結論における不器用さをそれほど明らかにしておらず、もっと真面目でさえあるにもかかわらず — 、やはり類比とか比喩とかを意味している。そしてルゥキアーノスの似せかけは、たいてい一種ないしそれ以上の類比にほかならず、彼の知的遊戯(jeu d'esprit)が、その度外れた効力を負うているのは、翻訳され得ない言葉の遊戯なのである。
 (A. M. Harmon)



"t".1
似像

1.1
リュキノス
1.1
 いやさ、ゴルゴーを目にした人たちは、ぼくが最近、おお、ポリュストラトス、ある絶世の美女を目にしてこうむったような、何かそのようなことをこうむったんだよ。というのは、驚くべきものによって固まってしまって、君からみれば、すんでのところで人間から石になるという、話にあるああいうことにほかならないのだから。
1.5
ポリュストラトス
 ヘラクレース! 相当異常な、恐ろしいほど暴力的な見世物を君は謂っているんだね、たかが一介の女でありながら、リュキノスともあろう者を驚倒させたとするなら。というのは、君は、少年たちによってなら、じっさいまったく易々とそんな状態になるのだからね。その結果、ひとはシピュロス山全体をさっさと 1.10 移動させられることだろうよ。君を美しいものらから引き離すよりもね。彼らの傍に立って、口をぽかんと開け、タンタロスのあの娘〔ニオベー〕当人のように、しばしば涙を流している君を、そうしないようにとね。ところで、ぼくに云ってくれ、石にするこのメデューサとはわたしたちにとって何者か、そして、どこからきて、われわれも目にすることができるのか。むろん、ぼくの思うに、君はわたしたちにその見物を嫉みも妬みもしないだろう。どこか近づいて目にしても、われわれ自身までもが君によって凝固させられることがないなら。
1.17
リュキノス
 いや、しかし、君はよく知っておかねばならない。彼女を鳥瞰的に見つめるだけでも、君を人像のうちで口のきけない、動けないものと証明するだろう、ということを。それでも、それはおそらくまだしも平和的で、その傷はまだしも致命傷ではない。君自身が目にする場合にはね。これに反し、彼女が君を凝視するする場合には、彼女から身を離すいかなるすべがあろうか。というのは、彼女は好きなところに君を縛りあげて引っぱってゆくだろうから。ヘーラクレースの石〔磁石〕も鉄をそうするように。

1.25
ポリュストラトス
2.1
 やめたまえ、おお、リュキノス、君が言葉で誇張するのは。君が目にしたとき、ぼくの賞讃の仕方が弱かったように思われはしないかとぼくは恐れているのに。
とはいえ、彼女が何者か、ぼくは云うことができないけれど、婢女は多く、彼女をめぐる他の準備?は輝かしく、宦官の多さは相当であり、優しい女たちはきわめて多い。一般的に、事態は個人的な運以上に 2.10 多いのである。
2.10
ポリュストラトス
 彼女が何者と呼ばれているか、その名前さえ君は聞いていないのか。

2.10
リュキノス
 全然。ただし、彼女がイオーニア出身であるという、このことだけは〔聞いている〕。というのは、見物人たちのひとりが、隣の者をちらと見て、通りすがりに、「しかしながら、こういったものらは」と謂ったのだ、「スミュルナのものが美しい。じっさい、驚嘆すべきことは何もない。イオーニアの諸都市中最も美しい都市が、最も美しい女をもたらしたとて」。ぼくには、発言者本人もスミュルナ人だと思われた。そんなに彼女を崇拝しているのだからね。

