30分でわかる皇位継承論Q&A                 

 

 

皇位継承に関する初心者向けQ&Aをまとめてみました。

これを読めば、一連の皇位継承論議及び

万世一系の重要性を認識できるものと考えています。

 

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Q.側室制度がなければ、一夫一婦制では男系継承は不可能では?

 

西洋の王室では庶子(正妻以外の子)の継承は認められませんが、

男系継承を行っていた国々で、一夫一婦制ということで、

ただちに血統が断絶したという事実はありません。

ヨーロッパで典型的な男系継承が行われてきたフランスでは、

987年にユーグ・カペーが王位を取得してから、

庶系継承なしの万世一系で、フランス革命(ルイ16世)まででも、

800年以上続いていました。

断絶した理由は男子の不在ではなく、革命でした。

ただし、男系の血統だけでいえば、現在のスペイン王家や、

フランス国内にもオルレアン家が王位請求権者として現在まで1000年以上続いています。

 

フランスはヴァロア家とブルボン家という2つの宮家で、皇統を支えましたが、

なぜそのようなことが可能であるかといいますと、

血統というのは一つの家系に同一時代に3世代、ないし4世代が同居するので、

男系だけでも2から3系統を確保できるのが普通です。

一夫一婦制で子供の数が2〜3人だと、男子が誕生する確率は75%〜87.5%です。

宮家が2つあれば、4系統から6系統を確保することは普通に起こりえるのです。

 

現在の皇室では9人連続女子が誕生したという希に見る事態(確率では0.2%)となったため、

次世代の系統は悠仁親王殿下だけとなっていますが、

それでも戦後の皇室は、一世代5系統すら確保できていなかったのです。

一夫一婦制で男系継承を続けるためのポイントは、側室制度ではなく、系統を増やすことです。

つまり、男系継承の"肝"は傍系にあるということです。

 

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Q.出生率が1.3%の少子化時代に、

  子供の数を期待するのは難しいのではないでしょうか?

 

出生率1.3というのは独身者を含めての数字です。

既婚者だけの数値では出生率2を超えています。

さらに経済的安定層をみると、子供の数が3人、4人は珍しくありません。

子供が3人の場合、男子誕生率87.5%、4人の場合は93%。

子供の数が多いときに、系統を確保するということを行えば、

一夫一婦制でも十分に男系継承を続けられる可能性はあります。

 

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Q.普通の家で女子しか生まれなかった場合、

  遠縁の男子に全ての財産をあげるから家を継いでくれって言いますか?

  普通は娘が婿を取り家を継がせると思うのですが。

 

天皇とは祭祀を司る王の「位」であって、家の当主ではありません。

例えば、聖武天皇からみると、

 

文武天皇(父)⇒元明天皇(祖母)⇒元明天皇(伯母)⇒聖武天皇(自分)

 

と継承されてきたわけです。

こんなことは家督相続においては絶対に起こりえないことです。

天皇が「家」ではないということについては、

小林よしのり氏自身が『天皇論』で明確に記しています。

 

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天皇家というものはあり得ない言葉である。

戦後に左翼が流布したインチキ語なのだ。

天皇には姓がないのに、「天皇」を姓のようにして、

「小林家」とか「岸端家」と同列に「天皇家」と呼ぶだけでもヘンテコな話なのだが、

これは「天皇家もタダの家に過ぎない。その一家を特別扱いするな」という具合に、

皇室を普通の「家」扱いすることで、「天皇制廃止」につなげようという発想なのだ。

(中略)

「家」とは社会生活を営む上での私的生活の単位である。

だが、皇室は天皇陛下はじめ皇族方が私的生活をすることが本質ではない。

国家国民統合の中心として、天皇陛下とそのご近親によって構成される

国家という有機体の一器官と考えるべきである。

したがって「天皇家」などというものはない。

「皇室」でいいのだ。

(中略)

天皇は、他の宮家や、一般国民の家とも同列に扱えない最も公的な地位である。

219-220貢

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皇室というのは、シナ宗族制度にいう家や財産、

いわゆる「家産」ではなく、祭祀王の「位」なのです。

ところが、小林よしのり氏は、シナ宗族制度を女系論の柱のひとつとしたことで、

皇室を「家産」と扱わなくてはならなくなったということです。

 

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Q.皇位の世襲とは、一般家庭の相続とは異なるのでしょうか?

