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E・R・ドッズの論文

降神術(テウールギアー)

降神術と新プラトン主義





[出典]

E・R・ドッズ/水野一・岩田靖夫訳『ギリシャ人と非理性』(みすず書房、1972.11.)所収。付録二 




降神術(テウールギアー)*

 

降神術と新プラトン主義

 古代後期の呪術に対する信仰と呪術の実態がどんなものであったかについて、われわれの知識は、過去半世紀の間に著しく増した。しかし、呪術に関する知見は、一般に拡がったとは言うものの、呪術のうち、降神術という名で知られている独特の分野は看過されてきた嫌いがあって、まだ、理解が行き届いているとは言えない。これを知ろうとする第一歩が踏み出されたのは、五十年以上前のことで、ウィルヘルム・クロルが『カルデア人の神託』〔神霊に関して啓示的に知り得たと称される、バビロニア人の知慧〕[001]の断片を収集し論じた時にはじまる。その後、故ジョセフ・ビデ教授は、主としてプセルスの著書の中から、多くの興味深い、ビザンティンのテキストを見つけ出して解説を加えた[002]。これは、『カルデア人の神託』についてプセルスが書いた、散逸した注釈に由来するようであって、しかも、プロクロスとは反対の立場にあったキリスト教徒、ガザのプロコピオスを介して、プセルスに至ったものらしい。ホプナー[003]とアイトレム[004]の貢献も貴重なものであるが、特に、パピルス文書に見られるギリシア・エジプト呪術と、降神術とを結びつける、多くの共通の特徴に注意を喚起した点で貴重なのである[005]。しかし、まだ不明の点が多々あるので、降神術に関する、散在しているテキストを収集し、総括的な研究が行われるまでは、不明の点はそのまま残ることであろう[006](ビデは、この仕事を意図していたように思われるが、彼はそれを成し遂げぬうちに亡くなってしまった)。私のこの論文は完全を狙うものでもなく、いわんや、最終的結論を出そうとするものでもない。ただ、(1)新プラトン主義と降神術の関係を、歴史的展開の中で明らかにし、(2)実際に行われた、降神術の 実施様式 を検討してみたい。この実施様式も、大別すると、二つに分けられると思われるのである。


一 降神術の開祖

 われわれの知る限りでは、テウールゴス(qeourgovV)と呼ばれた最初の人物は、ユリアノス[007]という名の人で、マルクス・アウレリウス帝の治下〔161年から180年〕に生きた[008]。ピデが示唆したように[009]、ユリアノスは、自分を単なるテオロゴイ(qeolovgoi)と区別するために、テウールゴスという呼称を発案したのであろう。つまり、テオロゴイは神々について語る人々であるのに対して、テウールゴスは、神々に対して「働きかけ」、あるいは、おそらく、神々を「作り出し」さえもしたのである[010]。この歴史上の人物について、われわれは残念ながら、ほとんど知るところがない。辞典『スーダ』によると、彼は、彼と同名で、ダイモーンについて4巻から成る本を書いた「カルデア人の哲学者[011]」の息子であった。そして、彼自身も『テウールギカ、テレスティカ、ロギア・ディ・エポーン』〔六脚律の詩形で述、べられた、降神術、秘儀、神託の書〕を書いたと言われる。これらは「六脚律〔へクサメトロスという詩形〕で書かれた神託の書」で、これこそ疑いの余地もなく(ローベックが推測したように)『カルデア人の神託』のことであり、プロクロスが大部の注釈を加えたものに他ならない(マリーノス『プロクロス伝』26)。すなわち、ルキアノスの古注[012]には、「ユリアノスノ『テレスティカ』ニハ、プロクロスノ注釈書ガアルガ、プロコピオスハコレニ反論シテイル」と言っているし、また、プセルスが述べているところによると、プロクロスは「ユリアノスがカルデア人の教えを述べた詩文(エペー)に心酔するに至った。この詩文のことを、讃美者たちは『ロギア』と呼んでいた[013]」とあるからである。ユリアノス自身の言によると、彼はこれらの知慧を神々から授かったそうである。つまり、これらの知慧は「神ヨリ下シ給ワリタルモノ[014]」であった。彼がどこで実際に神から授かったのが、われわれにはわからない。クロルが指摘したように、この神託の書の手法と内容は、かのアントニヌス帝の時代に似つかわしいもので、それ以前の時代には、あまり似つかわしくない[015]。もちろん、ユリアノスの捏造ということも考えられる。しかし、その言葉遣いは、何とも異様で、かつ、誇大なものであるし、その思想も全く曖昧で、首尾一貫していない。この誇大と曖昧は、近代の「心霊を呼び出す者」が脱魂状態で語る口調を連想させるものであって、捏造のための熟慮の努力は感じさせないものである。後の降神術について、われわれの知るところに照らしてみると、そもそもの起源は、霊媒が幻覚を感じたり、脱魂状態になったりして、「神のお告げを語る」ことにあったと解するべきで、ユリアノスの仕事は、プセルス(または、彼が典拠としたプロクロス)が主張しているように[016]、この神のお告げを詩文に書きしるすことであったという解釈は、いかにももっとものように思われる。これは、公認の神託が下される方式として、出来上っていた慣行[017]とも合致するものだったであろう。また、六脚律の詩形に置き換えて表現することは、つまらぬ長談議に、いかにも哲学めいた意味と体裁をつけるのに好都合だったのであろう。しかも、なおかつ殊勝な読者もいて、散文形式の説明、ないしは、注釈を求めて止まなかったのであろう。ユリアノスもまた、この求めに応じているように思われる。なぜなら、プロクロスが(『プラトンのティマイオス注釈』3・124・32で)「コノ降神術師ハ解説書ノ中デ」云々と引用している人物は、ユリアノスのことに違いないからである。マリーノスが(『プロクロス伝』26で)「カルデア人ノ受ケタ『ロギア』並ピニ、コレニ関連スル著書」と言っているのも、同じ解説書を指すことは、まず確かであるし、ダマスキオスが(2・203・27で〉「神々並ピニ、テウールゴス自身ハ」云々と引用しているのも、同じものを指すのであろう。この解説書が、辞典『スーダ』に出てくる『テウールギカ』と同じものであったか否かはわからない。プロクロスは一度(『プラトンのティマイオス注釈』3・27・10で)、ユリアノスは「環帯ノ第七ニオイテ」云々と引用しているが、これは、霊魂が上り下りして経めぐる七つの天界について、七章にわたって論じている『テウールギカ』の一部を指すように思われる(『プラトンの国家注釈』2・220・11以下参照)。『テレスティカ』の内容がどのようなものであったかについては、四節を見て頂きたい。

 『カルデア人の神託』の起源が何であるにしても、この書が、火並びに太陽崇拝の儀式の規定のみならず[018]、呪術的に神々を招き寄せる方法の規定をも含んでいたことは確かである。また、後の伝承では、ユリアノス一派は有力な呪術師である、と言われている。プセルスによると[019]、父親の方のユリアノスは、息子〔のユリアノス〕をプラトンの霊に「引き合わせた」という。また、彼らは、神クロノスを顕現させる呪文(ajgwghv)を持っていると主張したように思われる[020]。彼らはまた、人々の霊魂を身体から離脱させ、再び身体に戻すことができた[021]。また、彼らの評判は、新プラトン学派の仲間うちだけに止まるものではなかった。紀元173年に、マルクス〔・アウレリウス〕帝が〔今日のチェコスロバキアにいたゲルマニアの一種族〕クワディと戦った時に、折よく雷雨が起きてローマ軍を救ったが、この雷雨は、或る人によると、息子のユリアノスの呪術がもたらしたものであったという[022]。この話は、プセルスの翻案では、ユリアノスは粘土の仮面を作ったが、これが、敵に対して「抗し難い雷」を放ったということになっている[023]。ソゾメノスは、ユリアノスが呪術によって石を割った、と聞いている(『教会史』1・18)。また、或る派手なキリスト教伝説によると、彼は、アポロニオスやアプレイウスと競って、呪術の力を発揮したと言われる。ローマが疫病に襲われた時、呪術師たちは、それぞれ市の一区画ずつを割り当てられ、医術的に管理することになった。そして、アプレイウスは疫病を15日で終息させてみせると約束し、アポロニオスは十日間でと約束したが、ユリアノスは、病いよ静まれと一言命令するだけで、即座に疫病を終息させてみせた[024]。


二 新プラトン学派における降神術

 降神術の開祖は呪術師であって、新プラトン学派の者ではなかった。また、新プラトン主義の創始者は呪術師でもなかったし、— 現代の一部の著者には申訳ないが — 降神術師でもなかった[025]。プロティノスの後継者たちは、彼を降神術師とは一言わなかったし、彼の著書の中にも、降神術(qeourgiva)という言葉や、これと同類の言葉は使われていない。実際、彼がユリアノスとその『カルデア人の神託』について聞き知っていたという証拠は存しない[026]。彼がそれを知っていたとしたら、批判的に取り上げて論じたことであろう。そういう批判の例は他にもあって、彼は「ゾロアスター、ゾーストリアーノス、ニーコテオス、アロゲネース、メソス、其の他これと同類の人々」の啓示の書を、講読の時に分析し、真相を明らかにした[027]。と言うのも、プロティノスは、ギリシア理性主義者の伝統を守る偉業とも言うぺき、『グノーシス派反駁』(『エネアデス』2・9)を書き、その中で、すべてこのような誇大妄想に「特有の啓示[028]」に対しては、嫌悪感をはっきり表明しているからであり、また、「呪術師タチガ備エテイル能力ニ驚嘆スル大衆」(同書14節、フォルクマン校訂本1・203・32)に対しては、軽蔑の意を表明しているからである。彼が呪術の効能を否定したということではない(3世紀の人間で、これを否定できた者があり得ようか)。ただ、呪術は彼の関心を引かなかったということである。「真の呪術は世界内の愛と憎しみの総和」ではあるが、プロティノスの目には、それは、個人的な、みすぼらしい目的のために応用されているに過ぎなかったのである。すなわち、神秘的で、本当にすばらしい、共感・感応(sumpavqeia)があって、これが秩序ある宇宙を一つにまとめているのであるが、人々は、この自然の呪術については、ほとんど知らないので、自然の呪術よりも、人間の操る妖術(gohteiva)に気を奪われているのである[029]。

 ところが、『パウリ=ヴィソワ』〔の古典学百科〕の新しい一巻に載っている『テウルギー』という論文では、プロティノスを降神術師と呼んでいるし、アイトレムは、最近、「降神術がプロティノスに由来することは疑いない」と言っている[030]。こういう意見は、主に、次の四つのことを根拠としているように思われる。すなわち、(1)プロティノスはエジプト生まれであると言われていて[031]、アレクサンドリアで、アンモニオス・サッカスについて学んだということ、(2)エジプトの宗教について深い[032]知識を持っていたと言われていること、(3)神との 神秘的合一 を経験したこと(ポルフュリオス『プロティノス伝』23)、そして(4)ローマのイシス神殿での出来事(同書10、この箇所は、三節352頁で引用検討する)。以上の四つが根拠で〔降神術とプロティノスを結ぶ意見が出ているので〕あるが、このうちで、本当に考察すべきものは、最後の一つだけであるように、私には思われる。第一の点については、ここでは次のように言えば十分であるとしなければならない。すなわち、プロティノスの名前はローマ風で、考え方と話し方の特徴はギリシア的であり、しかも、アンモニオス・サッカスについてわれわれが持っている僅かばかりの知識の中には、彼を降神術師と呼んでもよい、と保証するものは何もないということである。次に、エジプトの宗教についての知識が、『エネアデス』に見えるという〔第二の〕点については、常識的なことを、たまたま、少しばかり言ったに過ぎないとしか、私には見えない。ポルブュリオスはカイレーモーンの書物を読んで、この程度のことを、あるいは、それ以上のことを学んでいる[033]。さらに〔第三の点〕、プロティノスの、神との 神秘的合一 については、『エネアデス』の1・6・9や6・7・34のような箇所を、注意深く読めば、はっきりするに違いないことであるが、神との合一は、神を招く祭儀を行ったり、定められた条々を実行したりすれば、達成されるというものではなく、内面的な精神修養によって達成されるものなのであって、そこには、強制的な面も、呪術との関係もないのである[034]。結局、残るところは、〔第四の〕イシス神殿での出来事である。すなわち、降神術、ないしは、それに類似のことである。だが、これも(後で見るように)学派内のゴシップに基づくだけの事である。また、いずれにしても、人は交霊会に一度出席しただけで、心霊論者になるものでもないし、プロティノスのように、人に誘われて行ってみただけの場合は、なおさらのことである。

