悲しみ色のパッケージに包まれた宝物

【発表メディア】順興寺機関誌「順興寺だより」1996年7月号
 平成8年2月8日、母が逝った。73歳だった。母の死は私たち

家族に大きな贈り物をもたらしてくれたように思う。そのことに

ついて書いてみたい。

 母は昨年の暮れから風邪気味で体調を崩し、正月2日から近く

の病院に入院した。翌日、呼吸困難の発作を起こし、「間質性肺

炎で、あと1週間もたない」との宣告を受けた。しかし奇跡的に

回復して1月中旬には「約1カ月で退院できそう。退院最短記録

になるのではないか」とまで言われるようになった。

 完全看護の病院で回復も順調なことから、病室に泊まり込むと

いったことはなかった。1日1回、1〜2時間病室をのぞくだけ

だ。とりたてて会話をするわけでもない。病室に入ると「どない

や」「うん、○○やねん」とその日の体調などを話す。時間こそ

短いが、これまでの人生で最も濃密な交流であったと思う。

 約一カ月の入院で私たちを驚かせたのは母の「変容」である。

あの気丈な母が穏やかになり「ありがとう」が口癖になっていっ

たのだ。会話がとぎれたときなど、だれに言うともなく「ありが

と」と小さくつぶやいている。当時はその意味がよく分からな

かった。

 2月に入ると再び体力が低下、発熱するようになった。そして、

8日の朝、二回目の呼吸困難の発作を起こしてあっという間に

逝ってしまった。私が病院に駆けつけたときは、既に心肺停止で

意識がなく、蘇生作業の真っ最中。ベッドの横で母の手をにぎり

しめていると、ほんの一時だが心臓の鼓動が蘇った。「よく来た

ね。ありがとう」。既に口のない母が思いを伝えるためのサイン

であるかのようだった。そのうち医師は腕時計を見て「11時4

分」とつぶやき、私の目をのぞき込み、改めて母の方へ向き直っ

て合掌した。無言の会話だったが、事態の意味は十分に伝わった。

 これまで私にとって母の死は恐怖そのものだった。もし母の死

が訪れたら自分はどれほど取り乱すことだろうかと想像していた。

ところが実際に訪れた世界はそうではなかった。極めて静かな世

界だった。

 「お母さん、よお頑張ったね。ご苦労さん。よお生きはりまし

たね」。まず、口から出たのはこの言葉である。そして後はただ

ただ「お母さん、ありがとう」という思いばかりが湧いた。「私

をここまで育ててくれてありがとう」でもなければ、「これまで

の母の人生に対してのありがとう」でもなかった。なぜか「ただ

ただ、ありがとう」だったのである。このときに初めて分かった。

入院中の母が口癖のように言っていた「ありがとう」の意味が。

 それは「無条件」ということである。「足をもんでくれて、あ

りがとう」とか「お茶を入れてくれてありがとう」ではなく、一

切の条件のない「ありがとう」。「居てくれるだけでありがとう」

だったのである。そして、人生の究極というか人間とどのつまり

には「ただただ、ありがとう」以外な〜んにもなかったんだ、と

いうことが分かった。カラーンとしていて、さわやかとさえ言え

る世界だった。

 このとき思った。「あ、これが南無阿弥陀仏なんだ」。一切の

条件がいらないとは、「人間は既に救われている」ことを意味す

る。私たちは何者にもなる必要はなかったのである。だから、特

別な「行」も「よい子」になるためのあがきも不要だったのだ。

 そして、死は忌むべきものでも悲しむべきものでもないとも

思った。死とは一種の卒業式である。現実の卒業式で仲間たちと

別れる寂しさに涙しながらも「おめでとう」と声を掛け合うよう

に、死も涙しながらに「祝う」べき事柄である。だから、僧侶は

葬式で最も派手な僧衣を着る。

 ではなぜ、私は母の死を恐怖と捉えてきたのか。それは自分が

「寂しい」からである。ずばり言えば、母の悲しみではなく自分

の悲しみなのだ。その証拠に近所の奥さんが亡くなろうとも、ア

フリカで何万人の子供たちが死のうとも、悲しくもなんともない。

自分の中にその人の欠落による「寂しさ」がないからだ。結局は

エゴであることがはっきりと分かった。集中治療室での出来事を

目の当たりにし、灰になっていく人間の姿を直視していた子供た

ちも、「お父さん、死そのものは恐いもんでも嫌がったりするも

のでもないんやね。僕、そのことが分かった」とつぶやいた。孫

への最高の贈り物である。たとえ瞬時とはいえ、自らの死をもっ

てこうした境涯を私たちにもたらしてくれた母に感謝したい。

 死は逝く者、残される者の両者にとって、またとない「気付き」

のチャンスである。ある意味では大いなる恵みだろう。確かに悲

しい出来事ではある。しかし、その「悲しみ色のパッケージ」を

開いてみると、中には父母が命がけで贈ってくれた「宝物」が入っ

ている。「無明」がもたらす「恐怖」や「悲しみ」の先入観に押

し流されて、この宝物を無にするのは、あまりにももったいない

と思う。


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