[砂漠の師父]略伝
Α巻
- アントーニオス
(251-356) キリスト教修道制の祖。エジプトの富裕な農家に生まれたが、早くに両親と死別。271年頃、隠修生活に身を投じた。さまざまな試練(悪霊の誘惑)を受けたが、それらを退け、隠修生活を全うし、また多くの弟子たちを育てた。アタナシオスによる『アントーニオスの生涯』は、初期の修道生活をよく伝える伝記で、その後の聖人伝の鳴矢ともなった。
- アルセニオス
(355-450) 教皇ダマススの推薦によって、皇帝テオドシオスの息子たちの後見人となる。テオドシオスの死後、スケーティスの砂漠に入り、ヨハネ・コロボスのもとで修業。434年のスケーテイスの第二荒廃後、トロエーに住む。アントーニオスとその直接の後継者とに続く後の世代にあって、指導的役割を果たし、しばしば大アルセニオスと呼ばれた。
- アガトーン
はじめテーベでポイメーンの弟子となり、若くして師父と呼ばれた。後にアルセニオスに師事。アレクサンドロスやゾーイロスとともにスケティスに住む。
- アンモナス
ピスピルでのアントーニオスの弟子で、後継者となった。アントーニオスの勧めで、後に主教となる。
- アキラス
アントーニオス後の第三世代。スケーティスで修業し、アンモエースを驚かすほどの厳格な修業で知られた。
- アンモエース
ケリアの修道者。アキラスの教えを受ける。ヨハネ・コロボスは彼に12年間師事した。
- ニトリアのアンモナス
(295-353) 結婚生活後、330年、ニトリアの砂漠での最初の修道者となる。アントーニオスの指導で修屋の集落を設立。
- アヌーブ
ポイメーンの七人兄弟の一人。407年、マジク族によるスケーティスの荒廃後、テレヌティスで共住修道生活を始める。
- アブラハム
スケティスの修道者だが、ほかにエレウテロポリスのテオドーロスと交渉のあったイベリアのアプラハムもいる。
- アレース
同じくスケーティス修道者で、アブラハムと交渉があった。
- アロニオス
ポイメーンとともに生活したスケーティスの修道者。
- アップフ
後にオクシュリンコスの主教となった。
- アッポロ
残虐な殺人の後に回心。アブラハムに学ぶ。
- アンドレイアス
不詳。
- アイオー
テーベの修道者。
- モンタナス
ペルシオンの修道者。
Β巻
- 大バシレイオス
(330頃-379) 「カッパドキアの三つの光」と称せられた教父たちの一人。370年、カイサリアの主教。はじめアイギュプトス、メソポタミアの地で初期修道制に学び、後には共住型修道制の確立に努めた。大小の「修道士規定」を著し、ベネディクトゥスの西方修道制にも影響が大きい。
- ビザリオン
スケーティスの修道者で、弟子ドゥラスの手になる言行録が残る。
- ベンヤミン
ケリアとスケーティスで修行。
- ビアロス
不詳。
Γ巻
- 神学者グレゴリオス
(330-390) 使徒ヨハネ、新神学者シメオーン(949頃-1022)と並んで、「神学者」と称される。「カツパドキアの三つの光」の一人で、『神学講話』を残し、三位一体論の確立に寄与した。珠玉の詩文も多い。
- ゲラシオス
エジプトでの修道生活の後、パレスティナのニコポリスの主教となる。「カルケドン信経」(451年)を熱心に支持。
- ゲロンティオス
ペトラの修道者。
Ζ巻
- ダニエール
シナイのファラン出身。パヌフティオスの弟子で、若くして司祭となる。後継と目されたが、早くに死去。また、同郷のアレクサンドロスやゾーイロスと同じくアルセニオスに学び、その遺品を受けている。
- ディオスコロス
ニトリアの修道者で、兄弟にアンモニオス、エウテュミオス、エウセビオスがいる(長身4兄弟)。後にヘルモポリスの主教となったが、オリゲネス説に組したとされ、カルケドン公会議で排斥される。
