心のプリズム〜「不幸」は「幸せ」の補色〜

【発表メディア】出雲大社大阪分祠機関誌「ひふみ」1995年7月号
 「虹の色数はいくつ?」

 こう問われたら、ほとんどの人が即座に「7色!」と答えるに

違いない。でも、本当にそうだろうか。先入観をすべて捨てて改

めて考えてみてほしい。本当に7色?

 よく見るとそうでないことが分かる。虹の色の変化は連続して

おり、どこにも色の切れ目はない。見る人が勝手に線引きして7

つに分けているにすぎない。文化が違えば8つに分けて虹の色を

数える民族がいても不思議ではない。事実、ギリシア時代には

「虹の色は3色」とされていたという。

 この虹のエピソードは、私たちの心の“癖”を象徴していて興

味深い。

 特別な覚醒者を除いて普通の人の認識行為は言葉と論理による

“思考”であり、その本質は「物事の分断、差別化(分けること)」

だという点だ。

 例えば「これは○○である」という認識は「これ」と「これ以

外のもの」を分けて初めて成立する。認識とは「対象になるもの」

と「それ以外」を分け続ける行為にほかならない。だから理解す

ることを「分かる」と呼び、物事に善悪などの線引ができる能力

を「分別」と呼ぶのだろう。本来連続していて無境界な虹の色で

さえ幾つかに分けて認識してしまうのは、私たちの心のこうした

“癖”から来ている。

 逆に人間の心は「分けないで直覚すること」が不得手である。

例えば次の数字を暗記してみてほしい。

 465910287309

 まず無理だろう。しかし、次のように3桁ずつに区切るとどう

なるか。

 465・910・287・309

 ぐんと覚えやすくなったはずだ。小さく分ければ覚えやすくな

る。人間が一度に覚えられる桁数は「7」が限度だとされている。

俗に言う「マジカルナンバー・オブ・セブン」だ。

 一方、宗教的な覚醒者は「宇宙即我」「自即他」「すべては一

なるもの」だという。その認識は分断、差別化によるものではな

い。「直覚」であり、分断できないものこそが宇宙の本来の姿だ

と言う。

 最先端の科学「量子論」でも同じことが指摘されている。万物

を構成する究極単位である素粒子(いわば原子の素)には、周囲

の真空との間に明確な境界がないこと。そして、ある素粒子がこ

こにある、あそこにあるとは断定できず、宇宙のどこにあっても

おかしくないこと(ベルの定理)が証明されている。つまり、一

つの素粒子は宇宙全体とつながっているというのである。万物を

構成している無数の素粒子すべて(当然私たちの体を構成してい

る素粒子も)がこうした性質を持っている以上、この宇宙は本来

どこにも「ここからはA、ここからはB」と線が引けない無境界

の世界だということになる。悟りの世界と最先端科学の世界との

見事な一致だ。

 無境界こそが宇宙の本質だとすれば、分けて物事を把握する

“思考”をいくら積み重ねても真実に到達できない。それどころ

かさまざまな誤認を生み、人生の「苦」の元になることが多い。

 代表的なのが「自分」という区分けだろう。普通、肉体を「自

分」、それ以外を「他者」と分け、例えばお金が自分に入ってき

たら幸せで、他者にしか来なければ不幸だとする。自分を基準に

「損した、得した」「不幸だ、幸せだ」と一喜一憂している。本

当は無限ともいうべき天の恵みに満ちあふれた世界なのに、まず

自分という狭い区分を設け、それを基準に幸か不幸かの新たな線

引きに一生懸命になっているかのようだ。これでは、せっかくの

天の恵みが苦の元になってしまう。他人の成功や隣の普請(ふし

ん)が妬(ねた)みの元になるように。

 実を言えば、この「自分」という線引きは極めていい加減なも

のである。肉体こそが自分だと思っているが、それなら「腕」は

自分か? 事故で片腕を失っても「自分がなくなった」とは思わ

ない。頭部こそが自分かというと髪や耳がなくなっても自分はい

る。さらに、脳の中の「意識」こそが自分かと言うと、寝ていて

意識のないときも自分はいるし、起きているときも「この意識こ

そ自分である」と思っているもう一人の自分がいたりする。自分っ

て何?と混乱せざるを得ない。

 当然だろう。本来の自分はもっともっと大きく、宇宙とイコー

ルのもののはずだ。それを心の“癖”が無理矢理境界を設けて自

分を創り出しているにすぎない。その意味で、自分という言葉に

「自ら分ける」の文字を当てているのは言い得て妙だ。

 心は一種のプリズム(分光器)である。「幸せ」とそうでない

ものを分けようとするから「不幸」の概念が生まれる。輝きに満

ちた白光一色の世界から「幸せ色」を取り出そうとするから、一

方に補色(混ぜ合わせると白光になる色)として「不幸色」が発

生するのである。「区(分けること)」が「苦」を生んでいるの

だ。流行のプラス思考の限界もここにある。プラスを思う心がマ

イナスを創り出すからだ。

 こうした“思考”のトリックに気付けば、これまで見えなかっ

た天の恵みが見えてくると思う。


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