ルゥキアーノスとその作品
海神たちの会話
(=Enavlioi Diavlogoi)
(Dialogi marini)
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[解説]
この会話集は、ルゥキアーノスの最も魅力的な作品群の1つである。その霊感を主に詩から(例えば、『オデュッセイア』、『イリアース』、ホメーロスの『ディオニューソス讃歌』、テオクリトス、そしておそらくはモスコス)汲んでいるらしいにもかかわらず、彼はまた時々目にしたことのある絵画のことを考えているらしい。(M. D. Macleod)
"t".1
海神たちの会話
1
ドーリスとガラテイアとの〔会話〕
ドーリス
[1] 美しい愛者が、おお、ガラテイア、このシケリアの羊飼いが、貴女に血道を上げてるんですってね。
ギュスターヴ・モロー「ガラテイア」
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ガラテイア
莫迦にしなさんな、ドーリス。彼はポセイドーンの息子さんよ、どんな殿方であろうとね。
ドーリス
どうしてよ。たとえゼウスご本人のお子さんだとしても、あんなに野蛮で毛むくじゃらの見てくれではね。それに、何よりもいやらしいのは、一つ目でしょう。器量よりも生まれが何か彼の役に立つと思って?
ガラテイア
あのひとの毛深さや粗野さを貴女は謂うけど、不器量じゃないわ だって男らしいのですもの 眼だって額にお似合いよ。二つあるのと同じくらい不足なく見えるんですもの。
ドーリス
どうやら、おお、ガラテイア、ポリュペーモスは貴女の愛者じゃなくて、愛人〔ガラテイアに恋される者〕のようね。貴女が彼をほめあげているところからすると。
ガラテイア
[2] 愛人とかいうんじゃなくて、貴女がたのそのひどい難癖が我慢ならないの。わたしには貴女がたは妬みからそんなことをするように思えるの。だって、彼はかつて放牧していて、アイトナ山の支脈の間にある浜 山と海との間に渚が延びているところよ あそこで、あたしたちが遊んでいるのを見張り台から見て、あなたたちには目もくれず、わたしだけが、みんないる中で最も美しいと思われたの。そしてわたしにだけ目を注いだのよ。そのことが貴方たちにはいまいましいのだわ。わたしはより善くて愛される価値があるけれど、貴女がたは無視されたという証拠なんでもの。
ドーリス
羊飼いの、それも眼のいがんだものに貴女が美しいと思われたからって、羨ましがられると思ってんの。いずれにしても、貴女の中にほめられたことが何かあって。白いってことだけじゃない。それに、思うんだけど、彼のお馴染みはチーズや乳だってこと。だから、それらに似たものは何でも美しいと思えるのよ。[3] ほかのことはいざ知らず、貴女の見た目がどんなか知りたければ、どっかの岩の上から、凪のときに、水の中を覗いて自分を見るがいいわ。まるで色が白いほか何もないんだから。そんなことはほめられたことじゃないわ。それを引き立てるために紅もなくっちゃね。
ガラテイア
たしかに、わたしはどうしようもなく白いかも知れないけれど、愛者としてあの方を持っているけど、貴女たちの中には、羊飼いとか船乗りとか渡し守とかが讃えてくれる人はいないでしょ。ところがポリュペーモスは、ほかでもとりわけ音楽的なのよ。
ドーリス
[4] 黙ってちょうだい、おお、ガラテイア。わたしたちは彼が歌うのを聞いたことがあるわ。以前、あなたのためにセレナーデを歌うのをね。愛しきアプロディーテーさま! ひとはロバがいなないていると思ったことでしょう。それに当のリュラはどうだったでしょう。肉の削げ落ちた牡鹿の頭蓋骨。角が〔リュラの〕腕のようになっていて、これに軛にかけて、弦を結びつけ、でも木栓に巻きつけないものだから、まるで非音楽的な節を奏で、喚きたて、彼が叫ぶのとリュラが伴奏するのと別々。おかげで、あの色っぽいはずの歌に、あたしたち笑いをこらえることもできなかったわ。というのは、エーコー、あのおしゃべりさえ彼の吼え声に応えることを拒み、恥じ入ってたわ。耳障りでけったいな歌を真似てるように見られることをね。[5] でも愛しい御方は、自分にそっくりの毛むくじゃらの、熊の子の玩具を抱いてらした。だれが貴女に嫉妬しないでしょうか、おお、ガラテイア、そういう愛者をもってらっしゃるのに。
ガラテイア
だったら、貴女は、ドーリス、自分の〔愛者〕をわたしたちにご披露なさいましな。もちろん、もっと美しくて、もっと音楽家で、キタラの弾き方ももっとよくご存知の方でしょうよ。
ドーリス
いえ、わたしに愛者はひとりもいませんけど、愛しい人がいると威張りもしませんわ。で、キュクロープスがどんな殿方かといえば、牡山羊なみの悪臭を放ち、噂では、生肉をむさぼり喰い、異邦の滞留者たちを食い物にするという、そんなひとが貴女のものになって、貴女はいつでも彼を恋し返すのね。
ドーリスは、ルゥキアーノスにおいては常に、ネーレウスの娘(つまり、ネーレーイスたちの一人)であって、その妻ではない。
エウペーモスは、ポセイドーンとエウローペー(ティテュオスの娘であって、ゼウスが愛したアゲーノールの娘ではない)の子。
Galavteiaには「乳白の女」の意がある。
2
キュクロープスとポセイドーンとの〔会話〕
キュクロープス
[1] おお、お父っつぁん、忌々しい異邦人のおかげで、おいらがどんな目に遭ったことだか。やつはおいらを酔わせて、寝ているところに襲いかかって、めくらにさせただ。
