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ルゥキアーノスとその作品

ハルモニデース

+ArmonivghV
(Harmonides)





[解説]
 後援者に援助を求める懇願。ハルモニデースとティモテオスの物語は、おきまりのおべっかに勢いをつけている。(K. Kilburn)


"t".1
ハルモニデース

 [1] 笛吹きハルモニデースが、あるとき、自分の師匠であるティモテオスに尋ねました。「ぼくに云ってください」と彼は謂いました、「おお、ティモテオス、どうしたら、この術知で有名になれるのでしょうか。つまり、何をしたら、ぼくをヘッラス人たち全員が知ってくれるのでしょうか。というのは、その他のことは、ご親切にも、すでにぼくにご教授くださいました。つまり、笛の精確な調律の仕方、〔笛の〕舌への微細かつ協和的な息の吹きこみ方、ピクノンをそっと上げ下げすることによる指の当て方、律動的な音程の取り方、合唱舞踏隊に合わせた音律の合わせ方、各々の固有の旋法の遵守の仕方 — プリュギア調の神々しさ、リュディア調のバッコス的熱狂、ドーリア調の厳かさ、イオーニア調の優雅さ — 。これらすべては、じっさい、あなたから学んできたものです。しかし、最も重要なこと、つまり、笛吹き術をぼくが渇望する所以のもの、どうすればこれによってぼくに付け加わるのかをぼくは見出していないのです。つまり、多衆から受ける名声、大衆の中において著名となり、指さされ、ぼくがどこかに現れれば、すぐにみんながぼくの方に振り向き、これがあのハルモニデース、最善の笛吹きと、その名を言う〔という名声が〕。ちょうど、あなたも、おお、ティモテオス、初めて家郷ボイオーティアから出てきたときのように、『パンディーオーンの娘たち』の伴奏をし、『狂えるアイアース』で勝利して、同名の人があなたのために音楽を作ったので、テーバイ出身のティモテオスというその名を知らない人は誰ひとりいないように。それどころか、今もあなたが現れるところでは、皆があなたの方に押し寄せるさまは、梟の方に小鳥たちが〔押し寄せる〕よう。これこそが、笛吹きになることを祈念した所以であり、多大な苦労をなしてきた理由なのです。笛を吹くことそのことは、それによって有名になることが無名のぼくに付け加わるのでなければ、受け容れなかったでしょうし、たとえマルシュアースとかオリュムポス〔プリュギアの笛の名手〕になれるとしても、世に知られないなら〔ぼくは受け容れなかったでしょう〕。なぜなら、何の益もない、と謂われます、音楽も口にいわれず、目に見えなければ、と。さあ、あなたは」と彼は謂いました、「これらのこともぼくに教育してください。ぼくはぼく自身とこの術知とをいかに用いるべきなのかを。そうすれば、あなたに二重の感謝を申し上げます。笛を吹くことに対してと、そして最も重要なことですが、それの名声に対してと」。

 [2] そこで、これにティモテオスが答えます。「いや、おお、ハルモニデース、おまえが恋いこがれているのは」と彼は謂いました、「よいか、小さなことにではない。称讃と名声、つまり、有名になり、多衆に認知されること〔を恋いこがれる〕というのは。だが、これを、大衆の前に進み出て、演示するというような仕方で手に入れたいと思うのなら、長い〔仕事〕になろうが、そういうふうにしても、皆がみなおまえを知ることになるわけではない。というのは、どこに見出されようか、おまえがヘッラス人たち全員に笛を吹いてみせられるほど、それほど大きな劇場とか競技場が。しかし、どうすれば、彼らに認知され、祈念の目的に達するのか、わしはこれもおまえに教示しよう。すなわち、おまえは折りをみて劇場ででも笛を吹け、しかし多衆のことはあまり気にするな。これこそが、栄光へ至る最短にして最も容易な道である。というのは、ヘッラスの人たちのうち、最善にして、その最も少数の人たち、つまり、巨頭にして、まごうかたなき最も讃嘆すべき人たち、そして両方において信用に足る人たちを選抜して、わしが謂うのは、この人たちに笛の演奏を演示して、この人たちがおまえを称讃するならば、すでに全ヘッラス人たちにかくも短時間に周知される者となったとみなしてよいからだ。そして、わしがいかなる構想をもっているかを見るがよい。すなわち、全員が知った者たち、そして、驚嘆する者たち、この人たちが、おまえを笛吹きとして好評を博した者だと知ったなら、どうしておまえに多衆が必要であろう。彼らは、より善い人と判定することのできる者たちにいつも従う人たちなのだから。この大衆こそが多数であり、彼らは何がより善いかには無知であり、彼らの多数は職人であるので、声望のある人たちが称讃する相手なら、その人は無根拠に(ajlovwV)称讃されているのではあるまいと信じる。だから、自分たちもまた称讃するのである。というのも、実際、諸々の競い合いにおいても、多くの観衆は、いつ拍手し野次るべきかは知っているが、判定するのは、七人か五人か、せいぜいそれぐらいなのだから」。

