73.1
技術なき操舵手は、確実な難船〔を招来する〕。知識なき指導者は、弟子たちの破滅〔を招来する〕。
経験なき羊飼いは、ヒツジたちの距骨を外す。〔経験なき〕指導者は、弟子たちの道を〔外す〕。知識なき羊飼いは、霧のなかでヒツジたちをきっちり識別することをせず、経験なき教師も、誘惑者たちの時に、何が益になることを問わない。
戦争の〔ときの〕将軍や、情念の医師は、知識を持った指導者である。だから、あるいは傷つけられてまま放置せず、あるいは、傷つけられても、すみやかに治療するであろう。
聞く耳もたぬ弟子は、ねじれた樹木。しょっちゅう矯められても、決してまっすぐにならない。
協調しない兄弟は、調子外れの琴の弦。共通の楽節の共通性〔"koinonia"。聖餐の意味もある〕に緩みが生ずるところの〔弦〕。
オス蜂(kephen)はミツバチの労苦を食いものにする。怠惰な兄弟は仲間の有徳な行いを貶める。
怯懦な兵士は、戦士〔として〕の手を緩める。無頓着な修道者は兄弟たちの願望(prothymia)を軟弱にする。
蜜蜂たちの巣箱は、蜂窩をこしらえる。兄弟たちの組織は、諸天の王国を〔こしらえる〕。
喇叭は戦士たちの熱意を目覚めさせる。弟子たちの熱心さを〔目覚めさせる〕のは、修業的徳の教えである。
涙の言葉で武装せよ。あなたの兄弟たちを指導せよ。そうして、来るべき善きものらの諸々の約束(epangelia)によって胸当てとせよ。信実という長楯によって褒賞を防衛し、神にかけた希望によって脛当てとせよ。脚を福音的な学びによって鎧い〔写本は"keneson"だが、意味をなさないので、おそらくは写本の間違いであろう〕、慎みの言葉によって腰で生きよ。諸々の情念の迅速このうえない気性に対して戦刀を手に与え、諸情念の密集部隊を快楽に対抗布陣せよ。〔???〕
諸々の想念において、戦闘の経験豊かな重装歩兵たちを鍛えよ。そうして、永遠の懲罰という脅しによって、敗北の恐怖を示せ。
勝利者を、輝かしい称讃によって触れまわれ。なぜなら、祝福も、より熱心な人たちを作ることを知っているからである。そうして、辱められた者を、同情をもって手当てせよ。なぜなら、脅迫の容認は賢者をますます恥じ入らせないではおかないから。
罪を犯した弟子に、気性をもって動いてはならない。なぜなら、敬虔なのは、他の人の手当の前に、自分自身を傷つけることではなく、善に向かって辛抱強く矯正することだからである。というのも、医師は情念を手当てするが、心ならずも病に罹った者に立腹することはないのだから。医師は切開するさい、怒りをもつことなくそれを為す。そして教師は、批判しても、その批判に気性〔=怒り〕を混ぜてはならない。
アイギュプトスの大地を逃れる者たちは、沙漠を通って道案内せよ。なぜなら、欠乏は、徳の初心者たちをも、節制へと教導することを知っているからである。アイレイムの近くに宿営せよ(都門そのものが、徳へと通じる入口の象徴と解釈される)、そして70本のヤツメヤシの樹を示せ〔Exod. 15:27〕。12の泉のところに宿営せよ なぜなら、あなたは勝利のこと(ナツメヤシが象徴である)を応唱し、諸民族の炎を、たっぷりと供されるナマで励まさなければならないからである 。そうすれば、ほかの民族はすべて降ってきて、約束の大地に達するであろう。その大地において、彼らは無心の浄福な生を生きるであろう。諸々の労苦の報酬として、真実な好機嫌(euphrosyne)を授かって。
2005.03.30. 訳了。