唯一ではない「5世子孫」

 

 

----------小林よしのり----------

現在我々が置かれている、将来の皇位継承資格者が、

傍系の親王たった一人しかいないという事態は、

これに匹敵する1500年ぶりの危機だということは、改めて強調しておく。

そして1500年前は、唯一の「5世子孫」への皇位継承が行われたのである。

継体天皇は『古事記』では近江、『日本書紀』では越前の出身となっている。

(186頁)

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武烈天皇が崩御され、皇位継承危機が到来したとき、

「5世子孫」は継体天皇が「唯一」というわけではありません。

丹波には倭彦王がおられました。

『日本書紀』には、倭彦王は仲哀天皇の5世子孫であると記されています。

大和朝廷は最初に倭彦王を皇位継承者としてお迎えにいったのですが、

自分を討ち取りにきたと勘違いされて、逃亡してしまわれたのです。

雄略天皇がライバルたちをことごとく排除されていた時代の

すぐあとですから無理もないと思います。

 

上記の第18章では「継体天皇から傍系の限界を学ぶ」というタイトルで、

一章まるまる継体天皇について描いていますが、

『日本書紀』だけでも目を通していれば、上記のような記述にはならなかったのです。

倭彦王の話は、『日本書紀』の継体天皇即位のいきさつのところで、

まずはじめに登場する記述です。

小林氏は「継体天皇は『古事記』では近江、『日本書紀』では越前の出身となっている」

と述べていますが、『日本書紀』を読んだのではなく、

そう書いてあることを誰かから教えてもらったということでしょう。

 

繰り返し指摘していることですが、「史料検証」をまったく行っていないのは、

小林よしのり氏であるということです。

『新天皇論』は「史料検証」ではなく、「信仰」に基づいてつくられた作品であり、

これぞまさしくカルトだということになります。

 

 

 

 

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