ルゥキアーノスとその作品
ペレグリーノスの最期について
(Pri; th:V Peregrivnou Teleuth:V)
(De morte Peregrini)
|
[出典]
高津春繁訳「ペレグリーノスの昇天」(岩波文庫『遊女の対話』所収)
※僭越ながら、わずかに手を加えさせていただいた。
"t".1
ペレグリーノスの最期について
"n".1
ルーキアーノスよりクロニオスへ、幸多かれと (eu} pra/ttein)祈っています。
1.1
不幸なべレグリーノス、自分で常に喜んで名乗っていたところによれば、別名ブローテウスは、本当にホメ一口スのブローテウスと同じ運命をたどりました。有名になりたさにあらゆるものに身を転じて、無数の転身をした挙句の果てに、到頭火になってしまった。それほどまでに名誉欲に憑かれていたのだ。そして今やあの君の素敵な男はエムぺドクレース式に炭になった。違うところは、エムぺドクレースは少くとも人に知られずに噴火口に身を投じようとしたのだが、この紳士はギリシアの祭礼の中でも一番人の集るのを待ちうけて、出来るだけ大きな薪の山を積み上げ、大勢の目撃者立会の下に飛び込んだ。しかもこのとんでもない行いのわずか数日前に、ギリシア人にむかってこの事に関する演説をやったのさ。
2.1
どうも老人の鼻たらし的愚行に大兄が腹を抱えているのが見えるような気がする。いやそれどころか、いつものように毒舌をほしいままにしているのが聞えるよ。「おお、何んたる愚かしさ、おお、なんたる虚栄の心、おお……」などと、これについてわれわれがいつも言っているあらゆるその他の事をね。ところが大兄はこいつを遠方でしかも大いに安全にやっているが、私の方はまさ にその火の側で、しかも大層な大勢の聴衆の前で――その中で老人のばかばかしさを感心している者は怒ったさ――その前で言ったものだ。しかし彼奴を笑っている人々もあった。だがまるでアクタイオーンが犬に、また彼の従兄弟のペンテウスがマイナス〔バッコス信女〕たちに身を八裂にされたのと同じ運命に私もすんでのことに、君の犬儒派の者どもの手によって遭うところだった。
3.1
この事件の道具立は次のごとしだ。君はこの詩人がどんな男で、一生の間、ソポクレースやアイスキュロスそこのけに、どんな芝居をやったかはよくご存知だ。私はと言えばだ、エーリスに着くや否やギュムナシオンを通って上って来ると、一人の犬儒派の男が徳をほめたたえる例の辻演説をしやがれ声で大声で怒鳴り立て、あらゆるものを片っばしから悪罵しているのを聞いた。それから彼の疾呼は最後にブローテウスに関することになったのだ。出来るだけその言葉のままに大兄にお伝えしよう。君は何度も彼奴らのどなっている側に立っていたことがあるんだから、もちろんふふんなるほどと思うだろう。
4.1
曰く、「何人かあえて、ブローテウスを虚栄心深き者と呼ばんや、おお大地よ、太陽よ、もろもろの河川よ、大洋よ、父祖の神へーラクレースよ――シリアにおいては囹圄の身となり、祖国のためには五千タラントンをかえりみず、ローマの市より追放せられ、日輪よりもさらに輝かしく、オリュムピアのゼウスとさえ競い得るブローテウスを。火によって生を捨てんと決心したがために、これを虚栄の心に帰せんとするのか。ヘーラクレースはそうしたではないか。アスクレーピオスとディオニューソスは雷霆によって、最後にエムぺドクレースは噴火口に飛びこんで生を終えたではないか」。
5.1
テアゲネースというのが、これがあの喚き立てている男の名なんだが――こう言った時に私は側に立っていた人々の一人に、「いったい火とかなんとかいうのは、なんの事ですか、それからへーラクレースとエムぺドクレースは、いったいブローテウスとどういう関係があるんですか」と尋ねたら、その男は、「近い内にブローテウスはオリュムビア祭で自分で自身を火あぶりにしようというんです」と答えた。「どういうぐあいに、またいったいなんのためにですか」と私が言った。その男が話そうとしたが、例の犬〔犬儒派〕が吠えていたもので、他の人の言うことは聞えやしない。そこで彼が残りの溜り水をまきちらして、ブローテウスに関して驚くべき法螺をまくし立てるのを聞いていた。かのシノーぺーの人〔ディオゲネース〕やその先生のアンティステネース、それどころじゃない、かのソークラテースとさえブローテウスを比較する価値なしとして、ゼウスを競争に呼び出した。