[シビュラの託宣]訳註(第11巻〜第14巻)
- 101]「頭文字に剣(Favsganon)のそれ〔Φ〕を有する」
つまり、ファラオ(Farawv)のΦである。語源はエジプト語で「大きな家」の意だが、ほとんど固有名詞化していた。
- [102]「数価にして10」
Ι つまりヨセフ=Iwshvf。
- [103]「しかるに、……平和が世界にあまねくあるだろう」
これらの行は歴史的関連があまりに不確かなため、注釈をつけるのは容易でない(Terry)。
- [104]「偉大な王」
Solomwvn。Σは数価200,字母は第18番目(92〜93行目を見よ)。
- [105]「100に加える100に8年」
208年は、アケメネス朝ペルシアの盛期とほぼ一致する。
- [106]「獰猛な獣」
アレクサンドロス大王への言及。
- [107]「両者とも数価にして100」
数価100はΡ。ローマの建設者で初代の王、双生の兄弟のロームルス(Romulus)とレムス(Remus)のこと。これまた、永遠の都、権力の象徴であるローマ(Rome)の頭文字でもある。次行の「大いなる徴」。
- [108]「この大いなる王」
トロイア攻めのギリシア側総大将=Agamevmnwn。頭文字は第1字母Α。
- [109]「アッサラコスの氏と血筋から生まれた子」
トロイ方の英雄アイネイアース(Aineas)。ローマの建設者は、その子孫のひとりロームルスである。ウェルギリウスによってアイネイアースは父祖、国家、神々に忠実な英雄に仕立てあげられる。彼はヌミーキウスNumicius河に流されたという伝説もある。
- [110]「年長の知者の詩人」
ホメーロス。
- [111]「アッシュリアの男、庶子のアイティオピア人、獣の気性を持ったの」
おそらくクセルクセースのこと。シビュラの「アッシュリア」概念はすこぶる広い。
- [112]「ひとりのマケドニア人」
マケドニアのピリッポス2世(FivlippoV II)c. 359-336 BC, アレクサンドロス大王の父親である。頭文字のΦ は数価500。劇場に行かんとして、親衛隊=槍持に暗殺される。
- [113]「数価4の頭文字をもつ男」
ペルシア大王ダレイオス3世(前336-330年)。アレクサンドロス大王に敗北、アケメネス朝ペルシャの最後の帝王となる。頭文字のΔは数価にして4である。
- [114]「全エウローペーを落ち穂拾いしたであろう者」
おそらくアンティゴノス1世(前381-301)。アレクサンドロス大王の後継者戦争を勝ち抜いて、マケドニアの支配者となった。
- [115]「4の2倍の男たち」
アレクサンドロス大王の後継者戦争を勝ち抜いたプトレマイオス1世ソーテールはエジプトを領有、プトレマイオス朝(前305年〜前30年)を開く。プトレマイオス1世ソーテール、2世フィラデルフォス、3世エウエルゲテース、4世フィロパテール、5世エピファネス、6世フィロメートール、7世ネオス・フィロパトール、8世エウエルゲテース2世(フュスコン)。
- [116]「メンピスは統治する者たちに非難されるであろう」
エジプトのアレクサンドリアが首都となったことで、それまで首都であったメンピスは斜陽となる。MemfivVをmevmfomai〔非難される〕に掛けた言葉遊び。
- [117]「ユダヤ人たちに諸々の災悪が起こり」
プトレマイオス1世によるエルサレム占領(ヨセフス『ユダヤ古代誌』XII-i。前320年、312年、302年、301年と諸説ある。「彼は、これ幸いとなんとなく市中を占拠し、市民の新しい主人として、彼らを過酷に取り扱いだしたのである」。
- [118]「この女の大いに慕わしい名は数価にして20」
数価20はΚ もちろん、プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ7世のこと。
- [119]「最後の者は、数価にして10」
ローマ司教(教皇)ユリウス、在任は後337-52。Juliusはギリシア語表記では頭文字Ι 数価10である。
- [120]「字母の初め〔Α〕を抽籤した者」
Augustus のこと。ローマ帝国の初代皇帝としては、第5巻では、ユリウス・カエサルが挙げられていたが、ここではアウグストス。
- [121]「星」
「ベツレヘムの星」マタイ伝2章2。
