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ルゥキアーノスとその作品

僭主殺し

TurannoktovnoV
(Tyrannicida)





[解説]
 当編と次の1編〔『勘当』〕は、弁論術学校の典型的な製作物で、そこでは、しばしば想像的でありそうもない架空の訴訟が討論される。主題は誰でもが知っていることであり、1人の弁論家から他の弁論家へと伝えられたものである。この演説の裏にある演説は、これに先行する議論の中に概説されているが、後にはリバニウス(Or. VII)によって、さらに後にはコリキウス(XXVI)によって使用された。エラスムスは、『僭主殺し』と『勘当』のその原形におけるラテン語訳の訳者であったが、暗殺者に反対する揶揄的陳述をする相手役の作品をラテン語で書き、これはルゥキアーノスの古い校訂本の幾つかの中に見出される。

 もしもルゥキアーノスが、『二重に訴えられて』32の中で言っているように、40歳で弁論術を放棄したのなら、これら2つの演説は初期の作品であろう。2つのうち、『僭主殺し』はより早いように思われる。『勘当』は彼の成熟により接近しているからである。




僭主殺し(TurannoktovnoV)

[ある者が、僭主を殺すため、アクロポリスに上っていった。相手を見つけられず、その息子を殺して、剣をその身体に置き去りにした。僭主がやって来て、すでに死体となった息子を目にして、同じ剣で自裁した。上っていって、僭主の息子を亡き者にした者が、僭主殺しとして褒賞を要求する。]

 [1] 2人の僭主を殺したのは、おお、裁判員諸君、1日のうちであります。ひとりはすでに壮年を過ぎた者を、もうひとりは、盛りにあって、すっかり不正事の後継者たる用意のある者を。相手は2人ですが、わたしがやって来たのは、1つの賜物を要請するためです。これまでの僭主殺しの中でただひとり、一撃で2人の邪悪な者を片づけた者として、つまり、子どもの方は剣で以て、父親の方は、その子に対する情愛(filostorgiva)で以て殺害した者として。それで、僭主の方は、自分がしたことに対して我々に充分な償いをし、生きているうちに息子が先に亡き者にされて非命の最期をとげたのを目にし、終には、まったく意想外なことですが、自分が自分の僭主殺しとならざるをえなかったのです。その者の子どもの方は、わたしによって殺される一方、死んでからもわたしのために他の殺人の手助けをし、生きている間は父親といっしょに不正し、死後は、可能な仕方で、父親殺しをしたのです。

 [2] それで、僭主制を阻止したのはわたしであり、すべてを遂行したのはわたしの剣ですが、わたしは殺人の順序を逆にして、邪悪な者らの最期の仕方を革新し、より強くて自衛できる者をわたし自身が亡き者にし、年寄りの方は剣ひとりに譲ったのです。

 [3] それで、わたしは、これらのためにもっと何か有り余るものがあなたがたからわたしに与えられ、亡き者にされた者らと同数の賜物を得られると思いました。というのは、目下の〔諸悪〕のみならず、将来の諸悪の危惧からもあなたがたを解放し、自由を確実なものとしてもたらした。誰ひとり不正事の継承者が残らなかったのすから。しかるに、わたしは、これほどのことを達成しながら、褒賞なき者としてあなたがたのもとから退去し、遵守した法習に基づく返礼を奪われる唯一の者となる恐れの只中にいるのです。

 それで、これなる反対者がこれを為すのは、彼が謂うのとは違って、共同体のことを気遣ってではなく、命終した連中を悼み、連中の死の原因となった者に報復するためなのです。[4] 諸君としては、我慢していただきたい、おお、裁判員諸君、わたしが暫く、僭主制における事柄を、あなたがたの知悉していることではありますが、わたしが詳しく説明するのを。というのも、そうすれば、あなたがたはわたしの功績の大きさを理解し、何から解放されたかを思量して、ご自身でより好機嫌となられるでしょうから。

