水琴窟


大橋家


 
明治末年から大正初期にかけて,大橋仁兵衛が建てた別荘で,当時の住宅庭園の一例を示すだけでなく,「水琴窟」を設けた庭として注目され,京都市の登録文化財となっている。
 鉄道が開通する前は,瀬戸内の鮮魚は,淀川をさかのぼり,鴨川と桂川の合流点近くの「草津」(今の横大路付近)に陸揚げされ,「走り」と呼ばれる運搬人により,鳥羽街道を一路京都を目指した。
 羽束師橋の袂に,魚市場の碑が建っているが,大橋家は,このような鮮魚を扱う元請業者だった。
 庭を苔涼(たいりょう)庭と呼ぶが,これは各地網元の「大漁」を祈念して名付けられたという。
 水琴窟は,日本庭園に水を利用した音響装置であり,江戸時代に考案された。
 底に穴をあけた水甕を逆さにして土中に埋め込み,穴から流れ込む水が滴となって,下に溜まった水面に落ちる時,甕に反響する深く澄んだ微妙な音を楽しむ。

水琴窟 16KB



大きな地図で見る