 

筑波大学の中川八洋名誉教授の言葉をお借りすると、

「天皇位とは"霊位"であり、この霊位が男系男子の先帝から

男系男子の新帝へと"お移りになられる"ことにおいて、

新帝の正統な天皇位が定まる」ということです。

この過程において、「家産の世襲」という概念はまったく存在することはありません。

先ほどの質問に対する回答と重なりますが、

「天皇」とは祭祀を司る王としての"位"であって、家の「当主」と性質がまったく異なります。

 

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Q.明治の皇室典範で皇位継承者を男系男子としたのは、

  大日本帝国憲法で天皇は陸海軍を統帥するとなっていたからですか?

 

違います。

イギリスに何度も留学した伊藤博文が、

英国女王が大元帥として軍服で白馬にまたがって閲兵することを知らないわけがないし、

日本の伝統でも女性天皇が軍を指揮したことはあります。

また、皇室典範作成当時、女性天皇・女系天皇も検討されたことはありましたが、

却下された理由は、大元帥だからという理由ではありませんでした。

 

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Q.皇位継承に関する議論とは、

  男系主義と女系容認と二つの主張が戦っているのですか?

 

正確にいうと違います。

男系を尊重したいという人は、男系だから維持したいと言っているのではなく、

これまで長く続けてきたことを大切にしたいと主張しているだけです。

ですので、男系VS女系という構図ではなく、

「伝統を大切にしたい人たちVSそれを崩してもいい人たち」

という構図が正確な表現です。

理屈で伝統を崩せば、左翼の革新思想と同じです。

男系を崩すことが伝統に反しないということを証明しなければならないということですが、

それがなかなか出来ていないというのが現実です。

 

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Q.古代の皇位継承では、父親のみならず

  母親の血筋も重視されていたという事実はどうなりますか?

 

「父親のみならず」というところがポイントです。

「父親よりも」ではありません。

あくまで神武天皇の男系子孫のなかで、母親の血筋が重視されたということです。

ちなみに、母親の血統が重視されたのは古代だけに限らず、

明治天皇の皇女4人は伏見宮系の皇族(現在の旧宮家)と結婚されています。

昭和天皇の長女もまた東久邇家に嫁いでおられます。

東久邇家は明治天皇と昭和天皇の皇女が嫁いでおられ、

男系で神武天皇につらなる正統な御家系ということになります。

 

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Q.男系継承は「シナ宗族制の影響」なんですか?

 

その主張する人は、必ず日本の歴史のなかで、

いついつ頃から影響を受けたという説明をしますが、

日本の男系継承は神話から一貫しているものです。

シナの影響というのであれば、神話から影響を受けていたということになりますが、

さすがにそれは言えないので、

「○世紀頃には影響を受けていた」という表現になっています。

では、「それ以前はどうなのですか?」と問うと、明確な回答はできないでしょう。

 

しかも、シナ宗族制というのは「家」の継承制度です。

小林よしのり氏は『新天皇論』で「わしは女系天皇を公認する。

なぜなら男系絶対主義とは、シナ文明の家族制度そのものであり、

日本の文明でも伝統でもないからだ!(226頁)」と述べています。

その言葉どおり、シナ宗族制は「家族制度そのもの」です。

先に述べたとおり、小林よしのり氏は『天皇論』で、天皇は家ではないと述べていたのですが、

女系論を述べるにあたり、自分のこれまでの主張をかなぐり捨てて、

天皇を家の当主とみなしてしまっています。

「皇室を普通の"家"扱いすることで、天皇制廃止につなげようという発想なのだ」

と述べていた姿はどこに消えてしまったのでしょうか。

 

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Q.皇祖神は天照大神という女神なので、

  神話は女系容認ではないかと考えられませんか?

 

皇統という意味では、皇祖神が男性神か女性神かということは重要ではなく、

皇祖神を「男系により継承した」という事実が重要であると考えます。

天壌無窮の神勅にある「天照大神の子孫が王であるべき国」の"子孫"とは、

男系子孫であると、神話のなかの天孫ニニギノミコトにはじまり、

神武天皇から歴代天皇は解釈してこられたということです。

「天照大神の子孫」ということについて、女系が何回も入ると、誰だかわからなくなるので、

他と区別するためにもあくまで「父子一系で継承するように」と

歴代天皇は受け取ってこられたということです

たまたま現代に生きる我々が、勝手に天壌無窮の神勅にある

「天照大神の子孫」には女系も含まれると解釈するのは、

歴代天皇に対する背信であると考えます。

 

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Q.斉明天皇(母)から天智天皇(子)への継承、

  元明天皇(母)から元正天皇(娘)への継承は、女系継承と考えられませんか?