それから、まあ、とにかく、彼らは互角であるというわけで、次のように言葉を結んだ。6.1 「この二つこそはこの世の見ることを得た最高の創造物である――すなわちオリュムピアのゼウスとブローテウスとだ。その創造者にして芸術家は、かたやペイディアース、かたや自然である。しかし、今やこの神像は火に駕して、われらを捨てて人間界より神々へと赴かんとしている」。これを汗だくで話し終わって、滑稽な恰好で涙を流し、余り強くないように用心しながら髪の毛を、引きむしった。そしてとうとう、涕泣している彼を、犬どもが慰めつつ連れて行ってしまった。
7.1
この男につづいて他の男が群衆の解散するのを許さず、ただちに〔壇に〕登って、前に供えた供物がまだ燃えているところへ酒をそそいだ。そしてまず第一番に長い間笑いつづけたのだが、心の底からこれをやっている事が明らかだった。「あの呪われたテアゲネースがへーラクレイトスの涙でもって、けがらわしい話を結んだのだから、反対に私はデーモクリトスの笑でもって始めよう」。そしてまたも長い間笑いつづけたものだから、われわれの大部分の者も同じくそれに引きこまれてしまった。8.1 それから態度をかえて言った、「諸君、こんな滑稽な言葉を聞き、年をとった男たちが、唾棄すべき下らぬ喝采を博するために、公衆の前でほとんど逆立をもやりかねないのを見て、いったいこれ以外のことが出来るでしょうか。さらに、焼かれんとする神像がいかなるものであるかを諸君が知られるように、始めから彼の性格を観察し、その経歴を注視していた私の言葉に耳を傾けられたい。彼と同じ市の市民から、また彼を間違いなく知らざるを得ない人々から、いろいろな事を私は聞き知った。
9.1
この天然の創作、美術品、ポリュクレイトスのカノーンは、成年に達するや否や、アルメニアにおいて、姦通の際に捕えられ散々にぷんなぐられたが、ついに尻に赤大根の詰めをして、屋根より飛び下りて逃れた。ついで、あろ美少年を堕落させ、アジアの絵督の前に引き出されないように、貧しかった少年の両親を三千ドラクマで買収した。
10.1
これらの事やまたこれに類する事実は言うまい。というのは、彼はまだ形にならない粘土だったし、まだまだわれわれの完成した神像は創られていなかったからだ。しかし、彼の父に対する仕打は十分聞く値打がある。だがすべての諸君が知っていられる。彼が父親を六十歳以上生きることに我慢がならず、老人を縊り殺したことを聞いていられる。そしてこの事がやかましくなると、自分自身に追放令を下して、国をかえ地をかえて放浪した。
11.1
あたかもその当時であったが、彼はパレスティナでキリスト教徒の僧侶や書記たちと交って、彼らの驚くぺき智をすっかり学びとった。どうしてって? わずかの間に彼らを子供あつかいにしてしまったのさ。たった一人で予言者、祭祀長、シナゴーグ長、それからあらゆるものを兼ね、彼らの本をば或いは解釈し或いは説明し、自分でもたくさんの本を書いた。そこで彼らはブローテウスを神のごとくに尊崇し、律法者として用い、保護者であるとした。もちろん、キリスト教徒がいまだに崇拝しているあの男、新しい宗教を世に導入したというのでパレスティナで十字架にかかりったあの男の次にではあるが。
12.1
その時さ、ブローテウスがこのために捕えられて投獄されたのは。そしてこの事は彼に将来のために小さからぬ名声と、また彼が愛好していたいんちきと名声欲とを彼に与えた。キリスト教徒たちは、彼が捕えられた時、この事柄を禍であるとして、彼を救い出すためにあらゆる努力を惜まなかつた。そして、これが出来なかったので、ありとあらゆる他の世話を、単なるお座なりでなしに、熱心にやった。そして夜が明けるとともに牢獄の傍に年老いた寡婦や孤児が待ちうけているのが見られたし、キリスト教徒の役員たちは牢番を買収して彼とともに牢内に寝ることさえした。それから手のこんだ食事が持ち込まれ、彼らの聖なる書が読まれ、この有徳のベレグリーノスは――彼はいまだにこのように呼ばれていたのだが――彼らに新しきソークラテースと呼ばれていたのである。
13.1