2.18
ポリュストラトス
3.1
 では、聞き従うこともなく、彼女が何者か、そのスミュルナ人に尋ねることもなく、君は本当に石になったのだから、姿をできるかぎり言葉で素描することはできるだろう。そうすれば、ぼくはすぐに判断できるだろう。
3.5
リュキノス
 君が要求していることがどれほど大きなことか、君はわかるか。それほど驚異的な似像を表すことなど、言葉の力でできない、ましてぼくの言葉ならいうまでもない、アペッレースとかゼウクシスとかパッラシオスならやっと充分と思われる、3.10 あるいはペイディアスとかアルカメネースといった者なら別だが。ぼくは術の弱さによって原型を汚すことだろうよ。
3.11
ポリュストラトス
 だけど、おお、リュキノス、容貌はどんななんだ。というのは、危険な敢行ではないだろうから。友なる者に似像を示すのは、どのように線描するにしても。
3.14
 いや、しかし、自分でもっと安全にできるようにぼくに思われる。あの古の術者たちの幾人かに、わたしのためにこの女をこしらえてくれるよう、この仕事を頼むなら。
3.18
ポリュストラトス
 君が謂うのはどういう意味か。それとも、どうしたら、3.20 そんな昔に死んだのに、君のところにやって来られるのか。
3.20
リュキノス
 簡単だ。いくつかぼくに答えてくれることを君がためらいさえしなければ。
3.22
ポリュストラトス
 質問だけしたまえ。

3.23
リュキノス
4.1
 君はかつて、おお、ポリュストラトス、クニドス人たちの都市に滞在していたことがあるね。
4.1
ポリュストラトス
 たしかに。
4.2
リュキノス
4.3
 では、きっと、彼らのアプロディーテー〔像〕をも見たのではないか。
4.4
ポリュストラトス
 ゼウスかけて、プラクシテレースの作品の中で最美なものだ。
4.6
リュキノス
 いや、それどころか、君は神話も聞いたことがある。在地の人たちが彼女についてこう言っているのを。つまり、この奉納物〔女神像〕に恋した者がいて、こっそり神殿に居残っていて、可能なかぎりこの奉納物と同衾したというのだ。けれども、これは意味もなく物語れているのだとしておこう。だが君は — 君が謂うとおり、この〔女神像〕を見たのだから — さあ、次のこともぼくに答えてくれたまえ。アテーナイの庭園にある、アルカメネース作の〔アプロディーテー像〕をも見たことがあるかどうか。
4.13
ポリュストラトス
 間違いなく、おお、リュキノス、誰よりも無頓着な者だったろうよ。もしも、アルカメネースの彫像の中の最美なのをぼくが無視していたとしたら。
4.16
リュキノス
 いずれにしてもあのことは、おお、ポリュストラトス、君に質問するつもりはない。しばしばアクロポリスに登って、カラミスのソーサンドラを観たかどうかは。
4.19
ポリュストラトス
4.20
 その〔像〕もしばしば観たことがあるよ。
4.20
リュキノス
 いや、ここまではそれで充分です。さて、ペイディアスの労作の中では、何をいちばん賞讃するのか。
4.22
ポリュストラトス
 レームノスのアテーナ〔像〕のほかに、何があろうか。ペイディアスはこれに〔自分の〕名前を添えることを要請さえしたのだよ。おっと、ゼウスにかけて、手槍にもたれるアマゾーン〔像〕もだ。

4.25
リュキノス
5.1
 最美なものらだ、おお、同志よ、だから、もはや他の術知者たちを必要としないほどだ。では、さあ、もはやこれらすべてから、できるかぎり調和させて、君のために一つの似像を演示しよう。それぞれ〔の似像〕の選りすぐったところを有する〔似像〕を。
5.4
ポリュストラトス
 いったい、どんな仕方でそれができるのかね。
5.5
リュキノス
 難しいことじゃない、おお、ポリュストラトス、今から、これらの似像をロゴスにて手渡して、彼〔ロゴス〕に、整理のしなおし、合成、可能なかぎり律動的な調和を許可するならば。あの混合〔の効果〕と多彩さとは 5.10 同時に守りながらね。
5.10
ポリュストラトス
 君の言やよし。さあ、引き受けて示させよう。というのは、ぼくは知りたいからだ。いったい、それら〔の似像〕をどう使うのか、あるいは、いかにして、これほど多くのものらから、ある一つの似像を合成し、調子外れでないよう仕上げるのかを。