ポセイドーン
そんなおおそれたことをしたやつは、誰だ、おお、ポリュペーモス。
キュクロープス
初めは自分のことをオーティス〔「誰でもない」の意〕と名乗ったけど、逃げのびて、射程の外になってからは、名をオデュッセウスと謂うとった。
ポセイドーン
おまえの言うやつを知っておる。イタカ人じゃ。イーリオンからの帰りじゃな。しかし何でそんなことをしたのかのう。大して勇敢なやつでもないのに。
キュクロープス
[2] 放牧から帰って、洞穴の中で連中をかなりたくさんつかまえたんや。明らかに家畜の群にたくらんでおったでな。というのは、戸口に蓋をして おいらは巨大な岩をもってたでな 山から持って帰った樹に火をつけようと、火を起こしとったとき、連中が身を隠そうとしているのが見えた。そこでおいらはやつらの中の数人を集めて、おそらく海賊やから、当然のことながら、むさぼり食った。そのとき、いちばん狡賢いやつが、オーティスだろうとオデュッセウスだろうと、そいつが薬のようなものを入れて、おいらに飲むよう寄越した。〔それは〕すばらしい香りがしたが、最高のたくらみごと、最高の面倒のもとやった。というのは、おいらが飲むとすぐに、何もかもがぐるぐる回っているように思われ、洞窟自体がひっくり返って、自分がわからなくなってしまって、最後には眠りに落ちてしもうた。すると、やつは、棒杭を尖らせて、おまけに焼いて、眠っているおいらをめくらにさせた。こうしてやつのおかげで、あんたのおれはめくらになったのだ、おお、ポセイドーン。
ポセイドーン
[3] さぞかし深く眠っていたんだな、おお、わが子よ、めくらにされる間に跳び起きなかったとは。ところでオデュッセウスは、どうやって逃げおおせたのだ。というのは、戸口から岩を除けられたというのが、わしにはよくわからん。
キュクロープス
いやさ、おいらが退けたんだ。やつが出て行くところをつかまえる方がいいというので。そこで戸口に坐って、両手を広げて狩りをしたんや。羊だけ放牧のために放して、雄羊には、おいらのために自分がしなければならないことをいいつけて。
ポセイドーン
[4] わかった。やつらの下に〔隠れて〕こっそり抜け出たのだな。しかしおまえは、他のキュクロープスたちに、自分を助けてくれるよう呼ぶべきだったのだ。
キュクロープス
呼び集めたで、おお、お父っつぁん、そしてやって来た。でも、誰のたくらみやと名前を尋ねるので、おいらが「誰でもない(Ou\tivV)」と謂ったら、おいらが気印だと思って帰って行ってしもた。こうやって、忌々しいやつは名前でおいらを出し抜きよった。だが、おいらを最も怒らせるんは、おいらの災難を嘲ったことや。「親父さんでも」とやつは謂った、「ポセイドーンでもおまえを治せまい」と。
ポセイドーン
元気を出せ、おお、わが子よ。やつに仕返しをしてやるから。やつは思い知るだろうて。眼の障害はわしにも治せぬにしても、事船乗りたちのことに関しては、[連中を助けるも滅ぼすも]わしの意のまま。そして、やつはまだ航行中じゃ。
キュクロープスたちは、ホメーロスにおいては、一眼の巨人族で、野蕃で乱暴で人食いの、牧畜を行う民族とされている。ここでは、ポセイドーンとニンフのトオーサの子ポリュペーモスのこと。Odyssey, IXに詳しい。
3
ポセイドーンとアルペイオスとの〔会話〕
ポセイドーン
[1] これは、どうしたことじゃ、おお、アルペイオス。海洋に流れこむ河川の中でおまえだけは、あらゆる河川の決まりと違うて、潮海と混じり合うこともせず、海を通過する間、凝縮したまま、甘き流れを守って、なおも非混合で清浄のまま、いずこか知らねど急いでおるのは。あたかもカモメやサギのように、深くもぐってのう。どうやら、どこかに頭をもたげて、もう一度おのれを現すつもりらしい。
アルペイオス
一種の色恋沙汰です、おお、ポセイドーン、だから、詮索しないでください。ご自身も恋したことがおありでしょう、幾度となく。
ポセイドーン
そなたの恋の相手は〔人間の〕女性か、おお、アルペイオス、ニンフか、はたまた潮海のネーレイスたちの一人か。
アルペイオス
いいえ、泉ですよ、おお、ポセイドーン。
ポセイドーン
して、彼女は大地のどこに流れ出ておるのだ。
アルペイオス
島の女です、シケリアの。アレトゥーサという名で彼女を〔世人は〕呼んでいます。
ポセイドーン
[2] 不器量でない女だと知っておるぞ、おお、アルペイオス、アレトゥーサならな。半透明で、妨げるものもなく湧き出で、水は小石を引き立て、その全体がそれらの上に銀のように現れ出ておる。
アルペイオス
真実あなたはその泉を知っておいでだ、おお、ポセイドーン。だからあの女のもとへ行くのです。
ポセイドーン
いざ、行くがよい、そしてこの恋に幸あれ。しかしわしに云ってくれ、どこでアレトゥーサを見かけたのか。おまえ自身はアルカディアの出だが、彼女はシュラクゥサイにいるのに。
アルペイオス
ぼくは急いでいるのに、あなたは引き留めてます、おお、ポセイドーン、余計な質問をして。
ポセイドーン
その言やよし。愛されている女のもとに去るがよい。そして海からあがり、泉と混じり合い、ひとつの水となるがよい。
アルペイオス河は、アルカディアの南東よりエーリスをへ、オリュムピアのそばを通って海に注ぐ、ペロポネーソスの大河。この河が、地下を通って、シシリア島シュラクーサイの湾にあるオルテュギアの泉となって湧きでているという古伝に取材した会話。
4
メネラーオスとプローテウスとの〔会話〕
メネラーオス
