作戰要務令

作戰要務令


以下の文章は昭和13年(1938)9月29日付の旧陸軍の『作戰要務令』の綱領の部分です。石原達、日本軍の基本的な考え方を窺い知ることの出来る資料としてここに載せます。

『陣中要務令』と昭和4年(1929)に制定された『戦闘綱要』とが合わされて、昭和13年(1938)に制定されたのが、この『作戦要務令』です。冒頭には「御名 御璽」と共に、当時陸軍大臣であった板垣征四郎(!)の名があります。
ここに掲載した綱領は、他の「操典」類、例えば『歩兵操典』等にも兵科の任務についての一条が加えられている以外はそのまま同じ文章が載っています。

 参考文献・大江志乃夫『天皇の軍隊』

 なお、資料の入力は次の基準に基いています。



作戰要務令

綱領

第一 
軍の主とする所は戰鬪なり 故に百事皆戰鬪を以て基準とすべし 而して戰鬪一般の目的は敵を壓倒殲滅して迅速に戰捷を獲得するに在り
第二 
戰捷の要は有形無形の各種戰鬪要素を綜合して敵に優る威力を要點に集中發揮せしむるに在り
訓練精到にして必勝の信念堅く軍紀至嚴にして攻撃精神充溢せる軍隊は 能く物質的威力を凌駕して戰捷を完うし得るものとす
第三 
必勝の信念は主として軍の光輝ある歴史に根源し 周到なる訓練を以て之を培養し 卓越なる指揮統帥を以て之を充實す
赫々たる傳統を有する國軍は 愈々忠君愛國の精神を砥礪し 益々訓練の精熟を重ね 戰鬪慘烈の極所に至るも上下相信奇倚し毅然として必勝の確信を持せざるべからず
第四 
軍紀は軍隊の命脈なり 戰場到る處 境遇を異にし且諸種の任務を有する全軍をして上將帥より下一兵に至る迄脈絡一貫克く一定の方針に從ひ衆心一致の行動に就かしめ得るもの 即ち軍紀にして其の弛張は實に軍の運命を左右するものなり 而して軍紀の要素は服從に在り 故に全軍の將兵をして身命を君國に獻げ至誠上長に服從し其の命令を確守するを以て第二の天性と成さしむるを要す
第五 
凡そ兵戰の事たる獨斷を要するもの頗る多し 而して獨斷は其の精神に於ては決して服從と相反するものにあらず 常に上官の意圖を明察し大局を判斷して 状況の變化に應じ 自ら其の目的を達し得べき最良の方法を選び 機宜を制せざるべからず
第六 
軍隊は常に攻撃精神充溢し 志氣旺盛ならざるべからず
攻撃精神は忠君愛國の至誠より發する軍人精神の精華にして鞏固なる軍隊志氣の表徴なり 武技之に依りて精を致し 教練之に依りて光を放ち 戰鬪之に依りて勝を奏す 蓋し勝敗の數は必ずしも兵力の多寡に依らず精練にして且攻撃精神に富める軍隊は克く寡くを以て衆を破ることを得るものなればなり
第七 
協同一致は戰鬪の目的を達する爲極めて重要なり 兵種を論ぜず上下を問はず戮力協心全軍一體の實を擧げ始めて 戰鬪の成果を期し得べく 全般の情勢を考察し 各々其の職責を重んじ一意任務の遂行に努力するは即ち協同一致の趣旨に合するものなり 而して諸兵種の協同は歩兵をして其の目的を達成せしむるを主眼とし 之を行ふを本義とす 
第八 
戰鬪は輓近著しく複雜靱強の性質を帶び 且資材の充實・補給の圓滑は必ずしも常に之を望むべからず 故に軍隊は堅忍不拔克く困苦缺乏に堪へ 難局を打開し 戰捷の一途に邁進するを要す
第九 
敵の意表に出づるは機を制し勝を得るの要道なり 故に旺盛なる敵の企圖心と追隨を許さざる創意と神速なる機動とを以て敵に臨み 常に主動の位置に立ち全軍相戒めて嚴に我が軍の企圖を秘匿し困難なる地形及天候をも克服し 疾風迅雷敵をして之に對應するの策なからしむること緊要なり
第十 
指揮官は軍隊指揮の中樞にして又團結の核心なり 故に常時熾烈なる責任觀念及鞏固なる意思を以て其の職責を遂行すると共に高邁なる徳性を備え 部下と苦樂を倶にし 率先して躬行軍隊の儀表として其の尊信を受け 劍電彈雨の間に立ち勇猛沈著 部下をして仰ぎて富嶽の重きを感ぜしめざるべからず
爲さざると遲疑するとは指揮官の最も戒むべき所とす 是此の兩者の軍隊を危殆に陷らしむること其の方法を誤るよりも更に甚だしきものあればなり
第十一
戰鬪に於ては百事簡單にして且精練なるもの能く成功を期し得べし 典令は此の趣旨に基き軍隊訓練上主要なる原則、法則及制式を示すものにして之が運用の妙は一に其の人に在す 固より妄りに典則に乖くべからず 又之に拘泥して實效を誤るべからず 宜しく工夫を積み創意に勉め以て千差萬別の状況に處し 之を活用すべし



一言コメント
第一 
「敵を壓倒殲滅して迅速に戰捷を獲得する」。第一次世界大戦で既に破綻している、短期決戦で勝負をつけようとする考えを基本にしている。石原がいう「持久戦争」を想定していない。
第二 
「必勝の信念堅く軍紀至嚴にして攻撃精神充溢せる軍隊は 能く物質的威力を凌駕して戰捷を完うし得る」。精神第一主義。この論旨からすると物量の差も気合いで何とでも出来ることになる。
第五 
「獨斷は其の精神に於ては決して服從と相反するものにあらず」。 語られていない「上官の意圖」を推察して、行動することを大いに認めている。満州事変も軍中央という「上官の意圖」を推し量り、「大局を判斷して」の行動であるので容認されたのだろうか?
第六 
「勝敗の數は必ずしも兵力の多寡に依らず精練にして且攻撃精神に富める軍隊は克く寡くを以て衆を破ることを得る」。士気の問題は確かに重要であるが、「攻撃精神に富める」軍であっても「必ずしも」勝てる訳ではない。
第七 
「諸兵種の協同は歩兵をして其の目的を達成せしむるを主眼とし...」。歩兵中心主義。砲兵や戦車部隊の重要性を認識していない。
第八 
「資材の充實・補給の圓滑は必ずしも常に之を望むべからず」。補給の極端なまでの軽視である。補給の「放棄」とすら言ってもよい。補給のない中、「堅忍不拔克く困苦缺乏に堪へ」ることを要求されたインパールやニューギニアでは悲劇が起った。
「ジャワの極楽 ビルマの地獄 生きて帰れぬニューギニア」
第九 
「困難なる地形及天候をも克服」するのが非常に困難な場合(例えばスタンレー山脈の山越)がある。無理でも精神力で克服しろ、ということか?
第十一
「固より妄りに典則に乖くべからず 又之に拘泥して實效を誤るべからず」。 この通りであれば良いが...。教条主義的な書き方であるように思えるのは気のせいだろうか。

全体的に物理的に困難な状況を精神で乗り越えようとする記述が目立つ。「中陸軍国」であると言った極東国際軍事裁判(東京裁判)での石原莞爾の証言が頷けるような内容に思える。


石原莞爾 没後47回目の8月15日(1996/8/15)記す

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