- ドゥラス
ピザリオンの弟子。
Ε巻
- キュポロスの主教聖工ピファニオス
(315頃-403) パレスティナの生まれ。エルサレム近郊のエレウテロポリスに修道院を建てる。後、367年にキュプロス島サラミスの主教となる。反オリゲネス主義者で、聖画像(イコン)崇敬にも反対した。
- 聖エプライム
(306頃-373頃) 恐らくメソポタミアのニシピスの生まれ。しばらくエジプトで隠修生活を送った。シリア語で著作し、多数の美しい聖歌を作成。「聖霊の竪琴」と称される。
- 信徒エウカリストス
在俗のすぐれた修道者の例として記憶される。
- 司祭エウロギオス
ヨハネス・クリュソストモス(金の口)の弟子。パネフォの師父ヨハネを訪ね、教えを受ける。
- エウプレピオス
多くの書に学んだ後、修道者となったという。
- エラディオス
アレクサンドリア出身のケリアの修道者。
- ヱヴアグリオス
(345/6-399) 小アジアのポントスの生まれ。ナジアンゾスの神学者グレゴリオスによって輔祭に叙階されるが、後にニトリア、ケリアで修業。オリゲネス主義者と看倣されたものの、修道的霊性の著作で影響大であった。
- 工ウダイモーン
パヌフティオスの弟子で、四世紀末よりスケーティスの修道者となる。
Ζ巻
- ゼノーン
(451年没) シルアノスの弟子として、スケーティス、シナイ、そしてパレステイナにて師事。晩年、ガザ近くに隠棲。
- ザカリア
父親のカリオンとともにスケーティスで修道生活を始めた。少年のとき、硝酸の池に浸って、身の証を立てようとした。幻視の賜物にすぐれたという。
Η巻
- エーサイア
(491年歿) スケーティスの修道者で、アンモエースの弟子。後にパレスティナに移り、ガザの近くに隠棲した。
- エーリア
4世紀のエジプトには数名のエリアがいた。捧仕者のエリア、太陽を止めたピザリオンを知っていたエリア、そして静寂主義の(ヘシュカズム)のエリアは、いずれも別人であろう。
- ヘーラクレイオス
アガトーンとともにスケーティスで修業した。
Θ巻
- ペルメーのテオドーロス
スケーティスの修道者で、407年の蛮族侵入による荒廃後はペルメーで生活。輔祭に任ぜられたが承諾しなかった。また、人間的な名声を憎み訪問者を避けた。
- 工ンナトンのテオドーロス
オールの同行者で、ニトリアのアンモスの弟子。308年アレクサンドレイアの西方のエンナトン(5世紀の修道者の中心地)に行く。ルキオス、ロンギノス、ロトもそこで修業した。
- スケーティスのテオドーロス
恐らくペルメーのテオドーロスと同一人物。
- エレウテロポリスのテオドーロス
エレウテロポリスは聖エピファニオスの生地で、エルサレムとガザの中間にある修道生活の中心地。
- テオドトス
不詳。
- テオナス
スケーティスの修道者で、ペルメーのテオロスとポイメーンは、テオナスの言葉に言及している。
- 大主教テオフィロス
(在位385-421) アタナシオスの後継者。アレクサンドレイアのキュリロスの叔父。オリゲネス主義に反対し、それをケリア、ニトリアから追放した。
- テオドラ
5世紀初めの教母で、大主教テオピロスと親交があった。
Ι巻
- イオーアンネース・コロボス
(339頃-409) 18歳の頃スケーティスに行って、12年間アンモエースに師事。司祭になるが、407年の荒廃後は、スエズのアントーニオスの山地に赴く。アントーニオス後の第三世代にあって中心となった師父の一人。
- 共住修道者イオーアンネース
どの修道院かは不明。
- イシドーロス
スケーティスの修道者で、マカリオスの同行者。
- ペルシオンのイシドーロス
