『承詔必謹』と『逆賊』は両立する?
『新天皇論』は、「SAPIO」の天皇論追撃編だけでなく、
「WiLL」の本家ゴーマニズム宣言で皇統問題を扱ったものも含まれている。
一方で、「SAPIO」で皇統問題以外を扱ったものは
単行本『本家ゴーマニズム宣言』に収められているということだ。
ところが、「WiLL」で皇統問題を扱った中でも
『新天皇論』に収巻されていないものがあるので確認してみると、
「SAPIO」からの使い回しで内容がかぶっているだけというものと、
それ以外に一つのキーワードがあった。
それは「承詔必謹」である。
「承詔必謹」について大きく扱った「昭和天皇論に承詔必謹を学べ」と、
「天皇の聖徳を信じられるか?」の2つが
『新天皇論』ではなく、あえて『本家ゴーマニズム宣言』に入れられているのだ
具体的に見ていく。
----------小林よしのり----------
《小林は冨田メモ事件のとき、「個人崇拝」はしない言ったくせに》
はっきりさせておくが、『天皇論』を描く前と後ではわしの考えも成長している。
そもそも個人崇拝と公人敬愛は違う!
冨田メモが本物なら、それはあくまで「私人」としての天皇の言葉だろうし、
「公人」としての発言ではない!
わしは最高の「公人」たる天皇陛下を信頼しているから、
「承詔必謹」を肝に命じようと思っているだけだ!
(『WiLL』7月号)
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『天皇論』を描く前と後ということではなく、
これはどこをどうみても『天皇論』と矛盾する記述である。
『天皇論』に描かれている部分は以下の通りとなる。
----------小林よしのり----------
もし天皇が憲法改正反対を明言なさったら、わしは逆賊になる。個人崇拝はしない!
だから、いざという時は、西郷隆盛のように逆賊となることも覚悟しておかねばならんだろう!
(『天皇論』366-367貢)
わしは天皇のお言葉に反しても、日本の伝統を強制する悪役に徹していこうと思っている。
(『天皇論』370頁)
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いくらなんでも「逆賊」と「承詔必謹」の両立はないであろう。
天皇陛下が憲法改正を明言されても、それが「私人」としての言葉だったら、
いったい何が「公人」としての発言となると言うのだろうか。
小林氏自身も、さすがにこれはまずいと思ったので、
『天皇論』の続編となる『新天皇論』に含めることができなかったのだろう。