 なぜなら、他のある人たちにしばしば結果したのと違い、わたしたちも我慢したのは、単純な僭主制や単一の奴隷状態ではなく、ひとりの主人の欲望を耐え忍んだのでもなく、これまで等しい不幸に見舞われた人たちのうちわたしたちだけが、ひとりではなく二人の僭主をもち、不仕合わせにも二重の不正事に引き裂かれたのです。年長者の方がはるかにより穏やかで、怒りに対してより穏和で、懲罰に対してより鈍く、諸々の欲望に対してよりのろいのは、年齢がすでに衝動のいっそうの激しさを抑え、諸々の快楽の欲求を制御していたからです。事実、不正事の始まりは、子どものせいで心ならずも引きこまれたと言われていました。自らはまったく僭主的ではなく、あの者に似たために。というのは、彼が示したとおり、とんでもない子ども好きで、彼にとって子どもがすべてであり、あの者に説き伏せられ、命ずるかぎりの不正をし、言いつける者たちを罰し、あらゆる点で仕え、要するに、彼に僭主支配され、子どもの諸々の欲望の槍持ちとなったというわけです。

 [5] 若者はといえば、名誉の方は年齢的にあの者に渡して、支配の名からのみ離れ、僭主制の実と頭には自身が就き、信頼と安全性は自分から僭主制に渡し、不正事の享受はひとり収穫したのです。あの者こそは、槍持ちたちを結集した者、僭主支配される人々を恐怖させた者、策謀者たちを根絶した者、壮年を家から引き離した者、婚礼を侮辱した者。あの者によって処女たちは掠われ、殺戮のようなものがあっても、亡命のようなものや財産の没収、拷問、暴虐 — これらはすべて若造の無謀。老人の方はあの者に従い、不正を共にし、わが子の不正事を称賛しただけ。それで事態は我々にとって堪えがたいものに立ち至りました。なぜなら、心の諸欲望が支配の気儘を加えたとき、不正事に何の限界ももうけないからであります。

 [6] とりわけ〔われわれを〕最も苦しめたのは、奴隷状態が長く、いやむしろ永遠に続くであろうということ、継承によって都市が、時を違えて他の主人に引き渡され、民衆は邪悪な連中の世襲財産になるであろうと知ったことでした。他の者たちにとっては、「いや、じきに終熄するだろう」「いや、じきに亡くなって、われわれは少し経てば自由になるだろう」と思量したり、言い合ったりするという、小さからぬ希望ぐらいはありましたものを。

 [7] しかし、このことがわたしを恐怖させることはなく、行為の困難さを思量して臆することもなく、危険を前にして怯むこともなく、わたしはたったひとりで、かくも強力にして多頭の僭主制に向かってひとりで、いやむしろ1人ではなく、剣 — 共闘者にして、順番がくれば僭主殺しの仲間となる剣とともに、〔アクロポリスに〕上っていったのであります。眼の前には〔自分の〕最期を覚悟し、しかし、共通の自由を我が身の血祭と交換せんとして。そして、第一の護衛所に行き当たり、槍持ちたちを、簡単ではありませんでしたが、敗走させ、出くわした相手は殺し、邪魔するものはみな破壊し、為業のまさしく頭〔中心〕、僭主制の唯一の強さ、我々の災難の基に、斬り込んだ。そうして、アクロポリスの護衛所を襲撃し、徹底的に自衛しているのを目にし、数多くの傷に抗しながら、それでも殺したのであります。

 [8] そして僭主制はすでに打倒され、わたしの敢行は達成され、それからのことにおいて我々はみな自由になったが、老人1人まだ残っています。武器なく、衛士たちを失い、自分のあの強大な槍持ちはすでに滅び去り、ひとりぼっちで、もはや気高い手の価値さえない老人が。

 そこで、ここにおいて自分で、おお、裁判員諸君、わたしは次のようなことを思量しました。「万事はわたにとって美しい状態にある、万事は為し遂げられた、万事は成就した。生き残った者はいかなる仕方で罰さるべきか。なぜなら、わたしや、わたしの手のやることではない、とりわけ、輝かしく、若々しい、高貴な行動によって亡き者としながら、その血祭をも恥ずべきものとするのは。彼は誰かふさわしい処刑吏、災難の交換を探すべきであって、同じ〔交換〕では利得にならぬ。かれをして見させしめ、罰を受けさせしめ、そばにある剣を持たせしめよ。先のことは彼に命じよう」。こう思いめぐらせて、自分は邪魔を差し控えたのですが、彼は、わたしの予言したとおりのことを遂行し、僭主殺しをし、わたしの演技に結着をつけたのでした。