 プロティノスは、ウィルヘルム・クロルが言っているように、「大変な知的道徳的努力によって、自己を高め、霧にとざされた大気を払いのけて、超越の域に達した」人間である。生前は、自分と共に、弟子たちをも向上させた。しかし、彼の死と共に、再び霧はあたりをとざしはじめ、後の新プラトン主義は、多くの面で、背骨を欠いた諸説混合主義へと逆行したが、そもそも彼は、この混合主義から脱出しようとしたのであった。プロティノス個人の影響力と当時の迷信との葛藤は、彼の弟子ポルフュリオスの態度の動揺に、きわめて明らかに現れている[035]。つまり、ポルフュリオスは、正直で博学な愛すべき人物ではあるが、首尾一貫した、ないしは、独創力のある思想家ではない。彼は信心深い気質の人であったから、神託に対する抵抗力の弱さは矯正しょうがなかった。彼はプロティノスに出会う以前に[036]、すでに、『神託ニ基ヅク哲学ニツイテ』という題名の論集を出していた。この中には、霊媒について語っているものがあって、明らかに、われわれならば、「交霊会場」の産物と呼びたいものである(五節を見られたい)。しかし、この書物の中には、彼が『カルデア人の神託』を引き合いに出し(あるいは、降神術の用語を用い)ている形跡はない。多分、この書物を書いた時の彼は、まだ、その存在に気づいていなかったのであろう。後に、プロティノスから質問の仕方を教えられてから、彼は、鬼神論と神秘学にづいて、エジプトの〔神官〕アネポー[038]に質問しているが、この一連の問いかけは、いかにも鋭く、しばしば、皮肉な響きを帯びている。そして、その中には、呪術によって神々を拘束しようとするのは愚かしいことだという指摘がある[039]。もっと後のことと思われるが[040]、プロティノズの死後に、彼は『カルデア人の神託』を掘り出して、これの注釈を書いた[041]。『カルデア人の神託』は、(この手の書物には、ありがちなことだが)1世紀以上もの間、難解なまま埋もれて残っていたのである。また、彼は『霊魂ノ帰還ニツイテ』の中でも「この書について、たびたび言及した」[042]。彼は、後期の著書では、降神術のお祓いは気息的霊魂を浄めて、「霊ト天使ヲ受ケ容レ、カツ、神々ヲ認識スルニ相応ワシイヨウニ」することができると考えた。しかし、彼は読者に対して、この業(わざ)は善にも悪にも使える危険なものであると警告し、また、霊魂の神への帰還は、この業によって成就できるというものでもないし、帰還にはこの業の助けを必要とするというものでもないと言った[043]。実際、彼は、やはり、心底からプロティノスの徒であった[044]。だが、彼は対立学派に対して、危険な譲歩をしてしまったのである。

 『カルデア人の神託』についてのイアムブリコスの注釈書[045]と、『秘儀について』[046]という現存の論文の中に、対立学派に対するポルフュリオスの答えが見える。『秘儀にづいて』は非理性主義の声明書であって、救済の道は理性にではなく、祭儀の中に見出されると主張している。「降神術師と神々を結びづけるのは思想ではない。思想以外に何が理論的哲学者を妨げて、神々との降神術的合一を享受させないのであろうか。思想の出る幕ではない。降神術的合一は、独特の方式によって執り行われる、言いようもない降神術の 所作 によってしか達成されないものであって、この所作は、およそ理解の域を絶したものなのである。言い換えれば、言葉では言い表すことのできないシムボルのカによってのみ、神との合一が達成されるのであって、このシムボルの意味は神々だけが知っているのである。……われわれの側の知的努力とは無関係に、暗号(sunqhvmata)には不思議な力が備わっていて、この力によって、暗号は固有の働きを成し遂げる」(『秘儀にづいて』パルタイ校訂本96・13)。4世紀の意気消沈した異教徒に対して、このような言伝は魅力的な慰安を与えたのである。「理論的哲学者」は、今まで、およそ9世紀間にわたって議論してきたが、そこから何が得られたことだろう。文化は目に見えて衰退して行き、キリスト教徒による、古来の神々の否定が次第に拡まっただけであって、そのために、ヘレニズムの活気は全く奪い去られていったのである。卑俗な呪術は、おしなべて絶望に沈む人々の最後の頼りであって、このような人々の期待に応えられない点では、人も神も同様であった。それ故に、すでに神秘の 魅惑 を感じ取っていた、絶望のインテリゲンチァにとって、降神術は隠れ揚となったのである。

 だが、ィアムプリコス以後になっても、新プラトン学派は、降神術を全面的に受け容れるには至らなかったように思われる。エウナピオスが教訓的な一節で語るところによると(『ソフィスト伝』ボワソナード校訂本474以下)、イアムプブコスの弟子アイデシオスの、そのまた弟子に当たるミュンドスのエウセピオスは、講義の中で、呪術にたずさわるのは「気のふれた人々であって、この連中は、物質が或る種の力を放射するという、常軌を逸脱した研究をしている」と主張した。また、彼は、後に皇帝になったユリアヌスに警告して、降神術師のマクシモスは「奇蹟を演出するはったり屋」であるから避けるようにと言った。エウセピオスは、プロティノスを思い出させるような言葉で、結んでいる。「私ハ ロゴスニヨル浄メヲ重大視シマスカラ、コレラノ奇蹟ハ何一ツ問題ニシマセンガ、アナタモ、コンナ奇蹟ニ感嘆シテハナリマセン。」これに対して、皇子は「先生は書物にしがみついていたらよいでしょう。私は今では、自分がどこへ行くべきかを知っています」と答えて、マクシモスのもとへ赴いた。少し後に、この若きユリアヌスは、友人プリスクスに頼んで、自分と同名の人(降神術師ユリアノス〉について、イアムブリコスが書いた注釈の良い写本を求めている。彼は言う。「私は哲学ではイアムブリコスを、神智学(qeosofiva すなわち、降神術)では私と同名の人を求めて止まない。他に匹敵する人はいないと考える[047]。」

 ユリアヌス帝〔361-363〕が肩入れしたので、降神術が一時流行するに至った。彼が皇帝として、異教の聖職の改革にとりかかったので、降神術師のクリュサンティオスはリュディアの大可祭の地位を得た。マクシモスの方は、降神術の宮廷顧問として、富裕で権勢のある 枢機卿になったが、それと言うのも、「彼ハ、現在ノ事情ニ沿ウヨウニ考慮シテ、一切ノ事柄ハ、結局ハ神々ニ帰結スルモノト為スコトニシテイタ」からである(エウナピオス『ソフィスト伝』ポワソナード校訂本477。アミアーヌス・マルケリーヌスの22・7・3と25・4・17参照)。しかし、其の後、キリスト教徒の側から反発が起きたために、マクシモスは償いをすることになった。つまり、罰金を課せられ、拷問にかけられ、結局は、皇帝に対する謀反の廉で、371年に処刑されたのである(エウナピオス478。アミアーヌス・マルケリーヌス29・1・42。ゾシモス4・15)。この事件の後、しばらくの間、降神術師たちは雌伏している方が賢明だと考えた[048]。しかし、彼らの業は、ひそかに或る家々に伝えられ[049]、5世紀になると、アテナイの新プラトン主義者たちによって、再び公然と教授され、実践された。プロクロスは『呪文について』を書き、『カルデア人の神託』の注釈を書いたばかりでなく、女神「へカテー」を招き寄せて、その輝く姿を幻視することもしたし、ヘカテー崇拝の開祖と同じように、雨乞いの業にも長じていた[050]。ユスティニアヌス帝〔483年-565年〕以後、降神術は再び地下に潜行したが、完全に消滅したわけではなかった。プセルスは、大司教がカルデア人の降神術の方式にしたがって、神招きの業(qeagwgiva)を主宰するさまを述べているが、彼の主張によると、これは11世紀にピザンティンで行われたことだという[051]。また、『カルデア人の神託』についての、プロクロスの注釈書のことは、14世紀のニケフォロス・グレゴラスも、まだ、直接にか間接にか、知っていた[052]。


三 イシス神殿における交霊会

 ポルフュリオス『プロティノス伝』10(フォルクマン校訂本16・12以下)「一人ノエジプト人ノ神官ガ、ローマニヤッテ来テ、或ル友人ノ仲介デ、彼(即チ、プロティノス)ニ紹介サレタ。コノエジプト人ハ、自分ガ持ッテイル知慧ノ証シヲ見セヨウト思イ、プロティノスニ申シ入レテ言ウニハ、アナタノ中ニ、生来内在シテイル、固有ノダイモーンヲ呼ピ出シテ見セテアゲタイ、トイウノデアッタ。プロティノスガ喜ンデ招キニ応ジタノデ、神招キノ会ガ、イシス神殿デ催サレタ。トイウノモ、コノ場所ハ、コノエジプト人ガローマデ見ツケルコトノ出来夕、唯一ツノ清浄ナ所デアッタカラダト 言ワレル。サテ、幻視ノタメニ、ダイモーンヲ呼ピ出シテミタトコロガ、神ガ現レテキタガ、コレハ、ダイモーンノ類ニ属スルモノデハナカッタ。コレニハ、エジプト人モ驚イテ言ッタ。『アナタハ気高イ人ダ。アナタガ内ニ持ッテイルダイモーンハ、神デアッテ、低組ナ類ノモノデハナイ。』ダガ、コノ顕現シタ神ニ対シテ、何カヲ問ウコトモ、モットヨク眺メルコトモ出来ナカッタ。ナゼナラ、守護ノタメニ烏ヲ手ニシテ、一緒ニ見テイタ友人ガ、嫉妬ニカラレテヵ、何カヲ恐レテカ、手ニシティタ鳥ヲ絞メ殺シテシマッタカラデアル」。

 この奇妙な一節は、ホプナー『啓示の呪術』2・125によって論じられ、アイトレム『シュムボラエ・オスロエンセース』22・62以下によって、いっそう深く論じられている。われわれはこの一節を、史実として過大に評価しではならない。ポルフュリオスの「ト言ワレル」という言葉遣い[053]からして、彼は、プロティノス自身から聞いたのでもなく、また、実際に「交霊会に参加した人々」から聞いたのでもないことがわかる。また、彼は、この事件がきっかけになって、プロティノスの『我々が引き当てたダイモーンについて』(『エネアデス』3・4)という論文が書かれたと言っているから、この事件も、この論文の執筆と同じく、ポルフュリオスがローマにやってくる以前にあったことで、少なくとも、『プロティノス伝』の刊行よりも35年前である。したがって、彼が、この話の拠り所にした証拠は、直接のものでもなければ、(おそらくは)時間的にこの事件に近いものでもない。アイトレムが正しく言っているように、それは「確実な証拠としての価値を持つ」とみなすことはできない[054]。それでもやはり、この一節は、3世紀に、高級な呪術が行われた様子を、ちらっと垣間見せてくれるので、これだけでは真相はわからないけれども、興味深い箇所である。

 この交霊会の目的にしても、場所にしても、われわれはさして意外とは思わない。人間の中にダイモーンが宿るという考えは、非常に古くから、広く流布していたものであって、プラトンもストア学派も[055]、これを認め、それぞれの流儀によって、理性的意味づけをした。このダイモーンの考えが、ギリシア・エジプトの呪術の中で、或る役割を果たしていたことは、『ギリシア呪術のパピルス文書』7・505以下から、うかがえる。この文書では、残念ながら完全なものではないが、『各自に固有のダイモーンとの交わり』という題の下に、秘法が述べられている[056]。(ただし、これを、極く普通に行われる「使い魔」の呼び出しと混同してはならない。呪術師に仕える「使い魔」というのがあって、これと呪術師との交渉は、呪術的な手続きによって、はじめて生ずる のであるが、これとは別である。〉プロティノスのダイモーンが、実は神であるとわかった件については、プロティノス『エネアデス』3・4・6(フォルクマン校訂本1・265・4)の、「彼〔立派な人〕ノダイモーンハ神デアル」(アイトレムが引用している)の他に、オリュムピオドーロスの『プラトンのアルキピアデス注釈』クロイツァー校訂本20を参照されたい。すなわち、オリュムピオドーロスは、まず、神的なダイモーンを低級なダイモーンから区別しておいて、次に、こう言っている。「自ラノ本質ニ即シテ、本来アルベキ仕方デ生キテイル人々ハ、神的ナルダイモーンヲ引キ当テテイル……本質ニ即シタ状態ニアルトハ〔神によって〕人ガ天カラ吊ルサレテイル綱ニフサワシイ生キ方ヲ選プコトデアル。例エパ、戦士ノ生キ方ヲ選ンデイルトスレパ、軍神アレースノ綱ニヨッテ云々。交霊会場にイシス神殿が選ばれたことの説明としては、周知のように、呪術の実施のために清浄な場所が求められたこと[057]と、エジプトでは、神殿は、通常、斎戒し、厳しい断食を行った人しか近づくことができない所であった、とカイレーモーンが述べていること[058]で十分である。

