「側室制度なしに男系継承は不可能」というウソ
〜第20章「側室なしの男系継承は不可能である」についての考察〜
「側室なしの男系維持は不可能だ」というのが、女系容認論者の論理的支柱となっている。
小林よしのり氏は"核心"とまで語り、宮家がいくらあろうが、旧宮家が皇籍復帰しようが、
側室制度がないかぎり、男系継承は不可能とまで述べる。
ここではその主張が、いかに無知蒙昧で破綻しているかということを指摘していく。
----------小林よしのり----------
一夫一婦制で、何世代も確実に男子を産み続けることなど不可能なのだから!
明治天皇も大正天皇も側室の子である。
その後に昭和天皇、今上陛下、皇太子殿下と3 代も嫡男が続いたのは
異例の幸運だったのであり、逆に女子ばかり続くことだって当然起こる。
(210頁)
--------------------------------
子供1人の場合は男子が誕生する確率は50%、
2人の場合は75%、3人の場合は約87.5%、4人の場合は約93%。
では一夫一婦制になってからの皇子女の数では、
大正天皇は4人、昭和天皇は7人、今上陛下3人。
これによる男子誕生の確率は93%→99%→87.5%で継承されている。
これが小林よしのり氏によると「異例の幸運」というのだから、
確率の計算方法も知らないのかということになる。
キリスト教圏の王室は庶子(正妻以外の子供)による継承は認められない。
すなわち側室制度は存在しないということだ。
愛人はいても、愛人の子が王位を継承するなどあり得ないということである。
つまり、西洋の王室は歴史的に一夫一婦制ということになる。
フランスを筆頭に男系継承を採用する王室は西洋にいくつも存在したが、
庶子継承が認められないからといって、
すぐに王位継承が不可能になるなどという事実は存在しない。
フランスでは、987年にユーグ・カペーが王位を取得してから、
庶系継承なしの万世一系で、フランス革命(ルイ16世)まででも、800年以上続いた。
革命後もブルボン家の男系は存続しており、オルレアン家として現在まで千年以上続いている。
フランスはカペー本家に対して、バロア家、ブルボン家という二つの宮家で
800年間男系継承を維持した。
我が国の平均出生率は約1.3となるが、これは独身者も含めてのことだ。
夫婦間の出生率は2人以上、所得額が多いほど出生率は増加する傾向にある。
皇室という安定的生活が確保されている環境では、
出生率2〜3人を想定することは、現実離れでも何でもなく、
世間一般の夫婦間の出生率と同じである。
出生率2〜3人ということは、男子が誕生する確率は75%〜87.5%。
仮に出生率2人で4宮家という計算で、まったく男子が誕生しない確率を出すと、
0.5の10乗で、0.00098。つまり0.1%未満となる。
宮家4家体制を維持すれば、皇室でまったく男子が誕生しない可能性は、
数千年に一度あるかないかということになるのだ。
小林氏は何をもって、側室制度がなければ男系継承は不可能だと述べているのか理解できず、
感情論だけで語っているとしか考えられない。
明治時代以前には、乳幼児死亡率が現在とは比較ならないほど高かったため、
このような確率計算は不可能だったのだが、
現代医学の進歩により、宮家の拡充による、確率計算が可能となった。
----------小林よしのり----------
男系固執主義の知識人は、「現代医学の進歩が側室制度に代わる」と言うのだが、
この意見は根本的におかしい。
(中略)
昔は多産多死で、とにかくたくさん子をつくらねばならなかったから
側室が必要だったと思っている。
今は医療の発達で少産少死になったから、
側室がなくてもいいと言っているが、そんな話ではない!
側室は乳幼児の生存率が低かったからあったのではない。
男子を産ませるためにあったのだ!
産む腹が一つだけなら、10か月に一人しか子は産めない。
生まれた子が女児だったら、次の子を産むまで最低でもまた10か月かかる。
それでまた男子が生まれなければ、また10か月以上先になる。
しかし産む腹が10個あれば、10か月に10人産める。
男子が生まれる確率が飛躍的に高まる。
側室はあくまでも「男子を産む」ための制度だったのだ!