さらにアジアの町々からさえ人々がやって来た。キリスト教徒たちがこの男を援け弁護し励ますために、共同の費用で派遣したのだ。こういう公共の事柄が生じた場合には、不思議に急速に行われるのだ。要するに彼らはあらゆるものを惜しまない。それだからベレグリーノスのところへ、彼の投獄が理由になって、多くの金銭がとどけられた。そして彼は少なからぬ収入をこれから得たのだった。というのはこのあわれむぺき人々は全くのところ不死となり永遠の生を得ることを確く信じているので、大部分の者は死を軽んじ、自ら進んで身を捧げるのである。その上彼らの最初の律法者〔おそらくキリストのことであろう〕は、一度法を犯してギリシアの神々を否認し、かの十字架にかけられた賢者を礼拝し、彼の法の下に生活する時、あらゆる人々は互いに兄弟であると彼らに説いた。それだから彼らはあらゆるものを一様に軽んじ、共同のものと考えている。確かな証拠なしにこのような信条を伝承しているのだ。だから、誰かいかさま師とかぺてん師で、うまく利用する智慧のある者が彼らの間に来ると、愚かな大衆を詐ってたちまちの間に金持になる。
14.1
ところがベレグリーノスはその当時のシリアの総督によって放免せられた。彼〔シリアの総督〕は哲学を好む人で、彼の乱心と、それによって名声を後世に残さんがために死を歓迎するだろうことを悟って、晋通の懲罰〔笞刑〕にさえも価しないと考えて彼を釈放した。家へ帰ってみると父殺しの事件がまだ下火とならず、多くの者が〔彼に対する〕告発を求めているのを発見した。財産の大部分は留守の間に奪われて、十五タラントンの値になる農場のみが残っていた。老人が遺した全財産は、あの滑稽きわまるテアゲネースが五千タラントンと言ったのとは違い、おおよそ三十タラントンであったからだ。こんな大層な金には、バリオン人の市全体に、まわり近所の五つの市を合わせても――そこの人間、家畜、その外のあらゆる所有物を含めて――なりはしない。
15.1
しかし、非難と弾劾とがなお激しく、近いうちに誰かが彼に対して立ち上りそうであったし、特に一般市民自身が善良な――彼〔ペレグリーノスの父親〕を見た人はこう言っていたのだが――老人がこのようにむごたらしく殺されたのを嘆いて憤慨していた。ところが、この賢者プローテウス先生がこれらすべてにいかに対応したか、またいかにして危険を過れたかを見ていただきたい。バリオン人の民会へやって来て――彼はこの時すでに長髪をよそい、けがらわしい短かマント (tri/bwn)を身につけ、合財袋 (ph/ra)を脇につるし、杖を手にしすべて誠に悲劇的に装っていた――こういう恰好で彼らの前に立ち現われ、祝福されたる先考の遺産をすべて市の用に供すぺく投げ出すと言った。これを聞いた時に、文なしで、給与の配給をあんぐりと口を開けてまちもうけている市民どもは、ただちに唯一の哲学者、唯一の愛国者、ディオゲネースとタラテースとに比肩し得べき唯一の人と叫んだ。敵たちは猿轡をはめられ、殺人の事を言い出そうとでもしようものなら、たちまち石を投げつけられるのだった。
16.1
彼はかくしてふたたび放浪の旅に上るぺく故郷を離れた。彼はキリスト教徒という十分な旅費をもっていて、彼らに守護されて何事にも欠くことがなかった。暫くの聞このようにして食っていた。その後彼らに対してさえ罪を犯して――私の考えでは禁断のもの〔何であるかは不明〕を何か食っているところを見つかったからだ――もはや彼を受け入れてくれないので、困って、反歌を歌って、例の市から例の財産の返却を要求せねばならぬと考え、また請願書を出せば皇帝の命令で回復することが出来ると思っていた。ところが市の方で彼の要求に反対するぺく使者を送ったので、何事もなし得ず、かえってなんらの強制なしに一度決した事をひるがえすべからずと命ぜられた。
17.1
これにつづいて三度目にアガトブ一口スを訪れるぺくエジプトへの旅。そこで彼は頭の半分を剃り、顔には泥を塗り、大勢の見物人のいる前で恥部をおっ立て、このいわゆる「無関心 (to_ a)dia/foron)」を示し、次には葦の茎で尻を打ったり打たれたり、その外多くのもっとばかばかしい、むちゃな、いかさまをやって、かの驚歎すべき浄身苦菓を行ったのだ。
18.1