 しかし、アイトレムを当惑させたのは、何のために鳥が出てくるのか、ということであって、私も当惑している。すなわち、「守護ノタメニ鳥ヲ手ニシテ」、言い換えると、悪い性質の霊が、降神術を行う人を攻撃しないように守護するために鳥を持って出る、というところである(マッケンナ、プレイエ、ハルダーは、異口同音に、鳥が飛び去らないようにつかんでいる、としているが、これは誤訳に違いない。なぜなら、これでは、鳥が出てくる理由が全く説明されないであろうから)。術者を守る手だては、パピルス文書に時折述べられている[059]。しかし、鳥は守護者として、どんな働きをしたのであろうか。また、なぜ、鳥が死んだために、出現していた神が消えたのであろう。ホプナーは、死の汚れが神を去らせたのであって、鳥を連れて来たのは、必要な時に鳥を殺せば、術が解けるからであったが[060]、早まって、必要もないのに殺してしまったのである、と言っている。他方、アイトレムは、『ギリシア呪術のパピルス文書』12・15以下に、蝋製のエロス像に生命を吹きこむ祭儀の一環として、鳥を絞め殺すことが入っているのを考え合せて、本当は犠牲の意味であったに違いないが、ポルフュリオスか、それとも、彼にこの一件を話した人は、事態を誤解したのだと考える。アイトレムは、友人がなぜ鳥を殺したのか、そこに言われている〔嫉妬・恐怖という〕動機は「本当とは思えない」とみなしている。この考えの裏づけとして、ポルフュリオスが『アネポーへの手紙』[061]の中で言っていることを引き合いに出すこともできよう。すなわち、「神招キノ業ハ、死ンダ動物ヲ使ッテ成シ遂ゲラレルノガ通例デアル」、と言われている。これによると、ホプナーの解釈は拒けられるように思われる。ところが、ポルフュリオスの別の箇所によると、友人は、 この 事件の時に を殺したために、降神術の秘儀の掟を破ることになったのだ、と言っているように見える。すなわち、『節制について』4・16(ナウク校訂本255・7)で、彼はこう言っている。「心霊ノ顕現ノ、本当ノ訳ヲ探究シタ人ハ誰デモ、ナゼ鳥ガ皆放サレナケレパナラナイカ、ソノ理由ヲ知ッテイル。マ夕、大地ノ神々カラ解キ放タレテ、天ノ神々ノ傍へ座ヲ与エラレルヨウニ努力シテイル人ナラパ、ナオノコト、ヨク知ッテイル。」これは、イシス神殿での出来事に、ぴヮたり当てはまるので(なぜなら「放サレル」は、鳥を食べることも殺すことも差し控える、という意味であるに違いないから)、ポルフュリオスは、このことを念頭においていたという感を禁じ得ない。ピタゴラス派の戒律で、雄鶏を犠牲に捧げることを特に禁止していることも、考え合せてよいであろう(イアムブリコス『ピタゴラス伝』147、『哲学か勧め』21)。

 しかし、そうとしても、なぜ、会場に鳥がいたのであろう。ことによると、鳥がいること自体、守護の意味があったのかもしれない。特別の形容限定なしに鳥と言う時は、普通、鶏のことである(リデル=スコット『希英大辞典』第9版、当該箇所参照)。また、キュモンが指摘しているように[062]、鶏は、原産地ペルシアから移入される際、暗閣を追い払うもの、したがって、悪魔を追い払うものという、神聖な鳥であるという考えも入ってきた[063]。たとえば、プルタルコスは、犬と鶏はオーロマゼース(オルムズ〔ペルシアの光の神、アフラ・マツダ〕)の配下であると知っている[064]。こう考えたら当たっていないであろうか。すなわち、火の崇拝の場合と同じように、鳥に関しても、イランの宗教観が、降神術の伝統の中に、その痕跡を残しているのである。また、エジプトの神宮は、そうは考えなかったとして も、少なくとも、ポルフュリオスは、鳥は邪惑を遠ざける働きを持っていると考え、その鳥が死んだために、天下った神の幻視が破られたと考えたのではないか。事実、ポルフュリオス以後のもので、この推測を支持する証拠がある。すなわち、プロクロスによると、雄鶏は太陽から生まれた生き物であって、「自ラノ所属スル位階ニ応ジテ、神的ナモノヲ分有シテイル」ばかりでなく、「モトハ、太陽的ナダイモーン共ノウチデモ、獅子ニ似夕顔ツキヲシティタノデアルガ、雄鶏ノ姿ヲ与エラレタタメニ、力強キモノノ備エ持ツ特徴ハ、影ヲヒソメテ、見エナクナッタト言ワレテイル」[065]。


四 降神術の実施様式の一、呪術的秘儀

 プロクロスは、降神術を大袈裟に定義して、こう言っている。降神術は「人智のすべてを凌駕する力であって、これには、神から授かった予言の能力と、奥儀を伝授する浄めの能力が含まれている。一言で言えば、神がかりの状態で行う、すべての働きを網羅するものである」(『プラトンの神学』63)。もっと簡単には、宗教的な目的に応用される呪術で、信心深い質の人に下されると考えられる神の啓示に基づくもの、と言ってよいであろう。卑俗な呪術は、宗教的ないわれを持つ言葉や祝詞を、冒涜的な目的に使ったのに反して、降神術は、元来は卑俗な呪術で行われた方法を、宗教的な目的に使った。その目的とは、「叡知的ナ火ノモトへ昇ルコト」(『秘儀にづいて』179・8)であって、熱心な信者を運命の絆から解き放つことができた(ナゼナラ、降神術師タチハ、運命ノ絆ニツナガレテイル家畜ノ群ノ中ニ落チルコトハナイカラデアル『カルデア人の神託』クロル校訂本59。『秘儀について』269・19以下参照)。また、降神術は「霊魂ヲ神ノ如ク不死ニスル」ものであった(プロクロス『プラトンの国家注釈』1・152・10[066])。しかし、降神術は、もっと直接的な功用をも持っていた。すなわち、『秘儀について』の第3巻は、専ら予言の技術を述べているし、プロクロスは、ダイモーン共から、過去と未来のことについて、多くの啓示を受けたと主張している(『プラトンの国家注釈』1・86・13)。

 われわれに判断できる限りでは、降神術の方法は、概して、卑俗な呪術の方法に似たものであった。われわれは、降神術の方法を、二つのタイプに大別することができる。すなわち、一つは、専ら〔この世のものと天上の霊とを結ぶ、呪術的な〕いろいろのシムボル(suvmbola)ないしは暗号(sunqhvmata)を使って行われるもので、もう一つは、脱魂状態になった「霊媒」を使うものである。

 降神術のこの二部門のうち、第一のものは、〔呪術的〕秘儀(telestikhv)として知られているものであって、神のお告げを得るために、呪術的な彫像を神に捧げ(telei:n プロクロス『プラトンのティマイオス注釈』3・6・13)、これに生命を吹きこむことが、主に行われたようである。プロクロスの『プラトンのティマイオス注釈』3・155・18によると、「呪術的秘儀ハ、犠牲ト神々ノ彫像ヲ地上ニ供エ、或ル種ノサマザマナシムボルヲ用イテ、個別的デ可滅的ナ質料カラ成ルモノドモヲシテ、神ノカニアズカリ、神ニ動カサレテ、未来ヲ予言スルノニ、フサワシイモノト為ス」。また、『プラトンの神学』1・28・70によると、「呪術的秘儀ハ浄メ祓ウモノデアッテ、或ル種ノ秘密ノ文字ヤシムボルヲ、彫像ノマワリニ供エテ、ソノ彫像ヲ生命アルモノニシタ」。同じ趣旨のことは、『プラトンのティマイオス注釈』1・51・25、3・6・12以下、『プラトンのクラテュロス注釈』19・12にも見られる[067])る。このような伝承的知識のうち、少なくとも一部は、ユリアノスの『テレスティカ』までさかのぼると考えてよいであろうし、シムボルが『カルデア人の神託』に由来することは確かである[068]。

 これらのシムボルとはどんなもので、どのように使われたのであろうか。非常に明解な答がプセルスの手紙に出ている[069]。すなわち、「ナゼナラ、アノ呪術的秘儀ノ智慧ハ、彫像ノ空洞ヲ、神ノ備エテイルサマザマナ力ニ対シテ類縁性ヲ持ツ物質デ満タス。タトエパ、動物、木、石、草、根、彫刻ノアル宝石、書キシルサレタ祝詞、時ニハ、感応ヲ呼ピ起コス香料デ満夕シ、マ夕、彫像ニ酒ノ壷ト香炉ヲ供エ、コノ神像ヲ生命アルモノト為シ、秘密ノ力デ動カス」。これはまさに、きっすいの降神術の教説で、これが、プロクロスの『カルデア人の神託』注釈に由来することは疑いない。動物、草木、石、香料は『秘儀について』(233・10以下。アウグスティヌス『神国論』10・11参照)に出ているし、また、プロクロスは、草木、石等々の、呪術上、さまざまの目的に役立づもののリストを挙げている[070]。それぞれの神は、動物界、植物界、鉱物界の中に、自分と「共感・感応の関係を持つ」ものを持っていて、これらは、神的原因のシムボルであるか、あるいは、シムボルを持つものであるので、神的原因と 感応 するのである[071]。これらのシムボルは彫像の内部にかくされているので[072]、それを知っているのは呪術師(telesthvV)だけである(プロクロス『プラトンのティマイオス注釈』1・273・11)。〔プセルスの文中の〕「彫刻ノアル宝石、書キシルサレタ祝詞」は、プロクロス『プラトンのティマイオス注釈』3・6・13の「秘密ノ文字ヤ生命アル名前」に対応するものである。秘密の文字(Xarakth:reV)には、七つの天体の神々を象徴する七つの文字のようなものも含まれるが[073]、秘密の文字は、書きしるされることもあるし、口頭で唱えられることもあった[074]。その正しい唱え方は、職業上の秘密で、口伝てに伝授された[075]。神々の持っている、さまざまな性質は、その名を挙げて祈りを唱えると、呪術的な効験を発揮したことでもあったろう[076]。さらに、この「生命を与える名前」には、或る秘密の名称も含まれていたのであって、この秘密の名称は、神々自身がユリアノス一派に明かし示したものであった。それ故、彼ら一派は、秘密の名称によって神々に祈りを捧げれば、神の答を得ることができた[077]。これは、ギリシア人には訳のわからぬ〔異国語の〕名前(ojnovmata bavrbara)であったらしく、『カルデア人の神託』によると、これをギリシア語に翻訳してしまうと効験が失われるそうである[078]。そのうちの幾つかは、いかにも、神々によってわれわれに明らかにされた[079]。しかし、その他については、たとえ、秘密の文字が、われわれには無意味に思えても、〔無意味に思える〕「ソノ事コソ、マサニ、コノ上ナク神聖ナルモノナノデアル」(『秘儀について』254・14以下)。

 降神術の秘儀は、この点では、どうみても、起源から程遠いものであった。古代の本草書と宝石論には、「占星術的な植物学と鉱物学」が一杯つまっている。これは、特定の植物や宝石は、特定の星の神々に帰属すると考える学であって、その起こりは、少なくとも、メンデスのボーロス(紀元前200年頃)[080]までさかのぼる。これらのシンボルは、すでにギリシア・エジプトの呪術で神を招き寄せる時に利用された。したがって、ヘルメスは、彼の支配する草や木の名を唱えると現れる。月の女神は、動物其の他のリストを列挙し、最後に「私ハアナタヲ表ス、サマザマナ印トシムポルヲ唱エタ」[081]と呼びかけると現れる。秘密の文字、さまざまな属性のリスト、そして、訳のわからぬ名前は、ギリシア・エジプトの 呪術の 基本的な 要素 である。訳のわからぬ名前の使用は、ルキアノス(『メニッポス』9の終り)やケルススには、よく知られていたし、解釈できないところに効験があるという理窟は、オリゲネスのケルススに対する反論の中で、大胆に主張された(『ケルスス反駁』1・24以下)。呪術が行われている間に、神が自分の真の名前を明かし示すということについては、『ギリシア呪術のパピルス文書』1・161以下を参照されたい。正しく口頭で唱えることの重要性にういては、同書の5・24共の他を参照されたい。