- [122]「ロゴス」
「はじめにロゴスがあった。そしてロゴスは神とともにあった。そして神であったのだ、ロゴスは」(ヨハネ伝1章1)。
- [123]「数にして300〔Τ〕 」
Tiberius Claudius Nero (在位 後14-37)。「ともかく彼はとくにローマの人々に対して無情で辛辣となったらしく、好ましくない帰結をもたらした」(ダイアナ・バウダー)
- [124]「塔高き都市」
ロンバルディア州にある都市で、ポー川中流の左岸にあるクレモナ。この都市を破壊したのはウェスパシアヌスである(後69年)が、預言者はティベリウスと混同している(Terry)。
- 125[]「数にして3〔Γ〕」
Gaius Julius Caesar Germanicus、通称Caligula。在位 後37-41。
- [126]「10の2倍〔Κ〕」
Gaius Julius Caesar(執政官在任 前59、48、46-44、独裁官在任 49-44。「ローマ人の中で彼ほど有名で、かつ軍事・政治的手腕においてローマらしさを最もよく示した者はいない。その最も顕著な業績はガリアの征服とローマ共和制を永久に葬り去ったことである」(ダイアナ・バウダー)。
- [127]「数価にして50〔Ν〕」
ネロ(Nero)(在位 後54-68)。「その統治は後64年のローマの大火によっても象徴される。……キリスト教徒にこの災害の罪を着せたやり方は、抑圧的な統治の悪名高くいまわしいエピソードである」(ダイアナ・バウダー)。
- [128]「別の二人」
Titus Flavius Vespanianus (在位 79-81)。頭文字 Τ の数価は300。「とはいえいくつかの逸話は彼の道徳的な性格をいくぶん裏付けする」。
もうひとりは Titus Flavius Domitianusu (在位 後81-96)。頭文字 Δ の数価は4。「陰気で冷酷、自己中心的で残忍な点でいやな人間という評価は今後も動かないにせよ、統治者としてのドミティアヌスは、凶暴で気まぐれなガウイスや愚劣なネロなどとの比較には値しない」(ダイアナ・バウダー)
- [129]「数価にして50〔Ν〕」
Marcus Cocceius Nerva (在位 後96-8)。「彼はそれほど尊敬すべき人物ではなかった」(ダイアナ・バウダー)。
- [130]「別の王」
Marcus Ulpius Traianus (在位 後97-117)。Τ は数価300。「おそらく彼の名声の一部は誇張だろうが、後世において彼は有能で良心的な支配者の典型となった」(ダイアナ・バウダー)。
- [131]「別の男」
Publius Aelius Hadrianus(在位 後117-38)。ギリシア語表記は=AdrianovV。=AdrivaVは「アドリア海」の意味で4音節である。「彼の名前はローマ帝国史において非常に重要な時期をなす。おそらく彼の最大の貢献は国境政策にある。彼はトラヤヌスのとった東方の征服政策を放棄して防備に転じた。……彼の治世における唯一の大規模な戦争はユダヤで生じた。シモン・バル・コクバの指揮の下にユダヤ人が起こした反乱は制圧され、ユダヤ人の故郷としてのユダヤの存在は事実上終わった」(ダイアナ・バウダー)。
- [132]「3人」
アントニヌス一門。つまり、Antoninus Pius(在位 後138-61)、Marcus Aurelius Antoninus(在位 後161-180)、Gnaeus Julius Verus(執政官 在任 後151頃)。Verus のギリシア語表記はOujhroV。Ο の数価は70である。
- [133]「別の男」
Marcus Aurelius Antoninus(在位 後161-180)。「『自省録』は彼自身の心情を記した一連の日記にほかならない。……そこには伝統的なストア派の教説にとって新しいものはほとんどないが、聡明で感受性に富み、高度の教養を具えた皇帝の宗教的で道徳的な深い感情をわれわれに見せてくれる」(ダイアナ・バウダー)。
- [134]「神の大いなる徴」
奇跡的な雷雨のおかげで、皇帝とその軍隊はクアディ族に対して大勝利を収め、ローマ人たちはユピテル・トナンがアウレリウスの祈りに応えたのだと云ったが、キリスト教徒は自分たちの神のおかげだと断言した。
