情 報 革 命 と 教 育

〜 高度情報通信社会における学校 〜

1997.2

1 研究の概要

 第15期中央教育審議会 第一次答申では,第3章「情報と教育」の冒頭で次のように述べられている。

 情報化の進展は、今、新たな段階を迎えつつある。既に我が国では、企業活動、研究活動から教養文化活動、娯楽の世界まで、社会のあらゆる分野に情報化が浸透し、情報化社会と言われるにふさわしい社会を迎えているが、今日見られるインターネット、マルチメディアー体型のパソコン、携帯電話などの普及は、想像をはるかに超えて我々の生活様式をさらに急速に変えつつある。

 世界的規模での情報通信ネットワークを通じて、不特定多数の者が、双方向に文字・音声・画像等の情報を融合して交換することを可能とする高度情報通信社会が現実のものとなりつつあり、それはかつての産業革命にも匹敵するような変化を全地球的にもたらし、今後の社会の姿を大きく変え、21世紀へ向けて新たな展望を開くものとして大きな期待が寄せられている。高度情報通信社会の全体像については、今後の技術革新や基盤整備の動向によっても左右され、なお明確でないところがあるが、情報化が、さらに急速に進展することは確実である。

 上記のように,情報技術の進歩,特にパソコンの普及とインターネットの発達は,まず,社会そのものを大きく変える。現在ある技術の1つ1つが進化を遂げ,10年後〜20年後には,今までには想像もできなかったようなことが可能になる。そうした社会が実現したとき,教育は,あるいは学校は,どのようなものになるのだろうか。

「今,そんなことを考えて何になるのか。そんなことは,そうなってから考えればよい。」という考え方もあるかもしれないが,私はそうは思わない。技術の進歩とその普及は,時間とともに,そのコストが低くなることによって,どんどん進むが,我々人間の意識や価値観を,短期間でそれらに対応させるのは困難である。十分,先を見通して,変化の先取りをし,心の備えをしていく必要があると考える。

 この論文では,情報技術により社会が,どのように変わり,そこではどのような教育が行われるのか,また,そこでの学校や教師のあり方についても,考えてゆきたい。

 中央教育審議会答申では,これから目指すべき教育として,「個性を尊重する教育」,「自ら学び,自ら考える教育」などを上げているが,それらの実現のためにこそ,同じく提言の一つとして上げている「情報教育の充実」をはかり,そういった情報技術を積極的に活用していくべきであると考える。

 

2 高度情報通信社会について

 それでは,社会が今後,どのように変化していくのかについて,考えてみたい。

 まず注目すべきは,我々が現実に生活している社会の写像として,いわば「仮想社会」が形成されつつあるということである。現在でもすでに,インターネットにアクセスしている人々は,自分の住所(インターネット・アドレス)と名前(ID)を持ち,インターネットの中を自在に動き回ったり(ネット・サーフィンなどといわれる),他の人々と交信したり(電子メールは当然のものとして,すでにCU-SeeMe等テレビ電話的なものまで実現している),買い物(オンライン・ショッピング)や商業取引などにも利用している。さらに,今後,ヴァーチャル・リアリティ(以下VR)技術が進歩することにより,インターネット上に3次元空間で表された「仮想の街」が出現することになる。ここには,「現実の街」に存在するもののほとんどが,存在する。人々は,家庭のパソコンから,ここへアクセスすることにより,現在,現実社会で行っている様々な営みの大部分を,ここで行うことが可能になる。会社員は,仮想の会社に出勤して,そこで仕事をこなす。必要な打ち合わせも,すべて,テレビ電話・テレビ会議(現在,すでに利用されつつある)で行う。ものを売る人は,仮想の街の中に店を開き,そこを訪れる人々を相手に商売をする。ものを買う人は,まず,仮想の銀行へ行って,「電子マネー」(1996-1997年,世界各地で利用実験が行われつつある)をおろし,店へ行って,VRにより立体表示された品物を十分確かめた上で,これを購入する。企業間の商工業活動も,全世界的な規模で,その大部分がこの社会の中で行われるようになる。現在,進められているCALS(光速電子商取引,現在多くの企業がこの導入に力を入れている)プロジェクトはこれを目指したものである。さらに,ビジネスだけでなく,人々の日常のコミュニケーションや種々の娯楽までが,この社会の中で行われるようになる。

