Barbaroi!
[底本] TLG0032 Xenophon 0032 004 Symposium ed. E.C. Marchant, Xenophontis opera omnia, vol. 2, 2nd edn. Oxford: Clarendon Press, 1921 (repr. 1971). [劇年代]前422年の夏(パンアテーナイア大祭のとき)〔推定〕 [場所]ペイライエウスにあるカッリアスの別邸。 [登場人物] カッリアス〔カッリアス家の富と名声は有名。父ヒッポニコスの死(前423/22)により、莫大な資産を受け継ぐ。32、33歳ぐらい。プラトンによれば、彼はソフィストたちのために誰よりも多く金を使った。後に政事と軍事面で一応の任務を果たしたが、前420年代には、すでに途方もない浪費生活が有名になっていた〕 アウトリュコス〔カッリアスの愛童〕 リュコーン〔アウトリュコスの父親。おそらく全格闘技で鳴らした人物〕 ニケーラトス〔ペリクレース(前485-429)亡き後、ペロポンネソス戦争を指揮した将軍ニキアス(前470-413)の子。やはりアテーナイの最富裕層〕 ソークラテース〔47歳ぐらい〕 ヘルモゲネース〔カッリアスの異母兄弟。庶子のためヒッポニコスの資産継承権なし。貧しいが、清廉な人物として知られていた〕 アンティステネース〔後のキュニコス学派の開祖。28歳ぐらいか〕 カルミデース〔プラトーンの叔父。25歳くらい〕 クリトブウロス〔ソークラテースの竹馬の友クリトーンの子。アルキビアデースの従兄弟のクレイニアスに熱を上げる〕 ピリッポス〔道化師〕 シュラクウサイの人〔シケリアはシュラクウサイの興行主〕 その他 第1章 [1]そもそも、美にして善なる人たちの所行(erga)は、ただに真剣さをもって行われたことのみならず、戯れに〔行われた〕ことも、記憶に値するものであるとわたしには思われる。そこで、わたしがその場に居合わせたことで、かく認識(gignoskein)したことを、明らかにしたい。 [2]すなわち、パンアテナイアの大祭の競馬が行われたときのこと、ヒッポニコスの子カッリアスは、少年のアウトリュコスを恋していた最中で、これが全格闘技(pankration)で優勝したので、〔大祭の〕見物に連れて行った。そして、競馬が終わって、アウトリュコスとその父親とを伴って、ペイライエウスにある屋敷へと下っていった。ニケーラトスもこれといっしょについていった。[3]ところが、途中で、ソークラテース、クリトブウロス、ヘルモゲネース、アンティステネース、カルミデースがいっしょなのを眼にして、アウトリュコスの一行には、ある者に案内するよう言いつけ、自分はソークラテース一行に近づいていって、云った。 [4]「美しくも、あなたがたに出くわしたるかなです。というのは、アウトリュコスとその父親を、饗応しようとおもっているところなのです。けれども、わたしの設えは、はるかに輝いて見えるように想うのです、――もしも、将軍連中や騎兵隊長連中や、役職志願者(spoudarchias)連中によりは、あなたがたのような魂の浄化された人士によって、男部屋が飾られた方がはるかに」 [5]するとソークラテースが言った。「いつもあなたは、わたしたちを軽蔑しているのに、試してみようとするのです、あなたときたら、プロータゴラスばかりか、ゴルギアスやプロディコスや、他にも多くの人たちには、知恵(sophia)のためにたくさんの銀子を与えているのに、わたしたちのことは、愛知(philosophia)の自労者〔素人〕のごときものと見なしているのですから」 [6]すると、カッリクレスが、「たしかに以前はね」と謂った、「多くの知恵に満ちたことをわたしは言うことができるのに、あなたがたに隠していましたが、しかし今は、わたしのところに来てくださるなら、わたしがすこぶる大いに真面目さにあたいする者であることを、あなたがたに披露しましょう」 [7]けれどもソークラテース一行は、最初のうちは、当然のことながら、招待を称賛しつつも、食事を共にすることを確約しようとしなかった。しかし、ついてゆかなければ、ひどく不機嫌になるのが目に見えていたので、いっしょについて行った。そうして、ある人たちは体育をして油を塗った上で、またある人たちは入浴までした上で、彼のもとに訪れた。[8]かくて、アウトリュコスは父親のそばに腰を下ろし、他の人たちは、当然のことながら、〔寝椅子に〕横になった。 ここで何が出来したかにすぐに気づいた人は、こう考えたことであろう、――美は自然本性的に(physei)一種王者的なものである、とりわけ、このときのアウトリュコスがまさにそうであるが、羞恥(aidos)と慎み(sophrosyne)を伴ってそれを所有する場合はそうである、と。[9]というのは、まず第一に、夜間、ひとつの光が現れたなら、万物の眼を引き寄せるように、そのように、このときもアウトリュコスの美しさは、皆人の視線を彼の方に引きつけたのである。次には、眼にした者たちのうち、彼によって魂を変なふうにされない者は一人としてなかった。そのため、少なくともある人たちはより寡黙となり、ある人たちはどうにか格好をつけた。[10]たしかに、神々の中のいずれかの神に取り憑かれた人たちはといえば、誰であれ、見物(みもの)であるように思われる。いや、他の〔神々〕に〔取り憑かれると〕その人たちは、その形相はゴルゴンよりも醜怪に、その発声はより恐ろしげに、その行動はより激烈になってしまうが、これに反して慎み深い恋心(eros)によって入神状態となった人たちは、両眼はより情愛深く、声色はよりやさしげになり、所作はより自由人らしくふるまうものである。まさしく、このときのカッリアスが、恋心(eros)のせいで何をなしたかは、この〔恋〕神の崇拝者たちにとって見物であった。 [11]実際のところ、あの人たちが黙って食事をした様は、あたかも、覇者のようなものによって、それが彼らに下知されていたかのごとくであった。このとき、道化師ピリッポスが扉を叩いて、自分が何者であるか、何のために案内を請うか従僕に取り次ぎを頼み、必要なものはすべて、と彼は謂った、用意した上で参上したゆえ、他人様のもので食事をとることはない、おまけに〔自分の連れてきた〕童僕も、と彼は謂った、すっかりへたばっている、重荷が何もないゆえ、つまりは、朝飯抜きゆえに、と。[12]すると、カッリアスがこれを聞いて、云った。「いや、むろん、諸君、軒先ぐらい貸し惜しむのは恥ずべきことです。だから、中に入れてやることにしよう」。いうと同時に、アウトリュコスの方を見やったのは、明らかに、面白いと彼に思ってもらえようとの受けを狙ってのことだった。[13]で、彼〔ピリッポス〕は男部屋――そこで食事が行われていた――の前に立つと云った。「皆さんご存知の、道化師にござい。悦んで参りましたるは、招かれたうえでこの食事に参ずるよりは、招かれずして来る方が可笑しいとみなしましたるゆえ」 「それでは、横になりたまえ」とカッリアスが謂った。「というのも、出席者は、見てのとおり、真面目一方で、たぶん笑いには欠けているらしいから」 [14]こうして、彼らが食事をしている間に、ピリッポスはすぐに何か可笑しいことを言おうとした、何のために自分がいつも食事に呼ばれるのか、その務めをはたそうとしたのだ。ところが、笑いを引き起こすことができなかったので、一時は明らかに不機嫌になっているように見えた。しかし、しばらくして再び別の笑い話を言おうとした。しかし、このときもまた彼らがそれを笑わなかったので、食事の最中に、食事をやめて、顔を覆って横になった。[15]カッリアスも、「どうしたんだ」と言った、「おお、ピリッポス。痛みがおまえにとりついたのではあるまいね?」。すると相手はうめきながら云った、「ゼウスにかけて、そのとおり」と謂った、「おお、カッリアス、それも大きいやつが。というのは、人間界から笑いが滅びたので、わたしのすることもなくなったのです。つまり、以前は、わたしが食事に呼ばれた所以は、いっしょにいる人たちがわたしのおかげで笑って、好機嫌になるためでした。ところが今は、ひとがわたしを呼ぶのは、はたして何のためでしょうか? わたしとしては、真面目になるのは不死となるのと同じくらいできっこないし、さりとて、お呼ばれのお返しに誰がわたしを呼んでくれるでしょう、わたしの家に食事をもたらしてくるきっかけを思いつきもしないってことは、みなさんご存じのとおりだし」。 第2章 [1]さて、食卓が取り片づけられ、潅酒がすみ、賛歌もすむと、彼らの酒盛り(komos)のためにやってきたのは、ひとりのシュラクウサイ人で、善き笛吹女(auletris)と曲芸団に属する踊り子と、すこぶる若々しくて、すこぶる美しく竪琴(kithara)〔右図〕を弾きかつ踊れる少年をつれていた。しかも、こういったことを披露するこで、びっくりするくらい銀子をもらっていたのである。[2]さて、彼らのために笛吹女が笛を吹き、少年が竪琴を弾いて、両者とも大いに充分好機嫌にさせたように思えたので、ソークラテースが云った。 「ゼウスにかけて、おお、カッリアス、わたしたちに対するあなたのごちそうは完璧です。非の打ち所ない食事で供応したばかりか、見物・聞き物も、快適このうえないのでもてなしてくれたのですから」 すると彼が謂った。[3]「それでは、どうですか、香料のようなものもあなたがたに差し上げる者がいて、それで、芳香をもわたしたちが楽しめるとしたら」 「それは無理でしょう」とソークラテースが謂った、「もとより、衣服は、女にとってと男にとってと、美しいのは別々なように、匂いも、男にとってと女にとってと、似合うのは別々でしょう。というのも、男のために香料を用いる男なんて、もちろん、ひとりもいないでしょう。ところが女たちは、とりわけ若妻たちは、このニケーラトスの若妻やクリトブウロスの若妻のように、香料なんてものまで必要とすることがあろうか。[4]彼女たち自身がその匂いがするのですから。ただ、体育場にあるオリーブ油の匂いは、あればあるで、女にとっての香料よりも快いし、なければないで、よけいに慕わしい。というのも、香油を塗りさえすれば、奴隷も自由人も、みながすぐに平等に匂うからです。ただ、自由人たちの労働に由来する匂いというのは、先ずもって有用な修練を、それも長時間必要とします、快適にして自由な人間たらんとすればね」 するとリュコーンが云った。 「ゼウスにかけて、善美さ(kalokagathia)の〔香りが〕」とソークラテースが謂った。 「はたしてどこから、その軟膏をひとは入手できるのだろうか?」 「ゼウスにかけて」と彼が言った、「香料売りたちからでないのはたしかですね」 「それならはたしてどこから?」 「テオグニスが謂っています。 [5]するとリュコーンが云った。「今のことが聞こえているかい、息子よ」 「ゼウスにかけて」とソークラテースが謂った、「彼は、少なくとも、実践してもいますよ。現に、全格闘技の勝利者になろうとしているのですから、あなたといっしょに鍛錬して……〔欠損〕……また、これを修練するために自分に充分きわまりない者と思われる人がいれば、その人といっしょになるだろう」 [6]ここで、じつに多くの人たちが発言した。つまり、そのうちの一人は云った、「それでは、これの教師はどこにいるのか?」。ある人は、それは教えられもしないと〔云い〕、別の一人は、〔教えられるものが〕他にも何かあるとするなら、これもまた教えられると〔云った〕。[7]そこでソークラテースが謂った。 [8]これに続いて、この娘のために別の少女が笛を吹き、側に立っていた少年が踊り子のために輪を12まで手渡した。