参丸伝 第1回
京のその昔、貴船の山奥に一つの剣道場があったそうでございます。朝は早くから夜は遅くまで、修練のものなのか威勢のよい声がしておりました。その声が十年以上も続いたある日の事であります。
「鷹之介、そろそろ外に出てもよい頃じゃ。」
道場主でもあり、鷹之介と呼ばれた青年の師匠である玄斎は静かに申しました。その言葉に鷹之介は目を輝かせて申します。
「本当か、おじじ!」
「嘘は言わんよ。」
そう言った後、玄斎は一振りの太刀を取り出しました。それは、全く見事と申し上げるよりない物で、鷹之介は受け取ると柄に手をかけ、一気に抜き去りました。その太刀は、しゃらんと音を立てるかの様に疾走り、道場に何とも言えぬ空間を作り出しました。
「見事な刀だ。俺は、そんなに数は見た事はないが、この刀が見事な物だという事は分かる。」
「そうだろうよ。」
「この刀をくれるのか?」
玄斎は頷くと笑いながら申しました。
「鼻たれ小僧だったお前が一人前になったんじゃ、餞別代わりにくれてやる。」
鷹之介は満面の笑みを浮かべて、太刀を鞘に納めました。興奮の余り紅潮した顔を両手で叩くと鷹之介はやおら立ち上がり、玄斎に申しました。
「俺は早速、旅に出る。強いと噂の男が伊勢の国に居るという。ちいっと遠いが、腕を磨きながら行くとするさ。」
「今から行くのか?」
「ああ、明日の朝が待ってられねえ。」
鼻息も荒く道場を出ようとした時、鷹之介は思い出した様に振り向き、静かに正座したので御座います。
「今まで、ありがとうございました。」
その一言に玄斎は破顔し、懐から袋を取り出したので御座います。
「なんと殊勝な事じゃ。持って行け、路銀も無しでは先々困るじゃろうからな。」
正座する鷹之介に袋を握らせると玄斎は一言申しました。
「その刀、極楽丸は、少々普通の太刀とは違う。じゃが、お前には丁度よいじゃろう。」
「まったくだ。普通の刀では面白くないからな。」
鷹之介は再び立ち上がると、道場を後にしたので御座います。
門を出ようとしたところ、一人の女子に呼び止められました。玄斎の孫で、二人の世話をしている鈴女という女子でありました。
「鷹、旅に出るんやってねえ。」
「おお、鈴女か。そうだ、やっと許しが出たんでな。」
嬉しそうに話す鷹之介に鈴女は、包みを一つ差し出した。竹皮包みの大きな握り飯が入っておりました。
「明日の朝に出るなら、もっと良い物も作れたんやけどね。まあ、腹の足しにはなるやろし。」
大きな包みを懐に入れると鷹之介は、満足そうに笑いました。
「充分、充分。腹が膨れれば、それでいい。伊勢の土産に、お札でももらって来てやるよ。」
そうして、鷹之介は旅に出たのでありました。
京を離れ、道すがら道場に立ち寄り修練を重ねては旅を続けておりました。幼い頃より物事にこだわらない鷹之介は、武士の出であるにもかかわらず、木賃宿を旅の巣としておりました。
半月もして道場巡りも一段落して、山科の里を過ぎようとした頃でございます。人影少ない林道を歩く鷹之介の頭上から一閃の光が飛んでまいりました。
「なんだ?!」
僅か身を捻って避けた光は、地面に硬い音をさせ突き刺さったのでございます。しゃらしゃらと音をさせる木々の葉以外は鷹之介の吐息しか聞こえませぬ。いやいや、そんな事はありえませぬ、鷹之介を狙った輩が潜んでいる筈。
「これは手裏剣。忍か!」
鷹之介は手裏剣を一瞥すると一気に駆け出したのでございます。身を潜める忍相手に木々の生い茂る林道では分が悪いと感じたからでございます。
五町ばかり走った所に目当てとする様な開けた場所がございました。どうやら稲を刈終えたばかりの田畑の様でありました。