 インターネットは,全世界を結ぶ通信網であるから,この変化は全世界規模で起きる。ビジネスはもちろん,政治・文化・教育・・・あらゆる分野において世界規模の交流が行われるようになる。このため,国境を越えて,各国のそれぞれの常識や習慣,道徳や倫理感に至るまで,お互いに大きな影響をおよぼしあい,お互いに大きく変化することになる。言語の違いによる障壁も,翻訳・通訳ソフトの進歩により,徐々に取り払われていくことになる。つまり,これまで,地理的・時間的・言語的に隔てられていた人間同士が,自由に,しかも限りなく現実に出会うのに近い状態で,交流することが可能になるのである。

 これまでに述べたことが実現する時期は,そう遠い未来ではない。これから5〜15年のうちに,世界的に光ファイバー・ケーブルや通信衛星を利用しての高速デジタル通信が発達する。それとともに,コンピューターのハードウェアとソフトウェアも飛躍的に進歩する(処理能力は10年で1000倍になるといわれている)であろうから,今から20年のうちには,実現する可能性が高いのである。

 

3 高度情報通信社会における必要な能力

 前述のような高度情報通信社会が,実現したときに,この社会に生きていくために必要な能力とはどのようなものだろうか。

 まず,コンピューターやネットワークが,「扱える」・「活用できる」というのは当然のこととなる。これまで,識字率というもので,その国の文化の程度を表したように,将来はコンピューターを「扱える」人間の率が,それを表すことになるだろう。

さらに「活用できる」能力とは,具体的には,

@ 膨大な量の情報の中から,自分にとって必要なものを正しく効率的に収集する能力。

A 収集した情報を,巧みに編集・加工する能力。

B 多くの情報を総合的に考慮して,的確な判断をする能力。

C 自分の訴えたいことを,明快に発信する能力。

ということである。これらの能力は,実際にコンピューターやインターネットを利用して,経験を重ねることによってのみ,身につけられるものである。

 さらに,より本質的で重要なことがある。

 我が国のこれまでの社会は,日本という島国の中で,同質の伝統・文化を互いに共有しているということを前提として成立してきた。そこでは,他人と共有できる多くの部分を基盤として,異なる部分を問題にして,ものごとを進めることが常識であった。ところが,情報通信技術の発達によって,世界中の人々とリアルタイムで対話する社会になると,伝統も文化も全く異なる相手と,全く違うということを前提に,共有できる部分を模索しながら,ものごとを進めなければならない。自分の考えや意見を論理的に明快に述べる技術とともに,相手の個性を尊重し,自分自身の個性を磨くということが,これまでより重要になってくる。

 明治以来,我が国の教育は,国民全体に,同質かつ同水準の能力を培うことを目的として行われてきた。もちろん,これによって国民の平均学力は世界の中でも高水準を維持してきたし,またこの教育の中においても,個々の子供の個性をのばそうという努力・工夫が行われてきたにはちがいない。しかし,決まった内容を決まった時期に決まった方法で教える現在の教育では,これからの社会に対応した力を身につけるのは困難になるであろう。

 本当に一人ひとりの個性をのばし,これからの社会に必要な能力を身につけるためには,抜本的な教育改革が必要である。そのためにこそ,高度情報通信社会における様々なテクノロジーを有効に用いていかなければならない。

 

4 高度情報通信社会における教育

 それでは具体的に,次の5つの面から,高度情報通信社会における教育がどのようなものになるべきなのかを考えてみたい。

 

ア.ハードウェアの面から

 高度情報通信社会における必要な能力を身につけ,一人ひとりの個性を十分にのばす教育を行うためには,子供たちが,随時一人一台のコンピューターを利用できることが必要不可欠である。コンピューターは,ますます小型軽量化していく方向にあるから,これは正真正銘,一人一台,ちょうど教科書・文房具のように所持し,使えるという意味である。