少女は受けとると、踊りながら同時に、ぐるぐる回る輪を投げ上げた、どれくらいの高さまで投げ上げれば、リズムに合わせてそれを受けとることができるか距離を測りながら。 [9]するとソークラテースが云った。「他にも多くの事柄においてそうだが、諸君、この少女がすることでも、女の自然本性は男のそれと少しも違わない、ただ、知力(gnome)と体力(ischys)に欠けるだけだということは明らかだ。だから、もしもあなたがたの中で妻を持っている人は、彼女に知識しておいて欲しいと思うことは、思いきって何でも教えるがいい」 [10]するとアンティステネースが、「それなら、どうしてなんですか」と謂った、「おお、ソークラテース、そうと認識していながら、あなたはクサンティッペーを教育しようともせず、現在の女たちの中で、いや、わたしの思うに、過去・未来の女たちの中でも、最も難しい女を妻としておられるのは?」 「それはね」と彼が言った、「わたしは眼にするからですよ、――騎士になりたいと望む者たちも、聞き分けのよい馬たちではなく、気性の荒い馬たちを所有するのを。それは、こういう馬たちを手なずけることができたら、ほかの馬なんて扱うのは容易だと彼らはみなしているからです。だからわたしも、人間たちを扱いこれと交わることを望んでいるから、あの女を所有しているのです、この女を我慢できれば、ほかにはどんな人間たちといっしょになろうと、容易だと承知しているから」 この言葉も、たしかに、的外れに言われてはいないと思われた。 [11]その後で、びっしりと剣の林立した輪(kyklos)が運びこまれた。そうして、この中に踊り子が飛びこみ、それをくぐり抜けてきた。これには観る者一同、怪我でもしないかと恐れたが、踊り子は元気よく安全にそれをやってのけたのであった。 [12]するとソークラテースがアンティステネースに声をかけて云った。「まさか、すくなくともこれを見物している人たちは、勇徳(andreia)も教えられるものではないなどといって、もう反対はしないとわたしは想う、いやしくもこの少女が、女でありながら、こんなに大胆に剣の林立する中にとびこむからには」 [13]するとアンティステネースが云った。「だからといって、いったい、このシュラクウサイ人にも、国のために踊り子を披露して、アテーナイ人たちが自分にお金を与えてくれるなら、全アテーナイ人たちを、槍襖に立ち向かうことを敢行させてみせようと云うことができるでしょうか?」 [14]するとピリッポスが、「ゼウスにかけて」と謂った、「わたしも快いでしょうよ、民衆指導者のペイサンドロスが、戦刀の中に飛びこんでゆくことを学んだのを眼にできたらね、やつときたら、今は槍襖を直視することができなくて、従軍さえしようとしないんだから」 [15]これに続いて、少年が踊った。するとソークラテースが言った。「あなたがたはご承知ですか」と謂った、「この少年は美しいけれど、やはり、じっとしているときよりも、所作をしているときの方がもっと美しく見えるということを」 するとカルミデースが云った。「あなたは、どうやら、踊りの教師をほめておられるらしい」 [16]「ゼウスにかけて、そのとおり」とソークラテースが謂った。「というのも、ほかのことも思いついたのです、――踊っているときは、身体のどこにもたるみがなくなり、頸と同時に脚も腕も運動している、だから、身体を柔軟に保とうとする者は踊りをすべきだと。わたしとしても」と謂った、「大いに快いことだろうよ、おおシュラクウサイの人よ、あなたから所作を学べたら」 すると相手が、「それで、それを使って何をなさるおつもりで?」と謂った。 「ゼウスにかけて、わたしが踊るのさ」 [17]ここで一同は大笑いした。するとソークラテースが大まじめな顔になって、「あなたがたは笑うのですか」と言った、「このわたしを? そのわけはなんですか? 体操してもっと健康になりたいと望むから? それとも、〔体操して〕もっと快く食事をたり眠ったりしたいと〔望む〕から? それとも、こういう体操をとおして、長距離走者たちが、脚は発達させるが、肩はしまらせるようにではなく、逆に拳闘家たちが肩は発達させるが、脚はしまらせるようにでもなく、全体を鍛錬して身体に完璧な均整を実現することをわたしが欲するから? [18]それとも、あなたがたが笑うわけはこうですか、――わたしは体操仲間を求めることも、この歳をして群衆の前で服を脱ぐことも必要なく、わたしには7つの寝椅子のある家で充分だ、ちょうど今も、この少年にとって、汗を流すにはこの屋敷で充分なようにね、そうすれば、冬の間は屋根の下で、暑すぎるときは陰で、体操するつもりだからか? [19]それとも、あなたがたが笑うのは次の点ですか、――わたしがあんまり大きな太鼓腹をしているものだから、これを程々のものにしようと望んでいるから? それとも、あなたがたはご存じないのですか、最近、朝早く、わたしが踊っているところを、このカルミデースがつかまえたってことを?」 「ゼウスにかけて、そのとおりなんです」とカルミデースが謂った、「最初は、びっくりしましたよ、気が狂われたのではないのかと、こわかったです。しかし、あなたから、今おっしゃったのと同じことを聞いて、わたしも家に帰って、踊りはしませんでしたが――だって、今までそれを学んだことがなかったもので――、拳闘をやりました。これなら知識を持っていたものですから」 [20]「ゼウスにかけて」とピリッポスが謂った。たしかに、脚も肩と同じくらいがっしりしたのをもっているから、わたしに思われるところでは、市場監督官たちの前で、パンのように下部と上部を比較されても、罰金をうけなくてもすむでしょう」 するとカッリアスが言った。「おお、ソークラテース、踊りを学ぼうとなさるときには、わたしも誘ってくださいよ、そうしたら、あなたのお相手になって、いっしょに学べます」 [21]「されば、いざ」とピリッポスが謂った、「わたしにも笛を吹いてくれ、わたしも踊りたいから」。そして立ち上がると、少年と少女の踊りを逐一真似ていった。[22]しかも最初は、少年が所作をしているとなお美しく見えるとみながほめたので、これに応えて、身体の動く部分という部分を、自然によりはより滑稽に見せびらかせた。そして少女が後ろに反り返って車輪の形を真似ると、彼は同じく前にかがみ込んで車輪の形を真似ようと試みた。さらに、最後には、少年が踊りながら身体全体を動かせるのをみながほめたので、笛吹女にもっとリズムを速めるよう命じて、脚も腕も頭も同時に動かせた。[23]しかしついにあきらめて、寝椅子に伸びて云った。「諸君、これが証拠です、わたしの踊りも美しく体操できるという。ともあれわたしは喉が渇いた。さぁ、童僕よ、わたしの大杯(phiale)〔左図〕に注いでくれ」 「ゼウスにかけて」とカッリアスが謂った、「わたしたちにもな。わたしたちもあなたのおかげで、笑いすぎて喉が渇いたから」 [24]すると今度はソークラテースが云った、「いや、飲むことは、諸君、わたしにも大いにけっこうに思える。ほんとうに酒は、ひとの魂を、苦痛は、マンドラゴラスが人間に効くように、眠らせ、愉快さは、油が炎に働くように、かき立てるのだから。[25]しかしながら、思うに、ひとの身体も、地の植物と同じことを被るらしい。というのも、これら〔植物〕は、神があまりに集中的にこれをぬらす場合には、まっすぐ立つことができず、微風にさえ吹き抜けさせることができなくなる。しかし、快適なだけの量を飲む場合には、すくすくとまっすぐ生長し、花咲実り豊かとなる。[26]そのようにわたしたちも、集中的に痛飲すると、すぐにわたしたちの身体も知力もふらふらになり、息さえできず、ましていっぱしのことを言うことなどできなくなる。ただし、童僕たちが、わたしたちの小さな盃(kylix)〔右図〕にちょくちょく注いでくれるなら、そうすれば、わたしもゴルギアスの言い回しで言えば、われら、酒のせいで酩酊すべくねじ伏せられるのではなく、説き伏せられて、ますます剽軽(paigniodes)とならん」 [27]一同、それがけっこうだと思われた。ただ、ピリッポスは付け加えた、酌人たちは善き戦車の御者を真似て、酒杯を速く回すようにと。そこで酌人たちはそのようにした。 第3章 [1]これに続いて、少年が笛に合わせて竪琴(lyra)をかき鳴らしかつ歌った。ここでも一同が称賛した。またカルミデースも言った。「いや、わたしには、みなさん、ソークラテースが酒のことをおっしゃいましたが、少年少女の若々しさと音声のこの混合もまた、同じように、苦痛を眠らせ、性愛をめざめさせるように思えます」 [2]するとこれに続いて再びソークラテースが言った。「なるほどこの子たちは、諸君、わたしたちを満足させるに充分な力量を持っているように見える。しかしわたしたちは、いいですか、彼らよりはるかに善きものであると想っている。だから、いっしょにいながら、何か益になることか、あるいは、お互いに好機嫌になることをしないでは恥ずかしいことではないか」 ここで多くの人たちが発言した。「それでは、それを実行するに、どんな言葉に接すればいちばんいいのか、わたしたちのためにあなたが先導してください」 [3]「それでは、わたしとしては」と彼が言った、「カッリアスから約束をはたしてくれると快なるかなです。たしかに彼は言ったのですから、いっしょに食事するなら、自分の知恵を披露しようと」 「披露しますとも」と彼が謂った、「あなたがたも全員が、おのおの何を善きものと知識しているかを、真ん中に持ち出してくれさえすれば」 「いや、誰もあなたに」と彼は謂った、「反対はしないでしょう、知識するに最多の価値があることは何だと考えているか言わないなどと」 [4]「それではわたしから」と彼が謂った、「何を自慢しているかをあなたがたに言おう。つまり、人間たちをより善きものとするに充分な力量があるとわたしは想っているのです」 するとアンティステネースが云った。「どちらですか、何か職人的な技術(techne)を〔教えて〕か、それとも、善美さ(kalokagathia)を教えてか?」 「その善美さというのに、正義(dikaiosyne)がはいるならば」 「ゼウスにかけて、もちろん」とアンティステネースが謂った、「これだけは異論の余地がありません。勇徳(andreia)や知恵(sophia)ときたら、友たちにとってと国家にとってとでは、害をなすように思われるときがあるのですが、正義は不正(adikia)と一点たりと混じり合わないのですから」 [5]「それではあなたがたのめいめいも、どんな有益なものを持っているか言ってくれたら、そのときはわたしも、これを達成する所以の術知をいうにやぶさかではない。いや、今度はあなたが」と彼は謂った、「言いたまえ、おお、ニケーラトス、どんな知識(episteme)を自慢しているのか」 すると相手が云った。「父はわたしが善き男になるよう気遣って、ぼくがホメーロスの詩句すべてを学ぶよう強制しました。今も、イリアス全巻とオデュッセウスを暗唱して云うことができるでしょう」 [6]「あのことは」とアンティステネースが云った、「君に忘れられているね、吟唱詩人たちもみんなその詩句は知識しているってことが」 「いったいどうして」と彼が謂った、「忘れられていることがあろうか、ほとんど毎日彼らから聞いているのに」 「それじゃ承知しているかい」と彼が謂った、「吟唱詩人という阿呆の一種を」 「ゼウスにかけて、とんでもない」とニケーラトスが謂った、「ぼくにはちっともそうは思えない」 「明らかだからね」とソークラテースが謂った、「彼らが真意(hyponoia)を知識していないということは。