[1] いや、おぬしが水に成ることは、おお、プローテウス、納得できぬことではない。何しろ〔おぬしは〕海の出じゃからな。樹に〔成ること〕も、まだ我慢できる、さらにライオンに変身したとしても、それもやはりまったく信じられないことではない。だが、おぬしは海の中に住んでいるのに、火に成ることができるということ、こればかりはまったく驚きであり、信じられることではない。
プローテウス
驚いてはいかん、おお、メネラーオス。わしはたしかに成れるのだ。
メネラーオス
わしもこの眼で見た。しかし、わしに思われるところでは おぬしには述べねばなるまい 為業に一種の魔術を仕掛けて、見る者たちの眼を誤魔化したのだ。自分はそういったものにちっともならずにな。
プローテウス
[2] ありありと眼に見えることに、いったいどんな誤魔化しがあるというのか。わしがわが身をつくり変えたのを、おぬしは眼を開けて見ていたのではないのか。おぬしが信じず、為業は虚偽であり、目の前で起こった一種の幻想だとおぬしに思われるのなら、わしが火に成ったとき、おお、高貴な人よ、わしに手を当ててみるがよい。そうしたらわかるだろう。〔燃えているように〕見えるだけなのか、それとも、燃えていることもわしに付け加わっているのか、どうか。
メネラーオス
その試みは安全じゃないな、おお、プローテウス。
プローテウス
おぬしは、おお、メネラーオス、いまだかつてタコを見たこともなく、この魚がどんな目に遭ったかも知らないようにわしには思われる。
メネラーオス
いや、タコなら知っているが、どんな目に遭ったかは、おぬしから喜んで学ぼう。
プローテウス
[3] どんな岩であろうと、近づいていって、吸盤を密着させ、腕をいっぱいに伸ばしてしっかりしがみつき、自分をそれ〔岩〕に等しいものにつくり、岩を真似て色を変える。そうやって漁師たちに気づかれないようにするためである。〔岩と〕違わなくし、それゆえに目立つこともなく、石にそっくりだからである。
メネラーオス
そう謂われている。しかし、おぬしのは、はるかに意想外だよ、おお、プローテウス。
プローテウス
わしはわからん、おお、メネラーオス、ほかに何だったら信じてくれるのか。おぬしはおぬし自身の眼を信じないのだから。
メネラーオス
わしは目撃した。しかし、奇怪な為業じゃよ。同じ者が火と水になるというのは。
メネラーオスはヘレネーの夫、アガメムノーンの弟。トロイア陥落後、8年を経て帰郷するが、その間、ナイル河口パロス島で無風のため、20日間留まるうちに食糧がなくなった。このとき、海神プローテウスの娘エイドテアーが現れ、父神に帰国の方法を尋ねるように勧めた。
5(8)
ポセイドーンとイルカたちとの〔会話〕
ポセイドーン
[1] 善きかな、おお、イルカたちよ、そなたらがいつも人間を愛する者たちであることはな。以前には、イーノーの幼児〔メリケルテース〕をイストモスまで運んだな。スケイリアの断崖から母もろとも落ちるところを受けとめて。今も、そなたは、メーテュムネー出身のこのキタラ弾き〔アリーオーン〕を、衣裳とキタラもろとも、担いでタイナロンに泳ぎ渡った。船乗りたちに悪く滅ぼされるのを見過ごしにもせずにのう。
イルカたち
驚くことやおまへん、おお、ポセイドーン、わてらが人間たちに善く為す〔親切にする〕からというて。わてら自身も人間から魚になったのでおますさかい。ただし、ディオニューソスはんに文句をいうのんは、わてらを海戦で打ち負かして、変身させたことでおます。手下にするだけにしとくべきでおました。ほかの連中を平らげはったようにね。
ポセイドーン
ところで、このアリーオーンのことはいかようであったのか、おお、イルカよ。
イルカたち
[2] ペリアンドロスはんは、わてが思うとるんだすが、彼が好きで、その術知めあてに彼を何度も呼び寄せ、彼は彼で金持ちになったんで、僭主はんのところから家郷メーテュムナーに船旅をして、その富を見せびらかしたいと思いよった。そこである渡し船に乗りこんだんやが、それが悪いやつらで、ぎょうさんな金や銀をもっているところを見せたもんやから、アイガイオン海の真ん中に来たときに、船乗りたちが彼に謀反を起こしたんでおます。そこで彼は わては舟と並んで泳ぎながらみーんなきいとったんでおますが 「これがあんたらによいと思われていることなんやから」と彼は謂うたんでおます、「せめて、わたしが衣裳をまとって、自身のために哀悼の歌をひとつ歌うのを許してくれ。そうしたら自分からすすんで身を投じるから」。船乗りたちが承諾し、彼は衣裳をまとい、えらい鋭く澄んだのを歌い、海に落ちたんは、もちろん、たちどころに死ぬためでおましたやろ。そやけど、わてが受けとめて、ずっと彼を担いで、タイナロンまで泳ぎ抜けたのでおます。
ポセイドーン
そなたの音楽愛を誉めようぞ。聞いた〔歌に〕ふさわしい報酬を彼に払ったのじゃからな。
海賊がディオニューソスによってイルカに変身させられたことは、ホメーロス風讃歌に詳しい。
アタマースが狂って子どもらを殺したとき、妻のイーノーは末っ子メルケルテースを抱いて海に投身したが、ポセイドーンによって海の神に変えられ、イーノーはレウコテアー、メリケルテースはパライモーン(ローマのポルトゥーヌス)となった。また、2人の死骸をイルカがイストモスに運び、アタマースの兄弟でコリントス王のシーシュポスが発見して埋葬し、葬礼競技としてイストミア祭競技を創始したという演技もある。
6(9)
ポセイドーンとネーレーイスたちとの〔会話〕
ポセイドーン
