「椎本」の古跡
彼方神社
 

 宇治橋東詰から府道沿いを進み、東屋の古跡を通りすぎた少し先に椎本(しいがもと)の古跡の彼方(おちかた)神社があります。「彼方」の名前の由来は、川の流れ落ちる「落方(おちかた)」だという説があり、宇治十帖の中では「おち」という言葉が度々使われています。特に椎本の巻では「おち」を取り入れた歌が二首詠まれているので、彼方神社が椎本の古跡になった由縁はこの辺りにあるのではないかとも考えられています。鳥居の前の石碑の「式内(しきない)」というのは、「延喜式(えんぎしき)」(注1)の中にある、祈年祭(注2)に関わった神社名を記載した「神名帳」に載っている神社のことです。このことから、今は小さな祠(ほこら)の彼方神社も、平安時代にはかなり立派な神社であったことが伺えます。

 彼方神社の祭神は風と水の神の「諏訪明神」で、それ以前は海神の「宗像神」が祭られていたと伝えられていて、水の信仰と関わりの深い神社でもあります。

(注1)延喜式: 弘仁式・貞観式の後を承けて編修された律令の施行細則。平安初期の禁中の年中儀式や制度などの事を漢文で記す。五○巻。(広辞苑第四版より)
(注2)祈年祭: 毎年陰暦二月四日、神祇官および諸国の役所で五穀の豊穣、天皇の安泰、国家の安寧を祈請した祭事。(広辞苑第四版より)