しかしあなたはステーシブロトスやアナクシマンドロスや他にも多くの詩人たちにたくさんの銀子を与えてきたのだから、[7]多くの価値あることは何もあなたに忘れられていないだろう。ところであなたは何だったかな」と彼は謂った、「おお、クリトブウロス、あなたが自慢するのは?」 「美しさを」と彼が謂った。 「もしかして、本気であなたは」とソークラテースが謂った、「あなたの美しさでもって、われわれをより善くするに充分の力量があると言うことができるのか」 「さもなければ、つまらぬ者に見えること明らかでしょうからね」 [8]「あなたは何だったかな」と彼が云った、「何を自慢するのですか、おお、アンティステネース」 「富を」と彼が謂った。 そこでヘルモゲネースが、彼にたくさん銀子があるのかと尋ねた。相手は1オボロスもないと誓言した。 「でなきゃ、多くの土地をもっているのか?」 「おそらく」と彼が謂った、「このアウトリュコス〔が全格闘技をするとき〕に振りかけるに充分な〔広さには〕なるでしょう」 [9]「あなたからも聞くべきだろう。あなたは何だったかな」と彼が謂った、「おお、カルミデース、何を自慢するのですか」 「ぼくは逆に」と彼が謂った、「貧乏を自慢します」 「ゼウスにかけて」とソークラテースが謂った、「ありがたいものを〔自慢する〕ね。これこそは、羨望の的となること最少、争いの的となることも最少、しかも、守護されなくとも無事、放置されればますます強くなるのだから」 [10]「ところで〔そういう〕あなたは」とカッリアスが謂った、「何を自慢なさるのですか、おお、ソークラテース」 すると相手は顔を改めてすこぶる神妙に、「客引き稼業を」と云った。これにみなが大笑いしたところ、「あなたたちは笑うが」と彼が謂った、「わたしは、いいですか、莫大な金銭を手に入れていたことだろうよ、この術知を使うことを望んでいたら」 [11]「少なくとも、あんたの場合は明らかだ」とリュコーンがピリッポスに向かって言いかけた、「あんたの自慢が、ひとを笑わせることにあるということは」 「少なくとも」と彼が謂った、「俳優のカッリッピデースよりは、義にかなっているとわたしは想う。やつは、多衆を泣きつつ座らせておけると威張ってはいるが」 [12]「では、あなたも」とアンティステネースが謂った、「おお、リュコーン、何を自慢するとおっしゃるつもりですか」 すると相手が謂った。「それはみなさんがご存じじゃないのかな」と彼が謂った、「この息子を〔自慢する〕ということは」 「少なくとも、この人の場合は」と誰かが謂った、「明らかです、優勝運びであることを〔自慢する〕ということは」 するとアウトリュコスが赤面して云った、「ゼウスにかけて、少なくともぼくのことじゃありません」 [13]彼の発言が聞こえたことに気づいて、全員が注目したので、誰かが彼に質問した。 するとカッリアスが〔それを〕見て、「はたして、ご存じですか」と謂った、「おお、リュコーン、あなたは人間界で最高の富者だということを」 「ゼウスにかけて、とんでもない」と彼が謂った、「そんなことはてんで、考えたこともありません」 「いや、あなたに忘れられているのです、大王の金銭でも息子の代わりに受けとることはないということが」 「現行犯逮捕されましたな」と彼が謂った、「どうやら、わたしは人間界で最高の富者であるらしい」 [14]「ところであなたは」とニケーラトスが云った、「おお、ヘルモゲネース、何を誇りとなさるのですか」 すると相手が、「友たちの」と謂った、「徳(arete)と能力(dynamis)を。そういう人たちであれば、わたしを気遣ってくれるから」 すると、ここで一同が彼に注目し、多くの人たちが一斉に、自分たちにもそういう人たちのことを明らかにしてくれるかと尋ねた。そこで彼が、そうするにやぶさかでないと云った。 第4章 [1]これに続いて、ソークラテースが云った。「それでは、われわれに残されているのは、めいめいが保有することが、多くの価値を有するということを証明することであろう」 「聞いてください」とカッリアスが謂った、「まず、わたしから。というのは、わたしはあなたがたが、正義とは何であるかに行き詰まっておられるのを耳にしていた、その時期から人々を義しい者にしているのですから」 するとソークラテースが、「どういうふうにして、おお、あな畏れ多の御仁よ」と謂った。 「ゼウスにかけて、銀子を与えることで」 [2]するとアンティステネースが立ち上がって、大いに論駁の構えをみせながら、彼を問いただした。「しかし人間どもが、おお、カッリアス、義しさを有するのは、魂の中にか、財布の中にか、どちらですか?」 「魂の中に」と彼が謂った。 「そうすると、あなたは財布の中に銀子を与えて、魂をより義しいものとするのですか?」 「大いに」 「どうして?」 「つまり、なにがしかの値で買って必需品を入手できる手だてがあると承知しているから、悪行をする危険を冒そうとしないってことです」 [3]「もしかして、あなたに」と彼が謂った、「彼らはもらったものを返すのですか?」 「ゼウスにかけて」と彼が謂った、「返すもんか」 「では、どうか、銀子の代わりに感謝を」 「ゼウスにかけて」と彼が謂った、「それも〔返さ〕ないどころか、もらう前より敵意を持つ者さえ何人かいる」 「びっくり仰天ですね」とアンティステネースが謂った、と同時に、相手を論駁しようとじっと見て、「他の人たちに対しては、彼らを義しい人にすることができるが、あなた自身に対しては、できないとすれば」 [4]「いったい何でそれが」とカッリアスが謂った、「驚くことなんですか? 大工や建築家でも、たいていは、他の多くの人たちのために家を造るけれど、自分たち自身のためにはつくることができないで、借家住まいしているのを、あなたは眼にするのではありませんか? さぁ、とにかく手を上げたまえ、おお、学者先生(sophistes)、論駁されたんだから」 [5]「ゼウスにかけて」とソークラテースが謂った、「とにかく彼には手を上げてもらおう。たしかに、占い師たちも、他の人たちの将来は予言できても、自分たちの行く末は予見できないと言われているから」 [6]この話(logos)は、ここで終わった。 これに続いてニケーラトスが、「聞いてください」と謂った、「わたしからも、わたしといっしょになったら、あなたがたがより善い人になるということを。というのは、ご存じのとおり、最高の知者ホメーロスは、ありとあらゆる人事のほとんどすべてについて詩作しました。だから、あなたがたの中で、家政学なり民衆指導家なり将軍なり、あるいは、アッキレウスなりアイアスなりネストールなりオデュッセウスなりと似た者になりたいと望む人は、わたしを大事にすることです。わたしがそれらすべてを知識しているのですから」 「もしかして、王になることも」とアンティステネースが謂った、「君は知識しているのかい、彼はアガメムノーンを、善き王にして剛の槍使いと称揚しているのをわたしは承知しているから〔聞くのだが〕」 「ゼウスにかけて、もちろん」と彼が謂った、「わたしはね、戦車を御せんとする者は、標柱の近くでまわらなければならないということだって〔知っています〕、 彼は造りもよき車台のうえにて傾けたり [7]これに加えて他のこともわたしは知っています、あなたがたには今すぐにでも試してみることができるのです。ところで、ホメーロスが云っています。 飲み物のつまみには玉葱を〔Il.XI_630〕 ですから、玉葱を持参する者がいれば、わたしたちは今すぐにもそれに益されることでしょう。もっと心地よく飲めるでしょうから」 [8]するとカルミデースが云った。「諸君、ニケーラトスは、玉葱の匂いをかいで、家に帰りたがっている、そうすれば自分の嫁さんが、誰も彼にキスすることを思いついた者がいないと信じてもらえるので」 「ゼウスにかけて」とソークラテースが謂った、「いや、ほかのおかしな評判をわれわれの身にうける危険性がありますね。というのは、つまみとしては、玉葱というやつが、食べ物だけでなく飲み物にも快いというのは、どうやら、ほんとうらしい。だが、これを食事の後でもかじるとなると、われわれがカッリアスのところに来て快適な目に遭ったと人が噂されることのないようにしなくては」 [9]「けっしてそれには及びません」と彼が謂った、「おお、ソークラテース。なぜなら、戦闘に進発せんとする者にとっては、玉葱を前菜にかじるのは美しいのだから、ちょうど、闘鶏にニンニクをごちそうしてから合戦させる人たちがいるように。もっとも、われわれの場合は、たぶん、戦闘するよりは誰かに接吻しようとたくらんでいるようだが」 [10]この言葉も、ほぼこういうふうにして中断した。 そこでクリトブウロスが、「それでは今度はぼくが言いたい」と謂った、「なにゆえ美しさを自慢するかを」 「言いたまえ」と一同が謂った。 「それでは、もしもぼくが、自分で思っているほどには美しくないとしたら、あなたがたが瞞着の私訴を起こすのは義しいでしょう。誰も宣誓をもとめていないのに、いつも宣誓して、わたしが美しいと謂うのですから。とにかくわたしもそう信じましょう。というのも、あなたがたは善美な人だとみなしていますから。[11]そこで、わたしがほんとうに美しく、わたしに美しいと思える人の前でわたしがうけると同じようなことを、あなたがたがわたしを前にしてうけるなら、いかなる神々も、美しくあることの代わりに王の支配権を選ぶことはないとわたしは誓言します。[12]というのは、今、わたしがクレイニアスを眺める快適さたるや、人間界にある他のどんなに美しいものを眺めるよりも快適であり、クレイニアスひとりを除けば、他のどんなものが見えなくなっても受け入れるでしょう。だから、夜や睡眠にわたしは不機嫌になるのです、彼を見られませんから。逆に、太陽や昼間には大いに感謝の念を持ちます、わたしにクレイニアスを見えさせてくれますから。[13]少なくともわたしたちのような美しい者たちにとっては、こういったことこそ自慢に値するのです、善きことどもを獲得するに、力の強い者は辛労して、男らしい者は危険を冒して、けれども知者は語ることによって獲得しなければならない。[14]これに反して美しい者は、じっとしていても、すべてを達成できるでしょう。とにかくわたしは、なるほどお金は快適な所有物だとは知っていますけれども、もっと快適なのは、他人から別の財産を手に入れるよりは、クレイニアスにそれを与えることであり、もっと快適なのは、自由人であるよりは、奴隷であることなのです、クレイニアスがぼくを支配しようとするならばの話ですが。というのも、彼のためには、休息するよりは辛労する方が容易であり、危険なく生きるよりは、彼の前で危険を冒す方がより快適なのですから。[15]こういうわけで、もしあなたが、おお、カッリアス、より義しい者たらしめることができると自慢なさるなら、ぼくは、あらゆる徳の方へと人々を導くのですから、あなたよりも義しいのです。というのは、ぼくたち美しい者たちは、恋する者たちに何かを吹きこむことで、これを金銭に対してより自由な者にし、危難に際してより愛労者にして名誉愛者に、いやそれどころか、より謙虚な者にも克己的な者にもさせられるのです、彼らだけは、自分たちがもとめる事柄にはとくに恥を知っていますから。[16]さらに、美しい者たちを将軍として選ばない人たちも気が狂っているのです。とにかくぼくは、クレイニアスといっしょなら、火の中をもくぐるでしょう。ご存じのとおり、あなたがたもぼくといっしょなら。こういうわけですから、もはや窮するのはやめてください、おお、ソークラテース、ぼくの美しさが人々を益するかどうかなんてことに。