イベント情報
祇園祭
(7.10. 1997)
毎年7月1日から31日にかけて行われる、京都最大のお祭りである。
9世紀に始まり、現在のような山鉾が登場するのは15世紀。力をつけ、自治に目覚めた町人たちが祭を仕切るようになってからである。
俗に言うクライマックスは17日の山鉾巡行だが、その前日、16日の宵山こそが真のハイライトだと私は言いたい。なにしろ、この日の人出は50〜60万人にものぼるのだ。
宵山の夜、豪華絢爛な山鉾が立ち並ぶ市中心街は歩行者天国となる。涼しげな祇園囃子と山鉾の提灯、そして露店のイルミネーションが生み出す幻想的な空間だ。そこを浴衣姿の家族連れ、若いカップルが、夜風を浴びてそぞろ歩く。
ああ、待ちわびた夏、夏、夏祭!
日本の夏祭の典型の一つがここにある。
梅雨が明けて夏になるのは、京都では例年、まさにこの宵山のころなのだ。
人込みを避け、山鉾や屏風などの絢爛たる様をゆっくりと楽しみたいなら、日の高いうちに出かけよう。一通り見物した後、日没にかけてうつろいゆく山鉾町の風情を味わうのも、なかなか乙だぞ。
(最寄り駅;地下鉄烏丸線四条駅、阪急河原町線四条烏丸駅)
うきうきエッセイ
時の流れはどこへ行く
幕末、1864年のことだ。
宵山で浮かれる京都の町で、恐るべき陰謀を巡らすテロ集団があった。
「強風の日に京都に火を放ち、大火のどさくさに要人暗殺と誘拐を!」
幸い、このグループは三条小橋西入ルの旅館池田屋に集まっているところに治安部隊新撰組の急襲を受けて壊滅。狂気のテロは阻止され、京都の町は火難を逃れた。
池田屋の死闘で大活躍の新撰組組長、
近藤 勇の像(壬生寺。最寄り市バスバス停:四条坊城)。
1868年、戊辰の政変の最中、
テロリストの後継者たちの恨みを受け、刑死!
あれから133年。
今年も宵山がやって来る。
テロ集団と新撰組が壮絶な死闘を繰り広げた旅館池田屋は、とうの昔に姿を消し、その跡はパチンコ屋になっている。その前はカーネル・サンダースおじさんが立っていた気もするが、記憶違いかも知れない。諸行無常。1000年の都と言えどもすべてはせわしなく目まぐるしくうつろいでいる。変化の様を記憶に止めることは難しい。
池田屋跡。
三条大橋から西に歩き、
三条小橋を渡って少しの所にあるよ。
今から133年後。
西暦2130年の宵山の日、はたして池田屋の跡は一体どうなっているのだろうか。
まだパチンコ屋か?
人口激増による食糧不足を切り抜けるため、畑になっている?
いや、そもそも祇園祭はまだあるのか?
温暖化の影響で、京都自体が海の底かも知れない。
最近の夏はやたら暑いし……。
素晴らしき宵山と祇園祭を22世紀へ伝えるため、私たちがなすべきことは、少なくない。
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