「さあ、出てこい!」
鷹之介は離れる事なく、つき従った見えぬ追手に声をかけたのでありました。すると、命を狙う賊にしては、あっけない程に姿を現したのでございます。
賊は歳の頃なら鷹之介より一つか二つ上といった具合の細身の男にございました。
「何が目的か、なんて教える筈もねえな。」
男は無言のまま、一気に間合いを詰めてまいりました。後一歩で鷹之介の間合いとなった時、男は目にも留まらぬ早業で手裏剣を一投し、一気に間合いを詰めるに至りました。
「速い!」
鷹之介は投じられた手裏剣を太刀ではじくと、迫り来る男の拳を避けたのでございます。鷹之介がいかに手練れとはいえ、それは太刀を使っての事にございます。この様に懐に入られては思う様に動けませぬ。
鷹之介は一撃二撃を受けながら、間合いを取ろうと飛び退きまする。しかし、それを見逃す忍びではなく必死に追いすがるのでございます。最後の斬撃とばかりに忍は腰の刀を抜き放ち、鷹之介の喉笛めがけ繰り出したのでございます。
「甘い!」
鷹之介はここぞとばかりに忍の刀を打ち払ったのでございます。
「太刀での戦いで俺に勝てる筈がねえ!」
その後は鷹之介の言葉通りと相成りました。僅か一呼吸の間に形成は逆転、忍は逃げる場を失い、哀れ、鷹之介の太刀に切り伏せられる運命やに見えたのでございます。
「終わりだ!」
鷹之介の振り下ろされる太刀から身をかわそうとせず立つ忍に、鷹之介の太刀は止まる事を選んだようでありました。
「何の真似だ。」
目を睨んで言う鷹之介に忍は膝を折り、こう申しました。
「はなはだ無礼な振る舞い、平にご容赦を。こ度の件は、我が主、長谷部清隆様の命により起こしたものにございます。」
忍が主君の名前を明かす事は非常に希な事でありましたから、鷹之介も太刀を鞘に収めたのでありました。その様子を見て、忍も全身の緊張を解き、田畑から街道へと歩を進めたのでございます。
「長谷部清隆の名なら、俺も知っている。この辺りの領主だろう?」
「その通りにございます。私は清隆様に仕える利吉と申す者にございます。」
「その領主様が俺に何の様だ?」
鷹之介の問いに利吉は極楽丸を指さしたのでございます。
「そちらの太刀、極楽丸、そして極楽丸を振う武士に願いたき義があり参上致しました。」
「極楽丸の事を知っているのか?」
頷く利吉に鷹之介は驚きの色を隠せずにおりました。
「極楽丸は、この世の太刀にはございません。あの世、つまり極楽の力を持つ太刀にございます。」
「そんな物を何故、玄斎のおじじが持っていたんだ?」
「それは分かりかねます。」
「それは、まあいい。極楽丸に何の用だ?」
道端の石に腰を降ろして鷹之助は利吉に問うたのでございます。利吉は街道に伏すると鷹之介に願い出たのでありました。
「我が領地に古来より鬼が住み着きましてございます。普通の太刀では鬼を砕く事はできませぬ。どうか、どうか極楽丸のお力をお貸し下さいますよう平にお願いいたしまする。」
「鬼、か・・・。強いのか、そいつは?」
鷹之介の声色に楽しみの感を見た利吉は顔を上げると鬼を論じたのでございます。
「領地に住みたる鬼は、異形の面持ち、そして何よりも我らに無い力を持ちまする。武士二十人が山に分け入りましたが、生き還ったのは僅かに一人、それも鬼を一匹も倒す事ができずに。」
利吉の切なる訴えに鷹之介の心は決まっていたのでございます。
「よかろう、俺の腕でよければ貸してやろう。」
「本当でございますか!」
「ああ、本当だ。」
こうして、鷹之介の鬼退治は決まったのでございます。
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