[17]いや、それどころか、美しさの盛りはすぐに過ぎるからと、美しさをこういう仕方で貶めるのもいけません、少なくとも子どもが美しいように、そういうふうに若者も成人も高齢者も美しいのですから。証拠はといえば。アテーナ女神のためのオリーブの若枝運び(thallophoroi)として美しい老人たちが選ばれるのは、美しさはすべての年齢に同伴するからです。[18]また、ひとが自分の欲することを自発的に達成するのが快適だとするなら、よく承知しているのですが、今も、この少年少女がぼくに接吻するよう説得するのは、ぼくは黙っていても、あなたより早いでしょう、おお、ソークラテース、たとえ、すこぶる多くの賢いことをあなたが語れるにしても」 [19]「それはどういうことだね?」とソークラテースが謂った。「いったい、わたしより美しいからというので、そんな大言壮語をしているわけかね?」 「ゼウスにかけて」とクリトブウロスが謂った、「さもなきゃ、サテュロス劇の中のどんなセイレーノス〔=シレノス〕たちよりもぼくは醜いってことになるでしょう」[ソークラテースときたら、じっさい、そういった者たちにそっくりであったのだ。] [20]「いいですか、今は」とソークラテースが謂った、「美しさについて審判することだということを憶えておくようにしよう、提起された言葉は一巡したのだから。そこで、わたしたちの審判は、プリアモスの子アレクサンドロスじゃなくて、これらの――あなたに接吻したがっているとあなたが想っているこの子たちにこそやってもらおう」 [21]「クレイニアスには」と彼が謂った、「おお、ソークラテース、任せないのですか?」 すると相手が云った。「あなたはクレイニアスの話をやめられないのかね?」 「名前を唱えなければ、ぼくが彼のことを憶えてないなんて、まさか想っておられるんじゃないでしょうね。あなたはご存じないのですか、彼の面影をぼくが魂の中にこんなにもはっきりと持っているということを、ぼくが彫刻家や画家だったら、彼を前に見ているときにちっとも劣らず、面影から彼の肖像を仕上げることができるぐらいに」 [22]するとソークラテースが〔ことばを〕引き取った。「何でまた、そんなに似た面影を持っていながら、わたしに面倒をかけ、彼の見えるところへ引っぱってゆこうとするのかね?」 「そりゃ、おお、ソークラテース、彼が見えると好機嫌になれるけれど、面影では、享楽はもたらしてくれず、慕わしさをつのらせるだけだからですよ」 [23]するとヘルモゲネースが云った。「いや、ぼくは、おお、ソークラテース、あなたらしくもない振る舞いだと想いますよ、クリトブウロスがこんなにも恋に心を奪われているのを見過ごしにするなんて」 「あなたは思っているのかい」とソークラテースが謂った、「わたしといっしょになってから、彼がこんなになったとでも」 「でなきゃ、いったい、いつからなんですか?」 「あなたは見えないのか、この人の耳のところにはちょうど頬髭が生え下がりだしたばかりなのに、クレイニアスの〔顎髭〕は襟首に向かって生え上っているのを。だから、このひと〔クリトブウロス〕は彼〔クレイニアス〕と同じ学校に通っているころからすでに強く燃え上がっていたのだ。[24]そのことを察知したからこそ、父君はわたしに彼を預けたのだ、何か益することができるならばと。たしかに今ははるかによくなった。以前は、ゴルゴーンたちを見た人たちのように、石のようになって彼を見つめ、[石のように]彼のもとを決して離れようとしなかったのだから。[25]しかし今はもう、わたしの知るところ、彼はせいぜい目配せする程度のことだ。ところがどっこい、われわれの間だけの話だが、このひとはクレイニアスに接吻したこともあるらしい。恋の焚き付けとして、これ以上恐るべきものはない。というのも、一種の満たされぬ甘い希望をもたらすからだ。[26][それに、あらゆる行動のうちで、身体的にくっつくだけのことで、魂において愛されることと同義になるとしたら、名誉なことであろうが。]こういうわけで、若い盛りにある者たちの中で、慎み深くあろうと決心する者は、色恋沙汰から身を退くべきだとわたしは主張する」 [27]するとカルミデースが云った。「しかし、いったい、なぜなんですか、おお、ソークラテース、わたしたち愛友をこけおどしして、美しいことどもから追い払おうとなさるのは? そのあなた自身が」と彼は謂った、「アポッローンにかけてわたしは目撃したのです、手習い師匠(grammatistes)のところで、あなたがた二人が同じ本の中に何ごとかを探究しているとき、頭を頭に、裸の肩をクリトブウロスの裸の肩に、ひっつけていたのを」 [28]するとソークラテースが、「なるほど!」と云った、「さてはそのせいだったか[」と謂った、「]わたしが何か獣に咬まれたように肩のところが5日以上も痛み、心臓の中にも何か刺し傷をうけたように思っていたのは。しかし、今は、あなたにねぇ」と謂った、「おお、クリトブウロス、これだけたくさんの証人の前で、警告しておこう、頭の毛と同じくらいにひげが延びるまでは、わたしに触れるなと」 [29]まったくこのとおりに、この人たちは冗談と清談とをこきまぜてしたものであった。 で、カッリアスが、「君の番だよ」と謂った、「おお、カルミデース、なにゆえ貧しさを自慢するかを言う」 「では、次のことは」と彼が謂った、「同意してくれますね、恐れをいだくよりは安心していることの方がまさっており、奴隷となるよりは自由人であることの方がよく、追従するよりは追従されることの方がよく、祖国に信じられないよりは信じられることの方がよい、というのは。[30]ところで、わたしは、この国において、富裕であったときは、先ず第一に恐れをいだきました、わたしの家をこじ開けて、金銭を取り、わたしの身にも何か悪さをしでかす者がいるのではないかと。次にはまた、告訴屋(sykophntes)たちにも追従していました、あの連中に悪さをなすよりは、悪さをされるに足る者と承知していましたから。というのも、じっさいのところ、わたしにはいつも何かと出費するよう国に命令されていましたし、どこにも出郷することが許されていませんでした。[31]ところが今は、外地の地所は奪われ、内地の地所は収穫できず、家財は売り払ってしまったので、快適にも手足を伸ばして眠れ、国には信頼される者となり、もはや脅かされることはなく、むしろすでに他の人たちを脅かしている――わたしは自由で、出郷も在郷も許されているのだから。さらに、もはやわたしのために席も起つし道も避けてくれるのは、富裕者たちなのだ。[32]だから、今は僭主にも等しいが、かつてははっきりと奴隷だった。また、かつてはわたしは区(demos)に税を納めていたが、今は国(polis)が救済金(telos)を払ってわたしを養ってくれる。いや、そればかりか、ソークラテースとも、わたしが富裕だったときは、彼といっしょにいるからといってひとびとはわたしを罵ったが、今は、貧乏になったおかげで、もはや誰も何も気にしない。ところがしかし、わたしが多くのものを持っていたときには、国によってなり運によってなり、いつも何かと差し出していた。ところが今は、何も差し出すことなく(持ってもいないから)いつも何かともらえる希望があるのだ」 [33]「それでは」とカッリアスが謂った、「けっして富裕になりませんようにと祈ってでもいるのか、そして、何か善い夢を見たときは、厄よけの〔神々〕に供犠するのか?」 「ゼウスにかけて、そんなことは」と彼が謂った、「わたしはしない、むしろ、何かもらえる希望のあるところでは、待ち伏せするくらい大いに冒険好きです」 [34]「それでは、いざ」とソークラテースが謂った、「今度はあなたがわたしたちに言ってください、おお、アンティステネース、そんなにわずかしか持っていないのに、どうして富裕を自慢するのかを」 「それは、みなしているからなんですよ、諸君、人間たちが富や貧しさを持っているのは家の中ではなく、魂の中だと。[35]というのは、わたしは多くの私人たちを眼にするのです、――彼らはすこぶる多くの金銭を持っているのに、もっと多くを所有するためなら、どんな労苦、どんな危険でも引き受けようとするほど、それほどまでに貧乏だと考えているのです。また、兄弟をも知っています、――彼らは平等に相続しながら、その一方は支出に充分な、いやありあまるほどのものを持っているが、もう一方は万事に事欠いている。[36]さらにまた、何人かの僭主たちのことを察知しています、――彼らは財貨に飢えているあまりに、最低の窮民よりもはるかに恐るべきことをしでかす。というのは、なるほど、欠乏が原因なら、ある者たちは盗みをし、ある者たちは壁破りをし、ある者たちは人足奴隷の売買をする。[37]ところが、僭主たちときたら、家族皆殺しにしたり、集団殺戮したり、財貨のために国全体を奴隷化することもしばしばというような連中がいるからである。ところで、こういう連中を、わたしとしてはそのあまりの難病をおおいに憐れみさえする。というのは、多くのものを保有し多くのものを食べてもちっとも満ち足りることがない人のように、同じような情態を被っているようにわたしには思えるからだ。逆にわたしの方は、あまりに多くのものを持っているので、それを見つけるのが[わたしは]自分でもやっとというくらいである。それでもやはり、わたしには、食事をするにしても飢えに見舞われない程度、飲むにも渇かない程度、身にまとうにも、屋外であっても、最も富裕なこのカッリアスと同じくらい寒くないぐらい余裕がある。[38]まして屋内にいるときには、壁はすこぶる暖かい上衣(chiton)にわたしには思えるし、屋根はすこぶる厚い外套(ephestris)に、まして寝床はあまりに満足なのを持っているので、起床するのも大仕事なほど。また、わたしの身体が性愛を必要とするときも、わたしにはあるがままで満足なので、わたしに惚れてくれるご婦人方には、他の人は誰も近づこうとしないので、ぼくがお近づきになれる。[39]しかも、こういったことがすべてわたしにはあまりに快適に思えるので、これらのうちのいずれかをやって、もっと快適になりますようにと祈るのではなく、より少なくなりますようにと〔祈るほどだ〕。こういうふうに、これらのうちのいくつかは、好都合であるというより快適であるようにわたしには思える。[40]しかし、わたしの富の中で最も価値ある所有物は、次のものだと計算している、――すなわち、わたしから誰かが今あるものさえ奪い取ったとしても、わたしに満足できる糧をもたらせないような、それほどまでにつまらぬ仕事は何もないとわたしが見ているということだ。[41]というのも、快適な目を見たいと思うとき、高価なものは市場から購入するのではなく(高くつくから)、魂から分配する。必要を待ってこれを供給する場合と、今もこのタソス産の葡萄酒に巡りあって、喉が渇いているわけでもないのにこれを飲むように、何か高価なものを用いる場合とでは、快楽の点で格段の相違がある。[42]いやそれどころか、金儲け(polychrematia)を心がける人たちよりは、倹約(euteleia)を心がける人たちこそはるかに義しいというのは当然だ。なぜなら、今あるもので大いに満足している人たちにとっては、他人のものなどちっとも欲しくないからである。[43]また、こういう富が自由人をももたらすことに心づくべきである。というのは、このソークラテースも――その富をわたしが手に入れたのは、この人からなのだが――、数や量によってわたしを援助したことはなく、運びうるだけのもの、それをわたしに手渡してくれた。わたしも誰に対しても物惜しみせず、愛友たちすべてに気前の良さを示しもし、望む者には、わたしの魂の内なる富を分け与えもしているのである。