莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)は応神天皇と宇治木幡の豪族の娘、宮主宅媛(みやぬしやかひめ)との間に生まれました。幼い頃から学問に秀で、応神天皇に望まれ一度皇太子になったのですが、兄の仁徳天皇と皇位を譲り合って自ら命を絶った悲劇の皇子です。紫式部は、この皇子を源氏物語の八の宮のモデルにしたのではないかといわれています。 日本書紀によると莵道稚郎子は「莵道の山の上」に葬られたとあり、江戸時代には宇治川東岸の朝日山山頂の経塚が莵道稚郎子の墓とされていました。莵道稚郎子の墓の所在地はいろいろな説がありその場所が特定さ

れませんでしたが、明治23年(1890年)当時の宮内省によって「浮舟の杜」とよばれていた場所が買い取られ、「莵道稚郎子の墓」(宇治墓)とされました。

莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)のお墓の入口は市道沿いにあるのですが、立ち入り禁止になっています。京阪宇治駅横から続く堤防の上の道が、稚郎子のお墓もよく見えて、宇治川でちょっとしたバードウォッチングもできるのでお勧めです。


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アクセス:京阪宇治駅より徒歩約5分
       JR宇治駅より徒歩約13分

立ち入り禁止
宇治川堤防沿いからの眺めがGood