5.14
リュキノス
6.1
 ところが、どっこい、できた似像を見てくれるよう、すでに君に提供しているのだよ。次のように相互に調和させてね。つまり、クニドス出身の〔似像〕から、頭部だけを持って来て。というのは、身体の他の部分は裸なので、何も必要がないだろうからだ。髪と額と、眉のほっそりした輪郭の取り合わせは、プラクシテレースが作ったようになるようにさせるだろうし、両眼には、輝きと喜びと同時に潤いを、これもプラクシテレースによいと思われるとおりを守り通すだろう。さらに両頬の丸みと外貌の前面全体は、アルカメネースと、庭園の〔女神像〕から取り入れられるだろう。それどころか、両手の極致、手首の釣り合いのよさ、指先のすらりとした細さは、庭園の〔女神像〕から集められる等々。しかし、顔全体の輪郭や、〔顔の〕両側の繊細さ、均整のとれた鼻は、レームノスの〔女神像〕とペイディアスが提供するだろう。さらにまた、口の漸次的変化(aJrmoghv)と頸は、彼はこれをアマゾーンから採ってね。さらにソーサンドラとカラミスは、羞じらいで彼女〔合成される女神像〕を飾り、また微笑は、ソーサンドラのそれのように威厳と幽かさがあろう。さらにまた外衣の身だしなみのよさと小綺麗さは、ソーサンドラから〔採られる〕。尤も、この〔合成される女神像〕は、頭部を覆われてはいないが。また、年齢の程度は、何歳でもいいが、とりわけクニドスのあの〔女神像〕と一致するだろう。というのも、これもまたプラクシテレースを基準にして測られるとしよう。
 君には、おお、ポリュストラトス、どう思われるか。この似像は美しいものとなるだろう〔と思われるだろう〕ね。
6.28
ポリュストラトス
 たしかに、このうえなく厳密に 7.1 仕上げられたらね。というのは、おお、誰よりも高貴な人よ、君はその奉納物〔合成される女神像〕の外に、なおある美を後に残しているからだよ。そんなに全部を同じところに寄せ集め終わったのにね。
7.3
リュキノス
 それは何。
7.4
ポリュストラトス
 最小のことではない、おお、親愛なる友よ、色彩や各々のふさわしさが器量のよさ(eujmorfiva)を達成するのはわずかである、だから、黒いところは正確に黒く、白いところは白く、紅潮はうわべのことである等々と、君に思われるのでなければ。この最大のことが 7.10 まだわれわれに必要だという恐れがある。
7.10
リュキノス
 では、どこからそういったものらもわれわれは手に入れられようか。いうまでもなく、絵描きたちを呼び寄せようではないか、とりわけ、彼らのうちで、色彩を混ぜ合わせたり、それを時宜を得て塗ることに最善の者たちを。さあ、それで、ポリュグノートス、あの〔老〕エウプラノール、アペッレース、アエティオーンが呼び寄せられているとせよ。この人たちが仕事を分担して、エウプラノールは髪を、ヘーラのを描いたようなのを色づけるとせよ、ポリュグノートスは、眉のふさわしさと 7.20 両頬の赤らみを、デルポイの公会堂にあるカッサンドラのようなのを、さらに衣裳も、繊細このうえなく制作されたのをこの人が作るとせよ。あるべきところは包みこみ、大部分は風にひらひらふるえるのを。その他の身体は、アペッレースが、とくにパカテーに倣って、白すぎず、かすかに血色のさしたのを示すとせよ。唇はロークサネーのようなのを、8.1 アエティオーンが作るとせよ。いやむしろ、絵描きたちの最善者として、ホメーロスを、エウプラノールやアペッレースが現存していても、われわれは受け入れるだろう。というのは、例えば、メネラオスの両腿にあの人は色彩をつけたのだ。わずかに深紅にそまった象牙に似せて〔譬えて〕いるように、全体はそういうものとせよ。この同じ人が、両眼をも描くとせよ。彼女〔合成の女神像〕を牛の眼のように作って。彼〔ホメロス〕といっしょにテーバイの詩人〔ピンダロス〕もこの作業に協力するだろう。そうやって菫の眉が仕上げられる。さらにまた 8.10 ホメーロスが作るのは、「微笑愛でる」や、「白い腕」や、「薔薇の指」、総じて、黄金のアプロディーテーに似せる〔譬える〕であろうが、それはブリーセウスの娘〔ブリーセーイス〕よりもはるかに義しいことなのだ。

