日中戦争
日中戦争
昭和12年(1937)7月7日の北京西南の盧溝橋で起った日本軍と中国軍との一軍事衝突は、華北地方に拡がり、更には上海・南京へと飛び火して、全面戦争へと拡大していった。
当時、参謀本部作戦部長であった石原は不拡大方針であった。対ソ戦を最優先に考えると今中国と戦争するのは得策ではない、また来るべき最終戦争では中国と協力してアメリカと対抗しなければならない、と考えていたからである。
しかしながら、満州事変同様、出先の部隊には強硬派が多数を占めていた。
満州事変が5ヵ月で終わった経験から、中国全土を支配するのも短期間で済むだろうという超楽観的な考えが根本にあった。また、中央の命令に反しても結果さえ良ければ処罰されることはない、という石原の前例も出先軍の動きを活発化させた。
国内でも、参謀本部内に意見の対立があった。石原にはそれをまとめることが出来なかった。
結局石原は国内3個師団の動員案を決済する。不拡大方針は吹き飛び、本格戦争へと発展していった。
参謀本部を掌握しきれなかった石原は、9月には、関東軍参謀副長として満州に転任となった。
日中戦争は、しばらくすると膠着状態となる。そして、アメリカとの関係も悪化していく。現状打破・日中戦争解決の為、日本は太平洋戦争に突入する。戦争の為の戦争であった。
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