 呪術用に神々の小彫像を製造することは、新しい産業でもなかったし、降神術師の独占企業でもなかった[082]。彫像作りの窮極の根拠は、肖像と実物との間に、自然の感応的対応があって、これが両者を結びつけているという、原始的な広く行われた考え方であった[083]。呪術で 調伏 のために人形を使うのも、同じ考え方に基づいている。この考えの流行の中心は、明らかにエジプトであって、土着の宗教的な考えに根ざしていた[084]。ヘルメス文書の後期の対話篇『アスクレピオス』によると、「感覚ト精神ニ満チタ生命アル彫像」があって、これは「籤、予言者、夢、共ノ他多クノ事ニヨッテ」未来を予言し、病気を起こすこともするし、治すこともするという。薬草、宝石、香料の助けを借りて、神に捧げた彫像に、ダイモーンや天使の霊魂を吹き込むという、彫像製作の技術は、古代エジプト人の発明であった。すなわち、「カクシテ、人間ハ神々ノ製作者デアル」[085]。呪術のパピルス文書は、このような像を作り、それに生命を吹き込む(zwpurei:n 12・318)秘法を述べている。たとえば、4・1841以下によると、神の像は、プセルスが述べている彫像と同様に、空洞になっていて、呪術的な名前を書いた金箔を封入することになっている。2360以下によると、空洞になっているヘルメス像には、呪文が封入されていて、花環と犠牲の雄鶏が捧げられた。紀元1世紀以降[086]、エジプト以外の地で、これに匹敵する神像が、個人用に[087]作られ、呪術的に使われた話を耳にするようになる。ネロ帝は「或ル名モナキ平民」からの贈物として、こういう小像を持っていたが、これは彼を陰謀から守るものであった(スエトニウス『ネロ』56)。アプレイウスは、多分当然のことだったろうが、神像を持っている廉で告発された[088]。ルキアノスは『嘘好き』の中で、神像に対する信心を風刺した[089]。フィロストラトスは、像がお守りとして使われたと言っている[090]。3世紀には、ポルフュリオスは、ヘカテーの神託を引用して[091]、この女神を崇拝する者が、睡眠中に、女神の姿を幻視できるようにする像の作り方を教えている[092]。しかし、この術が本当に流行したのは、まだ後のことで、それは、イアムブリコスの力にまつものであったようだ。彼は、キリスト教徒が非難冷笑するのに 反対して、この術こそ、伝統的な神像崇拝を擁護する、最も効果的なものである、と見たことは疑いない。ポルフュリオスの『彫像について』では、神々は、その姿を形どった像の中に、何らかの意味で臨在するとまでは主張していないようであるが[093]、イアムブリコスの方は、同じ名の書物の中で、「偶像は神的なもので、残る隈なく神が臨在している」ことを証明しようとして、その裏づけとして、「多クノ信ジカネルコトドモ」を並べ立てている[094]。彼の弟子たちは、彫像から前兆を探るのを常とし、自分たちも、われ遅れじとばかりに、「信ジカネルコトドモ」をつけ加えた。マクシモスは、ヘカテー女神像が笑うように作り、その手にした炬火が自動的に火を点ずるようにしている[095]。また、へライスコスは、非常に鋭い直覚力の持主であったので、彫像を一目見ただけで、「生命あるもの」と「生命なきもの」とを、即座に見分けることができた[096]。

 神託を与える神像を作る技術は、傾き行く異教の世界から、中世の呪術師たちに伝えられて、彼らのレパートリーに入り、長くその命脈を保ったが、神像を 調伏 のために使うことほどは普及しなかった。かくて、1326年か27年の、教皇ヨハネス二十二世の大教書は、呪術によって神像などに悪魔を封じこめ、悪魔に問いかけて答を得る人々を非難している[097]。また、ここでは論究できないが、降神術の秘儀に関連して、さらに、二つの疑問が浮かんでくる。疑問の一つは、次のようなものである。中世には、魔よけの護符((televsmata, talismans)や彫像を信じることは、イタリアでもピザンティンでも、珍らしいことではなかったが、降神術の秘儀は、この信仰に何らか帰与するところがあったか、という疑問である。かくされているにしても、一見してわかるにしても、魔法の像があって、それが自然の災害や敗戦を斥けるカを持つとされていたのである[098]。これらの護符のうち、或るものは(名の知れない、あるいは、伝説的な呪術師のものとされるのが通例であるが)、本当に降神術師たちが作ったものなのであろうか。ゾシモス(4・18)によると、降神術師のネストリウスが、夢の中で受けた指図に従って、護符(アキレスの彫像)をパルテノン神殿に捧げ、紀元375年の地震から、アテナイを救ったという。イアムブリコスの頃、アンティオキアで、狂信的な異教徒テオテクノスが三種ノ詐術、乃至ハ、妖術ノタメニ」ゼウス・フィーリオスの彫像を奉納し、同時に、お祓い、入信式、浄めの祭儀を行ったが、この彫像も降神術的なものであったように思われるであろう(エウセピオス『教会史』9・3、9・11)。394年に、異教徒の帝位要求者エウゲニウスが、テオドシウス帝の軍勢に対抗した。このエウゲニウスを助けるために、金の雷電で武装したユピテルの彫像が「或る祭儀を執り行って奉納」されたが、これも、その由来は同様であると考えられよう(アウグスティヌス『神国論』5・26)。この時、フラーピアーヌスの働きがあったと見てよいであろう。彼は、エウゲニウスの代表的支持者で、異教の神秘学を囓っていた人として知られている。さらに、護符としての彫像が、レーギオンの町をエトナ火山の噴火と津波から守った例がある。この話は、降神術の浄めに用いられた〔二つの〕要素〔火と水〕を備えているように思われ、降神術のシムボルとパピルス文書の次の記述を思い出させるものである。「ナゼナラ、火ハ間近ニ迫リ、他方カラハ、如何ントモ為シ難イ海水ガ迫ッタ。」[099]

 疑問の第二は次のようなものである。中世の錬金術師たちは、人為的に小人(homunculi)を作る試みを止めなかったが、これは降神術の秘儀が示唆し思いつかせたことであったろうかという疑問である。錬金術と降神術との間には、考え方の上で、明白なつながりは認められないけれども、歴史的な結びつきを示す奇妙な証拠が、最近、アラピア学者パウル・クラウスによって提示された[100]。だが、彼の早逝は全く惜しみでもあまりあることである。彼の指摘によると、ジャピル・イプン・ハイヤン(ゲピル)のものとされている錬金術の大集成は、錬金術と降神術の関連上、『生成の書』[101]と題されるポルフュリオスの書物(偽作ではないか)に言及しているばかりでなく、新プラトン学派の、神像についての考えも利用しているという。そして、この神像についての考えは、ポルフュリオス自身の著書 — 多分『アネボーへの手紙』も含めて [102]— についての幾分かの知識をうかがわせるものであるという。


五 降神術の実施様式の二、霊媒の脱魂

 降神術の秘儀は、生命なき「容器」の中に神を降臨させようとしたのに対して、降神術のもう一つの部門では、或る種の人間(神にとり憑かれる者、あるいは、特殊な術語で言えば、霊媒(doceuvV)の中に、一時的に、神を顕現させようとした[103]。秘儀の方は、肖像と実物との間に、もともと共感・感応の作用が備わっているという、広く行われた考えに基づいているのに対して、特殊な人間を媒介とする降神術の方は、人格の変換という考えに基づく。つまり、神、ダイモーン、あるいは、故人の霊にとり憑かれるために、人格が突然変るという、広く信じられていた考えに基づくのである[104]。このような、人格を変えさせる枝術が、ユリアノス一派にさかのぼるということは、プロクロスの言から推察されるであろう。すなわち、霊魂は身体から離脱し、再び身体に復帰することができるが、このことは、「マルクス〔マルクス・アウレリウス帝〕ノ時代ノ降神術師タチガ演ジテミセタコトデアル。事実、彼等ハ、一種ノオ祓イニヨッテ、秘儀ニアズカル人ニ対シテ、同ジ業ヲ為スノデアル」[105]、によって確認される。他の人々も、このような術を実行したことは、フィルミクス・マテルヌスがポルフュリオスの中から引用した神託(『不浄なる宗教の誤りについて』14)からわかる。この神託は「セラーピスハ招キ寄セラレテ人間ノ身体ノ中ニ宿リ、次ノ如ク答エタ」という言葉ではじまっている。フレデリック・マイヤーズが見てとったように[106]、ポルフュリオスに見られる神託の多くは、霊媒が発する言葉に基づいてまとめられたもののようであって、霊媒は、神託を告げるために脱魂状態におち入ったのである。ただし、この催しは、社で公然と行われたのではなくて、内輪の集まりで行われたものである。脱魂状態を解く(ajpovlusiV)処法も、この類に属する。この処法は、脱魂状態の霊媒を介して、神から授かったと称されている[107]。そして、これに類似のものは、パピルス文書に出てはいるが、到底、公認の神託の一部とは成り得ないものであった。同じタイプのものとしては、プロクロスが(ポルフュリオスからであろうか)引用した「神託」がある。すなわち、『プラトンの国家注釈』1・111・28に、「或ル神ハ、『コノ霊媒ノ憐レナル心ハ、私ニ耐エキレナイ』ト言ウ」と出ている。このように、神が霊媒個人の身体の中に入るのは、神の自発的な思寵の行為ではなくて、術者の、強制とも言える[108]訴えかけに対する、神の答えであると考えられた。この点が、公認の神託とは違うところであった。

 降神術のこの部門は、近代の心霊術と、きわ立って似ているので、特に興味深いものである。この点に関して、よい資料が得られれば、比較検討によって、降神術と心霊術の迷信的発想の、心理学的、並びに、生理学的な根拠が明らかになるものと期待してよいであろう。しかし、われわれの持っている知見は、じれったいほど不完全なものである。プロクロスによると、降神術をはじめるに当たっては、術者も霊媒も、火と水による浄めを受け(『プラトンのクラテュロス注釈』100・21)、招き寄せる神にふさわしいように、特別の衣を着て、特別な帯をしめた(『プラトンの国家注釈』2・246・23)という。これは、ポルフュリオスの神託に見られる、ナイルの麻衣に相当するもののように思われる(『福音書入門』5・9)。また、術を解くに当たっては、これを脱ぎ捨でなければならなかった事は明らかである(ギリシア呪術のパピルス文書』4・89の「裸体ノ少年ニ、頭ノ先カラ足モトマデ、衣ヲ着セカケル」、アミアーヌス・マルケリーヌス29・1・29の、呪術師たちの「麻衣」、アプレイウス『弁明』44の「清浄ナマント」を参照されたい)。霊媒も、呪術的な効能を持つ花環をつけ[110]、「招キ寄セラレル神々肖像」[111]や、その他の適当なシムポル[112]を手に持つか衣服に着けるかした。霊媒の脱魂を引き起こすために、他にどんなことをしたかは、よくわからない。ポルフュリオスは、神がとり憑くようにするために、(中世の呪術師たちがしたと同様に)秘密の文字の上に立った人々のことを知っているが、イアムブリコスは、このやり方には感心していない(『秘儀について』129・13、131・3以下)。イアムブリコスは、香料のかおりと神に呼びかける呪文の使用は認めているが(同書157・9以下)、これは霊媒の精神を動かす効果は持っていないと言っている。他方、アプレイウスは(『弁明』43で)、霊媒が「呪文デ気ヲ紛ラセラレタリ、香料デ誘ワレタリシテ」眠りに落ちると言っている。プロクロスは、幻視を引き起こすために、ストリキニンなどの薬物で眼をかすませるという策を知っているが[113]、これは降神術師のすることではないとしている。降神術の実施に当たって効果があったのは、心霊術の場合と同様に、実際は、心理的なものであって、生理的なものではなかったであろう。イアムブリコスは、誰もが霊媒の素質を持つのではなくて、霊媒として最も適しているのは、「若くて、どちらかと言えば単純な人間」であると言っている[114]。この点で、彼は、古代に一般に行われた見解と同意見である[115]。また、近代の〔心霊術上の〕経験も、全面的に、彼を支持する方に傾いているし、少なくとも、単純な人が霊媒に適するという点では、まさにその通りである。

 霊媒の行動並びに心理状態については、イアムブリコスが、暖昧ではあるが、やや詳細に述べている(『秘儀について』3・4-7)。また、プセルスは、もっと明快な言葉で述べている(『オラティオネス』27、『小論』1・248・1以下でプロクロスに基づいて。また『ギリシア錬金術写本目録』6・209・15以下と、『ダイモーンの働きについて』の14、ミーニュ『教父全集ギリシアの部』122、851も参照されたい)。プセルスは二つの揚合に分けている。その一つは、霊媒の人格が完全に停止状態になるために、どうしても、正常な人間が傍にいて気を配らなければならない場合である。もう一クは、「何ラカノ不思議ナ仕方デ」霊媒の意識が失われないで残っているために、霊媒は「何ガ働キ、何ガ声ヲ発シ、ドウスレパ、自分ヲ動カスモノヲ解キ放ツコトガ出来ルカ」を知っている場合である。ここに挙げた脱魂の二つのタイプは、今日も見られる。イアムブリコスによると、脱魂の徴候は、「報告者」が違い、起きた場合が違うごとに、はなはだまちまちであると言う(111・3以下)。感覚を失って、火にも感じない場合もあるし(110・4以下)、身体が動く場合もあり、全く動かぬ場合もあるし(111・17)、音声が変る場合もあるという(112・5以下)。プセルスは、「霊的ナモノ」が、弱い霊媒には耐えかねるような痙攣発作を起こすという、危険を挙げている[117]。また彼は、別の箇所では、神にとり憑かれる者が、唇を噛み、声をひそめでつぶやくと言っている(『ギリシア錬金術写本目録』6・164・18)。これらの脱魂の徴候は、ほとんどみな、パイパー夫人の脱魂現象に関する、へンリー・シジウィク女史の古典的研究によって説明することができる[118]。私の考えでは、脱魂の現象を観察した古代と近代の記述は、同じとは言えないまでも、少なくとも、似ていると結論してよいと思う。(ポルフュリオスがロドスのピタゴラスから引用した、重要な観察を加えてもよいであろう。これはエウセピオスの『福音書入門』5・8に出ているもので、「神々」は、はじめは、渋々やってくるけれども、習慣が出来てしまうと — つまり、脱魂状態の人格が出来上ってしまうと — いとも簡単にとり憑くようになるという。)