[1] この海峡、あの少女〔ヘッレー〕が墜落したここは、あれにちなんでヘッレースポントスと呼ばれるがよい。その死体はそなたらが、おお、ネーレーイスたちよ、受け取って、トロイアに運べ。さすれば、土地の者らによって埋葬されよう。
アムピトリーテー
いやです、おお、ポセイドーン、むしろ、彼女の名にちなむここの海に葬られるようにしてください。わたしたちは彼女を可哀想におもっているからです。継母〔イーノー〕のせいでひどく嘆かわしいめをみた彼女を。
ポセイドーン
それは、おお、アムピトリーテー、神法に悖るぞ。とりわけ、ここらあたりの砂の下に彼女が横たわるというのは美しいことではない。いや、わしが謂ったとおり、トロイアかケッロネーソスに葬られなくてはならん。彼女にとって小さからぬ慰めとなるのは、もう少したてば、イーノーも同じ目に遭い、アタマースに追いかけられて、キタイローンの端、まさしく海に切れ落ちているところから、墜落することじゃろう。わが子〔メリケルテース〕をも腕に抱いたままな。しかし、彼女をも助けねばなるまい。ディオニューソスに懇ろにするためじゃ。というのは、イーノーは彼の養い親にして乳母なのじゃから。
アムピトリーテー
[2] あんな邪な女を〔助ける〕べきではありません。
ポセイドーン
しかし、ディオニューソスに懇ろにしないわけには、おお、アムピトリーテー、いかんのじゃよ。
ネーレーイスたち
それにしても、彼女はどんな目に遭って、雄羊から落ちたのですか。兄弟のプリクソスは安全に御していたのですか。
ポセイドーン
当然じゃ。というのは、彼は若くて、速度に張り合うことができるが、彼女は慣れないまま、思いがけない乗り物に乗って、大口開けた深みを見下ろし、肝をつぶし、と同時に熱にうかされ、飛行の激しさに目がくらみ、雄羊の角を持っていられなくなったのじゃ。それまでしがみついてたのにのう。そして、大洋に墜落したのじゃ。
ネーレーイスたち
でも、母親のネペレー〔「雲」〕が、落ちるところを助けるべきだったのではありませんか。
ポセイドーン
そうすべきじゃった。しかし、モイラはネペレーよりもはるかに強い権能の持ち主なのじゃ。
ヘッレーは(プリクソスとともに)アタマースとネペレー〔「雲」の意〕の子。イーノーはアタマースの後妻。プリクソスとヘッレーは、イーノーのたくらみで犠牲に供されんとして、ネペレーの送った金毛の雄羊に助けられたことになっているが、ある伝えでは、2人はイーノーを罰せんとして、ディオニューソスによって狂気にされ、森をさまよっているときに、ネペレーが金毛の雄羊を与えたともいわれる。
7(5)
パノペーとガレネーとの〔会話〕
パノペー
[1] ご覧になったぁ、おお、ガレーネー、昨日、テッタリアでの宴会で、エリスがどんなことをしたか。自分も酒宴に呼んでもらえなかったものだから。
ガレーネー
わたしはね、貴女たちといっしょにお食事できなかったの。ポセイドーンがわたしに命じたのよ、おお、パノペー、それだけの間、大洋を波が立たぬよう守れとね。それで、エリスは出席せずに、何をしたの。
パノペー
テティスとペーレウスは、とっくに私室に退出してたの。アムピトリーテーとポセイドーンの付き添いでね。その間にエリスが誰にも気づかれずに 簡単にできたのは、ある者たちは飲み、一部の者たちは、アポッローンのキタラ弾奏やムゥーサたちの歌に拍手喝采したり、心を傾けていたからよ 全美な林檎のようなものを酒宴の席に投げこんだ。全体純金のよ、おお、ガレーネー。「美しき女が受け取るべし」と書き添えられていたの。これが転がってきたの、まるで狙いすましたように、ヘーラーとアプロディーテーとアテーナーの間に転がったの。[2] するとヘルメースが取って、書かれている文字を読みあげたのだけど、あたしたちネーレーイスたちは黙ってたわ。あの方々がいるところで、いったい何ができたでしょう。あの方たちは、めいめい、林檎は自分のものだと言い張り、要求したわ。それで、もしもゼウスが彼女たちを引き離さなかったら、事態は殴り合いにまでなったことでしょう。しかしあの方が、「この件については、「わしが自分で審判することはせぬ」とおっしゃったのです 本当は、あの方たちは彼が裁定することを求めてらしたのですが 。「そなたらは、イーデー山に、プリアモスの子〔パリス〕のところに行くがよい。彼が、より美しいものの判定の仕方を知っておる。愛美者であるからのう。あの者が悪く審判することはあるまい」。
ガレーネー
それで、女神たちは何と、おお、パノペー。
パノペー
今日、イーデー山にいらしたと思うわ。少ししたら、誰が勝者かわたしたちに報せが届くでしょう。
ガレーネー
今貴女に謂うわ、アプロディーテーが競い合って、ほかに勝つ女(ひと)はいないでしょうよ。判定者がひどい近眼じゃないかぎりはね。
Galhvnhは「凪」の擬人化。神話は見当たらない。
8(6)
トリートーンとポセイドーンとの〔会話〕
トリートーン
[1] レルナに、おお、ポセイドーン、水を汲みに毎日やって来る処女がいます。じつに全美な娘です。もっと美しい娘を見たことがあるか、ぼくはわかりません。
ポセイドーン
自由人の娘か何ぞか、おお、トリートーン、おまえが言っているのは。それとも、水運びの下女かなんぞか。
トリートーン
違いますよ。あのアイギュプトス人〔ダナオス〕の娘です。彼女も50人のひとりで、名はアミューモーネー。というのは、何と呼ばれるのか、生まれはと、ぼくが問いただしたんです。ダナオスは娘たちに難題を課し、自分の手で何とかするよう教え、水を汲んで、怠けてほかのことをしないよう彼女たちを仕込んだのです。
