No. | 127 |
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Date: | 99.12.29 7:43 PM |
Subject | 誰か教えて!パート2 |
ハンドルネーム: | 堀場一雄は石原莞爾の秘蔵っ子 |
Name: | (匿名) |
E-mail: | (匿名) |
発言: | 砂原様、ご意見ありがとうございます。と同時に、返答遅れまして大変申し訳ありません。何せ年末商戦の真っ只中にありまして・・。 貴下のご意見、大筋において了解いたしました。それでは、このへんで、もう一歩踏み込んだ議論へ発展させましょう!さあ、これからが本番です、ご協力ください。 先ず、満州事変。その目的を一番達成できたのは誰でしょうか? 同時に、それを脅威に感じたのはどういった人々(この際、諸外国は勿論のこと、天皇陛下及びその重臣連も議論の対象に含みましょうね。このへんは、後に閣下が主流から追放されていく禍根に繋がってくるかもしれませんので)? ここら辺りを考察していきますと、閣下の・石原構想のスケールの大きさが浮かび上がってきます。ちなみに、当時の米国の国務長官であったヘンリー・スチムソンは「もし何人かが仮に世界の干渉なくして満州事変を計画していたのならば、それは実に絶妙の機会を選んだと言える」と満州事変の成功を口惜しんだとか。 第二に、シナ事変(うぁ!小生のワードプロセッサーは「しな」で変換しても「支那」が出てこない、自分の使い方が未熟なだけなのか・・。)ですが、確かに実際の戦闘行為は日本軍とその大半が中国国民党軍との間に行われたと聞いております。それでは、当事変を通じて、その意図する目的を遂行したのは誰でしょうか?また、一番ダメージを負ったのは誰?ちなみに、閣下は終戦時、中国が真っ赤に赤化していく様を予見して、トルーマン米大統領の先見性のなさを喝破したとかしないとか。ここで考察対象になるのが、中国共産党ではないでしょうか。事実、窮地にあった彼らが奇跡的とも言える躍進を遂げるのです。戦後、中共は、抗日戦を戦ったのは、あたかも中共であるかのように吹聴したが、蒋介石は、戦わなかった中共に慨嘆したと言われる(公式の記録では、たった二回となっているとか)。では、当時の中共とは? ここで登場するのがコミンテルンですね、では、コミンテルンとは?ここで、更にロシア革命とは何たるかの考察が必要になってくるではありませんか、誰か教えて! ロシア革命とは一体、何であったのか? それは、共産主義といえるものなのか? それに関連して、日露戦争を当時、貧乏国であった日本がどうして戦うことができたのか、お金はどうしたの? 最後に、太平洋戦争については、石原構想が挫折した段階(閣下の追放の段階)で、日本は骨抜きになっていた・されていたも同然であり、ここでは閣下追放の根を考察していきたいものですね。大日本帝国が石原構想を採用できなかったのは、また、石原構想に脅威を感じていたのは? その構想は、ドイツの第三帝国構想の比ではない、と言ってよいほど壮大で、大乗道義に沿うものでありますよ、諸外国は腰を抜かしかねず、どうして既述の重臣連をはじめ帝国首脳連は、これを国策とすることが出来なかったのか? ちなみに閣下は「政治行政機構改造案」というたぐいのものを採用させたかったようですが、この内容と言いますのが、当時の階級社会を根底から改革するようなものであっいたと石原研究家の佐治芳彦氏はその著作の中で述べております。これにつきましては、同志諸君・諸先生方、お知識お持ちの方、詳細お教えください。 いずれにせよ、閣下の失脚・石原構想の挫折は、日本国内での権力争いばかりが後世に語り継がれておりますが、そんなちんけな問題ではなく、世界の・諸外国の大物が大歓迎していたかもわかりませんよ、何せ、その構想が桁違いのスケールですから。当時、諜報機関は世界中に張り巡られておりましたし。 そんなこんなで、同志・同心諸君・諸先生方、活発な論議大歓迎です。 よろしくお願いします. |