(450年没) アレクサンドレイア生まれ。ナイル河三角州の東方ペルシオンの修道者で、司祭ともなる。ネストリオス派やエウテュケース派と闘い、多数の書簡を残した。
- ケリアの長老イサク
若いときニトリアでクロニオスに学び、後にペルメーのテオドーロスの弟子となる。395年、クロニオスの後継者となるが、大主教テオピロスによって、長身四兄弟(アンモニオス、デイオスコロス、エウテュミオス、エウセピオス)とともに、オリゲネス主義者と看倣されて追放された。
- パネフォのヨセフ
パネフォの良家の出身。ロトやポイメーンも彼を訪れ、教えを請うている。
- イアコーボス
数名のイアコーボスが登場する。捧仕者のイアコーボス、ケリアの数人のイアコーボスなど。
- ヒエラクス
ニトリア、スケーティス、テーベの、いずれの修道者であったかは不明。
- 官官イオーアンネース
テオドロスによって言及されているのは別人であろう。
- ケリアのイオーアンネース
ケリア、テーベの二人のイオーアンネースが現れるが、不詳。
- テーべのイオーアンネース
不詳。
- 司祭イシドーロス
アントーニオス後の第二世代において中心となった一人。このイシドーロスのものとされるのは、1、7のみで、ほかはペルシオンのイシドーロスのものとされる。弟子のカシアーノス、そしてパラディオスが、この師父の霊性を伝えている。
- ペルシアのイオーアンネース
エジプトのアラビアに住んだとされるペルシア人の師父。
- テーべのイオーアンネース
アンモエスの忠実な弟子。
- パウロスの弟子イオーアンネース
師父パウロスの命令に従ってハイエナを捕らえた。
- テーべのイサク
テべのアポッローンの弟子。
- テーべのイオーセフ
不詳。
- ヒラリオーン
(291-371) パレスティナ南部のタパタに生まれ、若くしてアントーニオスに師事。帰国後、ガザの近くにて修道生活を送る。行く先々で、多くの奇跡を起こしたという。
- イスクゥリオン
第二世代の人で、偉大なる師父と称される。ルフィヌスが375年頃の生存を伝えるが、生涯の詳細は不明。
Κ巻
- カシアーノス
(360-435) スキティアの生まれという。若くしてベツレヘムの修道院に入り、385年頃エジプトでエヴァグリオスの弟子となる。後、コンスタンティノポリスでヨハネ・クリュソストモスに師事。さらに415年、マルセイユ近郊に修道院を建てる。彼の「修道士規則」は西方修道制の基礎となる。
- クロニオス
(285-386) はじめ共住修道院にいたが、後にアントーニオスに従い、そのギリシア語通訳者となる。ニトリアで隠修生活を送り、また司祭に任ぜられた。
- カリオン
スケーティスの修道者で、天使的な少年ザカリアはその息子。親子でともに修道の道をゆく。
- コプリス
スケーティスの修道者で、ポイメーンも言及している。
- キュロス
アレクサンドレイアの主教キュリロスと同一人物。
巻Λ
- ルゥキオス
キリキアのロンギノスの友人。シリアで修道者になり、エンナトンのテオドーロスとともに生活。祈祷専念派(エウキタイ、あるいはメッサリア派)は、4世紀にメソポタミアで起こった敬虔主義的分派。教会的組織や秘蹟を否定し、エペソス公会議(412年)で異端とされたが、7世紀まで存続した。
- ロト
アルセニオスに従い、パネフォのヨセフとも関わる。なお、ピオニストのペトロは彼の弟子。
- ロンギノス
キリキアの出身で、ルゥキオスの弟子。後にエンナトンの修道院長となり、「カルケドン公会議」に反対した。
Μ巻
- アイギュプトス〔エジプト〕のマカリオス
(300頃-390頃) 上エジプトの出身。若い頃、硝石を運鍛する駱駝曳きであったが、早くから修道に志してアントーニオスに師事し、330年頃、スケーティスの創始者となる。大マカリオスと称せられ、『霊的講話集』をはじめ、彼の名に帰せられる霊性の文書が多く残されている。