ポセイドーン
[2] で、ひとりでやって来るのか。それほど長い道のりを。アルゴスからレルナまで。
トリートーン
ひとりで。アルゴスはひどく渇いた土地です〔cf. Il.iv, 171 etc.〕、ご存知のとおり。ですから、しょっちゅう水を運ばねばならんのです。
ポセイドーン
おお、トリートーン、おまえがその少女について云ったことは、わしの心をひとかたならずかき乱したぞ。
トリートーン
行きましょう。もう水運びの好機ですから。きっと、レルナに行く道のほぼ中ほどでしょう。
ポセイドーン
されば、戦車の設えをせよ。いや、それはおおいに暇がかかる。馬たちを軛につなぎ、戦車の仕度をするのはな。むしろ、おまえは俊足のイルカたちを何頭かわしのために用意せよ。それに乗れば、最も早く乗り出せようから。
トリートーン
ご覧ください、これなるイルカは、あなたのもっておられる最速のやつです。
ポセイドーン
よきかな。出立しようぞ。そなたはそばを泳げ、おお、トリートーン。……さて、レルナに着いたから、わしはここらあたりで待ち伏せしよう。そなたは見張っておれ。彼女が近づいたと察知したあかつきには
トリートーン
彼女はあなたの近くに。
ポセイドーン
[3] 美しい、おお、トリートーン、ぴちぴちの処女じゃ。いざ、われらは捉まえねばならん。
アミューモーネー
あなた、わたしを掠って、どこへ連れて行くの。人さらいですか。どうやら、叔父アイギュプトスによってわたしたちに派遣されたようね。それなら父に助けを求めます。
トリートーン
お黙りなさい、おお、アミューモーネー。彼はポセイドーンです。
アミューモーネー
あなたがポセイドーンと言うのは、なぜ。わたしに暴行をはたらくのはなぜ、おお、あなた、海の中に引きこむのですか。わたしは、もぐったら、惨めなあたしは窒息してしまいます。
ポセイドーン
心配いたすな、何も怖ろしい目には遭いはせぬ。さあ、ここにおまえの名にちなむ泉が湧き出るようにしよう。三叉鉾で岩を叩いて。波打ち際のそばにな。おまえもしあわせとなろう。姉妹たちの中でただひとり、死後も水を運ぶことはなかろう。
9(10)
イリスとポセイドーンとの〔会話〕
イリス
[1] さまよえる島〔デーロス島〕を、おお、ポセイドーン、シケリアから切り離され、今なお海中を泳ぐことになった、この島を、ゼウスの仰せです、今後は固定し、現れ出でさせよ、つまり、今後はアイガイオン海の真ん中に明らかとし、しっかりととどまるようにさせねばなりません。まったく安全に取りつけてね。これを何かに必要とされているからです。
ポセイドーン
それはやっておこう、おお、イリス。とはいえ、彼にとって何の役に立つんだ。現れ出て、もはやさまよわないってことが。
イリス
レートーがその上で出産しなくてはならないの。もう陣痛でひどいんだから。
ポセイドーン
それで、どうだと。天は子どもを産むのに充分〔の広さ〕じゃないってか。それ〔天〕がだめなら、大地はどこも、彼女のお産を受け容れられないてか。
イリス
そうじゃないの、おお、ポセイドーン。ヘーラーが、大いなる誓いで、大地をおさえてしまったの。レートーには、陣痛の受け容れを与えるなかれとね。ただし、この島だけは誓いに外れているの。眼に見えなかったものだから。
ポセイドーン
[2] あいわかった。停まれ、おお、島よ、そして深みより再び浮かびあがり、もはや沈むことなく、しかと留まり、受けとめよ、おお、至福なるものよ、兄弟の2人の生子、神々の最美なる者たちを。そして汝らは、おお、トリートーンたち、レートーをこの〔島〕に渡らせよ。ものみな凪いであれ。そして大蛇 今、レートーを恐怖もて惑乱させている をば、新生児らは、生まれるや、ただちに追跡し、母親の仇を討つであろう。されば、そなた〔イリス〕は、準備万端整いたるとゼウスに報告せよ。デーロスはとどまれり。ただちにレートーを来たらしめ、子を産ましめよ。
デーロス島は、キュクラデス群島中央の最小の島。ポセイドーンが三叉戟によってこの島を創ったという。後、この島はアポッローン崇拝の、イオーニア族の宗教的中心地となった。
イリスは、ヘルメースとともに、ゼウスの伝令役を務める。
10(11)
クサントス〔河〕とタラッサ〔「海」〕との〔会話〕
クサントス
[1] われを受け容れたまえ、おお、タラッサ、怖ろしい目に遭っている〔われ〕を。そして、われの傷を消したまえ。
タラッサ
これは何としたことですか、おお、クサントス。誰がそなたを焼き尽くしたのですか。
クサントス
ヘーパイストスが。おかげで惨めなおれは丸焼け、煮えておる。
タラッサ
一体全体、何ゆえに貴男に火を投げこんだのですか。
クサントス
このテティスの息子〔アキッレウス〕のせいです。というのは、プリュギア人たちを殺戮するのを、嘆願したけれど、〔彼は〕怒りをやめず、死体によってそれがしの流れを堰きとめたゆえ、それがしは惨めな者どもを憐れんで、〔アキッレウスを〕洪水に呑みこまんものと襲いかかった。彼が恐れをなして、戦士たちから離れるようにと。[2] このときヘーパイストスが たまたまどこか近くにいたのでしょう 炉に持てるかぎりのすべての火を、とそれがしは思ったが、要はアイトナー山にあるかぎりの火をもって
クサントス河は、トロイアの平野を流れる河。スカマンドロス河ともいう。クサントスは「黄(金)色の河」の意。Cf. Il. xxi, 211 ff.