9.1
 さて、以上が、造形家たちや絵描きたちや詩人たちの子どもたちが制作するものである。他方、以上すべての〔要素〕のうわべにあるのは優美(cavriV) — いやむしろ、どんなカリスたちも、どんなエロースたちも、みなが同時に円舞しているのに、よく模倣のできる者が誰かいるだろうか。
9.5
ポリュストラトス
 君が謂っているのは、おお、リュキノス、相当神々しいもの、つまり、ゼウスから落ちたもの(diipetehvV)だ。天から〔落ちてきた〕ものらに属するようなものを。で、彼女が何をしていることころを君は眼にしたのか。
9.8
リュキノス
 両端を巻かれた巻物を手に 9.10 持っていて、どうやら、その一部を読みあげ、一部はすでに読み終わっているらしかった。その間にも、歩きながら同行者たちの一人と対話しているのだが、何かはわからなかった。というのは、耳にまで届かなかったからだ。ただし、微笑していたのだよ、おお、ポリュストラトス、歯を見せてね。〔その歯の〕どんなに白く、どんなに、均整がとれて、相互に調和しているか、君にどう云えばいいか。きらきらする同じ大きさの真珠からできた最美な首飾を君が眼にするなら、そういうふうに一列に生えている。とりわけ、9.20 唇の紅さによって飾られている。とにかく、現れ出でているのは、まさしくホメーロスのいうとおり、磨きたての象牙に等しく、たいていの女たちのように、それらのあるものはより広く、あるものは曲がり、あるものは出ていたり離れていたりするというのではなくて、どれをとっても等しい価値、等しい色合い、大きさも一つで、等しく連続し、要するに、一つの驚異であり見物であって、あらゆる人間的器量よさを凌駕している。

9.27
ポリュストラトス
10.1
 そこでじっとしたまえ。というのは、いったい君が誰のことを言っているのか、その女性ことが、もはやきわめてはっきりとわかったよ。そういったことどもや祖国から判断してね。さらに、宦官たちのようなものが彼女に随っていると君は謂う。
10.4
リュキノス
 ゼウスにかけて、兵士たちのような者もね。
10.5
ポリュストラトス
 皇帝の妃を、おお、浄福な人よ、あの歌に名高き女性を君は言っている。
10.7
リュキノス
 して、彼女の名は何。
10.8
ポリュストラトス
 それもまたきわめて高雅で、おお、リュキノス、10.10 愛らしくもある。というのは、アブラダタスのあの美しき妃〔パンテイア〕と同名なのだから。君はクセノポーンが、慎み深く美しい女性として賞讃しているのをしばしば耳にして知っていよう。
10.13
リュキノス
 ゼウスにかけて然り。読んでいてどこかその場面になると、じっさい、彼女を目に見ているような、そんな気持ちになり、彼女が言っていると創作された内容を言っているのを聞きもし、夫に武装させ、これを戦いに送り出しているのを〔見もしているような気持ちに〕なったものです。

10.19
ポリュストラトス
11.1 しかし、おお、最善の人よ、君は、一種閃光のように走りすぎる彼女を一度見たきりで、どうやら、それら外面的なこと — ぼくが言うのは、身体とか姿形のことだが — を称讃しているらしい。だが、魂の善きものらを君は観ておらず、彼女のその美がどれほどか、身体のそれよりもはるかにより善く、観るにあたいするものであることをも君は知らない。しかしぼくは〔違う〕、〔彼女と〕知己であり、しばしば会話を共にしてきたからだ。族民を同じくしているからね。というのも、君自身も知っているとおり、穏和(h{meron)、11.10 仁慈(filavnqrwpon)、寛容(megalovfron)、慎み(swprosuvnh)、教養(paideiva)を、ぼくは美しさよりも称讃する。なぜなら、これらは身体に卓抜する価値があるのだからだ。〔さもなければ〕不条理で滑稽なことであろう。人が身体よりも前に衣裳を驚嘆する場合のように。で、完璧な美とは、ぼくが思うに、魂の徳と身体の恰好よさ(eujmorfiva)とが同じところに会したときに成立するものだ。いうまでもないが、姿形にたっぷりめぐまれている女なら、多数君に示すことができる。〔そういう女は〕その他の点ではその美しさを辱めているから、ただ発言するだけで、それ〔美しさ〕は花凋み、枯れ萎れる。11.20 吟味され、不格好に振る舞うからであり、一種劣悪な女主人である魂と同衾するからだ。こういった女たちときたら、アイギュプトスの神殿に等しいとぼくに思われる。というのは、かしこの神殿そのものは最美、最大で、高価な石によって建造され、黄金や絵画によって花飾られているが、その中は、君が神を求めるなら、猿であったり、朱鷺とか山羊とか猫であったりするのだ。そういうふうな多くの女を目にすることができる。
 だから、美とは、義しい飾りに飾られていないかぎりは、充分ではない。ぼくが言うのは、11.30 紫の衣裳や首飾りではなく、先に云ったあのものら — 徳、つまり、慎みや寛大さや親切や、その他それ〔徳〕の定義をなすかぎりのものら — のことだ。

