権威にひれ伏したゴーマニスト

     〜第32章「皇統は萬葉一統である」についての考察〜

 

 

----------田中卓氏の話----------

確かに昔は女性が優位、と言うたらおかしいけど、男尊女卑じゃないんですよ。

それが男尊女卑になってしもうたのはシナの影響なんで・・・

(中略)

『日本書紀』の編纂の時は律令時代ですからね。

男子優先で(神功皇后を)天皇から外したんです。

(328頁)

--------------------------------

 

律令時代だから男子優先と決めつけている根拠は何なのだろうか。

私は国史を通して、比較的男尊女卑の傾向が強かったのは江戸時代であると考えているが、

少なくとも平安時代はシナでは考えられないほど、すごく女性が活躍した時代である。

しかも、男子優先で、神功皇后を天皇から外したのであれば、

『日本書紀』に記されている推古天皇や斉明天皇(皇極天皇)、持統天皇はどうなるのだろうか?

神功皇后が神武天皇の男系子孫でないから外したのならともかく、

また、神功皇后を外すことによって、女帝が一人もいなくなるのであるならともかく、

そういうこともないので(神功皇后は男系)、田中卓氏の説明は意味不明となる。

さらに言うと、『日本書紀』が完成したのが720年ということは、

元明天皇(上皇)もご健在だし、元正天皇の御代となる。

このような時代に「男子優先で神功皇后を天皇から外した」と

古代史の大権威であるという田中卓氏が本当にお考えなのだったら、

もはや脳が老化されているとしか考えようがない。

いずれにしても、このような内容を無批判に受け入れてしまっている小林よしのり氏は、

行き詰まって、ただただ権威に寄りすがっているということだろう。

 

 

----------小林よしのり----------

わしは「『神皇正統記』は<直系>を重んじた」と書いた。

すると男系固執派は女帝が全て「世」にカウントされていないことを挙げ、

『神皇正統記』は男系絶対の書だと言い出した。

それに対して意見を伺ったところ・・・

 

田中卓氏「あんたの書いたので、別に言うことないです。

あれでいいんです。

『神皇正統記』の立場は、第14代・仲哀天皇のところに書いてあるように、

親子関係で継いでいくのが正しいが、そうもいかん場合もあるというものです」

 

要するに、推古・皇極(斉明)・持統・元明は、親子関係で皇位を継いだのではなく、

天皇・皇太子の未亡人として継いだから「傍系」である。

元正・孝謙(称徳)は親子で継いでいるが、親の元明・聖武が「傍系」であり、

傍系の子も傍系だから「世」に数えられないのである。

女帝だから外されたわけではない。

(332-333頁)

--------------------------------

 

これは完全に「神皇正統記」を理解していないのか、単なるごまかしの記述となる。

女性天皇が「世」に数えられないのは

「親子関係で皇位を継いだのではないから」という理屈であれば、

親子関係でなく皇位を継いだ傍系の男性天皇が

「世」に数えられていることについてまったく説明することはできない。

 

もっと酷いのが、元正・孝謙(称徳)が「傍系」なのは、

傍系の子も傍系だから世に数えられないという説明である。

傍系の子が傍系なのは、男性・女性関係なく、

すべての天皇はそうなのだから何の説明にもなっていない。

さらに言うと、我々は「神皇正統記」の考え方に立てば、

女性天皇は必ず「枝葉」になるということを述べている。

それは当然のことで、北畠親房は神武天皇から数えた父子一系の世数をベースに考えているのであるから、

女帝が「世」に数えられるためには、女系継承しかあり得ないことになる。

 

そして、田中卓氏が述べる

「神皇正統記の立場は、親子関係で継いでいくのが正しいが、そうもいかん場合もあるというもの」

は、何ら女系論の根拠となり得ない。

例えば、皇太子殿下に親王がおられた場合、親子で継承していただくのが正しいと考えられるが、

現状は「そうもいかん場合」に該当し、

秋篠宮殿下から悠仁親王殿下に継承していただくことになる。

ただそれだけのことである。

 

 

----------小林よしのり----------

『神皇正統記』の「直系」の考え方は、

あくまでも著者・北畠親房が考える「直系」であり、

『皇統譜』では女帝も全て「世」に数えられている。

(333頁)

--------------------------------

 

これはまったく間抜けな記述となる。

女帝もすべて「世」に数えられているというのは、同頁の絵にも示されているとおり、

天皇の名前の横に表記されている「世系」のことである。

ところが、その絵に示されている皇極天皇には「世系第三十」と記されている。

「世系」とは「世系第一」である天照大神から数えた世数のことである。

皇極天皇の「世系第三十」というのは、子である天智天皇と同じとなる。

 

欽明天皇(26)⇒敏達天皇(27)⇒押坂彦人大兄(28)⇒舒明天皇(29)⇒天智天皇(30)

 

欽明天皇(26)⇒敏達天皇(27)⇒押坂彦人大兄(28)⇒茅渟王(29)⇒皇極天皇(30)

 

「母・子」が同じ「世系第三十」ということは、

世系とは天照大神から数えた男系子孫であるということに他ならない。

つまり、皇極天皇(斉明天皇)と天智天皇は、天照大神から数えて男系の30世にあたるということだ。

小林氏が示した「世」とは、まぎれもなく「男系」を表しているということの証明である。

 

