旧皇族に対する調査の真実
〜第27章「オカルト化した男系固執教団」についての考察〜
----------小林よしのり----------
政府は旧宮家子孫の意向を確認していた。
民間でも保阪正康氏が調査し、
復帰の意志があったのは竹田恒泰氏一人だったと発表した。
だが、竹田氏本人は、皇籍取得の意思を否定している。
それならばやっぱり一人もいないのだ!
(283頁)
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保阪正康氏の調査というのは、旧皇族の男子にインタビューしたという
『文藝春秋』(平成17年3月号)のことである。
このなかでは、インタビューを受けた旧皇族の男性は、
皇族復帰の意志があるかと質問されたが、
ほとんどの人は事実上「ノーコメント」と述べている。
では、なぜ小林よしのり氏は上記の記述をしたのか。
それは、月刊『現代』(平成18年2月号)の保阪正康氏と原武史氏との対談記事が元となっている。
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保阪
「私は以前取材で、旧宮家の人たちにも何人か会っているのですが、
彼らのなかで、また皇族にと思っている人はひとりしかいなかったんですね」
原
「旧竹田宮の竹田恒泰氏ですね」
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このやりとりだけで、
「保阪正康氏が調査し、復帰の意志があったのは竹田恒泰氏一人だったと発表した」
と断定しているのだ。
確かに『文藝春秋』記事によると復帰の意志があったとは誰もコメントしていない。
ノーコメントだから当然である。
復帰の意志があった人はいないが、復帰の意志のない人もいなかったわけだ。
それを「復帰の意志があった人はいない」という部分だけを取り上げる詐術のような論法である。
私は議論をするとき、相手の思考回路を探りたくなる。
小林氏はこの対談が掲載されたころ、有識者会議の報告書をボロクソに批判していた。
保阪正康及び原武史の両氏については、『天皇論』のなかでも、痛烈に批判している。
つまり、当時はこんな対談記事など目もくれていなかったわけだ。
よしりん企画のなかで、余り絵が上手ではないので情報屋をやっているという話のある時浦氏に、
専門家と称する男が、最近になって古い雑誌記事を提供して、
それに小林氏が飛びついたという構図ではなかろうか。
それでは次ぎに保阪正康氏が旧皇族男子に調査したという
『文藝春秋』(平成17年3月号)に掲載された
『新宮家創設8人の「皇子候補」』について考察していこう。
この記事の要旨は、有識者会議が発足し、皇室典範改正論議が盛んであった頃、
男系護持派の中で、女性皇族に対する養子案が主張されていたことについて、
旧皇族の方々に調査したというものだ。
小林よしのり氏は
「民間でも保阪正康氏が調査し、復帰の意志があったのは竹田恒泰氏一人だったと発表した」
というが、本当にそうなのか中身を確認してみる。
検証するには、記事中に掲載されている旧皇族男性の発言について、
すべて順を追って記載するのが最適であろう。
----------東久邇征彦氏----------
私からは何も申し上げることはありません。
ひとつ申し上げるとしたら、
照宮様(征彦氏の祖母にあたる)が早くお亡くなりになられたこともあって、
昭和天皇、香淳皇后には、いつもお心にかけていただき、
可愛がってくださったことをとても懐かしく思い出します。
今はその思い出を胸に、一国民として日々の生活を送っております。
陰ながら皇室の末永きご繁栄を心よりお祈り申し上げるということでしょうか。
----------東久邇信彦氏----------
皇太子家に男のお子さまがお生まれになるかもしれないので、
それ以外は何も考えておりません。
----------竹田恒正氏------------
お答えする立場にはありません。
----------伏見博明氏------------
大変重要な問題であると考えていますが、
まだ議論する時期ではないと思います。
----------久邇朝宏氏-------------
私は吹けば飛ぶような三男坊で、
こういうことは長兄が考える立場にありますから、なんとも言えません。