 [9] かくして、わたしはここにいる。諸君に民主制をもたらし、もう元気を出していいのだと万人に告げ、自由の福音を報せて。だからもう、諸君はわたしの事業を享受している。ご覧のように、アクロポリスに邪悪な連中はおらず、命令をくだす者は誰ひとりおらず、栄誉を授けることも、裁くことも、法習にしたがって反対することもでき、これらすべてがあなたがたのものになったのは、わたしのおかげ、わたしの敢行のおかげ、つまり、あのひとつの殺人の結果、その後でもはや父親が生きられなかったからなのです。それゆえ、これらのことの見返りにわたしは要請するのです。借りのある贈り物を諸君からわたしに与えるようにと。それは、わたしが利得を愛する者だからではなく、がめつい人間だからでも、報酬目当てに祖国に善行をすることを選んだ者だからでもなく、わたしの達成が賜物によって確実にされること、そして、わたしの企てが無駄だとして、また、褒美に値しないと判定されたとして中傷されたり不名誉をこうむることのないように望んでのことです。

 [10] しかるにこの御仁は反対し、わたしが事を為したのは、栄誉を与えられ、賜物を得んがためであって、それは祝福にあたいしないと謂う。なぜなら、僭主殺しではなく、わたしによって何事かが為し遂げられたのは、法に従ってでもなく、賜物の返還要求するにはわたしの働きには欠けるところがあるから、と。しからば、彼に尋ねよう。「他に何をわたしたちから返還要求するのか。わたしは企てなかったか。上らなかったったか。殺害しなかったか。自由にしたのではないか。まさか指図する者はいまい。まさか命令する者はいまい。まさか脅迫する主人のような者はいまい。まさか悪行者にしてわたしを逃れる者はいまい。貴君は云うことができまい。むしろ、万事は平和に満ち、万民は法習〔の主人〕、自由は鮮明、民主制は確実、婚姻は蹂躙されることなく、子どもたちは恐れなく、処女たちは安全、都市は共通の幸運を祝っている。それで、これらすべては誰のおかげか。あれを阻止したのは誰で、これを推進したのは誰か。万一、わたしより先に栄誉を与えられるのが義しい者が誰かいるとするなら、わたしは褒美を辞退し、賜物を放棄しよう。しかし、わたし独りが敢行し、危険をおかし、上ってゆき、懲らしめ、お互いに復讐して、万事を為し遂げたのなら、わたしの成就を貴君が中傷するのはなぜなのか。わたしに対して民衆を恩知らずなものにするのはなぜなのか」。

 [11] 「おまえは、僭主そのものを殺害したのではないからだ。法が賜物を与えるのは僭主殺しに対してだ」。しかし、何が違うのか、わたしに云ってくれ、彼を亡き者にすることと、死の原因をもたらすことと。というのは、違いは何もないとわたしは思うからだ。いや、立法者が見ていたのは、ただ、自由、民主制、恐るべき事態からの解放、これのみであった。〔立法者は〕これを栄化し、これを恩返しにあたいすると解し、それはわたしによって出来したのと違っては貴君は云うことができないものだ。なぜなら、わたしが殺害したことが原因で、あの者が生きながえられなかったとすれば、当のわたしが血祭を遂行しことになろうから。殺人はわたしのしたことだが、手はあの者のものだ。だから、命終の仕方についてもうこれ以上厳密な吟味はやめにして、どのように死んだかも詮索はやめにして、もはや存命しないのかどうか、存命しないことがわたしのおかげであるのかどうかを〔吟味せよ〕。さもなければ、貴君はあのことに難癖をつけ、善行者たちを誣告しているようにわたしに思われる。ひとが剣によるのでなく、石とか樹とか他の仕方で殺した場合にはね。

 ではどうか、僭主を飢餓で攻囲し、命終の必然をもたらしたとしたら、その時も貴君はわたしに自分の手での血祭を要請するだろうか、あるいは、法的に欠けるところがあるとわたしに言ったろうか。犯人がもっとむごたらしく殺害されたとしても。ただ一点を徹底吟味し、これを要請し、これをお節介せよ。生き残るのは、邪悪な者たちのうち誰か、あるいは、恐怖のいかなる予想か、あるいは、災難のいかなる心覚えか、を。もしも万事が清浄で、平和的であるなら、為し遂げられた事柄の方法を用いて、苦労して得られた事柄に対する賜物を略取しようとするのは、誣告者のすることである。

 [12] さらに、わたしは、法習の中に次のことが宣明されていることをも記憶している(ただし、久しい奴隷状態のせいで、それらの中に述べられていることを忘れてしまっていなかったとしたらだが)、死の責任は2つ、自身が殺したのではなく、手で行動をしでかしたのでもなくても、強制し、殺人の起因をもたらした場合は、法はその当人にも等しい懲罰の報いを要求する — きわめて義しいことだ。なぜなら、免責のせいで為されたことに劣ることを望まないからである。???それゆえ、血祭の徹底吟味は実際余計なことである。