そこから、このように身をかためて、イタリアにむかって船出し、船から上るや否や早速あらゆる人を、特に皇帝〔アントニーヌス・ビウス帝〕を悪罵した。皇帝が最も穏和な最も静かな人であることを知っていたから、彼は安全に虎の髯を払っていたわけだ。皇帝は予期のごとくに彼の悪口をたいして気にかけず、哲学の衣にかくれているこのような男、特に悪罵を売物にしている男の言葉を取り上げて罰する値打はないと考えていたのだ。ところがこの男の名声はこのことからさえも増大した、――少くとも一般大衆の間で――そしてむちゃのお陰で賞讃の的となっていたが、ついに頭のよい市の長は、自分の市はかかる哲人には用はないと言って、とめどもなく例の仕事に浮かれている彼を追い出してしまった。ところがこれがまた彼の名誉となって、舌に衣を着せず、余りな自由の故に追われた哲人として、あらゆる人のロに上り、この点で彼はムーソニウスやディオーンやエビクテートスやその外同じ事情にあったかぎりの人々と同格になったのである。
19.1
かくのごとき事情の下に、彼はとうとうギリシアにやって来て、ある時はエーリス人の悪口を言うかと思うと、ある時にはギリシア人にローマに対して武器を取れとすすめる。またある時には学問に秀で尊敬されている人〔ヘーローデース・アッティクス(AD 101-177)〕――いろいろと他の点でもギリシアの恩人であり、特にオリュムピアに水を引き、祭に参集する人々が渇のために倒れるのを防いだのだから――を、ギリシア人を柔弱ならしめたとして悪く言った。オリュムピア祭の見物人は渇に堪え、いやそれどころか、ゼウスにかけて、その当時までこの地が乾燥しているために、大勢の間に猖獗をきわめていた激しい病気で多くの者が死ぬぺきであると。それも、その同じ水を飲みながら言ったものである。
そこですみんなが押し寄せて、すんでのところで彼を石打の刑にするところであったが、このときは、ゼウスの神の下に逃れて、このたいした男は死をまぬかれ、20.1 その次のオリュムピア期に、それまでの四年間に一文を草してギリシア人に発表した。水を引いた人に対する賞讃と、その折の自分の逃亡に対する弁明であった。
もうすべての人々に相手にされず、もはや前のように人気もなくなった――というのは、あらゆる手管は古臭くなって、出会うほどの人々をあっと言わせたり、驚欺させたり、自分に眼を見はらせたりさせるぺき新しい手を考案することが出来なかったからだ。しかも一等初めから彼はこれを激しく渇望していた――そこでついにこの火葬というとんでもないことを計画して、前のオリュムビア祭のすぐ後に、次の祭りの折にわれとわが身を火葬するとギリシア人たちにふれたのである。
21.1
そして今や噂によれば、彼は穴を掘り、薪を集め、恐るぺき精神力を約束して、まさにその大不思議を実演しつつあるのだ。
しかし私の思うに、彼はまず第一に死を待つべきであって、生より逃れるぺきではなかった。しかし、どうしてもこの世より立ち去ることに決心したのだったら、火とかこの悲劇からの借物道具を用いる代りに、何か他の死に方、それは無数にあるのだが、それを選んでおさらばすべきである。しかも、もし火をへーラクレース式であるとて特に歓迎するのであれば、いったいどうして黙って木の生い茂った山を選んで、テアゲネースのごとき人物をただ一人ピロクテーテースとしてともなっで、そこでただ一人で自分を焼かないのか。ところが彼はオリュムピアで、祭礼の真っ最中に、ほとんど舞台の上で自分を蒸焼にしようとしている。ヘーラクレースに誓って、父殺しや不信心者がその乱業の罰をうけるぺきであるならば、彼はこれに価しないわけではない。この点からすれば彼はどうも大変遅くなってからこいつをやろうとしている様子だ。とっくの昔にパラリスの牡牛の中に投げ込まれて、罪にふさわしい酬いを支払うぺき男、たった一度焔にむかって口をあんぐりと開けて、あっと思う間に死ぬべきではない男が。というのは、これまた人々が私に話してくれたところによれは、火によるよりも速かな死に方はない。ただ口を開けばよいので、すぐ様死んでしまうという事だからだ。
22.1
そこで見世物は壮厳であるぺく計画されている。他の死ぬ人間を葬ることさえ神に対する罪であるその聖地で人間が焼かれる。むかしむかしある男が有名になろうと欲して、外の方法ではその目的を達し得なかったので、エペソスのアルテミスの神殿に火をつけたということを諸君はもちろんお聞き及びのことだろう。これと同じような事を彼もまたもくろんでいるのだ。これほと大きな名声欲が彼の心に根を張っている。