- [135]「おのれの息子」
Marcus Aurelius Commodus Antoninus (在位 後177-92)。マルクス・アウレリウスの息子。Κ は数価20。
「コモドゥスはとりわけヘラクレスの崇拝に没頭した。彼はこの英雄の衣服(ライオンの毛皮)をまとい武具(棍棒)を持ち、自身をヘラクレスの生ける化身として崇拝させた。……その死の知らせが伝わるや元老院は驚喜して報復を行い、彼に関するあらゆる記録が抹殺された……」(ダイアナ・バウダー)。
- [136]「数価にして80の字母〔π〕」
Publius Helvius Pertinax(在位 後193)。「193年3月28日、親衛隊の一部が新たな賭けに出て彼を殺害し、首を棒杭の穂先に刺してローマ市街を練り歩いた」(ダイアナ・バウダー)。Πは数価80。
- [137]「10〔Ι〕をもつ男」
ディディウス・ユリアヌス(Marcus Didius Severus Julianus)(皇帝在位193年)。ペルティナクスが親衛隊によって謀殺されたとき、皇帝戴冠を受けるために、親衛隊への贈与金の金額をめぐって、フラウィウス・スルピキアヌスと争い、競り勝って皇帝位に就いたが、彼の治世は66日しか続かなかった。
- [138]「数価50の別の戦士」
ペスケンニウス・ニゲル(Gaius Pescennius Niger Justus)。簒奪者(後193-4)。Νが数価50である。彼の勢力基盤はビザンティオンを中心とする東方諸属州にあった。193年5月、ディディウス・ユリアヌスに対抗する皇帝候補として自分の軍隊の皇帝推戴を受けた。3度にわたる一連の主戦で敗れ、アンティオケイアに逃げのびたが、逃亡をはかっているときに町外れで捕らえられ、斬られた首はビュザンティオンのセウェルス〔頭文字Σ=200〕のもとに送られた。
- [139]「マケードニアの獰猛な領主の
初めの字母〔Α〕を有する者」
セウェルス・アレクサンデル(Marcus Aurelius Severus Alexander)(皇帝在位 後222-35)。エラガバルスと同様、カラカラの庶子とされていた。東方国境地域ではパルティア帝国が崩壊し、アルダシル1世のもとササン朝が成立すると、これがローマ帝国東方国境にとって脅威となった。233年にはライン地域で反乱が発生。235年、アレクサンデルが戦いよりも交渉を重んずることが軍隊の怒りを招き、彼は殺害され、セウェルス朝は断絶した。
- [140]「聖室係」
エラガバルス(Varius Avitus Bassianus Marcus Aurelius Antoninus, Elagabalus(皇帝在位 後218-22)。218年、マクリヌスの支配に不満をいだき反旗を翻した東方軍団の支持によって皇帝に推戴された。エラガバルスという名は、彼が祭司だったエメサの太陽神エル−ガバルに由来する。「彼はローマが迎えた最も奇矯な皇帝の一人となった」(ダイアナ・バウダー)。
- [141]「ペルシアの王たち」
ササン朝ペルシアの勃興。イランの王朝(226-651)。イラン南西部パールス(現、ファールス)地方にあるオアシス国家イスタフル(古代のペルセポリス)の祭司長ササンの孫で、君主パパクの子のアルダシールが創始した。
- [142]「勢い烈しいアレース」
おそらく、マクシミヌス(親衛隊長官 在任 後371-6)。ウァレンティニアヌス1世の仲間のパンノニア人で、過酷な人物であった。
- [143]「戦争に飽くことなきローマの王」
Marcus Antoninus Gordianus(在位 後238-44)。フィリップス1世(アラブス)によって殺される。
- [144]「シュリアから現れた」
フィリップス1世(在位 後244-9)はアラビアの生まれゆえ「アラブス」と呼ばれた。7歳の息子を福帝に任命、後2447年には正帝として共同統治した。後249年、父子ともに親衛隊に殺害される。
「1と20の上に500を置く」。Arabsの頭文字は数価1、皇帝(Kaisar)の頭文字は数価20、フィリップスの頭文字Φ の数価は500である。
- [145]「イタリア人たちの愛しい養い親」
アレクサンドリア。ローマ世界に対する最大の小麦輸出都市であった。
- [146]「その数300」