 われわれは、ここに言う「神々」が一体何であるかについては聞いていないし、どんな神々であったかについては、事実、しばしば論争があったようである。ポルフュリオスは、神の出現が、天使や大天使、あるいは、人間の霊魂の出現とは、どう違うかを知りたいと思った(『秘儀について』70・9)。イアムブリコスは、不浄な、あるいは未熟な術者は、時折、悪い神や、もっと悪いアンティテオイ(ajntivqeoi)とよばれる、神にさからう悪い霊を呼び出すことがあると言っている(同書177・7以下〉。彼自身、アポロンと称されているものが、実は剣闘士の亡霊にすぎないことを、あぱいで見せたと言われている(エウナピオス『ソフィスト伝』473)。シュネシオスの『夢について』142Aによると、間違った答えが出るのは、このような邪魔をする霊のためであって、これが「高位の霊のために用意されている場所に跳びこんできて、そこを占領する」のだという。シュネシオスの注釈者ニーケフォロス・グレゴラス(ミーニュ『教父全集ギリシアの部』149、540A)は、この考えは例のカルデア人たち(ユリアノスか)の抱いていたものであるとして、このような場合に対処するための処法を(『カルデア人の神託』からか)引用している。間違った答えが出るのは「条件が悪い」[120]ためであると説明する人々もある(「周囲ノ悪条件」エウセピオス『福音書入門』6・5に出ているポルフュリオスの考え。フィロポノス『世界創造について』4・20も同じ)。また、必要なものが欠けているためであるとする人もいる[121]。さらに、霊媒の精神状態が乱れているためとも、正常時の精神が、折悪しく介入して干渉するためとも言われる(『秘儀について』115・10)。以上に挙げたような、失敗の言い逃れ方は、いずれも、心霊術の文献にもまた現れるものである。

 神々は、霊媒の口を通して、過去と未来を明かし示すだけでなく、神々の出現のしるしを見える(時には、聞こえる[122])ようにしてくれる。霊媒の身体は、目に見えて長くのぴたり、幅広くなったり[123]、空中に浮き上ったりさえもした(『秘儀について』112・3[124])。しかし、神は光輝く幻の形で現れるのが常であった。実際、このような「幻視の恩沢」がない場合もあるが、それは、イアムブリコスの考えでは、術者たちが自分の術に確信を持てなかったからであるという(『秘儀について』112・18)。プロクロスは交霊会を、二つのタイプに分けたように思われる。一つは「実地に見ることができる」タイプで、この場合には、見物人は、自分の目で現象を目撃した。もう一つは「秘教的な」タイプで、この場合には、見物人は「術者(秘儀ヲ執行スル者)」が語る現象を聞くだけで満足しなければならなかた[125]。もちろん、後者の場合、〔術者が見て語り聞かせる〕幻視は、全く主観的なものにすぎないのではないか、という疑いを招いたし、ポルフュリオスも、ちょうどそのように考えていたように思われる。なぜなら、イアムブリコスは、神がかりないしは予言は主観的に起きるものであるという考えを、精力的に否認し(『秘儀について』114・16、166・13)、「神々」が訪れた後に残した、客観的な証跡について、明らかに言及しているからである[126]。後の著者たちは、なぜ、一部の人々だけが、生来の資質、ないしは神宮としての能力のおかげで、そのような幻視を享受できるのかを説明するのに苦労している(プロクロス『プラトンの国家注釈』2・167・12、ヘルメイアス『プラトンのファイドロス注釈』クーヴルール校訂本69・7)。

 神の光輝く幻は『カルデア人の神託』までさかのぼるが、この書は、術者が或る呪文を唱えれば、「少年のような姿の火」が見えるとか、「声を発する、定かな形のない火」が見えるとか、あるいは主た、他のさまざまな物が見えると、請け合っている[127]。比較検討して頂きたいことが幾つかある。それは、例の「カルデア人たち」が、ユリアヌス帝に見せたと言われる「心霊ノ輝ク幻」[128]や、プロクロスが見たと主張する「ヘカテー女神ノ輝ク幻」(マリーノス『プロクロス伝』28)、それに、幾分危険な方法ではあるにしても、自然の火を用いて、ヘカテー女神に似た火のように輝く幻を作るための、ヒッポリュトスの秘法(『すべての異端を排す』4・36)などである。『秘儀について』3・6(112・10以下)では、これらの現象は、明らかに霊媒の特性と関係づけられている。神招きの術を行なう者や霊媒、また時には、臨席しているすべての人々は、霊が火のように輝く姿で、霊媒の身体の中に入ったり、離脱したりするさまを見るであろう。そして、臨席者の目撃(プロクロスの言う、実地に見ることができる場合)が、一番申し分のないものであると言われている。明らかに、これと類似の現象が近代の心霊術に見られるという。すなわち、ホプナー[129]や其の他の人々が指摘している類似現象のことで、それは、「エクトプラズム」とか「テレプラズム」と呼ばれるもののことで、それが、霊媒の身体から現れ出、また、もとに戻って行くのを見たと近代の心霊観察者たちが主張しているものである。神霊の現れ方は、「エクトプラズム」と同じように、定かな形がないか、あるいは、或る形を持つものであったろう。ポルフュリオスの神託の一つ(『福音書入門』5・8)は、「純粋な火が圧縮されて神聖な姿になる」ことを語っている。しかし、プセルスによると(ミーニュ『教父全集ギリシアの部』122、1136C)定かな形を持たずに現れる方が、最も信頼性のあるものだという。そして、プロクロスは〈『プラトンのクラテュロス注釈』34・28)その理由を挙げて、「ナゼナラ、形ヲ持ッテイタモノハ、顕現ニヨッテ、形ヲ捨テテ、高位ノモモノニナッタカラデアル」と言っている。神霊が出現する時は、いつも光り輝くのは、疑いもなく、「カルデア(イラン)」の火の崇拝と関連があるが、これは、近代の交霊会場で見られる「光」ばかりでなく、パピルス文書の「超自然の光を招く術」(fwtagwgivai)[130]をも思い起こさせる。プロクロスは、「光の中で」、形のないものが形を持つようになることを語っているように思われる[131]。これは『ギリシア呪術のパピルス文書』7・540以下に指示されていることと同じように、「ランプを使う予言」(lucnomanteiva)を示唆している。すなわち、このパピルス文書の中で、呪術師は言う(561)。「コノ少年ノ霊魂ノ中ニ乗リ移レ。不死ナル 姿ヲ 、力強ク不滅ナル 光ノ中デ作ル タメニ。」アイトレム[132]は、この「形作ル」という語を「見つける」と解した(この解釈を裏づけるものは、どこにもない)ようであるが、今言及した箇所からすると、われわれは「姿を現し出す」(プライゼンダンツの解釈)と訳すべきで、具体的な姿に現すことが問題になっているのだと考えるべきだ、と私は思う。「力強い不滅の光」が、滅び行くランプの光に取って代ることは、『ギリシア呪術のパピルス文書』4・1103以下に述べられていることと全く同様である。それによると、参会者は、ランプの光が「円天井のような形」になるのを見、ついで、それが「あたり一面を占める非常に大きな光」に代るのに気づき、づいに神を認めるのである。しかし、降神術でいったいランプが用いられたかどうかは、わからない。確かに、「超自然の光を招く術」のうち、或るタイプのものは、暗閣の中で行われたし[133]、別のタイプのものは、戸外で行われたが[134]、「ランプを使う予言」の方は、『秘儀について』の3・14に列挙されている、「超自然の光を招くさまざまな術」の中に入ってはいない。とは言え、一言葉使いの似通っている点が、依然として強い印象を与える。




