さよなら、巨人の星

【発表メディア】出雲大社大阪分祠機関誌「ひふみ」1997年7月号初出 / 「ルネサンス」VOL.5(1999年1月)改稿採録


 「頑張ってね」

 日常、最もよく使う言葉の一つだ。私もよく使う。何となく、そう言わ

ないと収まらないシーンが結構あるからだ。別れ際など、激励する意

味で、つい使ってしまう。「受験、頑張ってね」とか。しかし、実を言え

ば、私はこの言葉をなるべく使いたくないと思っている。語弊を承知、

誤解を覚悟で言えば、「勉強」「努力」「我慢」も……。

 説明が必要だろう。これらの言葉が使われる裏にある共通の「心の

在り方」を問題にしたいのである。「本当はいやなことだけど、歯を食

いしばってでもやらなければ!」「できなかったらどうしよう」。不安、

恐怖、強迫、ストレス……。「頑張ってね」を筆頭とするこれらの言葉は、

ストレスとともに物事をしてしまう引き金になりやすいのではないか。

 ある予備校では、父兄説明会で次のようにアドバイスするという。

 「受験生に絶対言ってほしくない言葉があります。それは『頑張れ』。

最も言ってしまいがちな言葉ですよね。でも、これを言われる側の気持

ちになってみてください。たまりませんよ。阪神淡路大震災の被災者も

同じことを言っています。最も頭に来たのは被災していない人から『頑

張って』と言われることだと。『こいつら自分は安全なところに身を置き

ながら勝手なこと言ってやがる。この被害から立ち上がる者の身になっ

てみろ!』。マラソンランナーの益田明美さんも人から頑張れと言われ

るたびに『ここまでやっているのにまだ頑張れというのか』と暗い気持

ちになったと言います。だいたい、頑張るというのは日本独特の心性

なんです。英語にはmake effortsという熟語はあっても、『頑張る』を直

接意味する単語はありませんよ」

 学問もスポーツも、そして人生すべての一瞬一瞬は本来、生きる手ご

たえに満ちたものだ。この世に生を受けた「だいご味」の一つ。「頑張る」

はそれを「ストレスの対象」におとしめて、汚してしまうような気がして

ならない。

 こうした思いをうまく説明できなくて歯がゆい思いをしていたら、ある人

から興味深い指摘を受けた。

 「何事も深刻になっちゃだめですよ。真剣にならなくちゃ。深刻と真剣

は全く違います」

 なるほど、と思った。学ぶことを表す「勉強」と「学問」の2つの言葉の

比較でこのことを考えてみた。勉強とは「勉めて強いる」と書くように、無

理やり詰め込むといった雰囲気。こちらは「深刻」だろう。特に受験勉強

の場合はそうだ。一刻も早く勉強しなくていい境遇になりたい、もし無試

験入学が許されたら「やらないぞ」。かえって学ぶ喜びから人を遠ざけて

いる。

 一方、学問は「学んで問う」。幼児が「これは何?」「どうして?」「なぜ?」

……を連発するように、問いは強制して発せられるのではなく、自らの内

部から湧き上がったもの。未知のことを問う幼児の心の中にストレスはな

く、逆に好奇心まんまん、目が輝いている。問いを発するとき、幼児は

「深刻」ではなく「真剣」なのだ。大人の学者も、嬉々として自分の専門領

域の知的探検にのめり込んでいる。そのときの学者は一種の“幼児”。

知のだいご味を楽しんでいる。

 どちらも1日中机に向かったり、寝食を忘れて取り組むなど、「やって

いる事」はほとんど同じ。しかし、心の中は天地ほど違う。

 最近では、「深刻」から「真剣」へのシフトが目に見える形で実社会に

表れ始めている。プロ野球のイチロー選手、将棋の羽生棋士、プロゴル

フのタイガーウッズ選手らがその代表だ。共通しているのが、それまで

野球やゴルフ、将棋などを「楽しみながらやってきた」ということ。ここが

「巨人の星」に象徴される旧来の価値観と違う点だ。タイガーウッズ選

手の父は軍人で息子にきつい練習を課したが、いつもこう言っていた

という。

 「ゴルフは楽しまなくちゃだめだよ」

 常人から見ればとてもついていけないような練習だっただろう。ひょっ

としたら「巨人の星」よりもきつかったかもしれない。しかし、それを“広

い意味で楽しんで”きたというのだ。

 これは人生のあらゆるシーンに当てはまる。仮に寒空の下、徹夜で

行列しても、それが「食糧の配給を受けるため」なら苦痛かもしれない

が、好きなアーチストのコンサートのチケット入手のためなら喜びと期

待に満ちたものになる。

 すべを深刻ではなく真剣で生きた好例がアメリカ映画にあった。

「フォレスト・ガンプ」である。

 「頑張ってね」と言わずに別れるには……と考えてみたら、これまた

アメリカに効果的な別れ言葉があるのを思い出した。「テイク・イット・

イージー」だ。「ま、気楽にやりなはれ」。京都弁で言えば「ぼちぼち

行きまひょか」といったところか。

 


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