 

わが国の正史である「日本書紀」、「続日本紀」には、

この2つの継承については男系継承であるということが書かれています。

一方、女系継承と考えられていたという歴史的史料は存在しません。

推測で考えるのは自由ですが、まずは歴史的史料に基づくのが

歴史研究の基本であると考えます。

 

そもそも血統というのは普遍的存在であって、生まれたときに確定しているものです。

生まれてから後の外的要因で変更することはありません。

血統的に父親が誰であるかということは、後になって変わることはないということです。

「誰から継承した」ということで男系か女系か変わるのであれば、

それはもう血統の論理からかけ離れています。

 

血統について説明しますと、男系とか女系とか言われていますが、

厳密に言うと、血統には「単系」と「非単系」の2種類しか存在しません。

「単系」というのは、代々男系か、代々女系ということになりますが、

代々女系というのはあり得ないので、「単系」イコール「男系」となります。

ですから、母から息子に継承しようが、母から娘に継承しようが、

血統は普遍なので「単系」が崩れたかどうかを見れば簡単な話なのです。

皇統とは125代天皇はもちろん、天孫降臨以来、

単系の血統により継承してきたということになります。

皇位の正統性は血統により担保されているのです。

 

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Q「旧譜皇統譜」には女帝のところに「世系第○○」と記されていますが、

 これは女系も皇統に含まれるということになりませんか?

 

「世系」とは男系でさかのぼれば、天照大神に行き着く世代数のことです。

例えば、天智天皇と天武天皇は「世系第三十」。

男系で天照大神から数えて30世にあたるということです。

天武天皇の皇后である持統天皇は、天智天皇の皇女なので「世系第三十一」、

天武天皇と持統天皇の子供で草壁皇子妃である元明天皇は、

天智天皇の皇女なので「世系第三十一」。

つまり、持統天皇と子供の草壁皇子、その妻である元明天皇は全員「世系三十一」となります。

決定的なのが斉明天皇(母)と天智天皇(子)が同じ「世系三十」ということです。

 

(27)敏達天皇⇒(28)押坂彦人大兄⇒(29)舒明天皇⇒(30)天智天皇

(27)敏達天皇⇒(28)押坂彦人大兄⇒(29)茅渟王⇒(30)皇極天皇(斉明天皇)

 

母と子が同じ世系数であるということは、

「旧譜皇統譜」は皇統は男系であるということを示しているということです。

 

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Q.女系容認の考え方では、直系を優先するか、

  傍系を重視するかという意見がありますが?

 

「直系・傍系」という概念は、誰から見た「直系」か「傍系」なのかがポイントになります。

例えば、愛子内親王殿下は「直系」、悠仁親王殿下は「傍系」と言う人がいますが、

今上陛下から見れば、お二方とも直系です。

皇太子殿下がご即位されたときに、秋篠宮殿下と悠仁親王殿下は「傍系」となります。

また、秋篠宮殿下がご即位された場合、悠仁親王殿下は「直系」となります。

いわゆる旧宮家のことを「大傍系」と言う人もいますが、

今上陛下から見れば「傍系」ですが、神武天皇から見れば直系です。

このように、「直系・傍系」というのは、誰から誰を見るかというように、

相対的に決まるもので、絶対的に決まる概念ではありません。

親子継承が「直系」というのであれば、欠史を除けば、

125代の天皇のうち、親子継承が続いたのは光格天皇から今上陛下までの7代が最長となります。

皇位継承の歴史は「支系の統合」であり、「何より直系が大事」などという伝統はありませんでした。

 

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Q.しかし、皇族以外の臣籍では、女子ばかりが生まれた場合、

  婿養子をもらうなど必ずしも単系の血統を重んじる傾向にはありませんでした。

  やはり男系継承は日本の伝統ではないということではありませんか?

 

男系継承がシナ男系主義の影響と述べる人たちは、

なぜ皇室にだけ男系継承が残ったのかという厳密な理由について一切説明しません。

シナの影響なのであれば、なぜ皇室にだけシナの影響が残ったのかという理由があるはずです。

1000年以上、京都市上京区(御所)の一角にだけ、

シナ男系主義の影響が残ったというのは、普通に考えれば"トンデモ説"になります。

"トンデモ説"ならば、相当綿密に論証してもらいたいものですが、そのような形跡は一切ありません。

 

私は皇室の血統が、一般階級と異なったのは、ひとえに皇位という性質が、

家の当主と異なっているため、そもそも別の存在であるとみなされていたからだと考えています。

 

また、皇室という正統な存在があるからこそ、一般階級は安心して寛容な継承ができたとも考えられます。

一般階級の多くの血統が非単系だからといって、皇室もそれで良いというのは、

あまりに短絡的ではないでしょうか。

我々の知性では考えもしないところに、某かの要素があると考えられるので、

一世代の人間だけで簡単に結論を出してしまうのは危ういと考えます。

 

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Q.明治以前は夫婦別姓だった?