[44]かてて加えて、このうえなく優雅な所有物として、わたしにはいつも暇(schole)があるのはごらんのとおり、そのおかげで、観るにあたいするものを観ることも、聞くにあたいするものを聞くことも、最も高価だとわたしのみなすこと、つまり、ソークラテースと暇つぶししつつ、ひねもす過ごすこともできるのだ。そしてこの人も、多額の金子を勘定(支払い)できる人たちを賛嘆することなく、自分のお気に入りがいれば、この人たちといっしょに過ごすのだ」 [45]さて、この人が云ったのは以上のようなことであった。そこでカッリアスが、「ヘーラにかけて」と謂った、「ほかの点でもあなたの富が羨ましいが、とりわけ、国があなたに言いつけて奴隷のように用いることがないのも、人々が、あなたが出費しなくても、怒らないというのもそうです」 「いや、ゼウスにかけて」とニケーラトスが云った、「羨ましがらないでください。わたしは彼のところに「余分に必要としない」を拝借に行くつもりですから。というのは、次のようにホメーロスに教わったからです、 火をつかわぬ鼎が7つ、また金子10タラントン、 量と数はこういうふうに数えて、わたしはできるかぎり多くの富を欲求してやまないのです。こういうわけですから、おそらく、このうえない愛銭家だと一部の人たちには思われているでしょう」 ここで一座の人たちはみな爆笑した、ありのままのこと(ta onta)を彼が述べたとみなしたので。 [46]これに続いて誰かが云った。「あなたの仕事です、おお、ヘルモゲネース、愛友たちとは誰々であるか、また、それがいかに大きな力を持ち、あなたのことを気にしてくれるかを示すのが、そうすれば、あなたが彼らを自慢するのも義しいと思われるでしょう」 [47]「それでは、ヘッラス人たちも異邦人たちも、神々が現在のこと・未来のことすべてをご存じだと考えているというのは、明白ですね。とにかく、あらゆる都市・あらゆる民族は、占いによって、何をなすべきか、また、何をなすべきでないかを神々にお伺いを立てる。かてて加えて、神々はよくも悪くも為したもうことができるとわれわれがみなしているということは、これもまたはっきりしています。[48]とにかく万人は、つまらぬことは逸らし、善きことどもは与えたもうよう、神々に願うのです。だからして、万事をご存じで、万事が可能なこの神々がどれほどわたしにとって親愛かといえば、わたしのことを気遣ってくださるゆえ、神々のことを失念することは決してないほどなのです、――夜も昼も、どこかに出かけるときも、何かを為そうとするときも。また、個々のことから何が結果するかも先刻ご存じなので、わたしに前徴を表したもうのです、音や夢や鳥をお告げとして送って、何を為し、何を為すべきでないかを。わたしがこれに聴従するときは、けっしてわたしに悔いは残りません。が、いつかも逆らったために、懲らしめをうけたことがありますが」 [49]するとソークラテースが云った。「いや、そういったことに信じられないことは何もない。しかし、わたしは次のことを聞かせてもらえれば快としたい、つまり、どのように神々に仕えて、あなたはそういうふうに〔神々を〕友として持っているのか」 「ゼウスにかけて」とヘルモゲネースが謂った、「きわめて簡単なことです。というのは、何も出費せず、神々をたたえ、〔神々が〕与えてくださる物の中からいつも今度はお返しをし、できるかぎり祝言し、神々を証人とする場合には、故意に虚言することをしないだけのことです」 「ゼウスにかけて」とソークラテースが謂った、「そういうふうにすれば神々を友として持てるなら、神々もまた、どうやら、善美さをよろこばれるらしい」 [50]じつにこの話題はこういうふうに真面目に話されたのであった。 だが、ピリッポスの番になって、道化に何を見て、それを自慢するのかとみなが彼に尋ねた。 「値打ちがあるからじゃないのですか」と彼が謂った、「だって、みなはわたしが道化師だとご存じなので、何か善いことがある場合は、それのために熱心にわたしを呼ぶが、何か悪い目に遭った場合には、見向きもせずに避けるのですから、心ならずにも笑うようなことがあってはならないと恐れて」。 [51]するとニケーラトスが云った、「ゼウスにかけて、そうするとあんたが自慢するのは義しいわけだ。わたしの友人たちの中にも、羽振りのよい連中は道を避けて立ち去るが、何か悪い目に遭った連中は、同族のよしみをたどり、けっしてわたしを放ってはおかない者たちがいるのだから」 [52]「もういいだろう。ところであなたは」とカルミデースが云った、「おお、シュラクウサイの人、何を自慢するのですか? それとも、明らかに、この少年を?」 「ゼウスにかけて」と彼が謂った、「とんでもありません。むしろこの子についてはひどく恐れてさえいるんです。この子をだめにさせようとたくらんでいる連中がいることに気づいていますから」 [53]するとソークラテースが聞きつけて、「ヘーラクレース!」と謂った、「どんなにかひどい不正をあなたの少年からうけるとみなして、それでその子を殺そうとたくらんでいるのか?」 「いえ、まさか」と彼が謂った、「連中がたくらんでいるのは、殺すことではなくて、自分たちと共寝するようこの子を口説くことです」 「すると、あなたは、どうやら、そんなことになれば、この子がだめになるとみなしているらしいね?」 「ゼウスにかけて、そのとおりです」と彼が謂った、「絶対そうにきまっています」 [54]「はたして、あなた自身も」と彼が謂った、「彼と共寝しないのですか?」 「ゼウスにかけて、一晩中、それも毎晩」 「ヘーラにかけて」とソークラテースが謂った、「あなたは大きな幸運の持ち主ですねぇ、あなただけは、共寝する相手をだめにすることがないというような、そんな肉体(chros)を生まれつき持っているとは。そうとすれば、あなたにとっては、ほかでもない、その肉体をこそ自慢する値打ちがある」 [55]「いや、ゼウスにかけて」と彼が謂った、「そんなものを自慢はしません」 「でなきゃ、いったい、何を?」 「ゼウスにかけて、心ない者(aphron)たちを。というのは、この連中は、わたしの操り人形たちを観て、わたしを食べさせてくれるのですから」。 「ははん、そのことだったのか」とピリッポスが謂った、「先日も、わたしはあんたが神々に祈るのを耳にしたのだ、いずこであれ、実入りには気前のよさ(aphthonia)を、しかし心(phren)には貧しさ(aphoria)を与えたまえと」 [56]「もういいだろう」とカッリアスが謂った。「ところで、あなたは、おお、ソークラテース、何か言うことがありますか、あなたの云った術知はこんなに不評なのに、これを自慢するということがあなたにとってどんな価値があるか」 すると相手が謂った。 「たしかに(Pany men oun)」と一座の人たちが謂った。ところが、いったん『たしかに(Pany men oun)』と云うと、以降も全員がそう答えることになってしまったのである。 [57]「それでは、善き」と彼が謂った、「客引きの仕事とは、女であれ男であれ、これを取り持つことによって、いっしょになる相手を満足させるものであることを示すことだとあなたがたに思われるのではないか?」 [58]「たしかに(Pany men oun)」とみなが謂った。 「では、満足を得るためのひとつの手段はといえば、毛髪にせよ衣服にせよ、格好のいいのを持つことによってではないか?」 「たしかに(Pany men oun)」とみなが謂った。 「では、次のこともわれわれは知識しているのではないか、つまり、人間にとっては、ある人たちを同じ眼で友愛的にも敵対的にも視ることができると」 「たしかに(Pany men oun)」 「では、どうか? 同じ声で、謙虚にでも堂々とでも発話することができるのか?」 「たしかに(Pany men oun)」 「では、どうか? 言葉は、敵意を引き起こすようなものがあり、友愛に導くようなものがあるのではないか?」 「たしかに(Pany men oun)」 [59]「では、こういったもののうち、満足するのに役に立つものらを、善き客引きは教えることができるのではないか?」 「たしかに(Pany men oun)」 「より善いのは」と彼が謂った、「一人のひとに満足してもらえる人たちをつくるひとの方であろうか、多くの人たちにも〔満足してもらえる人たちをつくる〕人よりも?」 [60]しかし、この点では、返事〔の仕方〕が分かれた、つまり、ある人たちは「明らかに、最も多くの人たちに〔満足してもらえる人たちをつくる人の方がより善い〕」と云い、ある人たちは「たしかに(Pany men oun)」と〔云った〕。 しかし、彼〔ソークラテース〕は、これも同意されたと云ったうえで、こう謂った。「もしも、国家全体にとっても満足すべき人たちであることを立証できる人がいたとしたら、この人こそ完璧に善き客引きなのではないか?」 「はっきりしていますね、ゼウスにかけて」と全員が云った。 「それでは、世話する相手をそういう人たちに仕立てあげることのできる人がいれば、その術知を自慢するのは義しいであろうし、多額の報酬を得るのも義しいのではないか?」 [61]この点についても全員が一致同意すると、「とにかく、そういう人だと」と彼は謂った、「わたしには思われる、このアンティステネースは」 するとアンティステネースが、「わたしに」と謂った、「譲り渡してしまうんですか、おお、ソークラテース、その術知を?」 「ゼウスにかけて、そのとおり」と彼が謂った、「これに付随する〔術知〕も、あなたがすっかり仕上げてしまったのを眼にするから」 「その〔術知〕とは何ですか?」 「取り持ち術を」 [62]すると相手はひどく不機嫌になって問いただした「いったい、どうして、わたしのことをあなたが承知しているのですか、〔わたしが〕そんなことをしでかしたなどと?」 「承知しているとも」と彼が謂った、「あなたは、このカッリアスを知者のプロディコスに取り持った、この人〔カッリアス〕が愛知を恋慕し、あの人〔プロディコス〕が金銭を必要としているのを見たときにね。また、承知しているよ、あなたがエーリス人ヒッピアスに取り持ったのを、〔そうして〕彼からこの人〔カッリアス〕は記憶術をも学んだ。おかげでますます恋情的な人になってしまった、美しいものを見ると何でもけっして忘れられなくなったせいで。[63]さらに、最近もまた、たしか、ヘーラクレイア人の客人〔画家ゼウクシス〕をわたしの前でほめたたえて、わたしが彼に会いたがるようにさせたうえで、わたしに彼を紹介してくれた。とはいえ、あなたに感謝さえしているのだ。彼はきわめて善美な人にわたしに思えるから。さらに、プレイウウス人アイスキュロスをわたしの前で、また、わたしをあの人の前で、ほめたたえて、あなたの言葉のおかげで、わたしたちは恋におちて、お互いに求め合って追いかけっこをするほどのはめに陥らせたのではなかったか? [64]だから、あなたがこういうことをやれる人なのを見て、善き客引きだとわたしはみなしている。というのは、お互いに対して有益な人たちであると認識することができて、この人たちをお互いに求め合うようにさせることが可能な人、この人こそ諸都市をも友邦となし、ふさわしい結婚も成立させることができ、諸都市にとっても愛友たちにとっても同盟者たちにとっても、所有するに大いに価値ある存在だとわたしに思われるのである。ところが君ときたら、君は善き客引きだとわたしが謂ったのを、悪口を言われたのを聞いたかのように、怒っているのだ」 「いや、ゼウスにかけて」と彼が謂った、「今は〔怒って〕いません。