はじめに
皇位継承に関する議論には、大きく分けて3つあります。
@これまでどおり男系を維持するためにあらゆる方策を探っていくという主張。
Aさしあたり男系を維持していくが、念のため女系も容認していく準備が必要という主張
Bいますぐ男系維持を放棄して、女系継承にするという主張
小林よしのり氏の『新天皇論』(天皇論追撃編)はBの主張となります。
私の主張は@でありますが、「新天皇論撃墜編」を作成する第一の目的は、
AとBを排除するものではなく、Bの矛盾を徹底的に暴き出し、
皇統の議論を「@対A」の構図に戻すことです。
なぜそれが第一義であるかというと、陛下の大御心が誰にもわかっていないということにあります。
つまり、@とAは自分たちの主張と大御心が違ったとしても、
取り返しがつかないことになることはあり得ませんが、
Bの場合だけは、もし大御心と異なった場合、取り返しがつかず、
陛下に対してとんでもない仕打ちを行うことに等しいからです。
悠仁親王殿下ご誕生以前の皇位継承論議は「@対B」であり、
「旧宮家男子の皇籍復帰」か「女系容認」のどちらかという構図となっていました。
つまり直近の問題は次世代の「皇位継承者」をいかに確保するかということだったのです。
しかし、悠仁親王殿下のご誕生により、
次世代の皇位継承者の確保という問題はとりあえず解決しました。
そこで悠仁親王殿下を支える皇族をいかに確保するかということに問題は移ったのです。
旧宮家男子の皇籍復帰により皇族を確保するという@の主張と、
女性宮家を創立して皇族を確保するというAの主張に分類されます。
ところが、小泉政権下の皇室典範改正論議のときに、ほとんど関心を示していなかった小林氏は、
突如として『SAPIO』誌上により「天皇論追撃編」として「@対B」の論議をしかけてきたのです。
ただし、悠仁親王殿下ご誕生後に、Bの議論を展開するためには、
「保守」である以上、それなりの「材料」が必要となります。
その材料が「男系継承がシナ宗族制の模倣」、「古代に女系継承があった」、
「神皇正統記の直系論」等となりました。
そこで、私の『新天皇論』批判は、まずはBを支える「材料」に対して攻撃を集中させたということです。
もちろんBを徹底的に破綻に追い込む作業の中で、
@の正統性を十分に示すこともできたと認識するところはありますが、
時期がくれば「@対A」の論議についても、
徹底的に万世一系の正統性を示していくつもりであるということだけは申し上げておきたいと思います。
ただし、本文でも述べていることですが、
皇統が男系であるという決定的事実を一つ示しておきます。
----------小林よしのり----------
皇統譜は、明治天皇の勅裁によるものであり、
学者・評論家の議論余地などない。
(296頁)
『神皇正統記』の「直系」の考え方は、
あくまでも著者・北畠親房が考える「直系」であり、
『皇統譜』では女帝も全て「世」に数えられている。
(333頁)
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小林よしのり氏が述べる「世」とは、
「旧譜皇統譜」にある天皇の名前の横に表記されている「世系」のことです。
「世系」とは「世系第一」である天照大神から数えた世数となります。
つまり男系をさかのぼっていけば、天照大神に行き着く世代数のことです。
「旧譜皇統譜」によると、天智天皇は「世系第三十」となっています。
そして天智天皇の母である皇極天皇も同じく「世系三十」となっています。
欽明天皇(26)⇒敏達天皇(27)⇒押坂彦人大兄(28)⇒舒明天皇(29)⇒天智天皇(30)
欽明天皇(26)⇒敏達天皇(27)⇒押坂彦人大兄(28)⇒茅渟王(29)⇒皇極天皇(30)
「母・子」が同じ「世系第三十」ということは、
世系とは天照大神から数えた男系子孫であるということに他なりません。
つまり、小林氏が示した「世」とは、まぎれもなく「男系」を表しているということの証明となるのです。
「旧譜皇統譜」は明治天皇の勅裁であり、明治天皇がなぜ伏見宮系の皇族を重視され、
皇女4人を嫁がせられたかということを、
我々は今一度考えてみるべきではないでしょうか。
平成23年1月