[註]
(*)  この論文は、Journal of Roman Studies, Vol. 37 (1947)から、若干手を加えて再録したものである。M. P. Nilson 教授と A. D. Nock 教授には、草稿に目を通して頂き、貴重な示唆を受けたので、謝意を表さなければならない。 
[001] W. Kroll, de Oraculis Chaldaicis (Breslauer Philologische Abhandlungen, VII. i, 1894).
[002] Catalogue des manuscrits alchimiques grecs (abbrev. CMAG) , Vol. VI; Melanges Cumont, 95 ff. 同氏の"Note sur les mysteres neoplatoniciens" in Rev. BeIge de Phil. et d'Hist. 7 (1928) 1477 ff. と Vie de l'Emp. Julien, 73 ff. を参照せよ。プセルスの最も近い典拠としての、ガザのプロコピオスについては、L. G. Westerink in Mnemosyne, 10 (1924) 275 ff. を見よ。
[003] Griechisch-Aegyptischer Offenbarungszauber (OZ と引用する)と、de mysteriis の訳書に入っている序論と注釈において。また Pauly-Wissowaに入っている"Mageia" と "Theurgie"と、 注[115]をも参照せよ。
[004] 特に、"Die suvstasiV und der Lichtzauber in der Magie," Symb. Oslo. 8 (1929) 49 ff. と "La Theurgie chez les Neo-Platoniciens et dans les papyrus magiques," ibid., 22 (1942) 49 ff. W. Theiler の論文 Die chaldaischen Orakel und die Hymnen des Synesios (Halle, 1942) は、『カルデア人の神託』が後期の新プラトン主義に及ぼした、教説上の影響について、学究的に論じているが、この間題は、私が論じようとしなかったことである。
[005] Papyri Graecae Magicae, ed. Preisendanz (abbrev. PGM).
[006] Cf. Bidez-Cumont, Les Mages hellenises, I. 163.
[007] Suidas, s. v.「テウールゴスト呼パレ夕、ュリアノス」
[008] Suidas, s. v., d. Proclus in Crat. 72. 10 Pasq., in Remp. II. 123. 12, etc. プセルスは或る箇所で、(ユリアノスと彼の父とを混同してか)彼はトラヤヌス帝町時代〔98年-117年〕の人だとしている(Scripta Minora I, p. 241. 29 Kurtz-Drexl)。
[009] Vie de Julien, 369, n. 8.
[010] Eitrem, Symb. Oslo. 22. 49. を見よ。プセルスは、テウールゴスという言葉を、後の意味で理解しているようで、PG 122, 721 D で「人間ドモヲ神々ニ仕立テアゲル」と言っている。また、三六〇頁に引いたヘルメス文書の「人間ハ神々ヲ創ル者デアル」をも参照せよ。
[011] Proclus (in Crat. 72. 10, in Remp. II. 123. 12)の「マルクスノ時代ノ降神術師タチ」という表現は、おそらく、父と子とを合せて一緒に言っているのであろう。
[012] ad Philops. 12 (IV. 224 Jacobitz). この古注については Westerink, op. cit., 276を見よ。
[013] Script. Min. I. 241. 25 ff., cf. CMAG VI. 163. 19 ff. Westerink が指摘しているように、この言葉の典拠はプロコピオスであるように思われる。
[014] Marinus, vito Proel. 26; d. Proel. in Crat. C. 122. このような、神から授かったという主張は、ヘレニズム時代の神秘学の文献に、しばしば見られるものであるが、この点については Festugière, L'Astrologie, 309 ff.を見よ。
[015] Bousset, Arch. f. ReI. 18 (1915) 144 は、コルネリウス・ラベオと教説が合致するという理由で、もっと以前の人だと論じている。しかし、ラベオの年代自体が全く不確かである。また、教説の合致も、ユリアノス一派が新ピタゴラス教団の中で活動したというだけのことであろう。われわれは新ピタゴラス教団が呪術に関心を持っていたことを知っている。
[016] Script. Min. I. 241. 29; d. CMAG VI. 163. 20. 幻視の際に受ける教義的な神託については、Festugière, op. cit., 56 f. を見よ。
[017] 第三章、注(70)を見よ。
[018] Kroll, op. cit., 53 ff. 神的な火に関する一節は、PGM iv. 475ff. の「不死の秘法」を思い起こさせるもので、多くの点で、『カルデア人の神託』に酷似している。Julian, Or. V, 172 Dは、かのカルデア人(すなわち、ユリアノス)はへプタクティース〔七つの光を放つもの〕なる神〔つまり、太陽〕を崇拝したとしている。この太陽の呼称は、プセルスの文中に2箇所あるが、原文の乱れのために変形されていた。すなわち、Script. Min. I. 262. 19に「エローテュケー、或イハ、カソターヲ、エプタキス(これをへプタクティースと読む)乃至ハ、他ニ何カ惑ワスダイモーンガ云々」とあり、ibid., I. 446. 26 には、「アプレイウスハ、誓いイニヨッテ、エパクトス(ピデはへプタクティースと読みかえる)ヲ強イテ、コノ降神術師(すなわち、ユリアノス)ト交ラヌヨウニシタ」とある。また、Procl. in Tim. I. 34. 20 に「降神術師タチニヨルト、へプタクティースハ太陽ノモトニ云々」とあるのを参照せよ。
[019] 『黄金の鎖について』、Anm. Assoc. Ét. Gr. 1875,216. 24 ff.
[020] Proclus, in Tim. III. 120. 22「降神術師タチハ、彼ニ働キカケテ、姿ヲ現スヨウニサセル事ノ出来ル呪文ヲ、我々ニ伝エタ」cf. Simpl. in Phys. 795. 4; Damasc, Princ. II. 235. 22. 交わり(suvstasiV)も呪文(ajgwghv)も、呪術の「術語」であって、呪術のパピルス文書から知られているものである。
[021] Proclus, in Remp. II, 123. 9 ff.
[022] Suidas, s. v. =IoulianovV. この名誉がユリアノスに与えられたことは Claudian, de VI cons. Honorii, 348f. にも言われているようである。クラヴディアーヌスは「カルデア人」の呪術について語っている人である。この物語の異説と、近代の長々しい議論の要約については、A. B. Cook, Zeus, III. 324ff. を見よ。ユリアノスがやって見せたということも、ドミティアヌス帝〔81年-96年〕の下で、〔現在のルーマニアにいた〕ダーキア人に対する戦いを指揮したユリアノスとの混同がもとになっているのであろう(Dio Casso 67. 10)。
[023] Scrip. Min. I. 446. 28.
[024] S. Anastasius of Sinai, Quaestiones (PG 89, col. 525 A). ユリアノスがアプレイウスと対抗したと思われる点については、注[018]に引いたプセルスをも見よ。
[025] Cf. Olympiodorus in Phaed. 123. 3 Norvin 「ポルフュリオス、プロティノス、ソレニ、他ノ多クノ哲学者ノ如ク、哲学ヲ尊敬スル人々モイルガ、イアムブリコス、シュリアノス、マ夕、プロクロス、ソレニ、スベテノ神官タチノ如ク、神聖ナル術(すなわち、降神術)ヲ尊敬スル人々モイル」。
[026] 彼が Enn. I. 9 init. で引用している、「霊魂ガ何カヲ持チ去ルコトガアッテハナラヌカラ、霊魂ヲ去ラセテハナラナイ」という散文の戒めを、Psellus (Expos. or. Chald. 1125 C ff.) と、この箇所に対する後の古注は、「カルデア人のもの」と称してはいるが、この散文の戒めは、六脚律の詩に由来しているとは言えない。この教訓はピタゴラス学派のものである。
[027] Porph. vito Plot. 16. Cf. Kroll, Rh. Mus. 71 (1916) 350; Puech in MeIanges Cumont, 935 ff. 同じような、いかさま予言者たちのリストが Arnob. adv. gentes I. 52 にもあるが、それには、ユリアノスとゾロアスターが肩を並べて出ている。
]028] 特に、C. 9, 1. 197. 8ff. Volk. の「我々ハ、他ノ人々モ神ノ傍ニ座ヲ占メテイル事ヲ認メナケレパナラナイ。夢ノ中デ飛プガ如キ心境デ、自分ダケガ神ト共ニアルト思ッテハナラナイ。……理性ノ域ヲ越エルコトハ、スデニシテ、理性ヲ踏ミハズシテイルノデアル」を参照せよ。
[029] Enn. 4.4. 37, 40. 彼は、この議論では、終噛一貫して、妖術(gohteiva)という軽蔑的な一言葉を使っていて、降神術の術語を全く持ちこんでいない点に注意されたい。共感・感応(sumpavqeia)という、ストア学派と新プラトン学派の考えについては、K. Reinhardt, Kosmos und Sympathie と、私の Greek Poetry and Life, 373 f. の中の考察を見よ。降神術師たちには、このような説明は、全く的はずれのように見えた(de myst. 164.5 ff. Parthey)。
[030] Symb. Oslo. 22. 50. アイトレムが自ら述べているように、ローベックとヴィラモーヴィツは別の考えを持っている。また、彼は Wilhelm Kroll (Rh. Mus. 71 [1916J 313)と Joseph Bidez (Vie de Julien, 67-; CAH XII. 635 ff.)を加えてもよかったであろう。
[031] この点については、CQ 22 (1928) 129, n. 2 を見よ。
[032] J. Cochez, Rev. Neo-Scolastique, 18 (1911) 328 ft., and' Melanges Ch. Moeller, I. 85 ff.; Cumont, Mon. Piot, 25. 77 ff.
[033] de abst. 4. 6, cf. de myst. 265. 16, 277. 4. さらに Cumont, Theol. Literaturzeitung, 50 (1925) 485 ff. :に対する E. Peterson の説得力のある反論を見よ。Enn. 5. 5. 11 に、食いしんぼうのために神聖に与かることができない人々のことが言われているが、これは、おそらく、エジプトではなくて、エレウシスのことを指しているにちがいない。このことを私は付け加えたい。すなわち、Porph. de abst.4.16 には「ナゼナラ、ェレウシスニオイテモ、家禽、魚、豆ソレニ、ザクロトリンゴヲ断ツヨウニ勧告サレテイルカラデアル」とある。
[034] Cf. CQ 22 (1928) 141 f., and E. Peterson, Philol. 88 (1933) 30 ff. 事実は逆で、Eitrem (Symb. Oslo. 8. 50)が正しく指摘しているように、交わり(suvstasiV)という呪術並びに降神術の用語は、 神との神秘的合一 には、何のかかわりもない。
[035] Bidez, La Vie du Neoplatonicien Porphyre という、思いやりのある、上品な、そして、学殖豊かな研究を見よ。同じように、神秘主義が呪術に冒された例は、他の文化にも見られる。「民間宗教が眠想的理想によって高められることもある反面、きわめて高度な宗教が、邪教的な冥界に属する、理性以下の力によって冒され、汚される傾向がある。〔密教的な〕タントラ教典を信奉する仏教や、或る形態のヒンズー教の分派の場合がそうである」 (Christopher Dawson, Religion and Culture,_ 192 f.)。
[036] 「彼ハ若イ頃、ドウヤラ、コレラノ事ニツイテ書イタラシク思ワレル」Eun. vito Soph. 457 Boissonade; Bidez, 6p. cit., chap. iii.
[037] その断片は W. Wolff, Porphyrii de Philo sophia ex Oraculis Haurienda (1856) によって編集された。この論集の一般的性格については A. D. Nock, "Oracles theologiques," REA 30 (1928) 280 ff. を見よ。
[038] その断片は Cale によって(あまり学問的とは一言えないが)復元され、de mysteriis の Parthey 校訂本に再録されている。その成立年代にづいては Bidez, op. cit., 86 を見よ。
[039] apud Eus. Ev. 5. 10, 199 A (=fr. 4 Gale)「神々ニ祈リ呼ピカケルノハ愚カナ事デアロウ……マ夕、イワユル、神々ニ対スル強制ニ至ッテハ、一層愚カナ事デアル。ナゼナラ、神々ハ動カサレルコトナキモノデアッテ、コレヲ呪文デ征スルコトモ、力ズクデ動力スコトモ出来ナイシ、強制スルコトモ出来ナイカラデアル」。
[040] アネポーへの手紙には、ユリアノスや『カルデア人の神託』からの引用はなかったものと思われる。なぜなら、この手紙に対するイアムブリコスの返答の中には、それらについて何も言及がないからである。『秘儀について』の中に見える「降神術」が、はたしてユリアノス一派の流れとは無関係のものか否かについては、これから調べなければならないが、その著者は、エジプト人の教えばかりでなく、「カルデア人」の教えや (p. 4. 11)、「アッシリア人」の教え(p. 5. 8) も知っていると、確かに主張し、両方とも述べるつもりだと言っている。
[041] Marinus, vit. Procli 26; Lydus, mens. 4. 53; Suidas, s. v. PorfuvrioV.
[042] Aug. Civ. Dei 10. 32=de regressu fr. 1 Bidez (Vie de Porphyre, App. II).
[043] Ibid., 10. 9=fr. 2 Bidez. 降神術における気息的な霊魂の働きについては、私の校訂した Proclus' Elements of Theology, p. 319. を見よ。
[044] 注[025]の、オリュムピオドーロスの判断を参照せよ。
[045] Julian, Epist. 12 Bidez; Marinus, vito Procli 26; Damasc. I. 86. 3 ff.
[046] 『秘儀について』は、「アパムモーン」という人の名を冠して出されたものだが、プロクロスと、ダマスキオスによって、イアムブリコスのものであるとされた。そして、Rasche の学位論文が1911年に出版されて以来、大方の学者はイアムブリコスの作と認めている。Cf. Bidez in Melanges Desrousseaux, 11 ff.
[047] Epist. 12 Bidez=71 Hertlein=2 Wright. Loeb [Classical Library] の校訂者[Wright]はピデに反対して、この箇所の「同名の人」とは、息子の方のイアムブリコスのことであると主張しているが、これは明らかに誤りである。この箇所の原文(ta; =Iamblivcou eijV to;n oJmwvnumon)は「イアムブリコスが、同じ〔イアムブリコスという〕名の人について書いた注釈書」という意味にはなり得ないし、息子のイアムブリコスが神智学者だったのでもない。
