石原莞爾フォーラム
No.63
Date:Tue, 29 Dec 1998 22:52:44 +0900
Subject庄内放浪記
ニックネーム:なし
Name:林 孝司
E-mail:k.hayashi@ma3.justnet.ne.jp
発言:大阪に在住する林というものです。
平成10年12月26、27日鶴岡、吹浦へいってまいりました。

大阪発青森行きの特急「白鳥」へ乗り26日18:24鶴岡へ着きました。
すぐに本屋さんを探し「永久平和の使途 石原莞爾」を入手しました。
そこで古本屋さんを聞いて阿部久書店を紹介してもらい、「秘録 石原莞爾」を入手しました。
翌日、同書店にて「人間 石原莞爾」を入手しました。
(これは鶴岡市内、酒田市内の本屋で比較的入手がしやすいです)
そのまま図書館へ行きました。2階の郷土資料館には石原莞爾があります。
目録として「諸家文書目録 V 石原莞爾資料 鶴岡市郷土資料館」という冊子があります。
緒言にこの資料がここにあるのは石原莞爾将軍の弟である石原六郎氏が昭和51年12月16日 に亡くならたことにより鶴岡市郷土資料館へ移されたことによりとあります。
目録だけで47ページもあるのでコピーだけ頂きました。

資料館の書架でみられた書籍には

○石原莞爾と戦争学 伊東六十次郎著 昭和53年7月30日 第1刷発行 大湊書房
○石原莞爾 成澤米三著 昭和44年11月30日 発行 経済往来社
○永久平和の先駆 石原莞爾(上) −その生涯と思想・信仰− 武田邦太郎著
昭和63年9月15日 発行 武田平和研究所
○人間石原莞爾片々録 宮本忠孝著 昭和53年8月15日 発行 麹町企画
○石原莞爾と伊地知則彦 入江辰雄著 昭和57年9月12日  発行 武田平和研究所
○永久平和への道 −いま、なぜ石原莞爾なのか− 石原莞爾生誕百年祭実行委員会/編
1988年9月10日 第1刷発行 原書房
○石原莞爾 (上)(下)よみがえる戦略家の肖像 佐治芳彦著
1984年12月15日 発行 現代書林
○石原莞爾 藤本治毅著 昭和55年9月25日 第8刷発行 時事通信社
○石原莞爾 西郷鋼作著 昭和12年6月25日 発行 橘書房
○人間石原莞爾 成澤米三著 昭和52年4月1日 発行 経済往来社
○石原莞爾 入江辰雄著 −(発行日メモ忘れ)− たまらいぼ
○石原莞爾資料 −戦争史論− 1994年4月28日 発行 原書房
○石原莞爾資料 国防論策扁 角田順編
昭和42年5月25日 発行 原書房
○石原莞爾のすべて 仲条立一・菅原一虎著
1989年7月10日 第1刷発行 新人物往来社
ISBN4−404−01639−5 C0021 P2000E
○増補 悲劇の将軍 石原莞爾 山口重次著
昭和50年3月10日 発行 大湊書房
○陸軍の異端児 石原莞爾 小松茂著
−(発行日メモ忘れ)−(手元にあるのは1997年7月10日 第7刷発行)
光人社
○石原莞爾選集(全10巻)合本版 1993年9月25日 発行 たまらいぼ
○石原莞爾将軍の偉い所はここだ 小野寺武著 (自費出版)
○人類後史への出発 石原莞爾戦後著作集 石原莞爾平和思想研究会編
平成8年6月16日 発行 −(出版社メモ忘れ)−
ISBN4−88656−124−1 C0021 P3000E
○石原莞爾 −1軍事イデオロギストの功罪− 野村乙二朗著
1992年12月30日 発行 同成社
ISBN4−88621−101−1 C0021 P2500E
○わが兄 石原莞爾 石原六郎著 (雑誌 人物往来 の特集を合本したもの)
○日本ナショナリズム 東亜連盟編 平成7年3月16日 発行 全貌社
○秘録 石原莞爾 横山臣平著 1995年7月25日 新装第1版発行 芙蓉書房出版
○石原莞爾試論 平岡正明著 1977年5月15日 発行 白川書院
○新装版 石原莞爾 藤本治毅著 −(発行日メモ忘れ)− 時事通信社
○石原莞爾と民族問題 入江辰雄著 1994年9月30日 発行 近代文藝社
IBSN4−7733−2615−8 C0095 P2000E
○日蓮聖人の大霊と石原莞爾の生涯 入江辰雄著
−(発行日メモ忘れ)− 近代文藝社
IBSN4−7733−5083−0 C0014 P2000E
○「日米対決」と石原莞爾 マーク・R・ピーティ著
1993年1月25日 発行 たまらいぼ
○将軍・石原莞爾 その人と信仰にふれて 白土菊枝著
平成7年5月15日 発行 丸の内出版
○石原莞爾 青江舜二郎著 昭和48年12月25日 発行 読売新聞社
○石原莞爾全集 第1巻 〜 第7巻、別冊 石原莞爾全集刊行会編
第1巻−> 昭和51年5月26日  発行
(吹浦行きの列車が迫っていたためここまでとなります)

