[『アダムとエウアの生涯』]訳註
- 「彼らもおまえと交わっている」
原文は、
kai\ o9milou~si/ soi"。
土岐健治は、この箇所、文意不明として省略しているが、『生涯』13に、「貴様が形造られた時、俺は神の面前から追放され、天使たちの交わりの外へやられたのだ」とあるところから、省略するに及ぶまい。
- 「すっくと立ちました」
原文は、e0sthri/zonto。土岐健治は、ここも文意不明として省略するが、主が現れると草木がみな活気に満ちて花咲き「すっくと立つ」のは、よくある情景であろう。
- 「そなたのこの言葉を〔引き出す〕ためにこそわたしはそなたを裁こう」
原文はkai\ dia\ tou~to ei0j to\n lo/gon sou krinw~ se。
土岐健治は、「まさにこのようなお前のことばのゆえに、わたしはお前を裁くであろう」。これでは日本語として意味が通じまい。
- 「ケルウブたち」
Xerou/bは単数。複数は Xeroubi/mいわゆるケルビムのこと。
旧約聖書のはじめには生命の木の警護者として示されている〔創世記3章24〕が、多くは神殿の奉仕者として天使のように考えられ、神の御座の運搬者〔詩篇18章10、80章1〕あるいは契約の箱や神殿の宝物の守護者であった。したがって神の臨在を示す象徴的彫像とされ、翼を持つ人、獅子、牛、鷲等の形をもって表され、預言者の幻においては奇怪な生き物として登場する。その後のユダヤ教では、天使の最高の階級に属した。同様の彫像は近東に少なからず残っている。(『キリスト教大事典』)
- 「大剣(rhomphaia)」
紀元前3世紀のS字型刀剣で、トラキア人の代表的な武器のひとつ。日本の長刀に似ているが、S字型刀剣なので、刃先が長刀とは逆になる。しかし、完全な遺物がないため、柄部分の具体的な長さははっきりしない。
旧約聖書(七十人訳)においては、生命の木を守り〔創世記3章24〕、ゴリアテの持ち物であった〔列王上17章51〕。しかし、聖書においては大型の剣を一般にこの語で表したと考えてよかろう〔ルカ2章35,黙示録6章8〕。
- 「イアエールよ」
「主なる神」の意のヘブル語の略記。
- 「両方の種類」
以下に4つが挙げられているのだから、「両方」はおかしいというのだが(p.559)、ここは、供犠用と食用との2種類と解すれば、問題はあるまい。
- 「サフラン(krokos)とカンシュウコウ(nardos)とショウブ(kalamos)とキナモーモス(kinamomon)」
サフランは学名"Crocus sativus"。
カンショウコウは学名"Nardostachys jatamansi"。
ショウブは学名"Acorus calamos"などの類。
キナモーモンは学名"Cinamomum cassia"。ケイ。クスノキ科クスノキ属の植物。中国、インド、インドシナなどに自生する常緑高木。
以上、いずれも香料として使用されるのみならず、ディオスコーリデスによれば、さまざまな薬効がある。
- 「あなたの父上の身体が御前に横たえられているさまを」
土岐健治の訳は、「お前のお父さんの肉体がひれ伏しているのを」。
「ひれ伏す」は、pi/ptw e0pi\ pro/swponからの類推であろうが、納得しがたい。アダムが神に直接嘆願しているようには思えない。むしろ、神と天使たちとの間(=前)にアダムの身体〔正しくは魂であろう〕が横たえられ、天使たちがアダムの救済を願っていると見るべきであろう。
死んだアダムが神の呼びかけに返答するのは39節においてである。次の註を参照せよ。
- 「御前にあった天使たち」
原文は o9i a1ggeloi ep' o1yesi kei/menoi。土岐健治の訳は、「天使たちがひれ伏してラッパを吹き」だが、ひれ伏してラッパが吹けるはずもなく、納得しがたい。「神の眼前にある」の意であろう。前の箇所の注を参照。
- 「触れわたした」
原文は、"diefw/nhsan"。
diafw/newは珍しい語で、L&Sの辞書も役立たない。おそらくは「音声を発する(phoneo)」+「広く行き渡らせる(dia-)」という意味であろう。
- 「亜麻府」
"sindon"。屍体を包むためのもの。エジプト人はこれでミイラを包んだという。
- 「ハッレールウイア」
ハレルヤ。ヘブル語で「汝らヤハウェを讃美せよ」の音訳。ユダヤ教の礼拝用語。
- 「アメーン」
"amen"。ヘブル語で、神の名によって語られた言葉や神に向かって語られた祈祷・讃美等に対し同意を示す語。