なぜなら、そんなことができるとしたら、わたしは魂を富ですっかり圧しひしがれてしまうことになるでしょうから」 かくて、言葉〔=議論〕のこの行路も、めでたく完結したのであった。 第5章 [1]そこでカッリアスが謂った。「ところで君は、おお、クリトブウロス、美をめぐる争訟を〔起こして〕ソークラテースと対決しないのか?」 「できるはずがない、ゼウスにかけて」とソークラテースが謂った、「おそらく、審判者たちの間では客引きが合格審査されることを彼は眼にしていますからね」 [2]「いや、そうだとしても」とクリトブウロスが謂った、「わたしは引き下がりませんよ。いや、教えてくださいよ、何か知恵をお持ちでしたら、わたしよりもあなたがどこが美しいのか。ただし」と彼が謂った、「燭台を近くに持ってこさせてください」 「それでは予審に君を」と彼が謂った、「裁判に先立って召喚することにしよう。さて、答えたまえ」 [3]「いいですとも、質問しなさい」 「それでは、先ず、美は人間のうちにのみあるとあなたはみなすのか、それとも他のもののうちにも?」 「わたしとしては、ゼウスにかけて」と彼が謂った、「馬や牛の中にも、多くの無生物のうちにさえ〔あると〕。とにかく、楯も剣も槍も、美しいのがあるのをわたしは承知しています」 [4]「すると、いかにして」と彼が謂った、「それらはお互いに少しも似たところがないのに、すべて美しくありうるのか?」 「ゼウスにかけて」と彼が謂った、「個々のものをわれわれが何のために所有するのかという――その働き(erga)の点でよく制作されているなり、あるいは、われわれが何を必要とするかという――その点でよく生まれついているなりするならば、それらもまた」とクリトブウロスが謂った、「美しいのです」 [5]「それでは、あなたはご存じだね」と彼が謂った、「眼を何のためにわれわれが必要とするか?」 「明らかに」と彼が謂った、「見る〔ために〕」 「すると、もうそれだけで、わたしの眼はあなたのより美しい」 「いったい、どうして?」 「だって、あなたの眼はまっすぐしか見えないが、わたしのは、横をも〔見られる〕、飛び出しているから」 「あなたは言うのですか」と彼が謂った、「蟹は生き物の中で最もよい眼を持っている(euophthalmotatos)と」 「まったくそのとおり」と彼が謂った。「強さの点でも〔蟹の〕眼は生まれつき最善なのを持っているからね」 [6]「もういいでしょう」と彼が謂った、「鼻では、どちらがより美しいでしょうか、あなたのか、わたしのか?」 「わたしとしては」と彼が謂った、「わたしのだと思う、いやしくも、嗅ぐためにわれわれの鼻を神々がつくりたもうたのならね。なぜなら、君の鼻孔は地面を見ているが、わたしのはぺしゃんこのおかげで、あらゆる方向の匂いを受け入れられるのだから」 「何ですって! 獅子鼻のどこが、まっすぐなのより美しいのですか?」 「だって」と彼が謂った、「〔獅子鼻は〕邪魔だてせずに、何でも望むものを視覚にじかに見させる。ところが高い鼻ときたら、無礼にも、目と目の間に壁をつくるのだから」 [7]「少なくとも口だけは」とクリトブウロスが謂った、「わたしの負けです。というのは、〔口が〕噛みちぎるためにつくられているとしたら、あなたはわたしよりはるかに大きく噛みちぎれるでしょうから。また、唇も厚いので、あなたの接吻はいっそう柔らかでもあるとあなたは思うのではありませんか?」 「どうやら」と彼が謂った、「君の言に従えば、わたしは驢馬たちよりも醜い口を持っているらしい。しかし、次のこともわたしが君より美しいという証拠になると思量しないか、つまり、ナイスたち(Naides)も、女神だからこそ、シレーノスたちを、あなたよりもわたしに似たものとして産んだと?」 [8]するとクリトブウロスが、「もはや」と謂った、「あなたに反論できません。さぁ、〔僕童たちに〕配らせてください」と謂った、「投票用小石を。体罰なり罰金なり、ぼくが何をうけなければならないか、できるかぎり速やかにわかるために。ただ」と謂った、「投票は秘密裏に。あなたのやアンティステネースの富がぼくを圧倒するのではないかと恐ろしいので」 [9]そこで、少女と少年は、こっそりと回収にかかった。その間にソークラテースのやってのけたことは、燭台を次々とクリトブウロスに近づけ、審判者たちが欺かれないようにし、また、勝者にはリボンではなく、褒賞として審判者たちの接吻が与えられるようにということであった。[10]ところが、投票用小石が取り出されてみると、すべてがクリトブウロスの賛成票だったので、「おやおや」とソークラテースが謂った、「どうやら、あなたの金子は、おお、クリトブウロス、カッリアスのそれとは似ていないらしい。この人のはより義しい人たちをつくるのに、あなたのは莫大な額と同様、裁判官たちをも審判者たちをもだめにさせるに充分なのだから」 第6章 [1]これに続いて、ある人たちは勝利の接吻を受け入れるようクリトブウロスに命じ、ある人たちは主人を説得すべきだと〔いい〕、またある人たちは、ほかの点でもからかった。しかしヘルモゲネースは、このときも黙っていた。するとソークラテースが彼の名を呼んで、「あなたは持っていますか」と謂った、「おお、ヘルモゲネース、無礼講(paroinia)とは何か、わたしたちに云うべきことを?」 「何であるかをお尋ねならば、わたしは存じません。けれども、わたしに思われることなら云えるでしょう」 「いや、思われること、それを」と彼が謂った。 [2]「それでは、酒席にいっしょにいる者たちを苦しめること、それをわたしは無礼講と判断します」 「それじゃ、あなたはわかっているのですか」と彼が謂った、「あなたも、今、黙っていることで、わたしたちを苦しめているということが?」 「もしかして、あなたがたが話しているときもでしょう?」と彼が謂った。 「そうじゃなくて、わたしたちが間を置いたとき」 「ということは、もしかして、あなたに忘れられているのでしょう、あなたがたが話している間、言葉はおろか、髪の毛さえ差しはさめる者はいないってことが?」 [3]するとソークラテースが、「おお、カッリアス、何も持っていないのですか」と彼が謂った、「反駁されている男を助太刀するすべを」 「わたしはね」と彼が謂った。「というのは、笛が鳴っているときは、わたしたちは完全に黙っているのですから」 するとヘルモゲネースが、「ということは、もしかして、あなたがたはお望みなのですか」と彼が謂った、「役者のニコストラトスが笛に合わせて四歩格(tetrametra)を朗読するように、それと同様に笛の伴奏でわたしがあなたがたと対話することを」 [4]するとソークラテースが、「神々にかけて」と謂った、「ヘルモゲネース、そうしなさい。なぜなら、想うに、歌唱は笛に合わせるともっと快いように、あなたの言葉〔議論〕も音曲の伴奏でとても快適になるだろう、とりわけ、笛吹女のように、あなたも言われている内容に合わせて所作をすれば」 [5]するとカッリアスが謂った。「そうすると、このアンティステネースが酒宴の席で誰かを論駁する場合は、笛の曲はどんなのがあるだろうか?」 するとアンティステネースが謂った。「論駁する者には、おもうに」と謂った、「牧笛(syrinx)がふさわしいでしょう」 [6]こういった話がなされているあいだ、シュラクウサイ人は、一座の人たちが自分の出し物に無関心で、お互いに愉快がっているのを見て、妬ましくなってソークラテースに云った。「たしか、あなたは、おお、ソークラテース、思案家(phrontistes)と綽名されている方ですね?〔Ar. Nu.266〕」 「たしかにより美しいね」と彼が謂った、「無思案家(aphrontistos)と呼ばれるよりは」 「少なくとも、天空のこと(meteora)の思案家だと思われているのでなければね」 [7]「それではあなたはご存じなのか」とソークラテースが謂った、「神々以上に天空的なことを何か」 「ゼウスにかけて、そういうことではなく」と彼が謂った、ひとの言うのには、あなたが気遣っているのはそういうことではなく、てんで益ないこと(anophelestata)だと」 「むろん、そういうふうにしたって」と彼が謂った、「わたしは神々のことを気遣うことができるのだ。少なくとも、天から(anothen)は雨を降らせて益をなしたまう(opheloun)し、天から(anothen)は光をもたらしたもう。冷たいこと(psychra)を言っているとしたら、責任はあなたにある」と謂った、「わたしに面倒をかけたのだから」 [8]「それは」と彼が謂った、「そうだとしておきましょう。いや、わたしに云ってください、あなたはわたしから、蚤の脚で何歩ぐらい隔たっているのか。それであなたは計測なさっているという噂ですから」 するとアンティステネースが云った。「あんたは、たしかに恐るべきひとだ、おお、ピリッポス、喩えることにかけてはね。この男〔シュラクウサイ人〕は悪罵することを望む者に似ているとあんたに思われないか?」 [9]「そのとおり、ゼウスにかけて」と彼が謂った、「他にも多くのものに〔似ています〕ね」 「いや、だからといって」とソークラテースが謂った、「あなたは彼を喩えてはいけない、さもなきゃ、あなたまで悪罵する者に似てしまう」 「いや、いやしくも、まったく美しい人たちとか最善の人たちに彼を喩えたなら、悪罵する者よりはむしろ称賛する者にわたしを喩えてくれる人がいても義しいでしょう」 「今もあなたは悪罵する者に似てしまっているよ、彼のものはすべてがより善いと主張するつもりなら」 [10]「いや、お望みなら、より邪悪な連中に彼を喩えようか?」 「そういう者たちの誰にも喩えることさえしてはいけない」 「いや、そうはいっても黙っていたのでは、どうしたら食事にふさわしいことを行えるのか、わからない」 「簡単さ、言うべきでないことは」と彼が謂った、「黙っていさえすればいい」 かくて、この無礼講はといえば、こういうふうにして鎮まった。 第7章 [1]しかし、これに続いて、他の人たちのうちで、ある者たちは喩えてみせよと命じ、ある者たちは阻止しようとした。そのため騒がしくなったので、ソークラテースがまた再び云った。「いったい、皆がみな言いたがっているのだから、今こそ同時に歌うのが最高だろう」 [2]そう云うとすぐに彼は歌い始めた。そして彼が歌い終わると、踊り子のために陶器師たちの輪〔Cf. Arist. Mech. 851b20〕が運びこまれた、これの上で曲芸をしようというのであった。 ちょうどここでソークラテースが云った。「おお、シュラクウサイの人、あなたが言うように、わたしはほんとうに思案家なのかといぶかっている。実際のところ、今、わたしは考察しているのです、あなたのこの少年とこの少女が、どうしたら最も容易にやり過ごすことができ、わたしたちはわたしたちで、この子たちを観て最高に好機嫌になれるかを。これこそ、あなたも望んでいることだとわたしはよく承知している。[3]いずれにしても、戦刀の中に飛びこむのは危険な出し物で、酒宴に少しもふさわしくないようにわたしには思える。そればかりか、回転する輪の上で同時に書いたり読んだりするというのは、驚きという点ではおそらく大したものであろうが、快楽という点では、それが何ほどのものをもたらすか、わたしは識別もできない。まして、身体を曲げて輪を真似るのを〔観る〕ことが、美しくて若々しい人たちが静かにしているのを観ることよりも快いとも〔わたしは思わ〕ない。[4]というのも、讃歎すべきことに遭遇することは、ひとがそれを求めるなら、極々稀というわけのものでもなく、身の回りにあるものらはそのまま大いに讃歎することができるのだ、〔例えば〕燈火は輝く炎を持っているから光を発するが、銅鏡は輝くのに光をつくることはなく、みずからの中に他のものらの映像をもたらす、いったいこれはなぜか。