 

これは夫婦別姓推進論者が保守系に対しての反論として用意している

「夫婦別姓旧慣習説」というものです。

「旧慣習説」は誤りであるということは、近年の研究で指摘されており、

明治以前に夫婦別姓だったという資料的裏付けがないことが明らかとなっています。

近いうちに「江戸時代の農民は米を食べていなかった」という虚説と同じ扱いとなるでしょう。

 

また、夫婦別姓はシナの影響だったという人がいます。

明治以前の夫婦別姓の代表例としてよく持ち出されるのが、

源頼朝の妻である北条政子です。

しかし厳密に言うと北条政子の"姓"は「平」であって、北条は家名です。

つまり、明治以前の夫婦別姓の「姓」とは、

シナでいうところの「姓」とは意味が異なります。

 

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Q.侍従長や宮内庁長官など陛下に近い立場の人間の方が、

   陛下の御真意をよく理解できるのではないでしょうか?

 

ご公務など日常的な問題ならともかく、

皇位継承に関わる問題などについて役職交代のある役人に

相談することはないという意見もあります。

侍従長であれ外務省からの出向役人となります。

御長老の皇族方や親戚筋(菊栄会)の方々にまず相談されるのが

順序ではないかと考えられます。

 

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Q.陛下の大御心が「女系容認」であると忖度する意見についてどう考えるか?

 

それはどちらの立場にせよ現時点では絶対にわかりません。

陛下が自ら大御心を明かされることはないからです。

ただし、その点について重要なことがあります。

いわゆる「男系派」と「女系派」のいずれにしても、自分たちの主張が大御心と違った場合、

取り返しがつかないのは、どちらであるかということです。

男系派は「万策尽きたら女系も容認」といわれているように、

女系継承への道を残しています。

一方、小林よしのり氏らの「直系・第一子」論は、

いますぐに男系継承の道を閉ざすというものですから、

どちらが取り返しがつかないかは一目瞭然でしょう。

つまり、陛下のお心が「女系容認」だった場合、さしあたり男系維持策が続けられても、

女系継承への道が残されていますが、

もし陛下のお心が「男系」の場合、「直系・第一子」論は、陛下にとって、

言葉は悪いですが、まさに地獄のような仕打ちとなってしまうのです。

 

少なくともそのような可能性が残されている以上、陛下に対する忠義の心があれば、

絶対に「直系・第一子」などということは述べられないはずです。

 

 

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Q.皇室典範には「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」とありますが、

  皇統と男系は同じ意味であるとすると、同義反復になっておかしくありませんか?

 

最初に制定された明治の皇室典範には

「大日本国皇位ハ皇祖ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」とあって、

なぜ同義反復としたかという理由について、新田均氏が史料に基づいて明らかとしています。

枢密院議事録(明治21年5月28日)によると、皇室典範審議の過程において、

皇統と男系は同義反復になるので、「男系の」の部分を削除するべきだとの修正案が出されたが、

議長の伊藤博文が「自分たちの時代はともかく、将来に女系も含むというような意見が出て、

祖先の常道が否定されるようなことがないようにしておかなければならない」と述べ、

あえて同義反復の表現を残すことになったということです。

つまり、修正案の提案者も、議長である伊藤博文も「皇統=男系」で一致していました。

審議の過程では、女系も皇統に含むなどという意見を主張した人間はいないし、

皇室典範第1条の規定の皇統に女系が含まれないことは

完全なる立法意志であったことが明らかとなっています。

 

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Q.男系維持の方策に旧宮家男子の皇籍復帰という案がありますが、

  皇籍復帰してもいいという人はいないという意見がありますが?

 

旧竹田宮家の竹田恒泰氏によると、

「旧宮家の当主たちが、皇室典範問題については一切意見を述べないことで

意見を一致させている」

ということです。

『文藝春秋』(平成17年3月号)で保阪正康氏が独身の旧宮家男子にインタビュー行ったときも、

全員が意見を述べていなかったということでも裏付けられています。

保阪氏はこれに乗じて、「皇籍復帰してもいいという人はいなかった」と勝手に結論付けていますが、

「復帰したくない」という人もいなかったわけで、

保阪氏の結論は一方の側面だけを隠すという姑息なやり方だと思います。

まずは旧宮家の方々が、意見を述べてもいいという環境をつくることが第一ではないかと考えています。

 

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Q.戦後に皇籍離脱された旧11宮家は、GHQによる強制がなくても、

  大正9年に制定された「皇族降下準則」により、

  臣籍降下することになっていたのではないですか?