 そしてさらに,これらすべてのコンピューターが校内ネットワーク(イントラネット)によって,各学校毎のホスト・コンピューターに接続されなければならない。当然,教師の方も一人一台所持して,校内のすべての子供たちおよび教師が,交信可能になっている。さらに,これらはインターネットにも接続でき,学校外の様々な人や組織,情報源にもアクセスできる。また,子供も教師も,自宅に帰ってから,あるいは休日でも,家庭のコンピューターから学校にアクセスして,自由に,学校での学習や仕事を継続することができる。

 子供一人に一台,コンピューターをあてがうことなどは,資金面で困難と考えられるかもしれないが,現在研究されているネットワーク・コンピューター(ハードウェアの機能は最小限に抑え,ソフトウェアは必要に応じてネットワークからダウンロードするコンピューター)のようなものが実現されれば,コストは十分低くなり,現在の教科書無償給付制度のように,公費で支給することも可能になる。また,校内ネットワークや家庭との通信についても,各学校にインターネットが接続され,また家庭においても,インターネットが,ごく普通に利用できるようになれば,十分可能になると考えられる。

 

イ.ソフトウェアの面から

 前述のように生徒一人一台のコンピューター利用が可能になった場合,次に必要となるのはソフトウェアであるが,これには大きく分けて次の3種類がある。

 

a 教材ソフトウェア

 まず必要なのは,もちろん,教材ソフトウェアである。これは,主として民間もしくは公設のソフトウェア開発機関に委託する。ただし,教師または生徒が作成したソフトウェア等も,優れたものは積極的に採用する。既存の教育用ビデオ教材などもデジタル化して,個々の生徒のコンピューター上で視聴可能にする。すべて,これらの教材ソフトウェアは,校内または校外のサーバー・コンピューターにデータベース化しておき,子供たちが学習時に,その都度,通信によって即時送られてきて利用できるようにする。

 その他,インターネット上の膨大な情報の中で,教材として利用価値のあるものについても,常に整理して登録しておき,随時アクセスできるようにする。

 

b 学習支援ソフトウェア

 aの教材ソフトウェアを使って,子供たちが,自主的に,系統的かつ効果的な学習を進めていくのを支援するソフトウェアは大変重要である。

 個々の子供の,現在の学習状況,および,何が十分で何が不十分であるかを,子供自身が把握できるようにする。また,学習が偏りすぎないように,子供に指示する機能も持たせる。また,インターネット上の好ましくない情報をシャットアウトするのも,このソフトウェアの役目である。

 このソフトウェアが,子供にとっては,もっとも頻繁に,直接対話する部分なので,子供の年齢に応じて,音声やアニメーション等を多く取り入れるなど,親しみやすいものにすることが必要である。

 

c 学習履歴管理ソフトウェア

 bの学習支援ソフトウェアと連携して,一人ひとりの子供の学習状況を詳細にチェックし,個々の子供の学習履歴をデータベースとして記録・保存するソフトウェアである。その子供が,どのようなことに興味・関心を持ち,どれだけ深く,幅広く学習・理解できたか,また,その学習の結果としてどのような考えを持つに至ったか等が,多くの項目毎に精密に記録されるのである。そうなると,現在のように,定められた内容を試す学力テストによって成績・評価をつけるなどということは全く必要がなくなる。子供は,「テスト」や「成績」を気にすることなく,自由にのびのびと,本来の学習を進めることができるのである。

 

 以上,3種類のソフトウェアは,すべてこれからの教育改革を進める上で,非常に重要なものである。これらのソフトウェアの研究・開発は,今から十分,時間と資金をかけて取り組む必要がある。

 

ウ.授業形態の面から

 前述のア・イのように,ハードウェアとソフトウェアの条件を実現できれば,日常の授業形態も大きく変わることになるであろう。1つの教室で,40人の同年齢の子供が,一人の教師の指導で,同じ時間に,同じ内容を,同じ方法で学習するという,現在の授業形態は,根本的に変わることになる。

 まず,1つのクラスには,現在よりずっと少ない人数,5人から,多くとも20人ぐらいまでの子供がいて,それらは年令ではなく,子供たちの興味・関心のある分野を考慮して編成される。そして一人一台のコンピューターを活用して,完全な個別学習を行うのである。

