宇治の史跡 

平等院 (世界文化遺産)

別業(別荘)の地として知られていた宇治にあった円融上皇の別業の寝殿を、999年に藤原道長が買い求め、それを受け継いだ道長の子頼通が1052年にその寝殿を仏堂とし平等院と名づけました。さらに1053年には阿弥陀堂(鳳凰堂)を供養し、1056年に法華堂を建てている。頼通が平等院内に極楽浄土をあらわすことを願って造立した阿弥陀堂は、絵画としてあらわされていた極楽浄土曼荼羅を立体化して、まぼろしのものでなく、手にふれることのできるものとして建てられたものである。鳳凰堂壁扉の内面に描かれた九品来迎図は、本来の目的である仏画の域を超越した、現存最古の大和絵様式来迎図であり、九品それぞれの背景に四季の風景をえがき、一連の絵巻物的構成としている秀作でもある。また、色紙形におさめた経文は、数少ない上代書蹟の典型で源兼行の筆とされる。 地図と時刻表のページへ
拝観料…400円 拝観時間…9:00〜17:00 寺務所…0774(21)2861


宇治上神社 (世界文化遺産)

宇治上神社本殿は我が国最古の神社建築として著名であるが、三棟のやや異なった一間社流れ造りを並列させて、ひとつの覆殿によって全体を包んだ珍し手法は、建築史上注目されるものでもある。その本殿扉絵も特筆すべきものである。扉絵は当時の人物画をのこしており、描法も服飾もきわめて古様であり、風俗史上かけがえのない資料である。刳抜蟇股は藤原期最古の遺構である。また、境内には宇治七名水のひとつ、桐原水が湧き出ています。 地図と時刻表のページへ
拝観時間…7:30〜16:30 電話…0774(21)4634


三室戸寺

確実な年代はわからないが、9世紀または10世紀ごろの開創である。数度の火災をうけたが文明年間(1469〜86 )に後土御門天皇の勅命により再興され今日に至っている。本尊の金銅仏千手観世音菩薩は、宝亀年間(770〜80)に宇治川に流れ込む志津川の上流あたりの「岩淵」からとり出された「閻浮檀金」の立像と伝える。また、当寺は宇治市域唯一つの西国札所(第十番)である。あじさい園は6月ごろが見ごろである。 地図と時刻表のページへ
拝観料…300円 拝観時間…8:30〜16:30 電話…0774(21)2067



宇治川先陣の碑

この碑は、平等院前の宇治川上にある浮島にある。宇治は瀬田とともに、東上する軍に対する京都防衛の第一線であり、防御する側は宇治橋の橋桁を引いて交通を遮断するのがつねであった。このため東上する側は宇治川の急流を渡らなければならず、そこに先陣物語が生まれるのである。なかでも、1184年の木曽義仲と朝廷から義仲追討の任を受けた源義経の戦いは有名である。天下の激流を挟んだ両軍の決戦は、義経軍の名馬「するすみ」に乗った梶原景季と名馬「いけずき」に乗った佐々木高綱の「先陣争い」で始まった。先陣は策にたけた高綱がとり、義経軍が一斉に渡河して義仲軍を打ち破りました。この碑はその故事に因んでん、1931年に建立されたものである。 地図と時刻表のページへ

参考文献 宇治市役所発行  宇治市史1 古代の歴史と景観
 
うさぎ堂のホームページへ 宇治の情報のページへ 地図と時刻表のページへ