保守哲学が欠落する小林よしのり氏

 

 

-----------竹田恒泰-----------

「承詔必謹」という言葉がある。

天皇の命令を承ったなら、必ず実行しなくてはいけないという意味だ。

昔から勅命は神聖視されていて、絶対的なものだった。

しかし、その一方で例外があり、従ってはいけない場合もある。

大義のない勅命には、むしろ従ってはいけない。

それが皇室をお守りすることになる。

(『正論』平成22年5月号)

 

----------小林よしのり----------

その「大義」の有無は誰が決めるのか?

つまり、「オレ様が決める」と言っているわけだ。

要するに竹田氏は「もしも天皇陛下の御真意が"女系天皇容認"だったとしても、

オレ様が気に食わなければ従わなくてもいい」と言っているのである。

ところが渡部昇一氏もこの竹田氏発言に完全に同意した。

これは天皇陛下に対する「逆賊宣言」に等しい!

(『WiLL』平成22年6月号)

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<大義の有無は誰が決めるのか?>

 

この記述が小林よしのりに保守思想が完全に抜け落ちていることを物語った。

これは近代の啓蒙思想以降、最大の問題となった"理性"の取り扱いについてのことだ。

前近代は法律を解釈する権限を持つ人間が最大の実力者であった。

キリスト教国では、ものごとの倫理・規律と神は不可分であり、

神の教えを解釈できる人間のことである。

そのことが政治体制で数々の悲劇も生んだことから、

神と倫理と切り離すことが、西洋における啓蒙思想のはじまりである。

 

すべてのものごとに「根拠」は存在しない。

殺人すら絶対悪であるということを理性により説明することなどできない。

それを正当化する論理などいくらでも考えつくからである。

 

社会契約説の大物哲学者ホッブズは、この「根拠」について、

やはり神の領域であることを認識し、

それを神の好敵手たる「リヴァイアサン」と名付けて、国家・国王に委ねたのだ。

 

しかし、そんな大事な「根拠」を特定の存在に委ねていいのだろうか。

革新思想の祖となるルソーは、

「現代人は過去のいかなる時代よりも最も優れているのだ。

個々人の理性の集積である"一般意志"が根拠たるべきだ」という社会契約論を述べる。

これが近代以降のデモクラシーの源泉だとされている。

政治は国民と国家の契約であり、

「国民の理性が最高であるから、契約がまずかったら、いくらでもやり直せばいい」

という考えが、その後の革命思想へと発展した。

 

それに対抗してきた保守思想というのは、

ものごとの「根拠」について「誰かが決定してはいけない」ということを確認した。

先人たちの叡智の集積が"法"として形成され、いかなるものも、

たとえば国王・絶対君主であろうとも"法の支配"の下にあるということになる。

国家・国王であろうと、民衆の総意であろうと、誰にも主権なるものは持ち得ていない。

主権はただ"法"のみに存在し、政治は"法"を発見するに過ぎないということだ。

 

小林氏が「その大義の有無は誰が決めるのか?オレ様が決めると言っているのだ」

と述べるということは、慣習法の中に"法"があり、

法を保守することが保守哲学であるということをまったく理解していないということだ。

竹田恒泰氏は「天皇であっても"法"に背くことはできない」、

「"法"に反する勅命には従ってはいけない」

と保守哲学としては基本的なことを述べておられるに過ぎない。

ルソーの革新思想に対する「法の支配」という保守思想があるのに、

竹田氏に対して「国民主権主義者」と批判するのだから、

学問的に無知であるということは本当に悲しいことである。

こんな醜態を晒すことになるのだ。

 

さらに竹田氏が「それが皇室をお守りすることになる」というのは、

"法"があって皇室が存続できるのであるから、

"法"に反すれば皇室の存在が危うくなるという至極当然のことを言っておられるのだ。

この点を早くから明確に認識されている竹田恒泰氏は「さすがは皇統に属される方だけある」と、

わたしは、ただただ頭が下がる思いでいっぱいである。

 

----------小林よしのり----------

実は、天皇陛下への反逆を正当化しようと、

こんな屁理屈をこねた者は、ごく少数であるが過去にも存在する。

昭和天皇の「聖断」による戦争終結に逆らった青年将校たちである。

その時の彼らの理屈を、半藤一利は『日本のいちばん長い日』で的確に表現している。

「『承詔必謹』などという馬鹿げた方針は、

皇室の形骸だけをのこして日本の伝統的精神を無視するものなのである。

皇室が皇室たるゆえんは、すなわち民族の精神とともに生きつづける点にある、

と彼らは思いつめた」

(『WiLL』平成22年6月号)

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伝統的精神??