 

ちょっと細かい話をしますと、戦前の皇室典範を頂点とする宮務法体系の制定・改正は、

皇族会議の諮詢を必要としていました。

「皇族降下準則」は、否決されることが濃厚だったことで族会議には諮られず、

枢密院の議決だけで成立しました。

皇族会議に議決もなく、自動的かつ強制的に皇族が臣籍降下するのはさすがにおかしいという反発もあって、

結局は、運用面で皇室典範増補第1条「情願」(臣籍降下しますと申し出ること)が基本となりました。

「情願」はその都度、皇族会議と枢密院顧問の諮詢が必要となります。

ですから、対象となった皇族は15歳になったら自動的に臣籍降下したのではなく、

時を見計らって、大学卒業程度の年齢のときに臣籍降下されています。

つまり、「皇族降下準則」によって全員自動的に臣籍降下していたという表現は正しくなくて、

状況を見ながら皇族会議と枢密院顧問の議決によって降下することになっていたということです。

 

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Q.戦前の旧宮家は問題行動が多かったという指摘がありますが?

 

問題のある行動ということでは、歴代天皇にもあったといわれています。

もちろんそのレベルも異なります。

一部で言われているかつての宮家の問題ある行動とは、ごく一部のことであって、

数多くいた皇族のほとんどがそうだったという印象操作のように見受けられます。

さらにいうと、いわゆる旧宮家は、現皇室と親戚関係にあたり、

菊栄親睦会というかたちで定期的に親戚付き合いを続けておられます。

旧宮家への誹謗中傷は、皇室に尊崇の念を持つ人間としては、ちょっと異常に感じられます。

 

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Q.旧11宮家が戦後に皇籍離脱となった経緯は、GHQが皇族の財産に重税をかけるなど、

  経済的に圧力を加えたため存続できなくなったのであり、

  GHQが言い出したことではないのではないですか?

 

課税権というのは国家の主権のなかでも

最も重要な部類に位置するものとなります。

つまり、GHQの指令により皇室財産に重税をかけられたというのは、

この上ない屈辱であって、それをあっさり受け入れてしまうのは、

あまりに自虐的であると言わざるを得ません。

GHQにより作られた戦後体制を問題視するということは、

当然、占領憲法をはじめ、皇室典範、旧宮家の皇籍離脱まで見直すということだと考えています。

 

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Q.どうして男系じゃないとダメなのですか?

  「それが伝統だ」以外の答えを聞いたとこがありません。

  どうして皇室は男系を維持してきたのですか?

  その意味が分からなければ男系に拘る理由が分かりません。

 

「意味が説明できない」と「意味がない」とは別の話です。

意味のないことが二千年続くことは有り得ません。

合理的説明ができるか、できないか、ということでものごとを判断するのは

「唯物論」と言いまして、左翼・革新思想の典型的思考です。

理性により突き詰めていけば、血統で継承しなくてはならない根拠は示すことはできないと思います。

意味がわからなくても、長く続いているということは、

大切な意味が含まれていると考えるのが、伝統を尊重する保守の基本的な考え方です。

 

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Q.単に長く続いていることが正統だとは言えないという考え方もできませんか?

 

人間は不都合なことは避けることから、おかしなことは絶対に長く続きません。

数十年、百年程度なら無理矢理続くこともあるでしょうが、数百年、千年単位で続くことはありません。

例えば北朝鮮の体制は数百年続くことはないでしょう。

時代をまたがって継続しているということは、

人間にとって必要な要素が含まれているとまず考えるべきです。

それが伝統を尊重する意義となります。

 

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Q.はじめての女帝となる推古天皇は、

  男子継承だったそれまでの伝統を破壊したと考えられませんか?

 

伝統というのは、ひたすら墨守した成果ということではなく、その時代その時代において、

先人たちがぎりぎりの判断のなかで取捨選択された結果となります。

推古天皇が即位された経緯は、皇位継承争いが激しく、

推古天皇が即位しなければ収拾がつかないという状況がありました。

推古天皇は安易に伝統を破壊したのではなく、

その時代情勢のなかでぎりぎりの判断があったものと考えられます。

つまり、推古天皇と現代人が同じという考え方ではなく、

推古天皇ら先人たちがぎりぎりの判断のなかで、

取捨選択を繰り返してつくられてきた伝統、

すなわち「先人たちの叡智」を我々は財産として受け継いだということになります。

先人たちが必死の思いで築いてきた伝統を、

我々の世代で安易に変えてしまうことに抵抗を感じるということです。

 

 

 

 

 

 

 

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