11(7)
ノトス〔「南風」〕とゼピュロス〔「西風」〕との〔会話〕
ノトス
[1] この、おお、ゼピュロス、若い牝牛〔イーオー〕は、大洋を通ってアイギュプトの地へとヘルメースが導いておるが、ゼウスが恋に憑かれて花散らした相手か。
ゼピュロス
さよう、おお、ノトス、もとは牝牛なんぞではなく、イーナコス河の娘であった。しかし今は、ヘーラーが嫉妬のあまり、この女をかような姿に変えた。ゼウスがひどく恋しているのを眼にしたでな。
ノトス
牝牛となった今でもまだ恋しておるのか。
ゼピュロス
もちろん。さればこそ、彼女をアイギュプトスの地へと遣ろうと、泳ぎ渡る間、海に波立たせるなと、われらに下知したもうたのよ。かしこで子〔エパポス〕を産み すでに孕んでおるのよ 彼女自身も、産まれた子も、神となるよう。
ノトス
[2] 牝牛が神とな?
ゼピュロス
もちろんだ、おお、ノトス。ヘルメースが謂うには、より多くのものらを支配し、われらの女主人になられるとか。われらのうち、誰を送り出し、誰に吹くことを妨げるか、意のままに。
ノトス
さような次第ならば、気遣いせねばなるまいて、おお、ゼピュロス、すでに女主人とならるからには。さすれば、より好意を持ってもらえようから。
ノトス
やや、これは意外や意外、おお、ゼピュロス。もはや角もなく、尻尾も割れた蹄もなく、愛くるしい乙女となりおった。しかしながら、ヘルメースは何をこうむって、わが身を変えて、若者の代わりに犬面の者〔アヌビス〕になったのか。
ゼピュロス
詮索はすまいて。何を為すべきかは、あの者が〔われら〕よりもよく知っておろう。
イーオーはアルゴスのヘーラーの女神官。ゼウスに愛されたことをヘーラーに憎まれ、世界をさまよい、最後にボスポロス海峡を渡ってエジプトに至り、一子エパポスを産む。彼女から多くのギリシアの英雄の族が生まれた。彼女はイーシス女神が牛形のハトルと同一視されていたところから、イーシスと同一視されている。
12
ドーリスとテティスとの〔会話〕
ドーリス
[1] どうして泣いているの、おお、テティス。
テティス
最美な乙女〔ダナエー〕が、おお、ドーリス、父親によって長持ちの中に投げこまれるのを見たところなのよ。自分自身と、産まれたばかりの赤ちゃん〔ペルセウス〕とね。そして父親は、船乗りたちに、櫃を担ぎあげて、陸から遠く離れたら、海に投げ捨てるよう命じたの。惨めな女が、本人も赤ちゃんも滅びるようにと。
ドーリス
何のために、おお、姉さん。云ってちょうだい、何かはっきりご存知なら。
テティス
何もかもね。というのは、彼女の父親のアクリシオスは、青銅づくりの私室に投げこんで、処女として育てたの。それから 真実かどうかは云えないけれど、とにかくひとの噂では、ゼウスが黄金となって、屋根を抜けて、彼女の上に流れこみ、流れくだる神をあの女(ひと)が胎に受けて、妊娠したというわ。これを察知した父親が、粗野で嫉妬深い老人だから、激怒して、誰かに姦通されたと思って、子ども産んだばかりの彼女を長櫃の中に投げこんだのよ。
ドーリス
[2] で、彼女はどうしたの、おお、テティス、入れられたときに。
テティス
自分のためには黙っていたわ、おお、ドーリス、そして有罪判決に服したの。でも赤ちゃんは、殺さないよう助命嘆願したの。涙を流し、お祖父ちゃんにそれを示して。それがとっても美しい児なの。それが、悪いことは何も知らないものだから、海に向かってにこにこしながら。またもや眼に涙がいっぱいよ。あのひとたちのことを思い出すとね。
ドーリス
わたしにも涙を誘うわ。でも、もう亡くなったの。
ドーリス
いいえ。長持ちはまだ漂っているわ。セリポスあたりよ。あのひとたちを生かしたままね。
ドーリス
それなら、ここのセリポスの漁師たちの網に投げこんで、彼らを助けない法があるでしょうか。もちろん、彼ら〔漁師たち〕が引き上げて助けてくれるでしょう。
テティス
その言やよし、そうしましょう。彼女も幼児も亡くなってはいけないわ。あんなに美しい〔可愛い〕のですもの。
13
エニーペウスとポセイドーンとの〔会話〕
エニーペウス
[1] これは美しいことではないぞ、おお、ポセイドーン。有り体にいおう。おれになりすまして、おれの恋人〔テューロー〕をたぶらかして、小娘の花を散らした。彼女はおれによってそれをこうむったと思い、だからこそ我が身を捧げもしたのだ。
ポセイドーン
おまえが、おお、エニーペウス、お高くとまって、遅いからだ。あんなに美しい乙女が、恋に滅びて、毎日おまえのもとに通っているのに、おまえは目もくれず、彼女を苦しめて喜んでいた。彼女の方は、土手のあたりをさまよい、降り立って、時には沐浴しながら、おまえに巡り会うことを祈っておったが、おまえを彼女にしらんぷりをしておったからのう。
