小林よしのり氏が述べる「思想する」は左翼の「弁証法」

 

 

小林よしのり氏が左翼・理性主義的な発想で、

ものごとをとらえているということについては、

以前から感じていたことではあったが、『WiLL』(平成22年8月号)で、

それが確信へと変わった。

 

----------小林よしのり----------

過去の『ゴー宣』を見れば、わしの思想の変化が歴然とわかる。

言っていることが違っている箇所もわかるように残している。

(中略)

だが、わしの思想遍歴は、初期の頃からの読者はみんな知っている。

わしについてきた読者は一緒に成長してきたのだ。言うことが変わっている点もあろう。

わしは「思想」しているのだから!

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西洋の哲学・思想について学んだことがある人なら、

わかると思うが、この記述は「弁証法」である。

これは非常に難しい箇所であることから、

知識人でない一般の人にもわかるように解説してみようと思う。

すべてのものごとや価値に根拠がないということを述べてきた。

殺人すら絶対悪と説明することはできない。

殺人や窃盗を正当化する論理などいくらでも考えられる。

しかし、社会には秩序を維持するための、規律の根拠が必要となる。

近代まではその根拠を宗教と伝統から見出していたのだ。

そして、近代以降には啓蒙思想というのもが登場する。

一言で説明すると、宗教から倫理・哲学を切り離すということだ。

その代表的な手法が「弁証法」というものである。

左翼哲学者ヘーゲルの「弁証法」をもとに、簡単に説明してみよう。

 

ヘーゲルの弁証法というのは、一言でいうなら「正」→「反」→「合」ということになる。

まず「正」という前提があって、その前提に対して批判を加える。これが「反」となる。

テーゼ(前提)に対するアンチテーゼといわれるものだ。

その批判によって生まれたものが「合」となる。

その「合」をまた「正」という前提にすることで、「正」→「反」→「合」を繰り返していく。

この過程こそが、ものごとの根拠を伝統・宗教から切り離し、

「理性」が根拠たりうるという「弁証法」なのだ。

では、弁証法の何が問題なのかというと、

「反」について何を根拠とすることができるのかということだ。

「正」に対して批判する根拠は何か。そんなものは見つからないだろう。

ヘーゲル以降のマルクス主義というのは、「反」については、

自己を正当化させるためとしての「反」を用いた。

もっというと、自分たちの都合のいい「合」を導くための「反」であったのだ。

 

もちろん保守主義というのは必ずしも「弁証法」そのものについては、

否定するわけではないと考える。

自分たちが実行しようとしている政治について、

伝統に反していないかという観点から「正」→「反」→「合」を導くことができるからだ。

 

小林よしのり氏における「反」の根拠は何なのか。

「シナ宗族制度論」及び「状況論」となる。

シナ宗族制度論は破綻しているし、状況論だったら、「直系長子優先」ということで、

悠仁親王殿下の皇位継承権を認めないという説明ができない。

理性を排除したかたちでの「状況論」であるなら、

最低でも悠仁親王殿下の次世代まで待たなくてはいけない。

"いま変える"理由は理性でしか説明がつかないからだ。

その理由に小林氏たちは「シナ宗族制度論」を持ち込んだのだが、

そんなものは、当然のことながら、またたくまに破綻した。

ちなみに、新田均教授が高森明勅氏に対して、

「現状から歴史の再解釈を行っている」ことを指摘し、高森氏もそれを認めた。

これは「合」から「反」を導いていることになる。

高森氏の論理は典型的なマルクス主義における「弁証法」となっているのだ。

 

伝統から離れた「弁証法」というものが、なぜ問題なのかということも説明しておきたい。

保守主義というのは、過去・現在・未来という時間の縦軸が、

世の中の秩序を形成すると考える。

小林よしのり氏がいくら思想して成長したとしても、

「弁証法」では、次世代の人間たちが、

それを「アンチテーゼ」としてしまったら元も子もないではないか。

理性ではさわってはいけないという「時間の縦軸」のことを伝統といい、

政治学では「不文の法」というのである。

 

----------小林よしのり----------

「なぜ天皇は男系でなければいけないのか?」

この質問に対して明確に答えた人は未だ一人もいない。

いわゆる「男系絶対主義者」たちは、終いには異口同音に

「そうなっているだ、理屈じゃない!」と言い出すのだ。

(『SAPIO』平成22年5月26日号)

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小林氏が言う「明確に答えること」というのは、理性による「反」となる。

小林よしのり氏はヘーゲル以降の左翼の「弁証法」に

どっぷりつかっているということを証明しているということだ。

ところで、小林よしのり氏は「思想して成長する」というが、

どんどん成長して、老人になってから「やっぱり女系天皇はまずい」

という結論に達してしまったならどうするのだろうか。

「現時点での自分の理性を疑え」

小林よしのり氏が、いま必要なのは、伝統主義、保守主義というという基軸からの、

己の理性批判ではあるまいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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