23.1
しかるに彼は、人類に死を軽んじ、恐るべき事に耐えることを教えるべく、彼らのためにこれを行うのだと言っている。そこで私は彼にではなく諸君にお尋ねしたいのだが、諸君は悪党どもが彼のこの勇猛心の弟子となって、死とか焼死とか、このような恐るぺき事柄を軽視することを欲せられるか。だが諸君が欲せられないだろうことを私はよく知っている。それではいかにしてブローテウスはこの点を区別して、よき人々を益し、悪人どもをさらに冒険を愛し乱暴をしないようにすることが出来るか。
24.1
だがかりにこの事件の有益な面を見る者のみがこれに参加することが出来るとしよう。そこで今一度諸君にお尋ねしよう。諸君は諸君の子供たちがこのような男の敬仰者 (zhlwth/j)となるのを望まれるだろうか。否、と言われるだろう。だが彼の弟子どもの中の誰一人として彼を敬仰しようとしないのに、どうして私はかかる質問を発したか。テアゲネースの特にとがむぺき点は、この男〔ペレグリノス〕の他の事は敬仰しながら、先生に従わず、彼の言うごとくに、へーラクレースの所に赴かんとしている先生と行をともにしないことだ。まっさかさまに火の中に飛び込めば瞬時にしてその至福の境に達し得るのに。
敬仰(zh~loj)ということは合財袋や短かマントにあるのではない。こんな事は安全で容易で誰にでも出来る。究極の大切な事は、出来るかぎり生(なま)の無花果の薪木を山と積み上げて、その煙で窒息することだ。火そのものはへーテクレースやアスクレービオスの専有物ではなくて、涜神者や人殺しのものでもあって、彼らが法によって火刑をうけているのを見ることが出尭るではないか。だから煙による死の方がよろしいので、これはお前たちにだけの専有物となるだろう。
25.1
とりわけ、ヘーラクレースがかかることをあえて行ったのが本当であるとしても、それは悲劇の語るごとくに、ケンタウロスの血に身を蝕まれていたので、病気のためにこれを行ったのだ。ところがこの男はいったい何のために火の中に身を運び投ずるのか。そうだ、婆羅門僧と同じく、自分の不抜の精神(karteri/a)を誇示するためだ。というのほ、まるでばかで虚栄心の強い者がインドにも存在することはあり得べからざることででもあるかのように、テアゲネースは彼を婆羅門たちに比較する価値ありと考えたからだ。それならば少くとも彼らの真似をするがよい。というのは、彼らは、アレクサンドロスの舵取だったオネーシクリトスがカラノスが身を焼くのを見て言った言葉に従えば、火の中に飛び込むのではなくて、薪を積み重ねた時、近くに身動きもせずに立ちつくして身の焼かれるのに耐え、ついでその上に登り、横臥の姿を少しも変えずに威儀を正して焼かれるのである。
ところがこの男の場合には、もし転げ込んであっと言う間に火の手に捕われて死ぬのならば、そこに何の偉大さがあろうか? 人の噂のごとくに火葬の薪が深い穴の中にあるようにエ夫しなかったならば、彼は半焼で飛び出さないでもない。26.1 また、彼は変心すると言う者もあり、ゼウスは聖地をけがすことは許さぬという夢の話をしていると言う者もある。だがこの点では安心するがよろしい。ベレグリーノスが非業の死を遂げたからといって、これを憤る神は一人もないことを私ほ誓ってもよい。それに今さら身を引くことは容易でない。仲間の犬どもが彼に臆することを許さず、励まし、火の中に押し込み、その決心を燃え上らせている。彼らの二人ばかりを道連れにして薪の中に飛び込めば、それだけが彼の唯一の気のきいた行いとなるだろう。
27.1
私の聞いたところによれば、彼はもはやブローテウスと呼ばれることに満足せず、ポイニクスと変名したとの事である。というのは、ポイニクス〔不死鳥〕はインドの鳥で、うんと年をとると、火葬壇に上ると言われているからだ。それどころではない、彼は物語を作り上げて、夜の闇の守護神となるぺきであるという神託、それはもちろん古いものだが、その神託を言いふらしている。彼は明らかにはや祭壇を渇望し黄金の像を期待しているのだ。
28.1