11.32
リュキノス
12.1
 それでは、おお、ポリュストラトス、神話には神話を、諺では、基準そのものによって、返してくれ。あるいは、もっと善いものを。君はできるのだから〔返してくれ〕。そして、魂の一種の似像を書いて示してくれ。ぼくが彼女を半分だけ讃歎しなくてすむように。
12.5
ポリュストラトス
 小さいことじゃない、おお、同志よ、君が課している競作は。というのは、万人に明視されることを称讃することと、不明なことを明示することとは同じじゃないから。そしてぼく自身も似像に協働者を必要するようにぼくに思われる。12.10 造形家たちや画家たちのみならず、哲学者たちをね。そうすれば、その人たちの規準に奉納物を合わせ、昔の造形術に従ってこしらえられたものを示せる。

13.1
 それでは、さぁ、〔似像が〕作られおわったとせよ。先ず第一に、人声を発し、声たちわたる、「その舌から蜜よりも甘き」というのは、ホメーロスがピュロスのあの老人〔ネストール〕について述べたことだが、むしろ彼女〔似像〕にこそふさわしい。その声の高さ(tovnoV)はみな、この上なく柔らかく、男の声に一致するほど低くもなく、この上なく女々しくてまったく虚弱な者の声ほどひどく高くもなくて、まだ壮年に至らない少年に等しいように、快く、柔らかくて、耳にしのびこみ、13.10 その結果、〔彼女が話を〕やめた後でさえ、声音が残響し、余韻のようなものがいつまでも残り、耳にぶんぶんいう。あたかも一種のこだまが、聞こえる間を長くして、言葉の、一種蜜のごとく甘く、説得に満たされた足跡を、魂の上に残すがごとくである。さらにまた、あの美しい〔声〕で、とりわけキタラに合わせて歌う時、その時こそ、翡翠や蝉や白鳥たちにとってただちに沈黙する刻である。なぜなら、彼女に比べれば、ほとんどみなのものらが非音楽的だからである。君がパンディーオーンの娘〔プロクネー〕を〔例として〕云おうとも、彼女もまた、13.20 響き豊かな声を発しようとも、素人であり無術的である。

14.1
さらに、オルペウスとアムピオーン、この者たちは、聴き手を最高に魅了する者となり、魂なき者たちをさえ歌に呼び集めたほどであるが、当の本人たちは、ぼくの思うに、〔彼女の歌を〕聞いたなら、キタラをそのままに、耳を傾けて、黙って立ちつくしたことであろう。なぜなら、調和の最高の厳密さを遵守すること、これゆえ、律動を踏み外すことなく、時宜を得た拍の上げ下げによって歌が測られていること、キタラに調和し、撥が舌と調子を合わせていること、14.10 指の微妙さ、音曲のしなやかさ — こういったことどもが、あのトラキア人、キタイローン山中で、牛を飼う合間にキタラ演奏を練習した者に、どこから備わったであろうか。
 それゆえ、おお、リュキノスよ、彼女が歌うのを君がかつて聞いたことがあるなら、ゴルゴーンたちのあの話にあるように、人間から石になった気分になるばかりか、セイレーンたちのはなしが、どのようなものであれ、そういう気分にもなったであろう。つまり、ぼくはよくわかっているのだが、君は立ちつくすことだろう、祖国のことも家人のことも忘れはててね。そして、君が蜜蝋で耳を 14.20 塞いでも、君にとって歌は蜜蝋をすり抜けるだろう。聞かれるのは、何かこういったもの — テルプシコラーとかメルポメネーとかカリオペー本人というような人の教えは、その中に無数の、あらゆる種類の魔法を含んでいるものなのだ。手短に一言で謂うことができる — ぼくのいうこのような歌を聞くのだと考えたまえ。このような唇を通して、また、あのような歯を通して、出てくるのが当然であるような歌を。そして、君自身が目にしたのも、ぼくが謂っている女性であり、だからそれを聞いたことがるのだと考えたまえ。