したがって、北畠親房が考える「直系(世数)」と、

「皇統譜」が示す「世」は同じであるということだ。

小林氏は女系論の根拠を述べるために「皇統譜」を持ち出したところ、

そのことが皇統は「男系」であるということを示すという間抜けな構図となったということである。

 

「旧譜皇統譜」は明治天皇の勅裁であり、明治天皇がなぜ伏見宮系の皇族を重視され、

皇女4人を嫁がせられたかということは、これで誰の目にも明らかだろうと思う。

 

 

----------小林よしのり----------

さらに田中先生は、決定的な指摘をされた。

田中卓氏「親房の議論に"男系"という用語はありません!

(334頁)

-------------------------------

 

これは決定的でも何でもなく、繰り返しになるが、

北畠親房の直系論は、神武天皇から数えた父子一系の世数を「幹」とすることを大前提に論じている。

そもそも男系が大前提で、当たり前すぎるからいちいち説明することはないということである。

冷蔵庫の説明書に、冷蔵庫とは何のためにあるのかなどということは書いていない。

当たり前すぎる場合は説明などしない。

それを「男系という用語はない」というのは、子供のケンカレベルの批判であって、

おおよそ"決定的な指摘"などというものではないと言っておく。

 

 

 

----------小林よしのり----------

田中卓先生は「万世一系」という言葉は明治に作られた言葉で、

皇位継承のあり方を正確に表現してはいないと仰った。

 

(以下田中卓氏のセリフ)

「万世一系」という言葉はね、これは遡れば幕末、

文政9年の『國史略』の序文の「正統一系」が元じゃないかと私は見てます。

それが明治になってから「万世一系」と、岩倉具視あたりが使うんじゃないかな。

それに似た言葉に「萬葉一統」という言葉がある。

(中略)

「萬葉」は「万世」と同じ意味や。

けど「一系」ではなく「一統」!

「万世一系」と言うと一本の筋みたいなものを思ってしまうけど、

そうじゃないんであって、「帯」みたいなものと思ってください。

もっと幅がある。

(335頁)

--------------------------------

 

これは『神皇正統記』及びそれをめぐる天皇観についての議論を

まったく理解していない記述となる。

そもそも「萬葉一統」という言葉の意味は、「帯」ではなく「大木」である。

文字通り生い茂った大木で、限りなく生まれる木の葉は、

大木が健在である限り、永遠に続いていくというイメージだ。

なぜこれが女系論の根拠になるのか、さっぱりわからない。

 

『神皇正統記』では、神武天皇からの父子一系の世数を幹として、

そこから数々の枝葉が伸びるように傍系があるということを

「まことの継体」として説明をしている。

一方で、父子一系の世数よりも、あくまで直系・傍系でつなぎながら、

第数を基本とする支系の統合としての継承を、「凡その承運」という。

まさに帯のように継承していくことになり、これが万世一系と言われるようになっていく。

つまり、「萬葉一統」(大木)と「万世一系」(帯)は中世・近世の天皇観では対立する概念なのであるが、

田中氏は「一系ではなく一統」と述べつつも、

どういうわけか萬葉一統を「帯」として説明している。

そもそも田中氏は古代史の専門家で、

中世や近世の歴史についてどこまで理解されているかわからないし、

適当なことを述べるいい加減な人間であるという可能性も高い。

 

 

 

----------小林よしのり----------

もともと「万世一系」などという細い糸のような血筋で繋がってきたのではないのは当たり前のこと。

本当は「萬葉一統」、皇統に属する者であれば、

女系も傍系も含めて「帯」のような幅で繋がってきたと考える方が自然である。

もちろんその帯が600年傍系まで拡がるのは不自然だろうという話だ。

(336頁)

---------------------------------

 

田中卓氏の間違った説明を聞いて描くから、さらに間違った記述となる。

後桃園天皇が跡継ぎなく崩御されたあと、光格天皇即位のいきさつについて、

後桜町上皇は伏見宮を推されたし、

光格天皇の孫にあたる孝明天皇は伏見宮に譲位を提案されたこともあった。

明治天皇は皇子が後の大正天皇お一人だったということで、

いざというときのために伏見宮系の永世皇族を強く望まれた。

さらにいうと、光格天皇即位以前から伏見宮は特別な存在とされていた。

これらは北畠親房の考える「まことの継体」ではなく、

皇位が「支系の統合」という「万世一系」であると考えられていたということであり、

万世一系という「帯」には伏見宮も含まれるということになる一方、

女系は含まれないということになるのである。

 

 

----------小林よしのり----------

万世一系は疑いようのない言葉だと思っていた。

さすが文献から厳密に研究してきた学者だよなぁ。

(337頁)

-------------------------------

 

すでに田中卓氏の言葉は間違っているということを指摘してきたが、

"田中大先生"の言葉は疑わなくていいということなのか。

未確認・未検証で受け入れるということは、完全に権威にひれ伏せた個人崇拝である。

 

 

 

 

 

 

 

 

トップページにもどる