ACFとは何ぞや?
(2.27. 1997)

 ACFとは何ぞや?
 「Asian Childrens Fund、アジア子ども基金である。」
 そう即座に答えられたあなたはきっと、ACFの関係者であろう。


 よく知られた話だが、タイでは少女売買が盛んである。
 無論、売られる先は性産業。「処女とセックスすると長生きできるぜ!」という馬鹿げた迷信ゆえ、タイにはもともとそうしたマーケットがあったらしいが、それに拍車をかけたのが経済的発展を遂げた西欧諸国、そして日本からの買春ツアーのお歴々であるのは言うまでもなかろう。
     (;<>;)
 それはさておき。
 1980年代末、児童売買シンジゲートはタイ北部で暗躍していた。なぜならそこには彼ら海千山千の暗黒勢力にとって美味で美味でしかたのなご馳走たちが群れなし暮らしていたからである。
 北部地域はバンコク周辺のめざましい経済発展からはるか後方に取り残された土地だ。そこに住むタイ人もいわゆる山岳民族も、貧困、情報のいびつさ(自分の人生を決め、変えていくための情報、売られた子どもを待ち受ける状況についての情報は絶望的に不足していた。新製品に関する刺激的な情報は絶えず流れてくるのだが)、さらに子は身を売ってでも親のために尽くすのが当然とする伝統的価値観の下、シンジゲートに少しずつ、だが確実にからめとられていった。少女たちが売られていった。小学校卒業と同時に売られていく幼い少女たちも大勢いた。12歳かそこらで!
 悪夢である。
     (;<>;)
 そんな時。
「こんな悲しい現実は我慢できない」
 と立ち上がった一人のタイ人がいた。ソンポップ・ジャンタラカ氏だ。彼はタイ最北のメーサイ県に入り、シンジゲートの目を盗みながら聞き取り調査を開始。やがて現地の小学校の先生たちを味方につけ、1991年、Daughters' Education ProgrammeというNGOをスタートした。売られそうな子どもに奨学金を出し、中学進学の道を開く。さらに職業訓練も行うなどして、子どもの将来への選択可能性を広げる。それがソンポップ氏が児童売買への対抗手段として選んだ道だった。当初19人の少女を対象に始まったこのプログラムは急速に拡大し、現在では300 人以上の少女を援助する大所帯となっている。氏は付随して地域開発のためのプログラム(DC)も開始している。

 今ではUNICEFやILO 、オーストラリア、デンマークなどの政府も後援してくれるまでになったDEP-DC。タイ国内でもメジャーとなり、政府のおぼえもめでたいと伝えられる。
 だが、その設立準備の段階から援助し支えてきた団体が日本の即席NGOだったことを知る人は、タイ政府にも、メーサイのDEP-DCを訪ねた旅行者の中でも少ないのではあるまいか。私は声を大にして言う。その日本のNGO こそ、そう、大阪にささやかな本拠を置く『ACF 』、我らが『アジア子ども基金』なのである。


ACF (アジア子ども基金)連絡先
大阪市淀川区西三国3-17-15 佐永田アパート
電話 06-350-2570
郵便振込番号 00940-7-119791
(ACFは1999年末をもって解散します。基金の受付は終了しましたので、その旨、ご了承ください。1999/9)

[ ACF 発足の経緯について触れた書物として、
『タイ・ギンペット物語〜スラムからみた微笑の国』(明石書店)
『少女買春をなくしたい〜タイ北部NGOの「小さな」挑戦』(青木書店)
(ともに稲垣三千穂・著)がある。]


 近年のタイ政府の取り組みの結果、タイ人児童の売買は減っている。(最近、ようやく中学も義務教育化されることになった。7年前には30%だった中学への進学率も今では70%に上がっている。)
 だが、シンジゲートはしぶとい。へこたれない。タイ国籍を持たない山岳民族への攻勢は相変わらずだし、そのターゲットはミャンマーや中国雲南省の子どもへと伸びている。昨年をもってDEP のダイレクターから相談役へと身を引いたソンポップ氏も、今後はこの問題に取り組む心づもりだと伝えられる。


written by Ukiyoye T. Naka, Feb. 1997

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