オリーブ油は湿っているのに火勢を強めるが、水は、湿っているから、火を消してしまう、いったいどうしてかと。[5]とはいえ、こういったことでは、酒と同じほどの促進剤になるというわけにはいかない。ところが、カリスたち(Charites)やホーラたち(Horai)やニュムペーたち(Nymphai)描かれているとおりの格好で、笛に合わせて踊るというのであれば、わたしが想うに、この子たちにしてもこなすのははるかに容易であろうし、この酒宴もますます優雅なものとなろう」 そうするとシュラクウサイ人が、「いや、ゼウスにかけて」と謂った、「おお、ソークラテース、あなたの言や美し、わたしもあなたがたが好機嫌になれる見せ物をご覧に入れましょう」 第8章 [1]こうしてシュラクウサイ人が出ていったので、みなは拍手喝采した。そこでソークラテースがまた再び新しい話を始めた。 「まさか」と彼は謂った、「諸君、偉大なる精霊(daimon)――すなわち、時間の点では永生の神々と同年輩、姿の点では最も若く、また大きさの点では万物を引き寄せ、人間の魂に住まいたもうエロースが臨在なさっていることを、もちろん、われわれは忘れてはいまいね、とりわけ、わたしたちは皆がみな、この神の崇拝者なのだから。[2]というのは、わたしにしても、誰かを恋し続けていない時というものを云うことはできない。また、このカルミデースは、わたしの承知しているところ、多くの愛者(erastes)をもち、その中には彼自身が欲している相手も含まれているのです。[3]いや、それどころか、ニケーラトスも、わたしの聞くところでは、妻君と相思相愛なのです。さらには、ヘルモゲネースは、わたしたちの中で知らない者がいるだろうか、善美さとは何かと、それへの恋にめろめろだということを。彼の眉は真剣で、眼は落ち着いている、言葉は節度がある、声は優しく、物腰はうきうきしているのを、あなたがたは目にするのではありませんか。そして、峻厳このうえなき神々を友としながら、わたしたち人間をちっとも見下すことがないのを? ただ、あなただけは、おお、アンティステネース、誰にも恋をしないのですか?」 [4]「ゼウスにかけて、とんでもない」とあの人が云った、「あなたにぞっこんですよ」 するとソークラテースがからかうつもりで、まるでつれないふうをして云った。「今は、話の都合上、あたしを困らせないでおくれ。[5]ごらんのとおり、あたしは他のことをしているのだからさ」 するとアンティステネースが云った。「それにしても、何とあけすけにあなたは、あなた自身の客引きをして、いつもそんなふうなことをすることか。あるときは精霊的なものを口実に、ぼくとの対話をせず、[6]あるときは何か他のものを追いかけて」 するとソークラテースが謂った。「神々にかけて、おお、アンティステネース、あたしをぶつのだけはやめとくれ。あんたの他の気難しさは、あたしも我慢もするし情愛深くもするからさ。とにかく」と彼が謂った、「あなたの恋は隠しておこう、〔あなたの恋は〕〔わたしの〕魂に対してではなく、わたしの器量の良さ(eumorphia)に対してのものなのだから。 [7]かてて加えて〔話を元にもどして〕、あなたが、おお、カッリアス、アウトリュコスを恋していることは、国中が知っているし、外国人たちの多くも〔知っている〕とわたしはおもう。そのわけは、あなたがたご両人の父親が有名な人でもあり、あなたがた自身も世に知られた人であることにある。[8]そこで、わたしとしては、あなたの自然本性(physis)を讃歎するのはいつものことながら、今はますますもってそうです、わたしの眼にするところ、あなたが恋するのは、酒色にふける者をではなく、まして軟弱さに萎えた者をでもなく、力強さと堅忍と男らしさと慎み深さを万人に見せつける者をだからです。こういったことを欲求することこそ、恋する者たるの自然本性の証拠です。[9]ところで、アプロディーテー女神がお一人なのか、それとも、ウウラニアとパンデーモスというお二人なのか、わたしは承知していない。というのも、ゼウスは同一と思われているが、多くの添え名を持っておられるからです。とはいえ、少なくとも、それぞれの女神の祭壇と神殿は別々であり、供犠も、パンデーモスのは野卑であるが、ウウラニアのは神聖であることを、わたしは承知しています。[10]そこで、恋心〔"eros"の複数形〕も、身体に対するのはパンデーモス女神がお遣わしになり、魂や友愛や美しき所行に対するのはウウラニア女神が〔お遣わしになるのだ〕とあなたは想像できよう。後者こそ、あなたも、おお、カッリアス、取り憑かれている恋であるとわたしに思われる。[11]わたしが証拠に挙げるのは、恋する相手の善美さ(kalokagathia)ですが、あなたがその子のための会合に、その父親を伴うのを目にするからでもあります。というのは、美にして善なる愛者(erastes)には、そういったことの何ひとつ、父親に包み隠さねばならないことはないからです」 [12]するとヘルモゲネースが云った。「ヘーラ女神にかけて」と謂った、「おお、ソークラテース、いや、あなたのことは多くの点で讃歎していますが、今、カッリアスに懇ろにすると同時に、いかなる人物であるべきか、彼を教育なさっていることでもそうです」 「ゼウスにかけて」と彼が謂った、「さらに、彼がなおもっと好機嫌となれるよう、魂に対する〔恋〕は身体に対する恋よりもはるかにまさっているということを、彼のために証拠立てたい。[13]すなわち、友愛なき交わりは、どれひとつとして語るにあたいしないということは、われわれ皆の知識しているところである。さらに、性格を讃歎する人たちの愛は、快適な必然とか自発的な必然と呼ばれる。これに反し、身体を欲求する人たちは、多くは恋人たちの生き方を非難し嫌うものだ。[14]たとえ、両方を好きになったとしても、若さの花はもちろんすぐに盛りをすぎ、これが過ぎ去ると、愛も衰微するのが必然である、これに反して魂は、時が進めば進むほど、より知慮深く、より深く恋されるにあたいするものとなる。[15]かてて加えて、器量の享受には、一種の倦怠(koros)も内在しており、そのために、満腹によって食物に対していだくと同じことを、愛童(paidika)に対してもいだくのが必然となる。これに反して魂の愛(philia)は、神聖であるからして、倦怠などというものはなく、さりとて、だからしてアプロディーテー女神の恩恵がないのだ――と、こう想う人がいるかもしれぬが――そういうこともなく、言辞も行為もアプロディーテーの恩恵を与えたまえと祈ったら、その祈りは、はっきりと成就されもする。[16]というのは、自由人らしい器量と、謙虚で気高い性格とによって花開いた魂は、恋人を讃歎してこれを愛するや、たちまち同輩たちの中で嚮導的な立場になると同時に、情愛深くなるということは、何ら言葉〔=説明〕を要しない。ただ、こういう愛者が、愛童たちからも愛し返されるのは当然だ(eikos)ということ、このことだけをわたしは教えておきたい。[17]すなわち、先ず第一に、〔自分が相手から〕美にして善なる人だとみなされていると承知しながら、その相手を誰が憎むことができようか。第二には、彼〔=愛童〕は相手〔=愛者〕が自分の快楽事よりは少年〔=愛童〕の美しさに真剣であるのを目にするね? さらにそのうえ、少しぐらい離れていても、病気のせいで不器量になっても、その友愛の衰えることはないと信じられるね。[18]それどころか、愛されることを共有する人たち――この人たちが、快くお互いを見つめ合い、好意をいだいて対話し、さらには信じ合い、またお互いに思いやりあい、諸々の美しい行為をともに快とし、何か間違いがふりかかったときにはともに悩み、健康であっていっしょにいるときにはますます好機嫌に過ごし、ところがどちらかが病気になったときには、その交際はますます緊密なものとなる、そして、目の前にいる人たちよりも、目の前にいない人たちの方をなおもっと気遣うということが、どうして必然でないことがあろうか。たしかに、こういった所行ゆえに、〔彼らは〕友愛を恋すると同時に、老齢に至るまでこれを享受し続けるのだ。[19]これに反し、身体に執着する者を、いかにして少年は愛し返すことができようか? 〔愛し返すことができない所以は〕いずれかであろう、自分〔=愛者〕には欲することを割り当てるが、少年には不面目きわまりないことを〔割り当てる〕からか。あるいは、愛童たちにやってもらいたいと渇望する行為――それこそ、家族たちに禁じている第一番のものであるゆえにか。 [20]さらに、少なくとも強制してではなく、説得してということも、それだけますます憎まれることになる。なぜなら、強制する者は、自分自身を邪悪な者として明示するが、説得者は、聴従者の魂をだめにするからである。[21]いやそれどころか、若さを金銭で売買する者に至っては、どうして、市場で売り渡す者以上に、買い手を好きになることがあろうか? むろん、若盛りの者が若くない者と、まして美しい者がもはや美しくない者と、つまり、恋する者と恋しない者が交わるのであるからには、相手〔=愛者〕を愛するなどということもない。なぜなら、少年が大人〔"aner"には「男」「夫」などの含意あり〕と、女のように、性愛における好機嫌さを共有するなどということもないのであって、むしろ、アプロディーテー〔性愛〕に酩酊する相手を、しらふで眺めるからである。 [22]こういうわけで、愛者に対する蔑みが彼〔=愛童〕に内生するとしても、何ら驚くべきことではない。また、考察する人は発見できるであろう――生き方によって愛される者たちからは、何ら困ったことは生じないが、恥知らずな交わりからは、すでに多くの不敬な事実が発生しているのを。 [23]さらに、いっしょになること(synousia)は、魂を歓愛する者にとってよりも、身体を〔愛する〕者にとって不自由なものであるということ、これを今、明らかにしよう。すなわち、言うべきこと為すべきことは何であるかを教育する者は、ケイローンやポイニクスがアキッレウスに尊敬されたように〔尊敬されるの〕が義しいであろう。これに反し、身体に手を出す者は、乞食のようにあしらわれてしかるべきであろう。というのは、接吻なり何か他の愛撫なりを、いつもねちねちとしつこく要求し、しつこく懇願しつつ、つきまとうのだから。[24]あまりにみだらなことをいっても、驚かないでもらいたい。酒が、いつもわたしと同居している「恋(eros)」も、いっしょになって駆り立て、これと正反対の「恋(eros)」に直言させるのだから。[25]というのも、わたしには思われるのだが、姿形に心(nous)を傾注する者は、耕地を賃借した者に似ていると。なぜなら、彼が気遣うのは、より多くの価値あるものが出来るようにということではなく、季節の収穫物ができるかぎり多く取り入れられるようにということなのだから。これに反して、友愛を志向する者は、みずからの耕地を所有している人に似ている。だから、ありとあらゆるところから、何でも可能なものを運んできて、恋人をより価値ある者にしようとするのだ。 [26]かてて加えて、愛童たちの中でも、〔おのれの〕形姿の分け前に与らせることで愛者を支配できるということを承知している者がいれば、この子がその他の点でも野卑であるのは当然であろう。これに反し、善美な者でなければ、友愛を保持することはできないということを認識する(gignoskein)者がいれば、この子が徳(arete)を気遣うことは、いっそうふさわしいことだ。