一枚のはがき

【発表メディア】出雲大社大阪分祠機関誌「ひふみ」1993年1月号
 先日、私は十余年前の自分自身と再会した。といっても、タイ

ムスリップしたわけではない。

 仕事の一つに大学生向け雑誌の編集があり、投稿はがきの中に

懐かしい「過去の自分」を見つけたのである。

 それは見ず知らずの若者からの「私の薦める本」欄への投稿で

あった。

 若者は「私が18年間生きてきたうちで最も感動した本です。読

んでいる最中涙が絶えませんでした」という書き出しで、中村久

子さんの『心の手足』(春秋社、1450円)を推薦していた。

 実は十余年前、まだ20代後半だった私もこの本に感動して、大

きな影響を受けた。私は投稿した彼の中に十余年前の「自分」を

感じたのである。

 中村久子さんは四歳にして病で両手足を失い、“だるま女”と

揶揄(やゆ)されながらも、血の出るような努力で女として、母

としての生涯を全うし、感謝の生活に生きた人だ。

 彼女の人生は私たちに思いもつかない出来事の連続であった。

例えば、幼少期。家の中でじっとしていてはもったいない、少し

でも世の中のお役に立ちたいと子供心に考えたのだろう。せっせ

と人形の服を作っては近所の人たちに差し上げたことがある。

 両手足がないのだから口を使って縫う。気の遠くなるような努

力の結果会得した技術で、一つ作るのに大変な根気と時間が必要

だ。しかし、それをもらった人たちは、人形の服が唾液で濡(ぬ)

れて汚いからと捨ててしまったという。

 さらに後年には、生活のために見世物小屋で己の姿をさらして

過ごしたこともあった。

 それでも感謝の心で生き抜いた彼女だが、一つだけ人生で最も

辛かったことがあったという。

 「合掌、みほとけを拝するという最も単純な形がとれない。こ

れだけが何としても辛い」

 当時「形式よりも心。お参りしなくても、心で感謝さえしてお

けばいい」と考え、ろくに手を合わすことがなかった私は大きな

ショックを受けた。

 私は教えられた。「心は形を従え、形は心を導く。心と形は密

接不可分なものなのだ」と。「人間は悲しいから泣くというより

も、泣くから悲しいのである」という言葉があるように、形は心

を引き出してくれる。

 私は感動のあまり、その年の年賀状に次のように印刷して知人

に発送した。

 「洋の東西を問わず、人は左右の手を合わせて祈る。右(水極

=みぎ)と左(陽足り=ひたり)の陰陽が調和したシンメトリカ

ルな姿は美しい。

 とはいえ、祈りは形の問題ではない。中村久子氏の言葉が逆説

的に物語る。祈りとは生命(いのち)を宣(の)り出す内なる叫

びであり、生きざまそのものだろう。身の引き締まる思いがする」

 あれから十余年。「身が引き締まった」はずの私は今「身がゆ

るみ余っている」。

 そんなときにふと目にした一枚のはがき。その中に「身の引き

締まった20代後半の自分」を見た。仕事を通じての「導き」に違

いない。

 中年になって人間ドッグで「肥満」と判定された私だが、今必

要なのはエステで体を引き締めることではなく、若いころの感動

に思いを馳(は)せて心を引き締めることだろう。


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