ヘブンズ・パスポート

【発表メディア】順興寺だより70号(1999年9月)


 ヘブンズ・パスポートが若者の間で人気を呼んでいる。直訳す

れば「天国のパスポート」。パスポートそっくりの冊子の最初に

「願い事」を記入する欄があり、その後に「いいこと」を一つすれ

ばシールを一つずつ張っていく欄がついている。一〇〇個シー

ルがたまれば、願い事が成就するというお遊びのツールだ。仕

掛けたのは関西の会社。今年一月ごろから渋谷ではやり始め、

女子高生、大学生、OLなどの間でブームとなった。

 朝早く起きる。今日一日スナック菓子を食べなかった。お年寄

りに席を譲った。……彼らの言う「いいこと」とはたわいのないも

のが多い。その結果かなう願い事も「彼氏ができますように」と

いった、これが果たして天国?というものだ。かつてなら「当たり

前」だった日々の出来事を「いいこと」「わるいこと」に分別して

計量化、「よいこと」だけをカウントしてそれが一定量たまれば

「ほうびとして」天国がやってくる……偏差値世代の発想であり、

その裏には「悪」の排斥がある。

 大人も同じである。例えば、若きママさんたちは子供を雑菌か

ら遠ざけようと抗菌グッズを使う。ナイフの使用や危険な遊びは

許さず、けがをしないように育てる。しかし、雑菌の中で育って

こそ抵抗力がついていくし、小さなケガを繰り返すことによって、

体が傷口を治すことを覚えていく。どこまでが致命的なケガか、

どこまでなら大丈夫か、どうすればケガをしないで済むか……

といった意識も培われていく。発育の過程ではケガや雑菌など

の「悪」は不可欠なのである。やんちゃしたり、けんかしたりする

中から社会的な在り方も学んでいく。まさに心理学者の河合隼

雄さんが『子どもと悪』(岩波書店)の中で、「普通の子供たちは

みな『悪』を糧として成長していく」のであり「子どもを悪と絶縁し、

善意のみで育てようとする親が一番子どもだめにする」とするよ

うに。

 なぜか。人間はいわゆる世間で言うところの「善」と「悪」の両

方で成り立っているからである。電解質の物質に例えれば分か

りやすい。本来電気的に安定している物質だが、水に溶かすと

どうなるか。イオン化してプラスとマイナスのイオンが発生するの

である。水に溶かす行為は私たちの「生きる」行為に相当する。

生きていく過程でプラスとマイナスの側面が表面に表れる。現代

の私たちは、このマイナスを否定して極度に排斥しようとしてい

るのだが、よく考えればナンセンスである。なぜなら、この物質は

元々プラスとマイナスのイオンが合体して成立しているとも言えか

らだ。つまり、マイナスは消えたわけではなく包含されていて、物

質の「存在」を支えているのだ。

 人という字を「両側から助け合っている姿」だとする人もいるが、

人間の「明(プラス)」の部分と「闇(マイナス)」の部分の両方が

融合して、それらを超えた存在が成立している図だとする人もい

る。「悪」を表す片方を取り去ればどうなるか。人という字は倒れて

しまう。

 このあたりをうまく説明した快著にこのほど出合った。小学校以

来の幼なじみである町田宗鳳君(シンガポール国立大学助教授)

が上梓した『<狂い>と信仰〜狂わなければ救われない〜』(P

HP新書)だ。彼は長年大徳寺で雲水修行(臨済禅)を重ね、その

後、念仏禅の世界を経てハーバード大学院の学問の世界に進み、

法然の研究を続けているユニークな経歴の持ち主である。彼は言

う。「植物が暗黒の大地に根をはって、栄養分や水分を汲み上げ

ることなしに生きることができないように、人間も精神の根底に横

たわる<狂い>の世界に根ざすことなく、存立できない」。また、

狂いこそ想像力の源泉だとして、「マジメな教師がマジメな人間に

なることをマジメに一生懸命教えてくれる学校に何年か通ううちに、

若者の健康な想像力が抹殺される仕組みになっている。イジメ、

家庭内暴力、登校拒否、学級崩壊などの問題も疎外された狂気の

しっぺ返し以外の何ものでもない。狂気の中でもマジメという狂気

が、いちばんおそろしいことに、私たちは一刻も早く気づかねばな

らない」

 近代の知性が人間の内なる悪、狂気の部分を長年にわたって

排斥し続けてきたしっぺ返しが、現在の社会や教育の荒廃なのか

もしれない。悪、狂気をごまかさないでしっかりと見詰め、受け取る

ことからすべては始まると思う。この本はぜひとも一読をお薦めする。


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