伝統という単語はついているが、こんなもの"法"たりえるわけがないだろう。

半藤氏はもちろんのことながら"法の支配"を知らない。

何千年さかのぼろうが、女系天皇なるものは一度も存在したことがない。

これが"法"である。「精神」などまったく関係がない。

不文の"法"を「伝統的精神」と入れ替えることを、確信犯としてやってのけたのなら、

なかなか高度な謀略であるといえるが、

小林氏の学問レベルだと、ただの無知というのが正しいだろう。

 

----------小林よしのり----------

竹田恒泰は、天皇は「立憲君主」なのだから、

絶対、政治的発言はなさらない、

従って、今上陛下の「男系支持か、女系容認か」の御真意は、

外に漏れるはずがないと、憲法を絶対視して、天皇の口封じをしている。

だが本来、皇室典範は、明治憲法下では、「皇室の家法」であり、天皇が改正できた。

異常な現憲法を盾に、陛下の御真意を封じてはならない!

竹田は「皇室の家法」たる皇室典範も、国民のみで決めるべきであり、

天皇は一切口出しまかりならぬと言っているも同然!

天皇を単なる「お飾り」と思っている「国民主権主義者」である!

(『WiLL』平成22年6月号)

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およそ立憲君主国家というものは、

憲法を頂点とする政務法体系と、皇室典範を頂点とする宮務法体系で成り立っている。

ところが、現憲法下では皇室典範が政務法体系と扱われている。

天皇陛下は現皇室典範が政務法体系となっていることを認識されておられるから、

外部に御真意をもらされることはないと、

竹田恒泰氏は立憲君主論の基本原則を述べておられるのだ。

憲法学者である竹田氏が、宮務法体系と政務法体系に基づく立憲君主論を知らないわけがない。

ただ、小林氏が憲法学及び立憲君主制についての無知を、恥を知らずにさらけだしているだけなのだ。

究極的なのが次の発言である。 

 

----------小林よしのり----------

「なぜ天皇は男系でなければいけないのか?」

この質問に対して明確に答えた人は未だ一人もいない。

いわゆる「男系絶対主義者」たちは、

終いには異口同音に「そうなっているだ、理屈じゃない!」と言い出すのだ。

(『SAPIO』平成22年5月26号)

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これが近代主義、理性主義の典型的発言だろう。

全国の祭りには、しきたりなどが山のようにある。

それらについて、合理的理由が説明できなければ、

何でも変えていいということになるのか。

『天皇論』では、宮内庁の宮中祭祀の簡略化・空洞化について強く非難していたが、

その根拠は何なのか。

天皇の宮中祭祀について合理的説明ができないものがあれば、やめていいのか?

 

悠久の歴史における叡智の集積となる国体に、

「なぜ男系でなくてはならないのか明確な説明がない」ということは、

納得できる論理がなければ、自分は承諾しないという、理性万能主義といえる。

ものごとについて、合理的説明がつくものと、そうでないものを区別して、

説明のできないものを切り捨てるのは、革新思想の唯物論である。

伝統について、合理的説明はできなくても、某かの重要な要素が含まれていると考え、

先人たちの叡智に対して謙虚な姿勢となるのが、保守主義の基本理念である。

 

皇室は論じる人の本質を正確に映し出す"鏡"であることに気づかされた。

掘り下げて論じれば論じるほど、必ず真実の姿が映し出されることになる。

そして、小林よしのり氏には、保守思想が見事に欠落していることが見事に露呈したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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