【発表メディア】京都市立紫野高校PTA新聞(1997年前期)
ここだけの話、私は「青少年の健全育成」という言葉が嫌いです。
極めて曖昧な概念であるうえ、私たちが絶対の正義として無条件に
受け入れてしまいがちな言葉だからです。まるで水戸黄門の印篭。
「青少年の健全育成」と言われれば、「はは〜っ」と思考停止してし
まい、異議の唱えようがありません。
でも、そうでしょうか。「健全」って一体何なんでしょうか。仮に「健
全育成」の概念が成立するものだとしても、私たち自身どれほど
「健全」なのでしょうか。私たち大人の世界はそんなに「健全」なの
でしょうか。
このテーマを考える上で役立つ本が、心理学者・河合隼雄さんの
「子どもと悪」(岩波書店)です。社会学者の橋爪大三郎さんは「読
みやすく収穫の多い好著である」と評し、「普通の子供たちはみな
『悪』を糧として成長していくという普遍の真理を本書は分かりやす
く説明する」「子どもを悪と絶縁し、善意のみで育てようとする親が
一番子どもだめにすると河合氏は説く」と紹介しています。
大人たちの「健全信仰」の裏返しが、子供たちの「いい子になら
なくては」症候群でしょう。いい子にならなければ受け入れてもらえ
ない。愛してもらえない。でも、現実は……と今多くの子共が悩ん
でいます。
実はこれ、子供だけのことではありません。私たち大人も同じ。「い
い親ににならねば」「出世しなければ」……自分で「あるべき姿」を
作り上げ、現実とのギャップに振り回されている生きざまです。名付
けて「ねばならない」症候群。
健常、快活、長生き、富が「善」で、障害、内向、短命、貧乏が「悪」。
でも、50年の人生が25歳で亡くなった人の倍値打ちがあるとも思え
ませんし、体の障害で「富」を生み出せない人生が無価値とも思えま
せん。
こうした一連の思い込みは法律で強制されたものではありません。
自分自身で作り上げ、自分で自分を縛っているものです。
私たちが本当に自由になるためには、「自分自身からの自由」が
大きなカギを握っているのではないでしょうか。