明智光秀  取るに足らない「闇」こそ恐るべし

【発表メディア】 朝日新聞 1999年6月7日朝刊


 明智光秀は本能寺で織田信長を討ったにもかかわらず天下を取れな

かった。毛利輝元の家臣・清水宗治が守る備中高松城を攻めていた羽

柴秀吉が、予想を超える早さで戻ってきたからだと言われている。

 ではなぜ、水攻めという「長期戦」中の秀吉がすぐに戻って来られたの

か。情報を制するものが戦いを制するのは昔も今も変わらない。当然、

光秀も信長を討った事実を秀吉に知らせないようにして、毛利方にだけ

知らせようとした。作戦は間違っていなかった。

 ところが、現実には秀吉にだけこの情報が届き、逆に毛利方には届

かなかったのである。正しい作戦を実行したのに、事実は逆になってし

まったのだ。

 原因は何と夜の「闇」にあった。書状を持った光秀の飛脚は、清水宗

治の救援に来ていた毛利方の陣地へ行くつもりが、闇に迷って秀吉方

の陣地に迷いこんでしまったのである。

 夜が暗いのは当たり前だ。だれもが知っている。当然、光秀も飛脚も

知っていた。その上で正しい作戦を選択したにもかかわらず、この一見

取るに足らない事実の前にもろくも崩れ去ったのである。まさに「大事は

小事より過(あやま)つ」である。

 確かに、「大事の前に小事なし」とは言う。「大事の前には小事を犠牲

にしてもやむをえない」との意味であり、物事の本質、王道をこそしっか

りと見つめないといけないのは当然だ。しかし、この言葉には「大事を

行う前はどのような小事にも油断をしてはいけない」との意味があること

も忘れてはならない。

 日常生活で一見取るに足らない事柄が事態の足をすくうことが少なく

ない。物事を成就するためには、そうした事柄にこそ注意を払うべきで

ある。なぜなら、枝葉末節に思えるがゆえに軽視しがちだからである。


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