 次に、こういうふうに殺した者をば、貴君が人殺しとして裁き、断じて無罪釈放しようとはしないのに、これと同じ仕方で都市に善く為した者をば、貴君は善行者に等しいことにあたいするとみなそうとはしないのか。[13] それは、貴君が次のことを云うこともできないからだ。わたしはそれを単に為したのだが、わたしにそのつもりはなかったのに、思いがけず有用な結果のようなものがついてきたのだと。より強い者が殺されたとき、なおわたしが恐れたのはいったい何であったか。出来することを全く予想しなかったとしたら、血祭の場に剣を残したのはなぜか。死んだのは僭主ではなく、その名称さえもたず、もし死んだら、諸君は多大な賜物を喜んで与えることもないということ、これを貴君が云うことが出来ないとしたらだが。しかし貴君は云うことができまい。

 次に、その僭主が殺されたのに、血祭の原因をもたらした者に貴君は賜物を与えないつもりのか。貴君の関心は、どのように〔僭主が〕死んだかにあるのは、貴君が自由を享受しているからであって、民主制を取りもどした者に、何か余計なことを追加要求するのか。「けれども法は」と貴君は謂う、「為し遂げられた事柄の要点を徹底吟味し、途中経過はすべて放置し、それ以上のお節介はしない」。何だって? 僭主を追放しただけで、僭主殺しの名誉を得た者もいたのではないか。実際それは義しい。なぜなら、その者も隷属の代わりに自由をもたらしたからだ。しかしわたしのおかげで出来したことは、追放ではなく、第二の叛乱の期待でもなく、完全なる打倒、家系全体の断絶、あらゆる恐るべきことの根こそぎの廃滅であった。

 [14] どうかわたしのために、神々にかけて、もしよいと思われるなら、もはや、始めから終わりまですべてを徹底吟味していただきたい。法にかなった事柄のうち取り残されたことがあるかどうか、僭主殺しに備わるべき要件に欠けるところがあるかどうかを。先ず第一には、高貴で、都市を愛し、共同体のために危険をおかそうとし、自らの死によって多衆の救済を購おうとする意志(gnwvmh)をこそ持つべきである。それで、はたして、わたしはその点で欠け、軟弱になったであろうか、あるいは、途中の危険を何か予見して臆したであろうか。貴君は云うことができまい。そこで、この点にしばし踏みとどまって、これを意志し企てたということだけを考えてもらいたい。結果は有用なものでなかったにしても、少なくとも考えだけを根拠にしてわたしが善行者として褒賞を受けることを要求するという場合。わたしが出来ず、わたしの後で他の人が僭主殺しをしたとき、わたしに云ってくれ、提供するのは無道理であるか、あるいは、愚かであるか。とりわけ、わたしがこう言ったとしたら、「諸君、わたしは企てた、意志した、手がけた、試行した。思いつきのみで、わたしは名誉を授けられる価値がある」と。そのとき、わたしはいかに答え得るか。

 [15] しかし今は、そういうことをわたしは謂っているのではなくて、現にわたしは〔アクロポリスに〕上り、危険をおかし、若者を血祭する前に無数のことを実行した。というのは、事はそれほど容易であったと諸君は想像してはならないし、気軽であったとも想像してはならない — 護衛所を越え、槍持ちたちを制圧し、これほどの連中を1人で敗走されることが。いや、僭主殺しにおけるほとんど最重要事、事業の要点はここにある。というのは、実際、強大で、征しがたく、打ち勝ちがたいのは、僭主本人ではなく、僭主制を護持し維持しているものらであり、ひとがこれに勝利すれば、その人は万事を達成し、残るところはわずかである。もちろん、僭主たちにまで接近することがわたしに許されていたわけではない。彼らを取り巻く護衛や槍持ちたちを制圧し、あの連中全員にも前もって勝利するまでは。さらに付け加えることは何もなく、もう一度この点に固執します。〔すなわち〕わたしは番所を制圧し、槍持ちたちに勝利し、僭主を、護衛なし、武器なし、裸にもどしたのである。このゆえに名誉にあたいすると貴君に思われるか、それとも、わたしからなおも殺人を返還要求するのか。  [16] いや、貴君が殺人を求めたとしても、それが欠けていることもなく、わたしが血塗られていないわけでもなく、わたしが遂行したのは、偉大で高貴な血祭である。その対象は、盛りにあり、万人に恐れられた青年、この者のおかげであの者〔僭主〕も策謀されることなく、この者のみによって無事であり、多衆ではなく槍持ち断ちを支配した者であった。それなのに、はたして、おお、貴君よ、賜物にはあたいせず、これほどのことの代償にわたしは名誉も授けられないのか。はたしてどうか、もしもわたしが槍持ちひとりを、またどうか、もしもわたしが僭主の従僕のような者を殺したとしたら、またどうか、もしも高価な従僕を〔殺したとしたら〕。これだけのことでさえ、大いなることと思われたのではないか。上っていって、アクロポリスの中央で、武装者たちの真ん中で、僭主の友人たちの一人の殺人を遂行することは。しかし今は、殺害された当の者を見よ。それは僭主の息子であった、というよりは、僭主よりも難しい者、無慈悲な主人、もっと残忍な懲罰者、もっと暴力的な暴行者。しかし最も重要なのは、彼があらゆることの相続者であり継承者であり、われわれの災難を久しく延長させることの可能な者だということだった。