- モーセ
アントーニオス後の第三世代で、スケーティスの偉大な長老の一人。もと奴隷で、エチオピア人(黒人)と呼ばれていた。晩年に修道者となり、イシドーロスに師事。またマカリオスの言に従って、ペトラに隠棲した。407年のマジク族の侵入に際して、ほかの七人とともに殺された。
- マトエース
ライトゥに住んだ後、ナイル河の東マグドロス地方に旅したとき、司祭に任ぜられる。後のモティオスと同一人物であろう。
- シルアーノスの弟子マルコ
シルアーノスの12人の弟子の一人。写字者マルコとも言われ、師への従順が際立つ。彼らがシリアに移る直前に没した。
- ミレシオス
恐らくエジプトでの修道生活の後、弟子とともにペルシアの国境に住む。
- モティオス
マトエースと同一人物という。モティオスはヘーラクレアで、マトエースはその近くのマグドロスで生活した。マトエースとその弟子は司祭に、モティオスと弟子イサクはキュリロスによって二人とも主教に叙階されている。(司祭と主教との混同とも考えられる。)
- メゲティオス
二人のメゲティオスについて語られている。第二のメレティオスはエジプト人から教育を受け、シソエースやポイメーンと親交があり、後にシナイで生活した。
- ミオス
テーベのベレオス出身。彼の語っているスケーティスの師父は、もと奴隷のオリュムピオスのことであろう。
- アイギュプトス〔エジプト〕人マルコ
アレクサンドレイアのマカリオス(394年没)の聖体祭儀に与る若い苦行者マルコ(パラディオスの『修道者史』に言及される)と同一人物であろう。
- 都会人マカリオス
(296-393) アレクサンドレイアの出身で、30歳頃受洗。ニトリアで修道者となり、またスケーティス、ケリアの砂漠に住んだ。司祭となり、厳しい苦行を行った。
Ν巻
- ネイルス
(430年頃) クリュソストモスの弟子で、テオドシウス大帝治下、コンスタンティノポリスの長官であった。後に息子テオドルスとともにシナイに隠棲した。東方教会の伝統で重視される「イエスの祈り」を明記した一人。
- ニステロオス
アントーニオスの友人で、大ニステロオスと呼ばれる。
- 共住修道者ニステロオス
ポイメーンの友人。どこの共住修道院かは不明。
- ニコーン
シナイ山の修道者。
- ネトラス
シルアーノスの弟子で、シナイのファランの主教となる。
- ネケタース
不詳。
Ξ巻
- クソイオス
はじめのクソイオスは、スケーティスのシソエースと同一人物だという。第二のクソイオスはテーベの人。
- クサンティアス
スケーティスの修道者。
Ο巻
- オリュムピオス
はじめのオリュムピオスは、「ミオス・2」で語られている長老のことだという。第二の師父はケリアの修道者。
- オルシシオス
(380年頃没) 共住型修道制の創始者パコミオスの第二代目の後継者として、エジプトのタベンネシ修道院長となる。
Ī巻
- ポイメーン
(450年没) アルセニオスと同様、アントーニオス第三世代に続く時期の中心的師父。兄弟たちとともにスケーティスで修道者となる。407年のマジク族による荒廃後は、テレヌティスの異教神殿跡に修道院を設立した。聖性の誉れ高く、ポイメーン(牧者の意)の名に帰せられる逸話は数多い。それゆえ、複数の牧者が想定されよう。
- パムボー
(390年頃没) アントーニオスの弟子で、ニトリアの修道院の創設者の一人。アタナシオス、ルフィヌス、メラニアなどをも指導した人である。
- ピストス
クリュスマのシソエースから教えを受ける。
- ピオール
アントーニオスに師事し、はじめニトリアで、後にスケーティスで隠修生活を送る。
- ピチュリオーン
