ランプ小屋






 JR稲荷駅は,もともとは,京都・大津間に開通した鉄道の途中駅であった。
 関西における鉄道開発は,明治7年(1874年)神戸・大阪間が開通し,順次東にのびていき,明治10年には神戸・京都間が開通した。
 それまでは外国人技術者の指導の下に開発されていたものを,初めて日本人の手によって開発したということで,鉄道技術史上でも特筆すべき出来事であった。
 特に1000分の25という勾配区間や,逢坂山トンネルという難しい工区を,ほんの十数年前には丁髷姿で斬り合いをしていた日本人だけで開通させたということは,にわかには信じられないような話であるが,外国人の下働きという地位から早く脱したいという当時の日本人の熱意と,外国人技術者には莫大な人件費がかかり背に腹は代えられないという事情が,このような奇跡に近い事業を完成させた。
 明治12年8月18日,京都・稲荷・山科(歓修寺)・大谷間13.1キロが仮営業され,JR稲荷駅の歴史が始まる。
 翌13年6月28日には逢坂山トンネルが開通し,京都・大津間がつながった。
 そして,大正10年(1923年)東山トンネルができ,現在のルートとなるまで東海道線として運用された。


ランプ小屋 53KB このような鉄道の歴史を物語るのが,JR稲荷駅にある,赤煉瓦造りのランプ小屋である。
 小屋には,鉄道黎明期に使用されたランプなど数々の品々が展示されている。
 SL時代は,当初,機関車,客車共に,車内照明はランプの時代があり,急行列車の客室に電灯がとりつけられたのは,明治31年4月になってからであった。


《鉄道唱歌》
大石良雄が山科の
その隠れ家はあともなし
赤き鳥居の神さびて
立つは伏見の稲荷山

《東海道唱歌》
ここがそれかや松茸
名に聞く伏見の稲荷山
汽車の窓から首だして
居がら拝む赤鳥居

 今では,「稲荷山に松茸?」とつい思ってしまうが,「稲荷山の松茸」といえば江戸時代から有名で,1シーズンに2万本を産出したこともあるという。  もともと稲荷山は,空海が東寺五重塔を建設する際に,稲荷山の巨木を利用したように,いたるところに巨木が存在する鬱蒼とした森だったが, 応仁・文明の乱で,全山が焼失し,その後山全体がアカマツ林となり,同時に松茸も収穫されるようになった。  この松茸は,江戸時代には大部分が京都所司代に納められ「献上御用松茸」と呼ばれていた。 明治以降も,行楽地として松茸狩りが盛んで,昭和の初期まで続いたが, アカマツが伐採されたり,マツノザイセンチュウ(松くい虫)により枯れたりして,アカマツ林も次第に少なくなり,松茸の収穫量も激減してしまった。

 全国主要駅のランプ小屋は,拡張工事などでほとんど壊されたが,稲荷駅が東海道本線からはずれたことが幸いし,このランプ小屋は比較的良い状態で保存されている。 
 このランプ小屋は日本の鉄道黎明期の建築物を今に伝える貴重な存在として, 70年に準鉄道記念物,09年には近代化産業遺産に指定された。

ランプ小屋を見学希望の場合は7日前までにJR西日本お客様センターに連絡が必要です。
   JR日本お客様センター  TEL 0570−00−2486
   時間 午前10時〜午後3時
   ランプ小屋に入るのは無料ですが,JR利用者以外は駅の入場券が必要となります。


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