 一人ひとりの能力・習熟度に応じた進度で,または,同じ内容を学習する場合にも,子供に応じて全く違った角度から導入し,全く別の過程を経て学習を行うことができる。

 世界中のあらゆる情報を得ることが可能なので,学習をどんどん広げていくこともできるし,どんどん深めていくこともできる。学習過程で,たまたま別の興味ある事柄に出会った場合も,思う存分回り道をしながら,納得のいくまで追求することもできる。どうしてもわからない事柄がでてきた場合も,学校外の専門家に直接メールして質問することもできる。(学校外の各分野で,「教育協力員」のようなものを募ることになるであろう。)

 インターネットを通して知り合った,学校外の国内や海外の友人とも,共同で,学習を進めることも可能になるだろう。

 

エ.教師の役割の面から

 前述のように,授業形態が変化してくれば,当然,教師の役割も大きく変わることになるだろう。まず,現在のように,一人の教師が40人の子供を相手に,一斉授業を行うことはなくなる。ウで述べた興味・関心をもとに編成された少人数のクラスにおいて,「教える」というより,むしろ,子供たちが自主的に学習を進めるのを「支える」立場になる。興味・関心をもとに編成されたクラスを受け持つわけだから,当然,教師の方もより専門性が重要視されることになるだろう。すなわち,現在の大学のゼミナールに近い形で学習を進めることになる。子供たちが,自主的に学習を進めていく中で,どうしても解決できない状況に面した場合,答そのものを教えるのではなく,解決する方法をアドバイスすることが主な仕事となる。あるいは,クラスの子供たちが共同で学習していく場合のまとめ役も必要であろう。その他,子供たちの悩みの相談や,進路指導を含む人生全般に関するアドバイス,現実社会やインターネット上での,モラルやエチケットなどを教えることも重要な仕事になるだろう。

オ.教育制度の面から

 授業形態の変化とともに,教育制度そのものも大きく変化するであろう。

 まず,学習指導要領は,真に最小限必要な内容と,非常に広範囲の選択領域を提示するものになる。最小限必要な内容とは,言語,文字,基礎的な計算,それにコンピューターのハードウェアとソフトウェアの一般的な操作方法などである。ある決められた領域ごとの基礎的内容もあるかもしれない。そして,それら以外は前述の学習支援ソフトウェアにより,選択領域の内容を,個々の子供が,興味・関心にまかせて,どんどん学習していくのである。内容も進度も全く異なる個別の内容を学習するのであるから,そこでは年令というものが,学習と無関係になってくる。したがって,現在の6・3・3・4制の制度自体も見直されることになるだろう。

 入試制度も大きく変わることになる。上記のような学習形態のもとでは,これまでの同じ時期(年度末)に,同じ年令(小6・中3・高3)の子供に対して行われる,画一的な「入学試験」というものは意味をなさなくなる。個々の子供やその保護者が,進学を希望した,まさにその時点で,その子供のその時までに記録されたすべての学習履歴をもとに,希望する上級学校の審査を受けるのである。将来は,学校自体も上級へ行くほど,専門・特色がより明確になっており,その子供が,その学校での学習に見合う能力や適性を有するかどうかで,合否を判定するのである。当然,能力に応じて,どんどん上級学校へと進む子供も出てくるであろうし,逆に,じっくり時間をかけて能力・適性を高めた上で進学する子供も出てくるであろう。これは,最終的に「学校」というものを卒業して「社会」に出る場合にも,同様のことがいえる。つまり,その子供(学生)が,就職したいと考えた時点で,就職採用試験を受けることが可能となり,これまた,その子供の学習履歴をもとに採用・不採用が判定されるのである。

 このように,すべての子供が,真に自分の能力や個性に応じた進学や就職が可能になれば,「受験戦争」に起因すると考えられる,現在の学校の様々な問題も解消されることになるだろう。

 

