Mの怪物 〜または歩く者〜 第1回


   由希子は自殺しようとしていた。通学路にあるマンションの屋上から飛び降りようとしていた。理由は、いじめだった。何が気に触ったのか同級生から無視され始めた。今では、物を隠されるなんて日常茶飯事で金品の強奪、暴行に及んだ。
「自殺かい?」
 由希子は突然かけられた声に驚き、振り向いた。そこには、30歳を越えるか越えないかといった青年が立っていた。
「いけませんか?」
 青年は呆れた様に答えた。
「いけないに決まってるだろ、誰が後かたづけすると思ってるんだ。」
 由希子は無性に腹がたった。人の気持ちも知らないで、自分の都合を押しつける。死ぬ時くらい勝手にさせてほしかった。
「じゃあ、どうすればいいんですか。死ねないじゃないですか。」
「簡単さ、死ななきゃいいんだ。」
 あっけらかんとした答えが返ってきた。青年は由希子の反応を全く気にせず、ずんずんと近寄って来た。
「なあ、理由は知らんが自殺なんて止めたほうがいい。」
「何も知らないくせに!毎日、殴られて物を取られる人間の気持ちなんて、誰にも分からないわ!」
 由希子の叫びを聴いてなお、青年は表情を変えなかった。
「飛び降り自殺したって、誰も反省しないぞ?陰で笑うだけさ。どうせ死ぬなら、いじめた奴等の目の前で動脈切る位しないと。」
 死ぬなと言ったり、死ねと言ったり今まで見た事もない青年に由希子は笑った。
「だって痛いじゃない、首切るの。」
「飛び降り自殺だって痛いぞ、失敗すると。自分の脳味噌見ながら、死ぬを待つなんて悲惨だぞ?」
 さも見た様に言う青年に由希子は、緊張の糸が切れた。
「取りあえず、今自殺するのは止めるわ。」
「そうしたほうがいい。いやでも、死ぬんだから。」
 死の渕から帰還した由希子は、青年に手を引かれてマンションを降りた。

「ねえ、あなたは誰?」
 由希子の手を引いて歩く青年は、悩んだ様子を見せながら答えた。
「そうだなあ、何て名前にするかな。日本は初めてだからな。」
 どう見ても日本人にしか見えない青年は真剣に悩んでいた。
「あなた日本人じゃないの?」
 その質問には、すぐ答えが返ってきた。
「まあね。実のところは、どの国の人間でもないのさ。」
「どの国の人間でも?」
 立ち止まった由希子に合わせ、青年も立ち止まった。
「俺は地球に国というものができる前から、生きてるのさ。」
 突拍子もない事を言い出す青年に、今度は由希子が呆れる番だった。
「じゃあ、何千年も生きてるって言うの?」
「そうさ。俺は神様に人間の終わりを見届ける様に言われているんだ。」
「うそ。」
 由希子の言葉に青年は、ふっと手を離し街灯をスポットライトの様にして立った。
「人間が生まれた何千、何万という年月を俺は生きてきたのさ。古の昔から遥けき未来まで、世界を外から見守るマックスウェルの怪物、または時間を歩く者。そう!名前は歩にしよう。」
 やっと、名前を決めた青年・歩は由希子の所へ戻って来た。
「俺の名前は歩、よろしく。君の名前は?」
 差し出された手を由希子は握った。
「由希子。」
 それから、二人は夜の街を散歩した。一つ二つと家々の明かりが消えていく。幸せな家も、そうでない家にも眠りは平等にやってくる。由希子は取り留めもなく、歩と話した。
「人間の終わりを見守るのは、あなただけなの?」
「そうだだよ。」
「さみしくない?」
「そりゃあ、さみしいさ。」
 6月にしては珍しく天気の良い晩だった。星が輝いて見え、月は何よりも美しく見えた。
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