15.1
 すなわち、声のこの精確さと純粋なイオーニア方言、会話の流暢さとアッティカふう優雅さを大いに含んでいることは、何ら驚くにあたいすることでもない。というのは、彼女にとって父祖伝来・先祖伝来のものであって、植民によってアテーナイ人たちに与っているのだから、他にあるべくもなかったからである。じっさいまた、ホメーロスの〔同郷の〕女性市民であるから、詩作を歓び、いつもこれに親しんでいるとしても、このこともまたわたしは驚かないであろう。
 たしかに君にとっては、おお、リュキノス、これは美声と歌の一つの似像であろう。ひとはより程度に似せる〔譬える〕であろうから。それでは、さあ、他の諸々の〔似像〕をも考察したまえ。というのは、ぼくは君のようにとは違って、多数の〔似像〕から一つ〔の似像〕を合成して示すということをすまいと決心したからだ — というのは、これほど多くの美〔複数〕が実現されても、多数から一種多形相のものを完成するということは、自分が自分に張り合うことになって — それはじっさいそれほど描けるものではないからだ。いや、そうではなくて、魂の諸々の徳はみな、おのずから一つの似像を描いていることであろう。原型を模倣しながらね。
15.17
リュキノス
 祝祭を、おお、ポリュストラトス、そして椀飯振る舞いを君は告げている。とにかく、真により善いものを 15.20 尺度(mevtron)としてぼくに返してくれるらしい。それなら、おまけをつけて(ejpimetrei:n)くれ。他に何をしても、これいじょうにぼくに感謝されることにはならないのだから。

15.21
ポリュストラトス
16.1
 それなら、あらゆる美を嚮導するのは教養(paideiva)であるのが必然であるから、とりわけ、それらが獲得されるのは修練によってである(melethtvV)からには、いざ、これをももう、ただし多色・多形態なのを、組織することにしよう。しかしながら、この点でも、君の造形術は放棄しないことによう。そこで、さあ、あらゆるものら、要するに、ヘリコーンに由来するものはすべて持っていると描かれているとせよ。クレイオーやポリュームニアーやカッリオペーや、その他の〔女神〕たちが、めいめいが何か一つの〔技〕を知識しているというふうにではなくて、すべての〔ムーサたちの〕技〔複数〕を、なおそのうえに、16.10 ヘルメースやアポッローンの〔技〕をも〔知識して〕。なぜなら、あるいは詩人たちであるかぎりは、詩句で飾りたて、あるいは弁論家たちであれば、ほとばしる語勢によって力をこめて、あるいは著作家たちなら、歴史物語によって、あるいは哲学者たちなら、勧告しただけで、これらすべての人たちによって似像が飾られているとせよ。着色されているというだけでなく、一種の堅牢染めの薬品のようなものによって、深部まで、飽きるまで染め抜かれてね。しかし、この絵の力として原型を何ひとつ示していないとしても、容赦してほしい。なぜなら、古の人たちの間では、教育についてこのようなことが言及されているものはないのだから。しかし、そうだとしても、よいと思われるなら、16.20 これ〔似像〕もまた奉納されたとしよう。ぼくに見えるところでは、非難される点はないのだから。
16.21
リュキノス
 たしかに、最美なのが、おお、ポリュストラトス、あらゆる線描によっても完成された。