ただ、一般論で言うと、皇統を絶やすわけにはいかないのなら、
その血を受け継いでいて、
そう遠くない血縁の人がいいというのはだれもが思うことでしょうね。
そして、そこにふさわしい人がいるならいい、ということかもしれません。
----------東久邇盛彦氏----------
学生のころは、日本史を勉強していると東久邇という名前が出てくるので、
それがイヤで、選択できるときは世界史をとっていました。
また、名前が旧皇族とわかりやすいからか、
「あいつはフェラーリに乗っているらしい」なんて勘違いされたこともありましたね(笑)
ただ、そういったこと以外は、皇族につながるからといって
何か特別なことがあったわけではありません。
私は京都で育ち、同志社大学で学んだので、
小さいころは菊栄親睦会にも呼ばれましたが、
それ以外は東京とあまり縁がなかったこともあります。
旧宮家から養子をとるといっても、あまり現実的にはイメージができませんね。
ただ、そこまでして何を残すのかということとよく考えるべきだとは思います。
それは国家というものを考えることにつながるのかもしれませんし、
一部の人が議論するだけで、
そのまま決められてしまっていい問題ではないのではないでしょうか。
----------竹田恒泰氏------------
お答えする立場にありませんので、遠慮させてください。
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以上である。
東久邇盛彦氏だけが、どっちともとれるようなご発言をされているが、
それ以外の方は、すべてノーコメントである。
復帰の意志があったのは竹田恒泰氏一人というのも、
何が根拠となっているのかよくわからない。
竹田恒泰氏ご本人はつい最近でも、
「復帰の意志があるなど述べたことは一度もない」と語っておられる。
さらにいうと、月刊『現代』(平成18年2月号)に掲載された、
〜「女系天皇反対」の旧皇族が語る著書出版の舞台裏「宮家にも政財界人にも反対されて」〜
のなかで、竹田恒泰氏は次のように述べている。
《旧11宮家の当主たちが「皇室典範問題については一切意見を述べない」ことで意見を一致させ、
この問題についてメディアの取材を受けないよう、父を通じて私にも通達があった》
平成17年3月における保阪正康氏の記事内容と整合性がとれる。
事実上、全員がノーコメントとなっている。
これがどういうわけか、平成18年2月の保阪正康×原武史氏の対談では
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保阪
「私は以前取材で、旧宮家の人たちにも何人か会っているのですが、
彼らのなかで、また皇族にと思っている人はひとりしかいなかったんですね」
原
「旧竹田宮の竹田恒泰氏ですね」
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となっている。
さらにそれを受けて、小林よしのり氏が「民間でも保阪正康氏が調査し、
復帰の意志があったのは竹田恒泰氏一人だったと発表した」と述べているのだ。
平成22年3月にチャンネル桜で行われた討論「皇位継承を考える」でも
高森明勅氏が保阪のペテン論法を引用していた。
「保阪正康氏の文藝春秋の取材によると、
旧皇族男性で皇籍復帰を望まれる人は竹田恒泰さんだけだった。
それで竹田さんに確認したら、事実と違うというお答えが返ってきた」
と発言。
これはペテン論法にさらにペテンを加えた悪質な論法である。
文藝春秋ですべて「ノーコメント」だった調査結果と、月刊現代での保阪の事実無根発言を、
高森氏は巧妙にからめて、「皇籍復帰を望んでいる旧宮家の人は竹田恒泰氏以外にいない。
竹田恒泰氏に確認したら否定されたので、結局はいない」と印象づけていたのである。
これは完全なるプロパガンダであって、学者・研究者がすることではないということは、
誰の目にも明らかだろう。
そして、いかにいい加減な話を元に、論理が飛躍していることがおわかりだろう。
こんな次元で、2600 年以上続く皇統について論じるなど、
笑止千万、不敬極まりないということである。
主張の内容以前に、この議論の有様が、ことの本質を露呈させているということだ。