 [17] よろしければ、僭主が亡命してまだ生きながえているということ、たったこれだけのことがわたしによって為し遂げられたとするか。もちろん、そのことの謝礼に褒賞をわたしは要求する。諸君は何と謂うか。与えるのではないか。あの者〔息子〕をも見過ごさなかったか。主人ではなかったか。残忍ではなかったか。堪えがたいやつではなかったか。

 しかし今は、要点そのものにこそ思いを致していただきたい。というのは、この御仁がわたしから返還要求していること、それをわたしは可能な最善の仕方で完遂したのであり、わたしが僭主を、別の殺人で殺したのであって、直接にではなく、一撃によってでもなかったが、それこそがやつにとっては、あれほどの不正事への報いとして最も願わしいことであったのだ。いやむしろ、多大な苦痛で〔わたしが〕あらかじめ拷問し、最愛のわが子が哀れげに横たわっているのを目の当たりにさせてだ。年頃にある、邪悪ではあっても、もちろん盛りにあり、父親そっくりの息子が、血潮と汚れに満たされているのを。これは父親たちの傷であり、これは義しい僭主殺したちの剣であり、これは残忍な僭主たちにふさわしい死であり、これはそれほどの不正事に当然の報い(timwriva)である。これに対し、まっすぐに死ぬこと、何も知らぬこと、そういった光景を何も見ぬことこそ、僭主にふさわしい懲罰に値することを何も持たぬ。

 [18] わたしは知らなかったわけではないのだよ、おお、貴君よ、わたしは知らなかったわけではなく、他の人たちも誰ひとり知らない者はいなかった、あいつが息子にどれほどの好意(eu[noia)を持っていたか、わずかな時間さえ、かれ〔息子〕よりも生きながらえることに価値を認めないということを。というのは、父親たちはわが子に対しておそらくみなそういうものであるが、彼の場合は、他の者たちよりもかなり過剰なものを持っていた。尤もなことだ、あの者〔息子〕ひとりを気遣ってくれる者、僭主制の守護者と見、彼ひとりを父親の前衛、支配に安全性をもたらす者と〔見ていた〕のだから。その結果、好意(eu[noia)によってではないにしても、絶望によって、彼はすぐに死んでしまうことをわたしは知った。わが子に由来する安全性を奪われた今、もはや生きていても何の益もないと思量するからだ。そこで、一挙に彼を取り囲んだ。ありとあらゆることで — 〔彼の〕自然本性、悲痛、絶望、恐怖、将来の〔災難〕……。これらの災禍を彼に適用し、あの最期の考察へと強制した。彼は諸君のために子なきまま死んだ、苦しみつくし、悲しみつくし、落涙し、短時間ではあるが、しかし父親には充分な〔時間〕悲嘆にくれて。そして、最も恐ろしいことには、それはわれとわが手による〔死〕、諸々の死のうちで最も哀れな〔死〕、他人の手で起こる場合よりははるかに困難な〔死〕であった。