エニーペウス
[2] だからどうだというんだ。だからって、あんたが恋心をかっさらって、ポセイドーンじゃなくてエニーペウスのふりをして、テューローのようなうぶな乙女をたらしこんでいいとでも。
ポセイドーン
嫉妬しても後の祭りぞ、おお、エニーペウス、前にはお高くとまってたくせに。テューローは何も怖ろしい目には遭うとらん。おまえによって花を散らされたと思うとるのやから。
エニーペウス
違うやろが。あんたは、立ち去るとき、わしはポセイドーンだと謂ったのだから。それが彼女をとてつもなく苦しめた。おれもそれで不正された。この時あんたは、おれの〔愉しむはずの〕ことを愉しんだ。沸きたつ大浪でまわりを囲い、これであんたらをともに隠すと同時に、小娘と交歓して。おれの代わりにな。
ポセイドーン
然り。というのは、おまえが拒んだからだよ、おお、エニーペウス。
Odyssey, XI, 235 ff.参照。
14
トリートーンとネーレーイスたちとの〔会話〕
トリートーン
[1] 貴女がたの海獣は、おお、ネーレーイスたち、ケーペウスの娘アンドロメダーに差し向けたやつは、貴女がたの意に反し、少女に不正することもなく、おのれもすでに死んでしまいました。
ネーレーイスたち
誰のせいで、おお、トリートーン。それとも、ケーペウスが、餌のように乙女を前に置いて、襲いかかって殺したのですか。待ち伏せして、大いなる力をふるって。
トリートーン
違います。貴女がたがご存知だと思いますが、おお、イーピアナッサ、ペルセウスを。ダナエーの幼児の。母親とともに長持ちの中に入れられ、海に投げこまれた。母親の父によって。これを貴女がたが助けたのでした。彼らを嘆いて。
イーピアナッサ
知っています。あなたが誰のことを言っているか。当然、今では、見た目に非常に高貴で美しい若者になっていることでしょう。
トリートーン
そのひとです。海獣を殺したのは。
イーピアナッサ
何ゆえに、おお、トリートーン。そもそも、救い主のわたしたちに、彼がそんなしっぺ返しをするはずはないでしょうから。
トリートーン
[2] ぼくが貴女がたに、起こったとおりをすべてお話ししましょう。このひとが、一種の褒賞を王〔ポリュデクテース〕にもたらすため、ゴルゴーンたちの征伐に派遣され、リビュアに着いたとき
イーピアナッサ
どういうわけで、おお、トリートーン? ひとりで? それとも、他の共闘者たちをも連れて? さもなければ、その道程は難しいでしょうから。
トリートーン
空中を通り抜けてです。というのは、アテーナーが彼に飛行沓を授けたからです。さて、彼女たちが暮らしているところにやって来ると、彼女たちは眠っていた、とぼくは思います。そこで彼はメドゥーサの首を切り取り、飛翔して去りました。
イーピアナッサ
どうやって見たの? 彼女たちは観られることはないでしょうから。さもなきゃ、目にしたら、彼女たちの後には、ほかに何も目にすることはできないでしょう。
トリートーン
アテーナーが楯に映して これらのことは、後に、彼がアンドロメダーやケーペウスに説明するのを聞いたのですが アテーナーが楯を鏡のようにして、その上にメドゥーサの姿を映して、見えるよう彼に提供したのです。そこで、左手に髪の毛をつかんで、映像を覗きこみながら、右手に三日月刀(a{rph)を持って、彼女の首を切り離し、姉妹たちが起きる前に、飛び立ったのです。[3] ところが、ここアイティオピアの海岸に至り、すでに地表近く飛んでいると、アンドロメダーがとある突き出た岩の上に釘付けされて晒されているのを目にしたのです。最美の、おお、神々よ、髪の毛を垂らし、胸から下はほとんど裸体の彼女を。初めは、彼女のめぐりあわせを歎き、刑罰の理由を問いただし、少しずつ恋心に捉えられ 少女は救われねばならなかったので 助けようと決心したのです。そして、海獣が襲いかかってきて あな、恐ろしやな アンドロメダーをひと呑みしようとしたとき、この若者は空中に浮かんだまま、抜き身の三日月刀を〔右〕手に持ちつつ、〔左〕手でゴルゴーンを突きだし、それ〔海獣〕を石に化し、たちどころにそれは殺され、それの大部分、メドゥーサを見たかぎりの部分は石化したのです。そこで彼は処女の鎖を解き、手を下に差し伸べて、つるつるした岩から降りるのを受けとめ、今まさに、ケーペウスの館で結婚して、彼女をアルゴスに伴い行き、その結果、死の代わりに並々ならぬ結婚を見出すところです。
イーピアナッサ
[4] わたしとしては、起こったことにあまり腹が立ちません。というのは、少女がわたしたちに何か不正したでしょうか。彼女の母親は別ですが。威張りくさって、〔わたしたち〕より美しいと強弁したのですから。
