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今は昔,京都市内にも路面電車が走っていました。 チンチン電車と呼ばれ親しまれていたのですが,道路事情の悪化とともに次第に姿を消していきました。 稲荷新道に入る24号線沿いと,伏見稲荷JR踏切の手前のスペースは共に市電伏見稲荷線の停留所跡で,伏見稲荷線は昭和45年3月31日に廃止されました。 |
京都市電 狭軌T型 |
明治28年, 日本で最初の市街電車として走り「チンチン電車」の愛称で親しまれた車両。大正7年7月,京都市が京都電気鉄道株式会社から特許権,軌道施設と共に136両を譲り受けた。以後,広軌車両と区別するため,車体番号の頭に「N」を付けたため「N電」と呼ばれた。 昭和36年,堀川線(京都駅前〜北野)の廃止とともに姿を消した。 (83KB) |
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京都市電 広軌T型 |
京都市営電車として,初めてつくられた車両。 明治45年6月の市電開業時から新鋭車の600型が現れる昭和12年頃まで,200型,300型,500型等とともに大いに活躍した。広軌木造単車で,モーターはドイツ又は米国製。また,同型車両に座席や窓等の装備を高級精選化した貴賓車2両があった。 (119KB) |
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京都市電 600型 |
昭和12年から16年までに製作された小型ボギー車。 従来の車両と比べて,著しく近代化され,その新鮮味を誇っていた。 流線型の車体,上部取付の前照灯,空気式戸閉機の採用による扉の自動開閉装置,ロックフェンダーの採用などが主な特徴である。また,車体の色も従来のあずき色から,下部は緑色,上部はクリーム色として登場したため「青電(あおでん)」の愛称で親しまれた。 定員・64名,車両数・95両 (104KB) |
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京都市電 2000型 |
昭和39年から40年にかけて製作した京都で最初のワンマンカー。 この2000型は,通常運転(ツーマン)の外にワンマン運転及び連結運転のできる車両として製作されたもので,特にワンマン運転形式の各設備等は,その後行われた各社のワンマン化改造の基本となった。 大量輸送のための2両連結運転は,昭和39年3月16日から46年3月31日までの間,朝夕のラッシュ時のみにおこなった。 定員・90名,車両数・6両 (103KB) |
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