5 今後の課題

 平成9年度〜11年度にかけて,中学校に41台のパソコンが配備される計画である。ようやく,1教室の中で1単位時間について,生徒1人に1台が実現するわけである。そんな現状で,すべての教室,すべての時間に生徒1人に1台パソコンをあてがい,それをネットワーク化して利用するなど,またまだ遠い未来の話だと思われるかもしれない。しかし,現在でも慶応大学湘南藤沢学舎のように,学生が1人1台ノート型パソコンを所持し,それを学内のいたる所から繋いで学内のシステムやインターネットにアクセスし,教育に活用している大学もある。また,アメリカでは,すでに国や州が力を入れて,教育のために,コンピューターやネットワークを整備しつつあるときく。コンピューターのハードウェアは確実にコストが下がってきている。むかし,高価だった電卓・ビデオカメラ・携帯電話等の電子機器が,今や非常に小型軽量かつ安価になっているのと同様のことが,パソコンにも十分起こり得る。

 これから,おそらく10年もすると,テレビや電話なみに,パソコンやインターネットが各家庭に,普及するであろうと考えられる。そのとき,在宅での,これらを利用した学習の方が,学校での学習より教育効果が上がると,親や子供が考える可能性が出てくる。「学校は教科の勉強だけではない,その他の様々な力を身につけるところだ。」というのは,「学校や教師の側の言い分」になってしまうかもしれない。なぜなら,在宅学習の方が「学校では身につけられない様々な力を身につけられる」かもしれないからだ。

 すでに,英会話の専門学校や,大手の塾・予備校の中には,パソコン通信やインターネットを利用した授業を開始するところが現れ始めた(1997年2月現在)。次は,おそらく私立の学校が,その導入を始めるであろう。さらに,国外において,親や子供が魅力を感じる教育サイト(発信元コンピューター)が公開され,「仮想留学」といったものを望むケースも出てくるであろう。

 昨年(1996年),不登校生徒に対して,パソコンによる通信授業を認めることになったという報道があったが,ますます,その傾向が増加することが考えられる。特に,より高度な教育を望む親や子供たちが,そうなっていく可能性がある。

 そうした中で,学校があくまで,社会の教育活動の中心的役割を担おうとするからには,これからの社会に対応したものに変わっていかなければならない。中央教育審議会答申の中の『高度情報通信社会に対応する「新しい学校」の構築』では,以下のように述べられている。

 ここでは、我々はそのような教育活動を展開していくためには、学校自体が高度情報通信社会にふさわしい施設・設備を備えた「新しい学校」になっていく必要があることを指摘したい。 学校、とりわけ初等中等教育段階における学校の情報通信関連施設・設備の現状は、高度情報通信社会への対応という点で必ずしも十分とは思われない。そうした学校の状況を改善していくことが、子供たちの教育を充実させることにつながっていくのである。<2>や<3>で述べたコンピュータやネットワーク環境の整備等をはじめ、学校の施設・設備全体の高機能化・高度化を図り、学校全体を高度情報通信社会に対応した機関にしていかなければならない。学校、教育センター、大学等の教育関係機関はもとより、他の様々な機関、組織等とネットワークを形成し、情報収集の迅速化、学校運営や学校事務処理の合理化・迅速化等を図るとともに、適時、保護者、地域の人々、さらには広く社会に対し、自らの情報を積極的に発信していく開かれた学校となっていくことを強く望むものである。

 さらに,教員の意識の改革も重要である。これだけ,社会全体が高度情報通信社会へ移行しようとしている,その中でも「世の中が,どんなに変わっても,学校は変わらない。」と考えている「先生」方,もしくは世の中の変化すらをあまり感じていない「先生」方が,まだまだ,多いのではないだろうか。

中央教育審議会答申の中でも,

 学校が高度情報通信社会に対応した「新しい学校」となっていくために、教員の果たす役割の重要性は言うまでもないことである。

として,「教員の養成・研修の充実」「情報処理技術者等の専門家の活用」など,その具体的方策を上げているが,まず,教員自身が,昨今のパソコンやインターネットを中心とする,世の中の情報化社会への流れに目を向け,それらをどう教育に活かしていくかを真剣に考えるべき時期に来ているのではないだろうか。

VirtualTalk 論文集 に戻る