[27]つまり、愛童たちから善き愛友がつくられることに手を染めようとする者にとっての最大の善とは、自分自身も徳を修練するのが必然だということだ。なぜなら、自分が邪悪なことをしていながら、いっしょにいる相手を善き者として証明することはできず、まして、みずから破廉恥・放縦の振る舞いに及びながら、恋人を克己・廉恥の人となすことはできぬからである。 [28]そこであなたのために」と彼は謂った、「おお、カッリアス、人間たちのみならず神々や半神たちも、身体の有用さよりも魂の友愛をより尊重するということを意味する神話をも語っておきたい。[29]すなわち、ゼウスにしてからが、自分が恋した死すべき女たちのうち、その器量を恋した相手は、同衾はしたが彼女たちを死すべき者のままにしておいた。これに反し、善き魂を讃歎された者たちは、これら〔原文は男性名詞!〕を不死なる者となさった。この中に、ヘーラクレースやディオスクウロイが含まれるが、他の人たちも言い伝えられている。[30]またわたしは、ガニュメーデースも、身体ではなく魂のゆえに、ゼウスによってオリュムポスに引き上げられたのだと主張する。彼の名前もそのことを証明している。というのは、たしか、ホメーロスにも〔こう〕ある 彼も聞いて満悦す(ganyesthai)〔Cf. Il.XIII_493, XX_405〕 これのいわんとするところは、「彼も聞いて快とする(hedesthai)」ということだ。また、どこか他の箇所にもある 心に抜け目なき分別(medea)を承知して。〔Cf. Il. III_208, VII_278, XVII_325, XXIV_674〕 これもまた、「心に知恵ある策を承知して」という意味である。だから、この両方〔の意味〕を合わせたものから名付けられたガニュメーデースとは、快き身体の持ち主(hedysomatos)ではなくて、快き考えの持ち主(hedygnomon)として神々のあいだで尊重されていたのだ。[31]いや、それどころか、おお、ニケーラトス、アキッレウスも、ホメーロスによって詩作されたのは、パトロクレースが愛童としてではなく、同志として戦死したので、その彼のために後先考えぬ報復をなしたということだ。さらに、オレステースもピュラデースもテーセウスもペイルトゥウスも、半神たちの中で他にも多くの最善の人たちが讃歌を捧げられるのも、共寝したからであはなく、お互いを讃歎し合うことによって、最大にして最美のことを共同でやりとげたからである。[32]では、どうか――、現在の美しい所行は、すべて、称賛のために、苦労することも危険を冒すことも厭わぬ人たちによって為されるのであって、令名の代わりに快楽を選ぶことに慣れている人たちによってではないということをひとは発見し得よう? なるほど、詩人アガトーンの愛者パウサニアスは、放縦さにのたうちまわる連中のために弁明して云っている、――愛童たちと愛者たちとから編成された軍隊こそ、武勇このうえなきものとなろう。[33]なぜなら、彼の主張では、彼らは戦列放棄をお互いに最高の恥と思うからと、驚くべきことを言っている。非難に顧慮することなくお互いに破廉恥であることに慣れているのに、この連中が何か恥ずべきことをするのを最高に恥じるなどと。[34]さらにまた、彼が証拠として引いているのは、テーバイ人たちもエーリス人たちもこのことを認識しているからということである。だから、彼の主張では、かれらは自分の共寝した相手を、戦闘においても同じく愛童を自分の戦列の傍に配置するというのだが、彼が言っているこの論拠〔徴証(semeion)〕は同等のものではない。なぜなら、あの人たちにとってはそれは仕来り(nomima)であるが、わたしたちにとっては不面目事(eponeidista)だからです。で、少なくともわたしに思われるところでは、〔愛童を〕自分の戦列の傍に配置する人たちは、どうやら、恋人たちが別々になったら、善勇の男たちの所行を達成しようとしないのではないかと、不信の念をもっているらしい。[35]これに反してラケダイモーン人たちは、ひとが身体に手を出しでもしようものなら、その男はもはやいかなる善美なるものも手にできないとみなしているので、恋人たちを完全に善き者に仕立てあげ、たとえ愛者と同じ戦列[国家]に配置されなくても、外国人たちといっしょでも、傍の人たちを見捨てることを同じように恥じるようにさせるのである。すなわち、彼らは「無恥(Anaideia)」をではなくて「羞恥(Aidos)」を女神とみなすのである。 [36]そこで、わたしたちはみな、わたしの言っていることについて同意者となるとわたしには思える、もしも次のように考察するならば、――つまり、どちらの仕方で愛される少年に、ひとはより信をおいて、金銭なり実子なり感謝(charis)なりを託するであろうか、と。わたしはといえば、恋人の形姿をものにしようとする当人でさえも、そういったものはすべて、むしろ魂を恋する人に信託するだろうと想うからだ。[37]それどころか、あなたにとっては、おお、カッリアス、あなたは神々にも感謝す(charin eidenai)べきだとわたしには思われる、アウトリュコスに対する恋心(eros)をあなたの中に投げ入れてくださったのだから。というのは、彼〔アウトリュコス〕が名誉を愛する者であることは明白である、全格闘技で優勝して〔勝利者として〕宣告されんがために、多くの苦労、多くの苦痛に耐え忍ぶひとなのだから。[38]そして、自分自身やその父親を飾るばかりか、雄々しさ(andragathia)によって愛友たちにもよくし(eu poiein)、祖国をも、敵に対する勝利牌を立てて拡大するに充分な者となろうと彼が想うなら、またこのことによって、ヘッラス人たちにとっても異邦人たちにとっても注目の的となり、有名人となろうと〔想う〕としたら、このために最強の協力者となってくれたと思える人があれば、その人を最大の名誉をもって遇すると、どうしてあなたが思わないことがあろうか? [39]さて、よろしければ、これで充分として、あなたの考察すべきは、テミストクレースはどんなことを知識していた(epistamesthai)ので、ヘッラスを自由にするに充分な者となったのか、また考察すべきは、いったいペリクレースはどんなことを承知していたので、祖国の助言者として最有力の人物と思われたのか、さらにまた熟視すべきは、はたしてソローンはいかに愛知して、最有力の法習を国に制定したのか、さらにまた探究すべきは、ラケダイモーン人たちはいかなる修練を積んで、最有力な嚮導者なりと思われているのかということだ。[40]あなたは〔スパルタの〕権益代表(proxenos)として、彼ら〔ラケダイモーン人たち〕の最有力者があなたのもとにいつも滞在しているのだから。もちろん、あなたが望めば、国はすぐにもあなたにみずからを委ねるであろうことは、あなたがよくご承知のとおりである。なぜなら、最大の事柄があなたにそなわっているのだから。〔つまり〕あなたは貴族の出(eupatrides)であり、エレクテウスの血を引く神々――イアッコスといっしょに異邦人の軍勢〔=ペルシア軍〕に向かって出陣した神々――の神官であり、現在も、祭礼の時には神官に最もふさわしい先祖たちの末裔であると思われ、体躯も国の中で最も見栄えがし、辛労にも充分持ちこたえられるのを有しているのである。 [41]あまりに真面目くさった話をして、場所柄にふさわしくないようにあなたがたに思われるなら、そのことでけっして驚かないでもらいたい。というのは、自然本性のうえで善き人たちであって、しかも名誉愛をかけて徳を志向する人たちに対して、わたしはこれまでいつも、国といっしょになって愛者たり続けてきたのであるから」 [42]こうして、他の人たちは述べられたことについて対話したが、アウトリュコスはカッリアスを見つめていた。カッリアスもまたその方を見やりながら云った。「それではあなたはわたしを、おお、ソークラテース、国家に取り持つつもりなのですか、わたしが政事を行い、常に国のお気に入りであるようにと」 [43]「ゼウスにかけて、そのとおり」と彼が謂った、「少なくとも人々があなたのことを、評判〔=思われること(dokein)〕によってではなく、真実ありのままに(to onti)徳を気遣っていると見なすのであればね。というのは、偽りの評判〔=思い(doxa)〕は経験によってすぐさま反駁される。けれども、真実の雄々しさ(androagathia)は、神がそこなうことをしないかぎり、行為の内に常に令名をも併せて輝き出させるのだから」 第9章 [1]この言葉〔=議論〕の方は、ちょうどここで終わった。アウトリュコスの方は、(彼にとってはもうその折りだったので)立ち上がって散歩に出かけた。父親のリュコーンも、彼といっしょに出かけながら、振り返って云った。「ヘーラにかけて、おお、ソークラテース、わたしにはあなたが、少なくとも美にして善なる人間に思えますよ」 [2]この後から、まず最初に、玉座のようなものが内に据えられ、次いでシュラクウサイ人が入ってきて云った。「皆さま方、アリアドネーが、自分とディオニュソスの寝室に入ってみえます。その後、ディオニュソスが神々のところからほろ酔いでやって来て、彼女のもとに入って行きまする、かくてお互い戯れあいなさる」 [3]これに続いて、先ずはアリアドネーが若妻のように飾り立てられて登場し、玉座に腰を下ろした。しかしディオニュソスがまだ現れないので、バッコスの曲が笛で奏でられた。ここでは、踊りの教師を一同が讃歎した。というのは、アリアドネーは〔笛の曲を〕聞くとすぐに、悦んで聞いているということが誰にでも認識できるような、何かそのような所作をしたからである。しかも、出迎えることはもちろん、立ち上がりもしなかったけれども、明らかにじっとしているのがやっとというふうであった。[4]さらには、ディオニュソスが彼女を認め、踊りながら、あたかもひとがこのうえなく情愛深くするように、膝の上に腰を下ろし、抱擁して彼女に接吻した。彼女は恥ずかしげに様子であったが、やはり情愛深く抱きしめ返した。会飲者たちはそれを目にして、かつは拍手喝采し、かつは「もういっぺん!」の叫び声をあげた。[5]そして、ディオニュソスは立ち上がると、自分に続いてアリアドネーをいっしょに立ち上がらせ、これにすぐ続けて、お互いに接吻しあい愛撫しあう者たちの所作が観られた。かたや、本当に(ontos)美しい男性ディオニュソスが、かたや、若々しい女性のアリアドネーが、口と口で愛しあったのは戯れではなく真実だ(alethinos)と見なした者たちは、皆がみな興奮しているように観えた。[6]というのも、ディオニュソスが、自分を愛しているかと彼女に問いただし、相手が然りと誓うのを一同は聞いたのだが、〔その誓いぶりたるや〕ひとりディオニュソスのみならず、その場に居合わせた全員までもが、『少年と少女とは、誓って、お互いに愛し合っているのだ』と言い交わしたほど〔真剣な〕ものであった。というのは、その所作は、教えこまれたものではなく、以前から欲していたことを実行するのを許されたという人たちに似ていたからであった。 [7]最後に、会飲者たちは、〔少年と少女が〕お互いに抱き合ったまま寝床へと退場するふうなのを視て、未婚者たちは結婚するぞと誓い、既婚者たちは、馬に乗って、自分の妻たちのもとへと駆け去った、彼女たちに会うために。他方、ソークラテースと、その他あとに残った人たちは、リュコーンとその息子のところへ、カッリアスともども散歩するために退出した。 こうして、このときの酒宴はお開きになったのである。 2002.03.18. 訳了 |