数価300はΤ つまりトライアヌス。正式には Gaius Messius Quintus Decius つまり頭文字は第4字母 Δ である(在位 後249-51)。ギリシア語「角keraiva」には文字の一点一画の意がある。
対ゴート戦争のために長子ヘレンニウスを派遣し、みずからも出陣したが、251年6月、アブリッタの戦いに大敗し、息子とともに斃れた。
- [147]「盗賊」
後2世紀中頃、ローマ皇帝ウァレリアヌス、ガッリエヌス父子の在位期間(後263-268)に、各地の属州で帝号を僭称した人々(おもに軍人)をいわゆる「三十人僭帝(Tyranni triginta)」という(実際には女性2人を含む32人)。ここではその中のひとりCyriadesを指すと考えられる。
- [148]「イタリア人たちの統治者」
Gaius Messius Quintus Decius, Traianus(在位 後249-51)。251年6月、ゴート族と戦うべく出征するが、アブリッタの戦いで大敗し、息子とともに斃れた。
- [149]「ローマの別の王」
Gaius Vibius Trebonianus Gallus(在位 後251-253/4)。デキウス帝の死後皇帝に推戴される。アエミリアヌスとの戦闘中に、息子ウォルシアヌスとともに死去。
- [150]「ローマの亡命者」
ネロ。
- [151]「名前に第一字母をとる者」
Marcus Aemilius Aemilianus(在位 後253)。軍隊によって皇帝に推戴され、トレポニアヌス・ガルス帝の不意を突いて殺害。しかし、三ヶ月後、ウァレリアヌスの反乱を鎮圧すべく北方に向かうところで殺された。
- [152]「ペルシア人たち」
パルティア王国の末期、王位継承をめぐって争いが続き、即位した(後226年)のはイスタフルのアナーヒター神殿の身分の高い神官サーサーンの孫アルダシール1世(在位 ご226-240)であり、ササン朝ペルシアの成立はここに求められる。しかし、真の創設者はサーサーンの子パーパクとされ、王朝の起源は208年が元年とされる。パーパクの子アンダシール1世は、王朝創業時代の英主とされる。
- [153]「太陽の遣わす最後の祭司」
Septimius Odaenathus(パルミュラの王 在位 後260-6頃)。シリア、パレスティナ、メソポタミア、小アジア東部の支配者となった。266年、一族内の争いによって殺される。
- [154]「ひとりは数にして70を持し、ひとりは3」
Flavius Valentinianus(在位 後364-75)。ウァレンティニアス1世。ギリシア語表記ではOujalhrianoVとなるので数価70、数価3はGallienus(在位 後253-68)。
「ガリエヌスは、危機に決然と立ち向かい、絶えず戦線を駆けめぐっていた。彼にとり厄介だったのは、内にと外にと敵がいくつもあったことである。……メディオラヌム攻撃中に、おもだった将軍たちに殺害される。そのひとりが次の皇帝クラウディウス2世となる」(ダイアナ・バウダー)。
- [155]「地を這う青黒い生き物」
ササン朝ペルシアの王シャープール1世(在位 後241-272)。アルダシール1世の子、王位を継いで国家の中央集権化を進め、東方にはクシャン王朝、西方には、ユーフラテス河から西部のシリア、小アジアを支配していたローマ帝国と対峙した。243年から26年の間に、ゴルディアヌス3世、フィリップス=アラブス、ウァレリアヌスのローマ皇帝と次々に戦いを交えた。260年のエデッサの戦いではウァレリヌス帝を捕虜にした。
- [156]「牡鹿」
Fulvius Marcrianus(将軍 後3世紀中期)。皇帝マクリアヌスとクィエトゥスの父。ウェレリアヌス帝麾下の将軍。260年にウァレリアヌスがペルシアに捕らえられると、皇帝に推戴されるが、高齢を理由に拒否し、代わりに息子たちが帝位に就く。親子は261年にガリエヌス帝の将軍アウレオルスに敗れて殺された。
- [157]「獅子」
オダエナトゥス。
- [158]「牡山羊」
Alexander は Ballista(将軍、親衛隊長官 後260-1)を指すという。バリスタはウァレリアヌス帝麾下の将軍。皇帝がペルシアに捕らえられると、フルウィウス・マクリアヌスを説き伏せて、その息子を皇帝として推戴させる。261年頃クィエトゥスとともにパルミュラのオダエナトゥス王に敗れ殺された。