16.23
ポリュストラトス
17.1
 では、これ〔似像〕の次に、知恵(sofiva)と理知(sunevsiV)の似像が書かれるべきものである。しかし、ここでわたしたちにとって必要なのは、数多くの範型(paradeigmav) — たいていは古のものら、ひとつはまたイオーニアのそれであろう。しかし、それの画家つまり造物者(dhmiourgovV)とは、ソークラテースの同志アイスキネースと、ソークラテースその人、つまり、あらゆる術知者の最高の模倣者である。彼らは恋心をもって書いたがゆえに。で、ミレートス出身のあのアスパシア、オリュムポスの人〔ペリクレース〕その人も同棲した女性、これを理知のつまらなくはない 17.10 範型として眼前に置いて、17.11 諸々の事態の経験(ejmpeiriva)、政事に対する鋭さ(ojxuvthV)、機転(ajgcinoiva)、敏感さ(drimuvthV)から、彼女にそなわっていたかぎりのもの、これをすべてわれわれの似像に、厳密な重量にしたがって移しかえよう。ただし、あれ〔アスパシア〕は小さな画板に書かれたが、これ〔似像〕は大きさにおいて巨大であるということは別にして。
17.16
リュキノス
 どういう意味で君はそれを謂うのか。
17.17
ポリュストラトス
 こういうことだよ、おお、リュキノス、諸々の似像は似ている(oJmoia)けれども、同じ大きさ(ijsomegevqoV)ではないとわたしは謂うのだ。例えば、アテーナイ人たちのかつての国制、17.20 ローマ人たちの現在の権力とは、同一(i[son)でないのはもちろん、近似でもない。したがって、類似性(oJmoiovthV)の点では同じであっても、しかし少なくとも大きさの点では、後者の方がより善い。はるかに広い画板の上に描写されているのだから。

18.1
 さらに、第二と第三の範型は、あのテアーノーと、レスボスの女流抒情詩人〔サッポー〕と、これに加えてディオティマで、テアーノーの方は、雅量(megalovnoun)をその画に寄与し、サッポーの方は、人生行路の洗練さ(to; glafuro;n th:V proairevsewV)を。ディオティマには、ソークラテースが彼女を称揚した諸々が似つかわしいだけでなく、その他の理知と助言(sumbouliva)においても〔ふさわしい〕。こういうのが、リュキノスよ、君にとってある。この似像も掛けられているとせよ。

18.8
リュキノス
19.1
 ゼウスにかけて然り、おお、ポリュストラトス、驚嘆すべき〔似像〕ですから。しかし、君は他の諸々の〔似像〕を書きたまえ。
19.2
ポリュストラトス
 それらは善良さ(crhstovthV)と、おお、同志よ、仁慈(filanqrwpiva)の〔似像〕で、これらは性格の穏和さ(h{meron)と、必要とする人たちに対する愛想(proshnevV)を表現するね。そこで、これが似せ〔譬え〕られているのも、アンテーノールの〔妻〕、あのテアーノーと、アレーテーと、その娘ナウシカアー、そしてもし、他に誰か、莫大な財産をもちながら慎み深くして(swfronei:n)善運を得た女性がいるなら、その女性〔に似せられている〕とせよ。

20.1
 続いて、これの次には、彼女の慎み(swfrosuvnh)と、夫に対する好意(eujnoiva)の〔似像〕が書かれているとせよ。とりわけイカリオスの娘〔ペーネロペー〕に倣って、慎み深くして思慮深いとホメーロスによって書かれている女性のように — というのは、ペーネロペーの似像をそういうふうにあの人は書いているのだから — 。あるいはまた、ゼウスにかけて、彼女と同名の女性、アブラダタスの妻〔パンテイア〕に倣って。彼女については、少し前にわれわれが言及したところであるが。
20.8
リュキノス
 これもまた全美なのを、おお、ポリュストラトス、君は 20.10 仕上げた。そして、ほとんどもう君の似像〔複数〕は終わりを持っている。というのは、魂全体を検分したのだから。部分部分を称讃しながらね。