(212頁)
--------------------------------
側室制度は子供をたくさんつくる意義があるのであるから、
当然に男子が生まれる確率は飛躍的に高まる。
「産む腹が10個あれば、10か月に10人産める。男子が生まれる確率が飛躍的に高まる」
というのは、宮家が10家あれば男子が生まれる確率が飛躍的に高まると述べているのと同じである。
"産む腹"の数は側室であろうと、傍系であろうと同じであるということだ。
しかし、小林氏は「側室がなくても傍系継承で男系は維持できると言う者もいる。
だかそれは大嘘だ。その宮家にも側室を置かなければ、
男系だけで続けることはできない(209頁)」と言う。
側室であろうと、傍系であろうと
確率はまったく同じであるということすらわかっていないということだろう。
この問題について真剣に反論すれば、次のような問題提起ができる。
------------------------------
☆悠仁親王殿下がご誕生以前の皇室では、
9人連続で女子がご誕生されたことをどう考えるのか。
☆出生率2人で計算しているが、これから皇室のご結婚はますます困難になる。
皇室典範に関する有識者会議の報告書を持ち出し、近年の皇室での出生率から批判する。
☆一世代計算では、男子がまったく誕生しない確率は極めて低いとしても、
世代をまたがると、偶然男子が減少したときに、同じ計算が成立しなくなる。
------------------------------
ただし、最低限確認しておかなくてはならないのは、
小林氏の主張は「たとえ旧宮家を復活させても、
男系継承は側室制度とセットでないと、絶対に維持できない!」ということだ。
状況論からの反論は、逃げの反論であることを述べておく。
小林氏は、一夫一婦制のもとでは
「昭和天皇、今上陛下、皇太子殿下と3代も嫡男が続いたのは異例の幸運」
と述べたのだから、状況論ではなく、根本的な仕組みとして、
側室制度なしに男系継承は不可能と述べたわけだ。
状況論で逃げることは、極めて姑息な手口であるということを指摘しておく。
しかし、わたしはこれらの問題点について真摯に受け止め、深く考えたいと思う。
確率論が男系の皇位継承を安定化させるなど考えていないからだ。
そもそも皇位継承の問題点はそんなところにはない。
それをふまえた上で、もう少し具体的に論じていきたい。
上記3点の問題提起は、すべてに関連性があることから、
まずは明治以降の皇位継承について振り返ってみたい。
皇室において9人連続で女子がご誕生されたことをどう考えるのかということについては、
これは確率でいうと256分の1の事態ということになる。
0.2%でしか起こりえないことが起きてしまった。
0.2%の危険性を前提に考慮した制度設計というのは基本的にできない。
これは女系論でも同じことである。
ただし、戦後の皇室は世代間でみると4宮家を確保できていない。
それでも尚、9人連続で女子が誕生しても、
悠仁親王殿下という次世代の皇位継承者を確保できているのでるから、
あと宮家が1、2家程度あれば状況はまったく違っていた可能性の方が高い。
明治天皇と昭憲皇后との間には子供はなく、
女官との間にかなり多くの子供が誕生したが、
成長した男子は大正天皇ただ一人だった。
この状況を重く見た政府は、大正天皇のお后選びには慎重を極めた。
その成果もあってか、大正天皇と貞明皇后との間には、
昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮と4人の親王に恵まれ、
皇室の将来は盤石と思われた。
それでも4人の宮様たちの結婚相手も慎重に選ばれ、
将来の皇位継承に備えることを怠らなかった。
昭和天皇のお后選びは、早くから開始され、それが「宮中某重大事件」に発展したりもする。
そして、昭和天皇と香淳皇后との間には2男4女が成人され、
秩父宮と高松宮にはお子様がなかったが、三笠宮は3男2女に恵まれる。
この時点で皇統の将来への不安は誰しもが持たなかった。
先人たちによる皇族男子を増やす努力があったからこそ、
直宮以外の皇族削減が実現したといえる部分もある。
ところが戦後の政府の対応はどうだったか。
9人連続で女子が誕生したというのは、確率的にはかなり希な出来事であるということもできるが、
大正以降に皇族男子が増えたのは、
必死の努力があってのことであるということは見過ごしてはならないと思う。
今上陛下のご結婚に際して、多くの令嬢方が辞退して、すでに困難が生じていた。
美智子皇后陛下とのご結婚に際しては、様々なトラブルが生じたり、
ご結婚後長期に療養されることまで余儀なくされた経緯などを考えれば、
皇太子殿下が幼いころから、どのようにすれば無理なく皇太子妃候補を選んでいただけるか、
あらゆる対策を打っておくべきだった。
そのようなことを怠っておいて、運が悪かったとか、
時代が変わったとかいう言い訳は許されないはずだ。
皇太子殿下の晩婚の原因となったのは、お后候補といわれた女性が、
片っ端からマスコミに取り上げられ、出会いを妨げたことなどがいわれているが、
そんなことは容易に予想ができた。
それにもかかわらず放置していたのは、政府の怠慢か、
宮内庁に某かの悪意があったと勘ぐられても仕方がないだろう。
私は確率論で単純に出生率2によって計算したが、
周囲が真剣に努力すれば、3人でも4人でも、お子様は期待できるものと考えている。
もちろん、お子様に恵まれないかたも出てこられるだろうから、
最終的に出生率が2人から3人になるように努力していけばいいのだ。
まったく努力も何も考慮にいれず、「皇室は晩婚化する」とか、
「確率論では一時的に男子が減少したときにどうするのか」、という批判は、
戦後の政府の対応と同じで、無責任極まりないものであると言っておきたい。
もし一時的に男子が減少した場合は、明治政府のように、重く受け止めて、
まずは皇族のご結婚問題から慎重に対応していけば、
簡単には男子が生まれないということにはならないだろうし、
一時的に男子が減少するということは、一時的に男子が増加することもあるので、
そういうときに、いかに宮家を確保しておくかといったことなど、いくらでも方策は思いつく。
そのような"努力"のことを、一切考慮せずに、安易に女系論を述べている人は、
口では尊皇といっても、心の底からはそう思っていないと理解しておいて間違いないと述べておく。
なぜなら女帝の配偶者選びは、皇太子妃の比にもならほど困難を極めるだろう。
女系容認となれば、皇位継承は安定すると語る人間は、
リアリティーをもってこの問題を考えていないことが表れている。
女系だろうがとりあえず血統をつなげば、
皇室は千年も二千年も安泰だと考えている方が、
よほど国体護持に対する危機感がないということを断言しておく。
皇位継承問題は、男系だから危うく、女系だから安定するという類の話ではない。
皇子女の結婚問題など、様々な複雑な問題が絡んでいる。
こういった諸問題について、政府が積極的に取り組まないかぎり、
皇位継承制度が安定することなどあり得ないということを理解するべきだろう。
そして、男系継承には、皇統護持に対する思いが、
長い歴史の中で先人たちの"意志"の積み重ねとなって体現しているという部分が
含まれているということも述べておく。