 [19] わたしの剣はどこにあるか。まさか他の誰かがそれを見分けることはあるまい。まさかそれが他の誰かの武器ということはあるまい。それをアクロポリスに持って上がったのは誰か。僭主に先んじて使ったのは誰か。これをあの者に揮ったのは誰か。おお、剣よ、わたしの成就の共有者、継承者、これほどの危難にもかかわらず、これほどの殺人にもかかわらず、われわれは蔑ろにされ、賜物にあたいしない者と思われようとは。もしも、この〔剣〕ひとつのために、わたしが諸君から栄誉を要求したなら、もしもわたしがこう言ったら、「諸君、件の僭主が死のうとし、その折も折、武器なしで残されたとき、わたしのこの剣が奉仕し、自由の目的に向かってあらゆる意味で協働した、これこそ栄誉と賜物にあたいするとみなせ」と〔言ったら〕、そういうありふれた所有物の主人を代理とするのではないか。善行者たちの中に登録するのではないか。その剣を神聖な器物の中に奉納するのではないか。神々とともにそれをも跪拝するのではないか。

 [20] 今、わたしのために思いを致していただきたい、僭主が、尤もなことだが、どんなことを為し、そして命終の前に、どんなことを述べたかに。つまり、〔僭主の息子は〕わたしによって殺害され、身体の目に見えるところを何カ所も傷つけられ、それはわたしが、生みの親を最高度に苦しめられるように、それは、一目見て〔心を〕引きちぎられるようにしたのだが、彼〔僭主の息子〕の方は悲嘆の叫びをあげた。大声で親に呼びかけながら、しかしそれは助けを求めてではなく、共闘を呼びかけてでもなく — というのは、老人であり弱体であったから — 、自らの災悪の目撃を求めてであった。もちろんわたしは立ち去った。悲劇全体の作者となり、役者には死体と舞台と剣と、演劇の残りの部分を残して。そこであの者が登場し、独り息子が、息も絶え絶えの、血にまみれた、殺人の血に満たされたのと、傷はびっしりと数多く、生々しいのを目にして、こう叫んだ。「わが子よ、われらはやられた、われらは殺害された、われらは僭主殺しの手にかかった、血祭の執行者はどこにいる。何ゆえにわしをそのままにしておくのか。何ゆえにわしを生かしておくのか、わが子よ、おまえのために死人も同然のわしを。それとも、もしかして老いぼれだと馬鹿にしておるのではあるまいか、また引き延ばしによって(罰を与えねばならぬのだから)、わしに対する殺人を引き延ばしもし、わしに対する血祭を長引かせもするのではあるまいか」。

 [21] 実際こう言いながら、彼は剣を探した。というのは、万事をわが子にまかせていたので、彼自身は武器なしだったからである。しかし、それに事欠くこともなかった。それもわたしに前もって用意されており、来たるべき敢行のために残されていた。そこで血祭の傷口から剣を引き抜くと、「少し前には、わしを殺した、今は休息を与えよ、剣よ。悲嘆にくれる老人を慰めに来たれ、老いたる不仕合わせな手の助太刀をしてくれ。喉笛を掻き切り、僭主殺しとなり、この悲嘆から解放してくれ。おまえに出くわしたのが最初にしろ、殺人の順序を先取りしたにしろ。わしはもはや死んだ、いや、ただの僭主として、いや、仕返しをすべきだとしなおも考えながら。今は子なき者として、今は人殺しの術さえなき者として」。実際、これらを言うと同時に、震えながら、血祭〔急所の一撃〕を見舞った。〔しかし〕できなかった。欲してはいるのだが、敢行に奉仕するには力が弱かったからである。

 [22] そこにいかほどの懲罰があったか。いかほどの傷があったか。いかほどの死があったか。いかほどの僭主殺しがあったか。いかほどの賜物があったか。そして終に、諸君がみなすでに目にされたとおり、若者は前に横たわり(仕事は小さくもなければ、征服しやすいものでもない)、老人の方は、そのまわりに横たわり、両者の血が(自由と祝勝のあの奠酒として)混ざり合っているのを。〔これこそ〕わたしの剣の為業である。まさに、剣そのものは両者の真ん中にあって、持ち主の無価値ならざる事が生起したことを見せつけ、信実わたしに奉仕したことを証言しているのを〔諸君がみなすでに目にされた〕。これはわたしによって起こったことだが、それほど大したことではなかった。しかし今は、新奇さゆえにより輝かしいことである。実際、僭主制全体を打倒したのはわたしである。しかし行動は、演劇におけるように、多衆に配分されている。そして主役を演じたのはわたしであり、第二の役は僭主その人であり、剣は全体に奉仕したのである。

2012.06.18. 訳了。

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