そうだ、ゼウスの御名にかけて、衆愚の中には彼のお陰で四日熱が治癒し、闇の夜に夜の守護神に出会ったという者があっても別に不思議はない。そこで彼のいまわしいこれらの弟子たちは、ゼウスの子なるかのブローテウス、この名の始祖もまた予言者であったというので、火葬の場所に神託所と立入り禁断の聖所とを造り上げることだろう。私は誓って言うが、本当に鞭とか焼饅とかその外のかかるありがたいものともども彼に仕える神官が任ぜられて、そうだ、ゼウスに誓って、彼を祀って夜の神秘と、火葬の場所での炬火祭とが造り上げられることだろう。
29.1
私の仲間の一人の伝えるところによれば、テアゲネースは最近シビュラもまたこれに関して予言していると言った。そして本当にその句を暗誦して聞かせた。
されどあらゆる犬儒の中にていとも尊きブローテウスの
鳴神ゼウスの聖なる地に火を起して
焔の中に身をひるがえし、大いなるオリュムボスに至れる時、
その時にこそ、畑の実を食するほどの者はなぺて
夜をさまよういとも大いなる彼をあがむぺし
火の神と主なるへーラクレースと王座をわかつ人神とを。
30.1
これがテアゲネースが、シビュラから聞いたという詩句であるが、私はこの点に関するバキスの神託を彼に引用して聞かせよう。バキスは素晴らしい教訓を交えて次のように言う。
されど、数知れぬ名をもてる犬儒が燃え盛る火に
虚栄の熟に浮かされて身を按ずる時、
その時にこそ他の諸々の彼の後えに従ふ犬狐どもは
去れる狼の運命を見ならうぺし。
卑怯にも火の神のカを避ける者、
この者をただちに石にて撃てよ、アカイアの諸人たち、
自ら熟なくして熱弁を振わんとし
幾多の黄金を金借しに用いて合財袋をみたし
美しきバトラスに十五クラントンをもてるが故に。
諸君、どう思われますか。バキスはシビュラよりも予言者として劣っているでしょうか。さてさて今やこれらブローテウスの驚歎すぺき仲間が、自己を空化(e)xaeou~n)すぺき場所を探し求むべき時である。というのは、彼らはそう火葬の事を呼んでいるからだ」。
31.1
彼がこう言い終わると聴衆はすぺてこう叫んだ、「彼奴らをすぐさま焼いてしまえ、火こそ彼らにうってつけだ」。そしてその男は笑いながら壇より降りた。「しかしその叫びはネストールに聞えずにはいなかった」〔Il. XIV_1〕。すなわちテアゲネースの事なのだが、彼はこの叫びを聞くや、ただちにやって来て登壇し、絶叫し、降壇した男(私はこの素晴らしい人の名を知らないからだが)に関してあらゆる悪口を言った。ところで私は破裂しそうにどなっている彼を捨てて、競技者を見物に立ち去った。すでに審判団が抽選場にいると聞いたからだ。
32.1
これで、エ−リスでの事件で大兄にお話しすることはおしまいだ。オリュムピアにやって来ると、〔ゼウス神殿の〕後室はブローテウスを非難する者や彼の志を賞める者でみちみちているものだから、大部分の者はなぐり合いさえやっていたが、そこへ終にプロ−テウス先生ご自身が、布告使の競技の後で、彼をとりまく数知れね大勢の群衆に送られつつやって来て、彼がいかなる生涯を送ったか、またその経て来た数々の危険、また哲学のためにいかに多くの難儀を堪えしのんだかを物語って、自分の話をした。話は長かったが、集っている人が余り大勢なので、私にはわずかしか聞えなかった。その後、こんな混鹿の中で押し潰されるのを怖れて――多くの人がそういう目にあっているのを見たものだから――自分で自分の弔辞を述べている、死神に憑かれているソビステースに永の別れを告げて立ち去った。
33.1
しかし次のことくらいは聞くことが出来た。すなわち彼は言った、黄金め弓(bi/oj)(=生涯(bi/oj))には黄金の弓筈を附けたいと思う。ヘーラクレースのごとくに生きた者は、ヘーラクレースのごとくに死んで、空気(ai)th/r)と混じなければならぬ、と。「そして人間にいかにして死を軽んずべきかを示して、人類を益したいと思う。それ故にすべての人は余のピロクテーテースとならねばならぬ」。すると、人々の中でばかな奴らは涙を流して、「ギリシア人のために身を全うして下さい」と叫んでいたが、男らしい人々は、「決心したことは遂行しろ」とどなった。これを聞いて老人はみっともないほど取り乱した。すべての人が彼に取りすがって、彼を火に投げ入れないで、もとよりその気のない自分をこの世に引き留めてくれるものと願っていたからだ。かの「決心したことは遂行しろ」という言葉は全くの青天の霹靂だったもので、もう以前から死人のような顔色をしていたのだが、そいつをいっそう青くして、そうさ、かすかに身慄をさえさせたもので、彼は演説をやめてしまった。