ナイル河中流の東岸、ピスヒルの修道者で、アンモナスの後継者。
- ビスタモーン
シソエースの知友であろう。
- ピオニトスのぺトロ
ケリアの修道者だがスケーティスのロトの弟子だとされる。
- パフヌティオス
(350年没) アントーニオスのもとで修道者となる。マカリオスの弟子。そして司祭イシドーロスに学ぶ。はじめ共住修道院に生活し、後に隠修者となった。「長上者」と称せられる。
- パウロ
本書にはパウロと呼ばれる人が多く現れるが、ここのパウロはエジプト低地の出身で、テーベの修道者。
- 理髪師パウロ
パウロとその弟子テモテは、スケlティスで理髪師であった。
- 大パウロ
ガラテア出身で、大パウロと呼ばれた。
- 純朴者パウロ
アントーニオスの弟子。彼の召命はパラディオスの『アイギュプトス修道史』に詳しい。
- ディオスのペテロ
不詳。ディオスはナイル河西岸の町。
Ρ巻
- 口ーマ人の師父
かつてローマの高官であったアルセニオスのこと。
- ルポス
不詳。
- ロマノス
不詳。
Σ巻
- シソエース
(429年没) エジプト出身で、若くしてスケーティスの修道者となる。第一世代の重要な師父。ティトエスと同一人物であろう。アントーニオスを範と仰ぎ、エジプトのマカリオス、オールに師事。病のためしばらく紅海の近くのクリュスマに住んだが、復帰して72年間もアントーニオスの山地で生活した。357年のサラセン侵入後、ピスピルの修道者から援助を受けた。
- シルアーノス
(414年没) パレスティナの生まれ、スケーティスの12人の弟子の共同体の指導者。380年、弟子のマルコとともにシナイに移り、後にガザ近くに住む。その死後、ザカリアが後継者となる。
- シモーン
若い頃にアントーニオスを訪ね、感化を受ける。ポイメーンもシモーンの教訓を伝えている。
- ソパトロス
4世紀末の下エジプトで論争された神人同形説のことが示されている。
- サルマタス
アントーニオスの弟子の一人。357年のサラセン侵入時に殺されたとされる。
- セラピオーン
(370年没) アレクサンドレイア教理学校の長であったが、隠修者となり、アントーニオスを友とした。その後、アレイオス派やマニ教と闘ったが、コンスタンティノス2世によってアタナシオスとともに追放され、客死した。
- セリノス
ポイメーンと知友であった。イサクはその弟子。
- スピュリドン
4世紀前半、キュプロスのトリムチュスの主教となる。
- サイオー
不詳。
- サラー
60年間ナイル河畔で修道の生活を送った。パヌフティオスと同時代の教母。
- シュンクレティケー
(316-400) マケドニアの富裕な家柄の出身で、アレクサンドレイアアに生まれた。両親の死後、遺産を貧しい人々に捧げ、エジプトで隠修者となる。その聖性と知恵のゆえに、近隣の女性たちに大きな霊的感化を与えた。
Τ巻
- ティトエース
シソエースと同一人物とされる。
- テモテー
スケーティスの理髪師パウロの兄弟だという。ポイメーン・70に出てくるテモテとは別人であろう。
Υ巻
- ヒュペレーキオス
5世紀の金言作家。
Φ巻
- フォーカス
5世紀後半、スケーティスおよびエルサレムのテオグニトス修道院で生活した。
- フィリクス
不詳。
-
5世紀にエルサレム近くの砂漠にある隠修所で生活する。
- フォルタス
不詳。
Χ巻
- コーマイ
不詳。
- カイレモーン
ニトリアの初期の修道者。かつてはスケーティス、そしてパネファの砂漠に隠棲。
Ψ巻
- プセンタイオス
パコミオスの弟子の一人。
Ω巻
- オール
(390歿) 第一世代の、よく言及される師父の一人。初めスケティスに住むが、蛮族の侵入のためシソーエスとともにそこを去り、ニトリアで修道生活を送った。374年、メラニアが訪れている。