ドーリス
少なくとも母親として、娘のためにとても苦しんだのですものね。
イーピアナッサ
もはや根に持ちますまい、おお、ドーリス、あの人たちのことは。異邦の女が、分を超えておしゃべりしたってことは。わたしたちに充分な償いをしたのですから。子どものために恐怖を味わったということで。それでは、婚礼を言祝ぎましょう。
海獣(to; kh:toV)は、クジラ、サメ、イルカ、アザラシ等、とくにマグロを指す。
アンドロメダーの母親はカッシオペイア。カッシオペイアが、ネーレーイスたちより美しいと誇ったので、彼女らは怒ってポセイドーンに訴え、海神は怪物をやって王国を荒らした。アムモーンの神託によって娘を人身御供にすることを強いられ、王はアンドロメダーを岩に鎖で縛った。
15
ゼピュロスとノトスとの〔会話〕
ティチアーノ「Rape of Europa」
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ゼピュロス
[1] いまだかつて、海上でこれほど壮大な行列をそれがしは見たことがない。わしが生まれ、吹き始めて以来な。ところでおぬしは見なかったのか、おお、ノトス。
ノトス
それは何かの、おぬしが言うておる行列とは。それとも、練り歩いたは誰々だったのか。
ゼピュロス
このうえなくすばらしい見物をおぬしは逃したのだ。かつてに他に観たこともないようなのをな。
ノトス
というのは、紅海で働いておったからだよ。インドの方面にも、その地方の海沿いだけだが、吹き送ってな。それで、おぬしが言うのを何も知らんのじゃよ。
ゼピュロス
しかし、シドーン人アゲーノールぐらいは知っておろう。
ノトス
うむ。エウローペーの父親をな。むろんじゃ。
ゼピュロス
ほかならぬあの女についてそなたに説明しよう。
ノトス
まさか、ゼウスが久しく少女の愛者だということではあるまいな。そのことならずっと以前から知っておる。
ゼピュロス
むろん、恋の件は知っておろうが、その後の経緯を今は聞きたまえ。[2] エウローペーは、戯れながら、海辺に降りてきた。同輩の女たちと連れだってな。ゼウスはわが身を牡牛にやつして、彼女らといっしょに戯れた。最美なものと見られながらな。というのは、純白で、角は曲がり具合よろしく、眼はやさしかった。さて、彼も海岸を跳びはねて、このうえなく気持ちよく咆えるので、エウローペーは大胆にも彼の上に乗りさえした。ところが次に起こったことは、ゼウスは走って海に向かって突進し、彼女を連れたまま、飛びこんで泳ぎだした。彼女は事態にひどく肝をつぶし、左手には、振り落とされないよう、角をつかみ、右手では、風にあおられるペプロスをおさえておった。
ノトス
[3] それはすばらしい見物を見たものだ、おお、ゼピュロス、それも色恋のな。ゼウスが泳ぎ、愛される女を運び去るとは。
ゼピュロス
いや、それどころか、その後で起こったことは、はるかにもっとすばらしいぞ、おお、ノトス。というのは、海はすぐさま波が消え、凪を誘い、滑らかな自分を差しだし、われらはみな何もせずに平静を保ち、成り行きの見物者としてついてゆくだけ。他方、エロースたちは、時々波頭に両足を触れるほどに、海の少し上を羽ばたきながら、火のついた松明を携え、同時に祝婚歌を歌っており、ネーレーイスたちは、水面に浮かびあがり、イルカたちに騎乗して拍手喝采しておった。ほとんど半裸でな。トリートーンたちの種族と、海の種族のうち見た目に恐ろしくないかぎりの他の者はみな、少女のまわりで合唱舞踏しておった。というのは、ポセイドーンは戦車に搭乗し、陪乗としてアムピトリーテーを連れ、泳ぐ兄弟のために喜んで道をつくりつつ先導した。全体の先頭には、アプロディーテーを2人のトリートーンが運んでおった。貝殻の上に横たわり、ありとあらゆる花を花嫁の上に振りまいている〔アプロディーテー〕を。[4] これが、ポイニケーからクレーテーまで続いたことだ。しかし島に上陸するや、牡牛はもはや見当たらず、ゼウスが手をとって、エウローペーをディクテー山の洞窟へと導いた。紅潮し、うつむいた彼女をな。というのは、どこに連れて行かれるかをもはや悟ったからよ。そこでわれらは、大洋の思い思いの方面に襲いかかり、波立たせたというわけだ。
ノトス
おお、浄福なゼピュロスよ、何という見物であったことか。それがしが見たものは、ハゲワシどもにゾウたちに、黒い人間どもばかり。
こちらのエウローペーは、テュロス王アゲーノールとテーレパッサの娘。
2012.02.05. 訳了。
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