34.1
私はというと、君のご推量のごとくに、いかに笑ったことだろう、同じ復讐の女神に追われているあらゆる者どもにもまして、このような名誉欲の権化は憐憫にも価しないからだ。だがとにかく多くの者どもに護られてこのあわれな男は、大勢のファンどもを眺めながら十分に名誉欲を満足させていた。十字架へと導かれて行く者や死刑執行人に捕えられている者にもまた遥かに多くの人々が後からついて行くのも知らないで。
35.1
やがてオリュビア祭は終了した。すでに四回見物したが、私の見た中で最も立派なオリュムビア祭であった。私はというと――一時に多くの人が立ち去るので、車を得ることがむずかしくて――心ならずも後に残っていた。かの男は一日延ばしに延期していたが、ついに火葬を見せる夜を予告した。私をば友人の一人が誘ったので、真夜中頃に起床して、まっすぐにハルピナにむかって道を取った。そこに火葬の薪が積んであるのだ。競馬場を通って東にむかって行くと、オリュムビアから十分に二十スタディオンの距離だ。そこに到着すると、すぐに六尺に及ぶ深さの穴の中に薪が積まれているのを見出した。大部分は松明の木で、隙間は柴でふさいである。すぐに火がつくようにだ。36.1 そして月が上りかかった時――月もまたこの最も秀れたる行為を見る必要があるからだ――その時に彼はいつものような身ごしらえで、前に進んだ。彼とともに犬儒派のおも立った人々、そして中でもかのバトラスの紳士〔テアゲネース〕、炬火を手にしているところは、わき役者としてまんざらでもない。ブローテウスもまた自ら炬火を手にしていた。人々が思い思いにあちらから、こちらからと近づいて火をつけると、炬火の木と柴で出来上っているものだから、大きな火となって燃え上った。彼はというと――この所に大いに注意していただきたいが――彼はといえば、合財袋に短かマントにかのへーラクレース式梶棒を捨てて、文字通りにぼろの襦袢一放で立った。ついで火に投ずぺく香料を求め、誰かが与えると、それを投げ入れて、南にむかって言った――この南ということ、これがこの芝居に大切なのだ――「わが母とわが父の霊よ、心よくわれをうけたまえ」と、こう言い終ると火の中に飛び込んだが、姿は見えず、燃え熾る焔に包まれてしまった。
37.1
またも私には、クロニオス君、雅人のあなたが劇の終末を笑っているのが見える。私はと言えば、彼が母親の霊に呼びかけたのは決して咎めはしないが、父親の霊に呼びだすに至っては、彼の殺害に関する話を思い起して、笑を止めることが出来なかった。犬儒どもは火葬の薪の廻りに立って、涙は流さなかったが、火を見つめつつ、黙って、ある程度の悲しみを示していた。ついに私は彼らに対してむかむかとなって言った。「さあ立ち去ろう、ばか者どもめ、たまらぬ煙の臭いでむせかえりながら、老人の焼かれているのを見ているのは愉快な見物じゃない。それとも誰か絵かきがやって来て、牢獄におけるソークラテースの仲間が哲人の側に描かれているように、お前たちをかくのを待っているのか」。すると彼らは憤って私を罵り、二三の者は枚に飛びつきさえした。そこで私が、先生のお伴をするように、何人か束にして火の中に投げ込んでやるぞ、とおどしてやると、おとなしくなった。
38.1
私は帰途、友よ、名誉欲とは何たる不思議なものであるか、この欲求のみが、彼の他の点でも気の狂った狂乱の生涯を送り、火刑にも価しないあの男は言うに及ばず、誠に立派であると思われる人々にも不可避であることを考えながら、さまざまに思いめぐらした。39.1 それから、出かけて来る多くの人々に出会った。〔彼らは〕自分もまた見物しょう、まだ生きているうちに間に合うだろうと思っていたのだ。実際のところ前の日に、婆羅門たちが必ず行うと伝えられているごとくに、昇る朝日を拝して後に薪に登るということだったのだ。そこで彼らの大部分を、もう仕事は終ったと語って、帰らせた。その行為自身は言うに及ばず、その実際の場所を見、火の遺物を獲るということさえも、これらの人々のためには余り望ましいことではなかったのだ。