[048] 391年〔テオドシウス帝がキリスト教を国教とした年〕よりも少し前に死んだアントニヌスという人について、エウナピオスが次のように言っているのを参照せよ。すなわち、「彼ハ降神術ノヨウナ不可思議ナ事ハ何一ツ感覚ニウッタエルヨウニ明ラカニ見セハシナカッタモノデアル。恐ラク、一面デハ、皇帝ノ攻撃ヲ招クコトヲ考慮シテノ事デアロウ」(p. 471)
[049] こういうわけで、プロクロスはアスクレピゲネイアから「偉大なるネストリウス」の降神術の呪文を学んだ。彼女ア スクレピゲネイアは、父のプルタルコスから、これを伝授されて、この業の唯一人の後継者であった(Marinus, vit. Procli 28)。この一家が呪術の秘衡を伝えていたことについては、Dieterich, Abraxas, 160 ff.; Festugiere, L'Astrologie, 332 ff. を見よ。Diodorus, 2. 29. 4 は、これをカルデア人の業と呼んでいる。
[050] Marinus, vito Procli 26. 28. 『呪文について』は Suidas, s. v. ProvkloVのリストに挙がっている。
[0051] Script. Min. 1. 237 f.
[052] Migne, PG 149, 538 B ff., 599 B; d. Bidez, CMAG VI. 104 f., Westerink, op. cit., 280.
[053] Nauck は「彼ハ主張スル」と訂正しているが、これには主語に当たるものが考えられない。
[054] 後の著者たちのうち、Proclus (in Alc. p. 73. 4 Creuzer)と Ammianus Marcellinus (21. 14. 5.)は、この出来事に言及している。しかし、プロクロスは、「コノエジプト人ハ、プロクロスガ神的ダイモーンヲ持ッテイルトイッテ驚イタ」と述べていて、明らかにポルフュリオスに依拠している。アミアーヌスも、直接ポルフュリオスに拠っているか、学説誌の資料に拠っているか、いずれかであって、証拠の価値はプロクロスと同様であろう。
[055] 第二章、五二頁を見よ。Ammianus, loc. cit. は、人は皆、各自に「生来国有の霊」を持つてはいるが、これは「全ク、極ク僅カノ人々シカ見ルコトガ出来ナイモノ」であると言っている。
[056] この秘法の残存部分は太陽への祈りの言葉なので、Preisendanz と Hopfner は「固有の」は「太陽の」の誤りであると考えている。しかし、この秘法の他の部分が失なわれているから(Eitrem)、「固有の」という解釈も等しく可能であると思われる。この失われた部分については、Nock, J. Eg. Arch. 15 (1929) 221 を見よ。固有のダイモーンは錬金術でも、一役買っているように思われる。cf. Zosimus, Comm. in (J) 2 (Scott, Hermetica, IV. 104).
[057] E. g., PGM iv. 1927. 同様に iv. 28 では、ナイル川の氾濫の後に露出し たばかりの、まだ人が足を踏み入れていない地点が求められているし、また、ii. 147 では「一切ノ汚レヲ避ケタ清浄ナ場所」が求められている。同じく、Thessalus, CCAG 8 (3). 136. 26 には「浄メラレタ家」とある。
[058] apud Porph. de abst. 4. 6 (236. 21 Nauck). 彼は続いて「不浄ノ人々ニハ立チ入リノ許サレヌ聖所ト、犠牲ノ儀式ノタメノ神殿」(237. 13)について語っている、エジプトの神殿で呪術が行われたことについては、Cumont, L'Egypte des Astrologues, 163 ff. を見よ。
[059] E. g., PGM iv. 814ff.「守護」については、Proclus in CMAG VI, 151. 6 の「ナゼナナラ、守護ノタメニハ、月桂樹、イバラ、犬等々デ十分デアル」を参照せよ。また、交霊会で霊が怒ることについては、Pythagoras of Rhodes in Eus. Praep. Ev. 5.8, 193B; Psellus, Op. Daem. 22, 869 B. を参照せよ。
[060] PGM ii. 178 に、術を解くに当たって、鳩の血を振りかけることが出ている。
[061] Fr. 29=de myst. 241. 4=Eus. Praep. Ev. 5. 10, 198 A.
[062] CRAI 1942, 284 ff. Cumont は鶏がギリシアに入った年代を遅目に見ているが、この点には疑問が持たれよう。しかし、それは当面の議論には関係がない。
[063] Darmesteter (Cumont, loc. cit. に引用されている)によると、「雄鶏は犬と共に、悪魔並びに魔法使いと戦うために創られたL。今日でも、多くの国々で、雄鶏は悪を拒ける力を持つと信じられている。ギリシア人の間でも、そう信じられていたことについては、Orth in P.-W., S. V. "Huhn," 2532 f. を見よ。
[064] Is. et Os. 46, 369 F.
[065] CMAG VI. 150. 1 ff., 15 ff. (ライオンと雄鶏は相反する性質を持つという伝統的な考えに基づいている面もある。Pliny, N. H. 8. 52, etc.)。 Cf. Bolus, Fusikav fr. 9 Wellmann (Abh. Berl. Akad., phil.-hist. Kl., 1928, Nr. 7, p. 20).
[066] きわめて似た考えは「不死の秘法」PGM iv. 475 ff. に見られる。たとえば、511では「私ガ神聖ナル火ニ驚嘆スルヨウニト」とあり、648では「カクモ無数ニ多クノモノカラ、コノ時ニ不死ヲ得テ」とある。それはまた、輝く幻視において最高潮に達する(634 f., 649 ff.)。しかし、降神術によって不死を得ることは、埋葬と再生の祭儀と関係があったであろう。Procl. Theol, Plat. 4. 9, 193には「祭儀ノウチデモ最モ神秘的ナモノノ場合ニハ、降神術師タチガ要求スル時ハ、身体ヲ埋葬シテ、頭ダケ出シテオク」とある (cf. Dieterich, Eine Mithrasliturgie, 163)。
[067] プセルスも、〔呪術的〕秘儀と彫像を関連づけてはいるが、秘儀に別の説明を与えている。すなわち「呪術的秘儀トハ、現世ノ身体ガ持ッテイル、サマザマナカヲ介シテ、霊魂ヲ神ニ捧ゲル如キ知義デアル」 (Expos. or. Chald. 1129 D, in PG, Vol. 122)0 Hieroeles (in aur. carm. 482 A Mullach) は別の伝承を代表するもので、呪術的秘儀とは、気息的霊を浄める術である、としている。
[068] Psellus (Script. Min. I. 447. 8) は「カルデア人たち」は「多種多様ナ物質デ人間ノ像ヲ作リ、病気ヲ避ケヨウトシテイル」と言っている。シムポル(suvmbola)については、Proclus, In Crat. 21. 1に引用されている言葉「ナゼナラ、父祖カラ受ケ継イダ理性ハ、シムボルヲ適切ニ蒔き散ラシタカラデアル」を参照せよ。
[069] Epist. 187 Sathas (Bibliotheca Graeca Medii Aevi, V. 474).
[070] CMAG VI. 151. 6; d. also in Tim. I. 111. 9 ff.
[071] Proelus in CMAG VI. 148ff.を、ピデの序論と Hopfner, OZ I. 382ff. に合せて参照せよ。
[072] 同じ慣行は、近代のチベットにも見られる。そこでは、彫像は、その空洞内に、書かれた呪文や、その他の、呪術的カを持つものを納めて、神に捧げられる(Hastings, Encycl. of Religion and Ethics, VII. 144. 160)。
[073] Cf. R. Wunsch, Sethianische Verfluchungstafeln, 98 f.; A. Audollent, Defixionum Tabellae, p. lxxiii; Dornseiff, Das Alphabet in Mystik U. Magie, 35 ff.
[074] Proelus, in Tim. II. 247. 25; d. In Crat. 31. 27. ポルフュリオスも、降神術に用いられる呪術的な材料のリストの中に、「彫像」と「或ル種ノ明確ナ音、或イハムシ口、声」 (Aug. Civ. Dei 10. 11) とを共に含めている。
[075] Marinus, vito Procl. 28; Suidas, s. v. Caldai&koi:V ejpithduvmasi. Psellus, Epist. 187 を参照せよ。これによると、或る祝調は「誰カガ、コレヲドモリ勝チニ、或イハ、コノ術ニ定メラレテイル別ノ仕方デ、唱エルノデナケレパ」効験を発揮しないということが知られる。
[076] Psellus, in CMAG VI. 62. 4 は、プロクロスがアルテミス(つまりへカテー〔両者は混同された〕)を招き寄せるように、忠告したと語っている。すなわち、アルテミスは「三様ノ姿ヲ持チ、剣ヲ手ニスルモノ、蛇ノトグロヲ身ニマトウモノ、ライオンヲ控エサセルモノデアル。ナゼナラ、アルテミスハ、コノ三ツノ呼ピ方デ招キ寄セラレ、言ワパ、唆カサレ魅惑セラレル、ト彼ハ言ッテイルカラデアル」。
[077] Proelus, in Crat. 72. 8. 「予言者ピテュス」は、この神的な名前をサイスの神殿で見たが、これはエジプトの象形文字で刻まれたもので、「アムモーン王」に啓示されたものであった(de myst. 267. 14)、という神的な名前のことを参照せよ。
[078] Psellus, expos. or. chald. 1132 c; Nicephoros Gregoras, in Synes. de insomn. 541 A. Cf. Corp. Herm. xvi. 2.
[079] Clem. Alex. Strom. 5. 242 と Hesych. s. v. =Efevsia gravmmataに、この種の呪術的な名前のギリシア語訳が与えられているのを参照せよ。
[080] See Well mann, Abh. Berl. Akad., phil.-hist. Kl., 1928, Nr. 7; Pfister, Byz. Ztschr. 37 (1937) 381 fl.; K. W. Wirbelauer, Antike Lapidarien (Diss. Berl., 1937); Bidez-Cumont, Les Mages hellenises I. 194; Festugiere, L'Astrologie, 137 ff., 195 ff.
[081] PGM viii. 13; vii. 781. vii. 560 の「語リ得ヌシムポルト名前ニヨッテ呼ピ出サレタル、天下ル気息的霊ヨ、我ガモトへ来タレ」と、Hopfner, P.-W., s. v. "Mageia," 311 ff. を参照せよ。
[082] Cf. J. Kroll, Lehren des Hermes Trismegistos, 91 ff., 409; C. Clerc, Les Theories relatives au culte des images chez les auteurs grecs du lIe siecle apres J .-C.; J. Geffcken, Arch. f. ReI. 19 (1919) 286 ff.; Hopfner, P.-W., s. v. "Mageia," 347 ff., and OZ I. 808-812; E. Bevan, Holy Images.
[083] Plot. Enn. 4.3. 11 (II. 23. 21 Volk.) の「アタカモ鏡ガ個々ノ姿ヲ写スコトガ出来ルヨウニ、肖像ハ、ドンナ肖像デアッテモ、感応スルカヲ持ツモノデアル」、を参照せよ。ここの「ドンナ肖像デアッテモ」という言葉は、彫像を捧げる呪術的祭儀には特別な効力はないという意味を含んでいるように思われる。
[084] Erman, Die ägyptische Religion, 55; A. Moret, Ann. Musée Guimet, 14 (1902) 93 f.; Gadd, Divine Rule, 23. エウセピオスはこのことを知っていたように思われる。彼は、ギリシア人がエジプトから借用した宗教的ないしは呪術的慣習のリストの中に、「神像ヲ建テルコト」を挙げている(Praep. Ev. 10. 4. 4)。豆の入った壺を供えるという簡単な祭儀は、古典期のギリシアで行われていた(texts in G. Hock, Griech. Weihegebrauche, 59 ff.)。しかし、この祭儀が、呪術的に生命を与えることになると考えられていたことを示唆するものはない。
[085] Aselep. III. 24a, 37'-38' (Corp. Herm. i. 338 Scott). Preisigke, Sammelbuch, no. 4127 の「汝ノ神像(Nock の読み方)ト神殿ニ対シ、マンドゥリス・へーリオスノ生命ト偉大ナルカヲ吹キ込ンデ」と、Numenius apud Orig. c. Cels. 5. 38 をも参照せよ。
[086] この時期は、呪術的な像や祝調を刻み込んだ宝石が、数多く現れはじめた時でもある(C. Bonner, "Magical Amulets," Harv. Theol. Rev. 39 [1946J 30 ff.)。これは偶然の一致ではない。この時期に、呪術が流行し出すのである。
[087] 公けに崇拝されている彫像が奇跡的な働きを見せたという伝説は、ヘレニズム世界においても、中世においてと同様に、ありふれたものだったことはもちろんである。パウサニアスとディオ・カッシウスは、その話で一杯であるし、プルタルコスの Camillus 6 は、その 古典的な一節 である。しかし、神像の示す奇跡的な働きは、像を建てたり、神に呼びかけたりする呪術的行為の結果生ずるのではなくて、神の側からの自発的な恩寵であると解されるのが普通であった。古典期ギリシア人の態度については、Nilsson, Gesch. der Griech. ReI. I. 71ff. を見よ。アレクサンドロス大王の時代までは、理性主義は概して強力であって、(少なくとも、教育のある階層においては)神像は — 公共のものでも、個人のものでも — 神的な力を持つとする考えを抑制することが、できたように思われる。後の時代になると、像が生命を持つという信仰は、時には、人を欺くたくらみによって維持されたようである。F. Poulsen, "Talking, Weeping and Bleeding Sculptures," Acta Archaeologica, 16, (1945) 178 ff. を見よ。
[088] Apul. Apol. 63. Cf. P. Vallette, L'Apologie d' Apulee, 310 ff.; Abt, Die Apologie des A. u. die antike Zauberei, 302. そのような小彫像は、もとからあった所有物で、特殊な呪術的行為に使用するための 特別な目的で 作られた像とは、もちろん、幾分か違うものである。
[089] Philops. 42 「彼ハ泥土カラ、小サナエロス像ヲ作リ上ゲ、『行ケ、ソシテ〔人妻〕クリューシスヲ連レ来タレ』ト言ッタ」。Cf. ibid. 47, and PGM iv. 296 ff., 1840 ff.
[090] vit. Apoll. 5. 20.
[091] 生命を吹き込まれた彫像は、古典期ギリシアのへカテー呪術で一役を担っていたであろう。Suidas, s. vv. qeagevnhV, =+Ekavteionの奇妙な指摘を見ょ。また、Diodorus 4. 51 では、メーデイアがアルテミス(ヘカテー)の彫像を作って、その空洞内に薬物を入れているが、このやり方はエジプト人のそれとそっくりであることを参照せよ。
[092] Eus. Praep. Ev. 5. 12=de phil. ex orac., pp. 129f. Wolff. 同様に、PGM iv. 1841 では、肖像製作者は、像に対して、夢を授けるように求めている。これは『アスクレピオス』の文中で「夢」について述べていることの説明になる。
[093] Bidez, Vie de Porphyre, App. I の中の断片を見よ。