 [3] このことを、ハルモニデースは実行するに至りませんでした。なぜなら、笛を吹いている最中に、世人の謂うところでは、初めて競い合いをしているとき、より愛名的な息を笛に吹きこみつつ、息を引き取り、花冠を受けないまま、舞台で死んだからです。ディオニュシア祭における彼の笛の演奏は、最初にして最後だったのです。

 しかしながら、ティモテオスの言葉は、笛吹きたちのためや、ましてハルモニデースのためだけにではなく、何か公的な演示による名声を渇望するかぎりの、多衆からの称讃を求める人たち全員に述べられたようにわたしには思われます。例えば、わたしはといえば、わたし自身も自分の〔作品〕について同等のことを意図するとき、ティモテオスの言葉にしたがって、この都市の中で最善の人はだれか、自余の人たちが信じ、あらゆる人たちを代表して満足する人は誰かを観察するでしょう。そういうふうにした挙げ句、きっと貴下こそが義しい言葉をもってわたしたちに明らかとなるにちがいありません、まさしくあらゆる徳の筆頭であり、世に謂う定規、そういったことどもの正しい規準である、と。ですから、貴下にわたしの〔作品〕をお示しし、貴下がこれを称讃してくだされ — 明らかにそうなりますように! — そのときこそ、わたしは一票でもって全票を得るのですから、希望の目的に達しうるのです。さもなければ、貴下をさしおいて誰を選べば、わたしが気違いであると義しくみされないですむでありましょう。したがって、言葉のうえでは、わたしたちは1人のひとに賭けて骰子を投げるのですが、真実には、全方面の人たちを共通の劇場に集めて、言葉〔作品〕を演示しているようなものなのです。なぜなら、明らかなのは、個別にであれ一緒にであれ、集められた全員よりも貴下ひとりの方が善い人なのですから。ラケダイモーン人たちの王たちでさえ、自余の人たちは各人が1票を持っているときに、あの人たちだけは、その各々が二票を持っているにすぎないのに、貴下は監督官たちの持ち票をも長老たちの持ち票をもそれに加え、要するに、教育においては、貴下は全員の多数票の持ち主であり、なかんずく、救済をもする無罪票を持っておられるからにはなおさらのこと。これこそが、現在、わたしを勇気づけているのは、無礼千万さゆえに恐懼するのがすこぶる義しいからであります。さらにまた次のことも、ゼウスにかけて、これもまた勇気づけてくれるのは、わたしのことは貴下にとってまんざら他人事ではないということ、貴下がしばしば、第一には私的に、第二には全族民を含めて公的に、善行をなしてきたところのあの都市の、わたしが出身であるからです。ですから、今も万一わたしにとっての票数が言葉〔=数〕において少数派に傾き、よりよい票が少数であったなら、貴下がアテーナーの〔票〕を加算して、不足分を貴下自身の力で満たして、矯正はみずからの〔仕事〕と貴下に思われるようにしてください。

 [4] というのも、多衆が、以前、讃嘆したとしても、わたしにとってはそれで充分なわけではなく、すでにわたしが有名だとしても、諸々の言葉〔作品〕が聴衆から称讃されているとしても、それらすべては、世に謂う、虚しい夢、称讃の影にすぎません。真実は現在に示されるでありましょう。これがわたしの作品の精確な基準(o{roV)であり、もはや何らの疑念なく、当惑するようなこともなく、みなされなければならないのは、教養の方面において最善者と、少なくとも貴下に思われるか、あるいは、あらゆる人たちに — しかし口を慎まなければなりません。かくも大きな競い合いに取りかかっている〔わたし〕は。なぜなら、おお、神々よ、わたしたちは言葉にあたいする者と受け取られますよう、そして、自余の人たちからの称讃をわたしたちに確実なものとしてくださいますよう。さすれば、以後、勇気を出して多衆に立ち向かえましょう。なぜなら、すでにいかなる競技場も、オリュムピア祭で大賞を勝ち取ったひとに恐れをいだくことは少ないでしょうから。

2012.01.25. 訳了。

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