男系よりも直系などという歴史的事実は存在しない

     〜第31章「男系よりも直系である」についての考察〜

 

 

小林よしのり氏の直系論の根拠の一つに『神皇正統記』があるというが、

まず『神皇正統記』がどういったものなのかわからなくては、ことの真偽が判断できないので、

まず『神皇正統記』に記されている直系の原理を説明しておく。

「神皇正統記」を記した北畠親房は、皇統は「幹」と「枝葉」の関係であり、

「幹」の部分を正統と述べている。

「幹」とは、神武天皇から数えた「世」を基本としており、

女性天皇はすべて「幹」ではなく「枝葉」と数えられている。

したがって「神皇正統記」は女系を直系とみなしていないことは明白である。

 

「神皇正統記」は皇位継承にについて「凡その承運」と「まことの継体」に分類している。

「凡その承運」とは、「第○○代天皇」ということを表し、

「まことの継体」とは、「第○○世天皇」ということを表す。

「代」と「世」の違いである。

わかりやすく説明すると、A天皇(親)⇒B天皇(叔父)⇒C天皇(本人)と継承したとする。

A天皇が第1代とすると、C天皇は第3代になる。これが「代」で考えるということだ。

これに対して「世」で考えると、C天皇はA天皇の子供なので2世となる。

神武天皇から現在の天皇まで「世」で数えた縦のラインが幹である「まことの継体」であり、

上の例で示すB天皇のように正統から枝分かれしている天皇を含めた皇統が「凡その承運」になると考える。

例えば、継体天皇は傍系継承だが、武烈天皇に子がなく、継体天皇に「正統」が移ったことで、

応神天皇⇒○⇒○⇒○⇒○⇒継体天皇の系統が「幹」になる。

中間の○印は即位していないが「幹」として正統になるということだ。

つまり、『神皇正統記』は神武天皇からの父子一系が幹であり、

それ以外の天皇を「枝葉」としている。

これが北畠親房の直系論である。

それをふまえた上で、小林よしのり氏の直系論について考察してみる。

 

----------小林よしのり----------

皇統が2600 年「男系」を重んじたなどというのは歴史の偽造で、

本来、重視されていたのは「直系」だ。

『神皇正統記』にも、それは明らかである。

皇紀2600 年の昭和15 年から神宮皇學館大学学長を務めた国語学の大家、

山田孝雄は『神皇正統記』の解説『神皇正統記の本領』で

「皇位継承論」という項目を立て、こう述べている。

 

「正統といふは主として皇長子とその直系の方々との相つながるることにありとするを

原則は実に万世一系の皇統を永遠に持続せしむる根本原理にして、

時に変ありて止むを得ざる場合の外は、この原則は厳重に守られるべきものなり」

 

山田は『神皇正統記』に「傍より正に帰る道あり」

という意味の記述があることについて、こう解説する。

「一時傍系にうつる事ありとも、所謂天定まって人に勝つの理にて

いつしか正系にかへるといへる意なるが如し」

やむなく一時傍系に移っても、天の定めるところによって正系、

つまり直系に帰るというのである。

(320頁)

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なぜこれが「男系」よりも「直系」を重視したということの根拠になるのだろうか。

前述のとおり、『神皇正統記』は神武天皇から現在の天皇までの

父子一系を基軸に皇統を考えるべきと書いてある。

つまり、山田孝雄氏が述べる

「時に変ありて止むを得ざる場合の外は、この原則は厳重に守られるべきものなり」

というのは、父子継承をまず原則にすべきということであり、

"止むを得ざる場合"とは、男子がいない場合となる。

そして、「傍より正に帰る道あり」というのは、皇位が傍系に移っても、

天の定めるところにより、傍が正になって、

その天皇の父子一系が「幹」になるということである。

山田氏は「男系よりも直系」などと一言も述べていない。

簡単に要約すると、

「男系の傍系よりも男系の直系を重視すべき。もしやむを得ず傍系となった場合は、

そこから男系の直系を尊重すれば、正統となる」ということである。

小林よしのり氏には、山田孝雄氏の言葉を引用する前に、

まずは原典となる『神皇正統記』を正確に読むべきだと言っておきたい。

 

 

 

 

 

 

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