がありました。誤記などありましたらご指摘願います。
鶴岡から吹浦へは酒田で乗換えて約1時間です。吹浦駅で石原将軍のお墓へ行きたいと言えば地図をくれます。
駅から見えている踏切を渡ると国道7号線です。南へ向かい橋を超えて、駅から歩いて20分ほどで国道7号線のバイパスへでます。
そこから鳥海山が見える方向へ200メートルほど行くと看板と日輪講堂があります。看板の指示どおりさらに 200メートルほど進むと坂道がありますので登っていくと石原将軍のお墓があります。

プレハブの中に入り、記帳しました。「南無妙法連華経」の碑があるお墓に向かって合掌しました。
同志之霊碑がとなりにありますのでここでも合掌しました。
さらにその手前に石原将軍の肖像と将軍自筆の「永久平和」「都市解体 農工一体 簡素生活」の記念碑がありました。
その裏には

 「石原莞爾は一九二五年(大正十四年)最終戦争論を発表し一九四九年(昭和二十四年)
に死ぬまでの彼の一切の思想 行動はこの歴史観に基ついていた」
 満州事変と日華事変の処置 軍備計画の樹立 日本最初の国家経済計画
の立案 東亜連盟運動の指導 太平洋戦争の阻止運動から 敗戦後の武装
完全放棄論まで 彼の思想と行動のすべては最終戦争論から導きだされた
ものであった 実 弟 石 原 六 郎
 最終戦争論で近い将来戦争は無くなると断定した石原先生は 全人類の
熱望する永久平和の時代が 近代科学文明を駆使したところの「民族協和
共存共栄」の社会であるとし その第一歩として戦後日本の進路を「都市
解体」「農工一体」「簡素生活」の三目標に要約され この目標達成こそ
が最終戦争を回避して 永久平和社会に到達し得る最良で最短の道である
と教示された
 われらがこの選択を誤った場合 最終戦争は必然となり 地球上は大惨
禍の坩堝より近代文明の建設という想像を絶する苦難の道を歩まねばなら
ぬとされた
 二者択一は懸って私達の双肩にあるといえる

と記されています。(実物は縦書きです。改行、文中のスペースは実物と同じです)
またこの記念碑の向かいには

私はだだ仏さまの予言と
日蓮聖人の霊を信じているのです
石原莞爾

の碑があります。碑より少し目を上にやると雲のかかった鳥海山がきれいに見えます。
しばらく佇んでもう一度合掌し坂を降りました。看板のところまで引き返し
バイパスを渡り反対側へ行くと古いほうの将軍のお墓があります。
山の中を進んでいくとお墓があります。
郵便受けの中に記帳簿がありますので記帳しました。
お墓に合掌しました。
ここにも将軍自筆の「永久平和」「都市解体 農工一体 簡素生活」の記念碑があります。
こちらには将軍の肖像はありません。
その裏には

建設三原則(講演原稿のペン字写真拡大)の碑は石原六郎
氏の諒解を得て  石原莞爾先生の遺邸入口に 昭和四十
六年八月十五日宮城県有志の協力により建立しました
 六郎氏亡き後 土地はご遺族と遊佐町の話し合いの結
果 町営住宅地として再生されました
 遺邸は老朽化甚だしいため残念ながら解体されました
日輪講堂は住宅地の一角に移され昔の面影をとどめて
おりますが 先生の三十三回忌を迎えるに当って同志相
計り 装いを新にして西山墓地の聖域建立することに
いたしました 建立の経緯を記し後世に伝えます
昭和五十六年八月十五日 同志一同

と記されています。(実物は縦書きです。改行は実物と同じです)

庄内地方今日は天気がよかったのですがこの碑を書き写すうちに雨が降ってきましたので もう少し居たかったのですがもう一度合掌し、この場を辞しました。

吹浦より酒田へ向かいました。帰りの夜行には時間があるので本屋さんを探しましたが日曜日の 夕方だったため成果はありませんでした。本屋さんの近くに酒田市商工会議所が あったので行ってみましたが建物がどうみても東京裁判のころもものとは違うようです。タクシーの運転手さん に聞いてもわからないそうです。ご存知の方がいらしたら教えてください。光丘文庫へも行きたかった のですが時間切れでした。

翌日、大阪へ帰り大阪で入手可能な本を探していると大湊書房が堺にあることがわかり、電話してみると 連絡がつきました。大湊書房へ行き「増補 悲劇の将軍 石原莞爾」「石原莞爾と戦争学」を入手しました。

以上です。東北は大阪よりも寒かったです。年末年始は手に入れた本を読みたいです。 文章の誤字脱字などあると思いますがお許しください。 本、碑文について誤りがあれば後学のためご指摘くださるようお願いします。


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