[094] Photius, Bibl. 215. これは又聞きの記事だが、イアムブリコスの議論の本旨は示していると認められよう。Cf. Julian, epist. 89 b Bidez, 293 AB.
[095] Eunap. vito soph. 475. Cf. PGM xii. 12. 自動的に点る火は、古くからイランの呪術の一部を成すもので ある Paus. 5. 27. 5 f.)。ユリアノスはこの伝統を保持していたのであろう。しかし、これは卑俗な魔法使たちにも知られていた(Athen. 19 E; Hipp. Ref. Haer. 4.33; Julius Africanus, Kestoiv p. 62 Vieillefond)。これは中世の聖人伝にも再び現われる。たとえば、Caesarius of Heisterbach, Dialogue on Miraeles, 7. 46.
[096] Suidas, s. v. 彼の〔特異な〕「精神的」資質を、さらに示すものとして、汚れた婦人の身体が近づくだけで、彼はいつも頭痛がしたということがある。
[097] Th. de Cauzons, La Magie et la sorcellerie en France, II. 338 (d. also 331, 408).
[098] Cf. Wolff's App. III to his edition of Porphyry's de phil. ex orac.; H. Diels, Elementum, 55 f.; Burckhardt, Civilisation of the Renaissance in Italy, 282 f. (Eng. ed.); Weinreich, Antike Heilungswunder, 162 ff.; C. Blum, Eranos, 44 (1946) 315ff. マララスは、或る種の魔除けの札に、トロイアにあったパラス・アテーネー女神像の力も宿っているとしている(Dobschutz, Christusbilder, 80*f.)。
[099] Olympiodorus of Thebes in Muller's FHG IV. 60, 15 (=Photius, Bibl. 58 ・ 22 Bekker). 火と水は、疑いもなく、秘密の文字によって象徴されていた。火と水が、降神術の浄めに用いられた二つの要素であることは、何かの暗合を思わせるであろう(Proelus, in Crat. 100. 21)。
[100] Jâbir et la science grecque ( =Mém. de I'Inst. d' Égypte, 45, 1942). 私がこの興味ある書物を知ったのは Richard Walzer 博士のおかげである。
[101] ポルフュリオスは、アラビアの伝承においてのみならず、Berthelot, Alehim. grecs, 25 においても、錬金術師として現れる(Kraus, op. cit., 122, n. 3)。しかし、錬金術について彼自身が書いた書物があったとは知られていない。だが、ォリュムピオドーロスや、他の後期の新プラトン学派の人々は、錬金術に手を染めた。
[102] アラビア語の文献中の『アネボーへの手紙』への言及は、Kraus, op. cit. ,128 n. 5 に引用されている。
[103] Hopfner (OZ II. 70ff.)は、いかなる根拠によって、これら二つのタイプの術式を、彼の定義する「本来の降神術的予言」から除外したのか、私にはわからない。われわれは降神術のような言葉を定義する際には、古来の証拠に従うべきであって、 推測的な 理論づけによるべきではない、と私は思う。
[104] 第三章、八二頁を見よ。二重人格者は自分の第二の人格を異教の神々であると公言し、キリスト教の悪魔祓いの祈祷師たちも、そうと認めたことについては、Min. Felix, Oct. 27. 6 f.; Sulpicius Severus, Dial. 2. 6 (PL 20, 215c)等を参照せよ。
[105] in Remp. II. 123. 8ff. 前後の文脈から判断すると、このお祓いは、神のとり憑きをもたらすのが目的と言うよりは、むしろ、「霊魂の廻遊」をさせるのが目的であったことは、まず、確かであって、プロクロスが 122. 22ff. で、クレアルコスから引用している、霊魂を離脱させる魔法の杖を使う空想的な実験の目的と似たものだったであろう。しかし、実態はどうであったにしても、或る種の脱魂状態を引き起こすことが含まれていたに違いない。
[106] "Greek Oraeles," in Abbott's Hellenica, 478 ff.
[107] Lines 216 ff. Wolff (=Eus. Praep. Ev. 5. 9). ホック(G. Hock, Griech. Weihegebrauche, 68)は、この処法は、彫像に臨在している神を立ち去らせるための処方であると解している。しかし、次のような語句は、霊媒たる人間についてしか言えないことである。すなわち、「死スベキ者ハ、モハヤ神ヲ容レナイ」、「汝等ハ死スベキモノヲ悩マス」、「人ヲ休マセヨ」、「霊感者ヲ解キ放テ」、「サテ、友タチハ立チ上ッテ人ヲ大地カラ解キ放テ」というような語句のことである。(近代の交霊会で、「支配霊」は、このように、普通、霊媒を三人称で呼ぶ)。
[108] このことはポルフュリオスの神託の幾つかに述べられている。たとえば、 I. 190 「汝ハ、神ヲ従ワセル必然ノカヲ以ッテ、我、女神ヘカテーヲ呼ンダ」がそれである。また、ポルフュリオスがこれとの関連で引用しているロドスのピタゴラスもこのことを述べている(Praep. Ev. 5. 8)。de myst. (3. 18, 145. 4 ff.)では、神に対する強制は否定されているし、また、「カルデア人たち」が神に対して脅迫を行うことも否定されている。ただし、エジプト人がするのは認めてはいるが(6. 5-7)。この問題全般については B. Olsson in ΔΡΑΓΜΑ Nilsson, 374 ff. を参照せよ。
[109] In CMAG VI. 151.ff 10. 彼は硫黄の火と海水による浄めについて述べているが、このこっとも、古典期ギリシアの伝統に由来するものである。硫黄の火については、Hom. Od. 22. 481; Theocr. 24. 96; Eitrem, Opferritus, 247 ff. を参照せよ。海水については、Dittenberger, Syna. 1218. 15; Eur. IT. 1193; Theophr. Char. 16. 12 を参照せよ。新しい点は、より高貴な存在を受け容れ得るように「気息的霊魂」を準備するという、目的にある(Porph. de regressu fr. 2)0 Cf. Hopfner, P.-W., S. V. "Mageia," 359 ff.
[110] ポルフュリオスの神託(Praep. Ev. 5. 9) に見える「ドウカ花環ヲハズシテ下サイ」という言葉と、少年アエデシウスが「霊感を受けるのに一番ふさわしい風采で、信頼できる神託を、たちどころに呼び寄せるためには、花環をつけて太陽を仰ぎ見なければならなかった」こと(Eun, vito soph. 504)を参照せよ。
[111] Porphyry, loco cit.
[112] Proclus in CMAG VI. 151. 6 「ナゼナラ、幻視ノタメニハ、クニドスノ月桂樹デ十分デアル」。
[113] in Remp. II. 117. 3; d. 186. 12. プセルスは、これはエジプトの慣行であると、正しく呼んでいる(Ep.187, p. 474 Sathas); cf. PGM va, and the Demotic Magical Papyrus of London and Leiden, verso col. 22. 2.
[114] de myst. 157. 14. Olympiodorus, in Ale. p. 8 Cr. は、子供たちや田舎者の方が神がかり状態になりやすいと言っているが、それと言うのも、何と、彼らは想像力を欠いているからだと言っている。
[115] Hopfner の興味深い論文"Die Kindermedien in den Gr.-Aeg. Zauberpapyri," Festschrift N. P. Kondakov, 65 ff. を参照せよ。霊媒に子供たちを選ぶ理由として、通例は、子供たちの性的な清潔さが言われる。しかし、子供たちが霊媒としてすぐれた働きを持つ本当の訳は、きわめて暗示にかかりやすいことであったのは疑いない(E. M. Butler, Ritual Magic, 126)。プルタルコスの頃のピューティアーは単純な田舎娘であった(Plut. Pyth. Orac. 22, 405 C)。
[116] Lord Balfour in Proc, Soc. for Psychical Research, 43 (1935) 60 を参照せよ。すなわち「パイパー夫人とレオナルド夫人は、脱魂状態にある時は、自分が誰であるかという意識を全く失うように思われる。しかし、観察者が判断し得た限りでは、これはウィリット夫人の場合には当てはまらない。交霊会における彼女の脱魂状態では、彼女には自己意識があるという所見が一杯ある。そして、時には彼女は、伝達するように求められている神のお告げについて解説をしようとする。」第三章、注(54)、(55〉をも見よ。
[117] 「彼等ハ耐エキレナイ。」この言葉は、Proclus in Remp. I. 111. 28 に引用されている「コノ霊感者ノ憐レナ心ハ私ニ耐エキレナイ」という一句を説明するものである。
[118] Proc. Soc. Psych. Research, 28 (1915), pp. 206 ff.音声が変ること、痙攣発作、歯ぎしり。pp. 16 f. 部分的感覚喪失。霊媒のD・D・ホームは火を感じないとされている。そして、この火に対する無感覚は、世界各地に多く見られる異常心理状態にも関連がある(Oesterreich, Possession, 264, 270, Eng. trans,; R. Benedict, Patterns of Culture, 176; Brunei, Aissaoua, 109, 158)。
[119] 次の例を参照せよ PGM vii. 634 「神ニサカラウ欺クダイモーンヲ遠ザケテ、真ノアスクレピオスヲ連レ出セ」。Arnob. adv. nat. 4. 12 「呪術師タチハ、彼等ガ神ヲ招クト、呼ピカケニ応ジテ、神ニサカラウ蛇ガヤッテクルト述べテイル」。Heliod. 4, 7 「何カシラ、神ニサカラウ者ガ術ヲサマタゲルヨウニ思ワレル」。また、Proph. de abst. 2. 41 f., Psellus, Op. Daem. 22, 869 B. この考えの起源はイランであると考えられている(Cumon:t, ReI. Orient4., 278 ff.; Bousset, Arch. f. ReI. 18 [1915J 135 ff.)。
[120] Porphyry, loc. cit. は、そのような状態の際には、交霊会を閉会にするようにと、「神の方から」要求されることを引証している。すなわち、「強制ト呪文ノ強サヲユルメヨ。サモナイト、我ハ偽リヲ語ルデアロウ」。近代の「神のお告げの伝達者」も、これとそっくりに、「私は今や止めなければならぬ。さもないと、私はあらぬことを口走るであろう」と言って、交霊会を閉会にするものである(Proc. Soc, Psych. Research, 38 [1928J 76)。
[121] Proclus in Tim. I. 139. 23 と in Remp. I. 40. 18 によると、これには適切な暗号(suvnqhma)が備わっているばかりでなく、天体の位置がちょうどよく(cf. de myst. 173. 8)、時と所も適当で(このことはパピルス文書に、しばしば見られる)、気候の具合もちょうどよいということが含まれる。Cf. Hopfner, P.- W., s. v. "Mageia," 353 ff.
[122] Proclus in Crat. 36. 20ff. は、心霊論者ならば「直接の声」と呼ぶものについて理論的な説明を提供しているが、これは、ポセイドニオスの言葉に従っているものである (cf. Greek Poetry and Life, 372 f.)。 Hippolytus (Ref. Haer, 4. 28)は、この現象をいかに解すべきかを知っている。
[123] 「大キクナッタリ、幅広クナルノヲ、彼ハ見ル。」十六世紀のイタリアの尼僧ウェロニカ・ラパレリ (Jour. Soc. Psych. Research, 19, 51 ff.) と近代の霊媒ホームとピータース(ibid., 10. 104ff., 238ff.) の身長が大きくなったと言われていることを参照せよ。
[124] これは呪術師ないしは信心家たちの伝統的な特徴である。呪術師シモンもこの特徴を持っていたとされているし(ps.Clem. Hom. 2. 32)、インドの行者も(Philost. vit. Apoll. 3. 15)、幾人かのキリスト教の聖職者や、ユダヤ教の律法学者、また、霊媒ホームも、そうだとされている。或る物語中の呪術師は、自分のレパートリーの中にこれを挙げており (PGM xxxiv. 8)、ルキアノスはこのような主張を風刺している(Philops. 13, Asin. 4)。イアムブリコスの奴隷たちは、主人が勤行中に空中に浮揚するのを自慢した(Eunap. vito soph. 458)。
[125] Bidez, Melanges Cumont, 95 ff. プセルスとセラエのニケタースから収集した章句を見よ。また、Eitrem, Symb. Oslo. 8 (1929) 49ff. をも参照せよ。
[126] de myst. 166. 15 の「呼ビ出サレタモノ」は、〔この訳の通りに〕受動相(すなわち、〔呼び出された〕神々)であって、Parthey と Hopfner が考えるような)中動相(つまり、降神術の術者〔神を呼び出す者〕)ではないように思われる。霊媒の持っている特性を利用するのは「神々であって術者ではない(166. 18, d. 176. 3)。もしそうとすれば、「石と薬草」は、心霊論者たちの言う「apports」〔心霊の物質的痕跡〕と同様に、神々がもたらし、立ち去った後に残したシムポル(suvmbola)であろう。第四章、注(19)参照。
[127] Procl, in Remp. I, 111. 1; d. in Crat. 34. 28, and Psellus, PG 122, 1136 B.
[128] Gregory of Nazianzus, orat. 4. 55 (PG 35, 577 C).
[129] "Kindermedien," 73 f.
[130] 光を招く術のさまざまなタイプについては、de myst. 3, 14 を参照せよ。
[131] Simpl. in phys. 613. 5 が引用しているプロクロスは、光について、「幻視ノ光景ハ、ソレヲ見ルニフサワシイ人々ニ対シテ、光ソノモノノ中ニ現出スル。ナゼナラ、『神託』ニ言ウ通リニ、定カナ形ナキモノガ、光ノ中デ形ヲ受ケ取ル、ト彼ハ主張シテイルカラデアル」と語っている。だが、シムプリキオスは、神霊の顕現が「光ノ中デ」起きると『神託』が述べていることを、否定している(616. 18)。
[132] Greek Magical Papyri in the British Museum, 14. Reitzenstein, Hell, Myst.-Rel., 31 は、これを「自らの姿を写し出すために」と訳した。
[133] de myst. 133. 12 「超自然ノ光ヲ招ク人々ハ、時ニハ、暗闇ノ助ケヲ受ケル」。cf. Eus. Praep. Ev. 4.1. 魔法使たちは、道具立てとして、暗閣が必要だと申し立てている(Hipp. Ref. Haer, 4. 28)。
[134] de myst. 133. 13 「マ夕、時ニハ、照ラシ出スタメニ、太陽ヤ月ノ光、或イハ、要スルニ戸外ノ明リノ助ケヲ受ケル」。Cf. Aedesius, supra n. 110, Psellus, Expos. or. Chald. 1133 B, and Eitrem, Symb. Oslo. 22. 56 ff.

2013.08.05. 入力。

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