劇場型論争と本音の論争
左翼による情緒的な原発反対運動はマヌケなことこの上ない。
伝統を嫌う彼らの思想的根幹には進歩主義に基づく理性万能主義がある。
だったら人間がさらに進歩すれば原発をコントロールできると考えたり、
さらには高速増殖炉などへのチャレンジ精神があったりしてもいいはず。
かつての共産主義国家も原発推進だった。
私は原発反対ではないが保守と原発推進は何の関係もない。
原発を止めると電気代が高くなると言っても、
TPPに反対して高い米を食べるのはOKなのだから、
日本の美しい国土に核廃棄物を捨て続けるぐらいなら、
ちょっとぐらい高い電気代を払った方がいい、という論理も成り立つ。
保守系の本音は、実は原子力発電への関心ではなく、
将来の核兵器保有に備えて核に関わっておきたい
と考えているのだろうと左翼は見通して反対している。
それについて、保守系は図星か、
あるいは左翼の言うとおりにしたくないから推進派になる、
という要素が強いのではないか。
ちなみに日本ほどの技術立国だと、原子力発電など持たなくても、
明日にでも核兵器は作れる。
現代において核兵器などたいした技術ではない。
進歩主義の左翼が情緒的に原発に反対するのはマヌケな話だが、
一方の保守が原発に賛成する根拠はない。
結局、左翼は保守が賛成するから反対し、
保守は左翼が反対するから賛成しているという劇場的側面も少なくない。
共産主義国家の崩壊、反日自虐史観の衰退と、
左翼にとって冬の時代が到来したまさにそのとき、
反原発は左翼が集まる格好の旗印となった。
左翼は久々に熱く燃え上がる材料を見つけた。
そんな左翼の思うようにさせたくないのが一方の保守。
保守であるからには原発に賛成しなければならない
と言わんばかりの言動が目につく。
左翼が反原発で燃えあがろうとしているときに、
政府や保守も同調して原発は止めようと言えば、
彼らは不完全燃焼となってがっかりしたことだろう。
彼らの目的は反原発ではなく、反原発で結集することなのだから。
反原発の人たちもまた原発そのものに関心はないのだ。
結局、本当に原発に関心があるのは原発反対の保守と原発推進の左翼かもしれない。
もし、そんな討論会が実現したら面白いだろうな。
いつも言うことだけど、日本では保守が改憲派で、左翼が護憲となっているが、
本来の姿は逆である。
憲法とはまず国柄を第一に表すものであるなら、
保守が護憲派で、左翼が改憲派であるのが正しい姿。
日本がまともな憲法を取り戻し、
護憲派の保守と、改憲派の革新との討論会が行われる日を切に願う。
もどる