20.12
ポリュストラトス
21.1
 全体じゃないよ。なぜなら、諸々の称讃のうち最大のものらが後に残されているのだから。で、ぼくが言うのは、彼女はこれほどの高位をきわめながら、栄華〔eujpraxiva〕に乗じて虚栄を身にまとうこともなく、善運を信じて、人間的な程を超えて尊大になることもなく、俗悪なもの(ajpeirovkalon)〔直訳は「美の無経験なもの」〕や卑俗なもの(fortikovn)を何ら心にかけることがないのに、対等の地平(ijsovpedon)にみずからを保ち、来訪者たちに対して庶民的に、かつ、同じように(ejk tou: oJmoivou)、歓迎と親愛の情を示す、ということだ。21.10 〔こういった歓迎と親愛の情は〕高位の出身者であっても、何ら勿体ぶった態度を表さなければ表さないほど、交際者たちにとってはますます快いものなのだ。あたかも、大いなる権勢を有することを、侮蔑のためでなく、善行(eujpoiiva)〔親切〕のために用いるかぎりの人たち、この人たちは、善運から贈られる善きものらにとくにあたいする者たちとみなされ、この人たちのみが義しくも妬みをまぬがれているのである。なぜなら、凌駕した人(uJperevcwn)を妬む者はいないであろうから。その人が、善運の中にあって程を守るのを目にし、ホメーロスのあのアテー — 人々の頭を踏みつけて歩み、21.20 劣ったものを踏みにじる — のようでないのを〔目にする場合は〕。これこそが、卑しい人たちが、魂の俗悪さ(ajpeirokaliva)によって判断(gnwvmh)〔複数〕をされる所以のものなのです。なぜなら、彼らが何らそのようなことを望んでいなくても、運(tuvch)が突然、一種の翼や空飛ぶ車に乗せるや、彼らは持ち合わせのものらにとどまることがないのはもちろん、下方を見やることもなく、常に険しい坂道を登るのである。さればこそ、イカロスのように、彼らの蜜蝋がたちまち融けて、翼が抜け落ちるとき、笑いものとなるのである。まっさかさまに海と大浪の中に墜落してね。21.30 しかし、ダイダロスに倣って翼を使い、あまりに高く上がらないかぎりの人たちは、自分たちにとっては蜜蝋から作られていることを知っているので、人間にふさわしく行動を差配し、浪より少し高いところを運ばれるだけで満足し、しかしながらそのおかげで、自分たちにとって翼がいつも湿っていて、これを太陽にさらすことがない。こうしてこの人たちは、安全に、かつ同時につつましく渡りきったのである。これこそが、この女性をひとがとくに称讃するところである。だからこそ、万人から価値ある果実をも受け取るのである。21.40 これらの翼が彼女のもとにとどまるよう、そして、なおもっと多くの善きものらを増強するようにと祈る万人から。

21.41
リュキノス
22.1
 実際、おお、ポリュストラトス、そのとおりとしよう。なぜなら、彼女に価値があるのは、ヘレネーのように — 彼女は美しいのだから — 身体においてばかりでなく、その〔身体の〕下に包んでいる魂においても、より美しく、より愛らしいのだから。さらにまた、偉大なる皇帝 — 現に善良にして穏和である — にとっても、彼に与えられているかぎりのその他の善きものどもとともに、幸福であることがふさわしいのだ。彼の時代に、このような女性として生まれ、彼の妃となって、彼を慕うということは。なぜなら、これは小さな幸運の賜物ではないからだ。ホメーロスのあの詩句を、理の当然にも、ひとが〔引用して〕云うことのできる女性というのは。彼女は黄金のアプリディテーとは美を競い、手の技では、アテーナーその人と張り合うと。なぜなら、いかなる女たちの中にも、彼女に比較されうる者はいまいから、「背丈においても姿形においても」とホメーロスは謂っている、「心ばえにおいても何か手の技においても」と。

22.15
ポリュストラトス
23.1
 君は真実を謂っているよ、おお、リュキノス。だから、よいと思われるなら、もはや似像を — 君が造形した身体の〔似像〕と、ぼくが書いた魂の〔似像〕を — 混ぜ合わせ、全部から一つ〔の似像〕を合成し、書物に掲載して、万人に — 現在の人たちと、後世の人たちに — 驚嘆するよう提供しよう。とにかく、アペッロスやパッラシオスやポリュグノートスの〔諸作品〕よりも恒久的なものとなるだろうし、あの女性本人にとっても、そういったものらよりはるかに嬉しいだろう。木や蜜蝋や色で作られたのではなく、ムゥサたちからの霊感によって似せられたのであるかぎりは。この最も厳密な似像こそ、身体の美と魂の徳とを同時に顕現させるものとなりえよう。

//END
2011.01.13. 訳了。

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