『 情 報 革 命 時 代 』 を 前 に
1995.3
パソコンが,これまでのように,たかだか人間の計算作業や文章作成の道具,もしくは,教育における,学習支援の道具であった時代には,「この道具を如何に有効に活用するか。」ということのみ,考えていればよかった。しかし,これからの『通信機能を備えたマルチメディア・パソコン』が普及してくる時代には,それでは通用しなくなるであろう。
私は,過去15年以上,ずっと趣味としてパソコンに触れてきたが,ここ最近は,パソコンそのものより,むしろ,パソコンが如何に社会を変革するかに関心が移り,そういった関係の文献をよく読んだりしている。そこで,感じることは,ここ何年かのうちに「確実に世の中が変わる。」であろうということである。
よくパソコンは自動車に,テレビは鉄道に例えられる。大量輸送手段としての鉄道が,世の中を大きく変え,個人輸送手段としての自動車が,さらに大きく変えた。同様に大量情報伝達手段としてのテレビが,世の中を大きく変え,個人情報伝達手段を備えたパソコンが,さらに大きく変えるであろうということは,疑う余地のないことである。
現在,アメリカ・欧州・日本を中心に進められつつある「CALS」プロジェクトは,あらゆる商工業活動を,全世界規模で,電子通信で行うことを目的とした取り組みであるという。このことはさらに発展して,社会活動の多くの部分が同様に電子通信で行われる時代がやって来るということである。それも,全世界規模で,である。
そういった社会では,これまでとは,かなり異なった社会観念(常識・価値観・道徳・倫理・etc.)が一般化するであろう。在宅勤務・在宅学習(もちろん毎日ではないだろうが)が当たり前になり,家庭,あるいは,学校に居ながらにして,全世界の情報が,どんどん入ってきて,各国の人々とやりとりをする(翻訳ソフトの進歩により外国語を話せなくてもそれが可能になる),そんな時代がやってくる。まるで,SF小説のようなことを言っていると思われるかもしれないが,これらは,ここ10年,遅くとも20年以内には実現する可能性が高いことなのである。
こういった時代を迎えるにあたり,「教育は如何にあるべきか?」,「学校の果たすべき役割は?」といったことを,今から真剣に考えていくことが,絶対に必要であると思う。
「世の中が変わる」→「教育が変わる」→「学校が変わる」ことを認識している教育関係者が,現在まだまだ少ないのではないだろうか。
「社会の大変革」に,「学校教育」が適応していくためには,学校の施設,教員の役割,教える内容・方法などについて全面的に検討していく必要があると思う。明治時代に確立された現在の学校の様式(学校制度ではない)では,これからの社会の変化には,とても対応し切れそうにないと感じる。もう,すでにその兆候が始まっているのが,最近の「不登校児童・生徒の増加」,「落ちこぼしの増加」,「いじめの増加」などの問題であろう。これらについては,いろいろな原因が言われているが,その一番はなんと言っても「現在の学校様式への不適応」であると思う。
現代の子供たちは,生まれたときから,カラーテレビがあり,ファミコンがあり,いわゆる「マルチメディア」に慣れ親しんで育ってきているのである。善し悪しは別にして,そこでは「テキストメディア」に接する機会が,圧倒的に少なくなってきているという事実がある。ところが,現在の学校はというと,まさに昔ながらの教科書中心の「テキストメディア」による教育が行われているのである。当然,ますます,「授業がわからない」→「わからないから問題行動に走る」→「不登校・いじめの増加」という傾向が増大してくる。
これまでのパソコン(中学校に導入されたパソコンというべきか)では,「マルチメディア」とよぶには,あまりにも非力である。また,各校21台という数量も,全く不十分である。また,パソコン室にすべての機械を鎮座させておくスタイルも要検討課題である。
また,教員の側にも,もっとパソコンが活用できるようにするための方策(研修会は勿論,ハード・ソフト購入時の資金援助 etc.)が必要であろうし,指導要領も大きく変わらなければならないであろう。さらに,本当に,これからの情報時代にあった教育を進めていくためには,教育に携わるすべての者が,もっともっとより柔軟で斬新な発想をしていかなければならないと思う。
「授業の中に,如何にパソコンを取り入れていくか。」を考えることも,大事なことだとは思うが, 今の時期,「パソコンで,如何に教育そのものを変革しうるか。」という視点に立って考えることも必要なのではないだろうか。