この仕事のお陰で、友よ、質問する者、根ほり葉といする者どものすべてに話をするので、大変面倒な目にあった。誰か気のきいた男の場合には、君に対すると同じょうに、ありのままの事実を物語ったが、頓馬で、大口をあんぐりと話に飢えている連中には、私の方で少々劇的場面をでっち上げてやった。薪に火がつけられて、ブローテウスがさっと身を躍らせて飛び込むと、まず大地の咆吼とともに大地震が起って、焔の真唯中から一羽の兀鷹が天へと飛び去った。
地を捨ててオリュムボスヘとわれは赴く
と人の子の言葉で大声に言いつつ。
彼らは驚歎して、身懐いしつつ大地にびれ伏し、かの兀鷹は東へか、それとも西へ飛び去ったかと私にきいた。私はというと、でたらめに返答した。
40.1
祭礼へ帰って来て、一人の白髪の男に出会った。ゼウスに誓って言うが、その男はもっともらしい顔付をしていて、その上髯があり、その他の点でも威厳があったのだが、彼はブローテウスに関するいろいろな話をするうちに、その火葬の後、彼が白衣を着ているのをつい先刻見た、そしてオリーブの実の冠を頂いて、七響廊(e(ptafw/noj)を楽し気に歩いているのをたった今後に残して来たばかりだ、と言っている。しかも私がさっきばか者どもや愚物どもを嘲笑して飛ばせた兀鷹が、火葬の薪の中から飛び立つのをわれとわが目で確かに見たと言って、例の兀鷹を真打につけ加えたのだ。
41.1
まあ彼の身に将来どういうことが起こるのか考えてみたまえ。蜜蜂がどれほどかこの場所にとどまるのではないか、セミのようなものがそこで歌を唱うのではないか、ヘーシオドスの墓のようにカラスのようなものが、その上に飛び行くのではないか等々。というのは、彼の像は、エーリス人自身のみならず、彼が書簡を送ったという外のギリシア人たちによっても、私は知っているが、たちまちのうちにたくさん立てられることだろう。彼がほとんどあらゆる名ある市に書簡――一種の遺書とか激励の辞とか規律とかいうもの――を送ったということ、そしてこのために仲間から使者を選び、彼らを死者の使とか下界の使丁と名付けていたという事だから。
42.1
これがあわれむぺきブローテウス、要約すれば、真理にはいまだかつて眼をむけたことなく、名声と大衆の賞讃とを目的に、常に何でも語り行動して、その挙句に賞讃の声が聞かれなくなるや、もはやこれを享受することがあるまいと思った時に、火の中に飛び込むことさえやった男の最期だった。
43.1
君が大いに笑うように、君のために今一つ話を附け加えて筆をおこう。ただし、私がトローアスから彼と同船したという話は、私がシリアから帰って来た折にお話したから、私から直に聞いてとっくの昔にご存知のことだ、つまり、船中での彼の贅沢にかてて加えて、自分もまたアルキビアデース注29)を持とうというので、犬儒派になるように説き伏せたかの美少年、それから真夜中に、エーゲ海のまっただ中で、嵐が襲って大浪を生じ、われわれが困惑した時に、この立派な生死を超越しているはずの先生が、女たちとともに涕泣したという話は。44.1 ところで彼の最期の少し前、およそ九日ほど前の事だが、食い過ぎだと思うが、彼は夜中に吐いて非常にひどい熱が出た。この話を私にしてくれたのは、彼を診るために呼ばれた医者のアレクサンドロスだ。彼が話すには、行ってみると、彼〔ブローテウス〕は地べたに転げ廻り、熱に耐えられず、冷い水が欲しいと熱心に頼んでいたが、自分は許さなかったという。さらに彼〔アレクサンドロス〕が言うには、もしどうしても死にたいのならば、それはむこうから扉のところまで来ているのだから、火に頼まないで、いっしょについて行ったらよかろう、と彼に言ってやったところ、彼〔ペレグリノス〕の言うには、「だがそれじゃみんなと同じ死に方だから名前が出ないじゃないか」と。
45.1
以上がアレクサンドロスの話だ。私自身も、数日前に、彼が涙を出して眼がよく見えるように、きつい塗薬を塗っているのを見た。どうしてだか分るかね。アイアコスは眼の悪い人々を歓迎しない。これはまるで十字架にかかろうとする人間が、指の傷の治療をしているのと同じだ。これを見たらデーモクリトスはどうすると思う。彼はこの男にふさわしいように大笑いするだろう。しかし彼はこんな大笑いをどこから得たのか。だが友よ、君も自分で笑ってくれ、特に外の者どもが彼に感心しているのを聞いた時にね。
2005.12.16. 添削終了。 |