- [159]「牡牛の殪し手」
XIII,166 の「獅子」つまりオデナトゥス。後267年、オデナトゥスは、ゴート族討伐の出征前の宴席で甥マエオニウスに暗殺された。皇帝交代劇を演出したいわゆる「30人僭主」を、託宣は「若い犬たち」と評する。
- [160]「〔名前の〕音節が4つ」
Aureolus(イタリアでの簒奪者 後268)。
- [161]「数にして40の〔名前の者〕」
マルキアヌス(Marcianus)(東方の皇帝 在位 後450-57)。軍隊の無名の将校であったが、テオドシウス2世の後継者に指名された。「彼のおもな業績は、帝国の財政を好転させたことで、これは、その統治期間中軍事的な脅威がなかったことに助けられている」(ダイアナ・バウダー)。複数形は父子を指すと考えられるが、確かではない。
- [162]「数にして70」
おそらくValems(東方の皇帝 在位 後364-78)。ギリシア語表記はOujalvlenV。Οの数価は70。
- [163]「数価にして40〔Μ〕」
Marcus Opellius Macrinus(皇帝在位 後217-8)。カラカラのもとで親衛隊長。反乱を起こした軍隊がエラガバルスを皇帝に推戴し、マクリヌスは敗走の後捕らえられて処刑された。
- [164]「大いなる狼」
Marcus Aurelius Claudius Quintillus(皇帝在位 後270)。クラウディウス2世の弟で、270年に兄が死ぬと、イタリアで軍団の指揮にあたっていたところを皇帝として歓呼された。その治世は短命であった。
- [165]「勢い盛んな別のアレース」
Lucius Domitius Aurelianus(皇帝在位 後270-5)。
- [166]「三人」
数価1はAchilleus(エジプトの反乱指導者 後297-8)。数価30はLollian?。数価300はテトリクス(Gaius Pius Esuvius Tetricus(ガリアの簒奪者 後270-3)。
- [167]「第4字母の年老いた領主」
おそらくGaius Aurelius Valerius Diocletianus(皇帝在位 後284-305)。「彼はやがて治世20周年を祝うことになるが、これは過去1世紀以上たえてなかったことである。また、その後もコンスタンティヌス朝が成立するまでは、このように安定した政権は実現しなかった」(ダイアナ・バウダー)。
- [168]「数価にして5〔Ε〕」
Flavius Eugenius(西方の簒奪者 後392-4)。アルボガストゥスによってウァレンティヌス2世に代えて皇帝に据えられる。テオドシウス1世がイタリアに侵攻すると捕らえられ、394年9月6日に処刑された。
- [169]「300という数〔Τ〕を名に帯し、もうひとりは3〔Γ〕」
Theodosiusの T はギリシア語の数価300、数価3はFlavius Gratianus(在位 後367-83)。簒奪者マクシムスと対戦、メロバウデスの裏切りにあい敗走、8月25日にルグドゥヌム(現リヨン)で殺される。
- [170]「数価にして300の者ら」
数価300はΤ。このうちFravius Theodosius(在位 後379-95)が「「大帝」と呼ばれるのは、無能な息子アルカディウス(Flavius Arcadius)(東方の皇帝 在位 後395-408)、ホノリウス(Fravius Honorius)(西方の皇帝 在位 後395-423)と区別するためである」(ダイアナ・バウダー)。
- [171]「第4字母〔Δを頭文字とする〕」
Ewaldの示唆では、Dreskyllas(ないしThreskyllas)を指すという。
- [172]「数価にして50〔Νの頭文字を持つ〕」
Julius Nepos(西方の皇帝 在位 後473-5)。
- [173]「三人の王」
アナスタティウス1世(東ローマ皇帝 後491-518)。Harmatius Achilles(ビザンチン軍司令 後477???)。バシリスクス(Basiliscus)(東方の簒奪者 後475-6)。
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